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第二話 毎夜見る夢 -2
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不意に意識が浮上する。
朝の日射しはまだ遠く、涙に濡れた頬がひやりと冷たかった。
一瞬、自分がどこにいるか分からず辺りを見渡した。暁の薄い光だけが照らし出す古ぼけた室内。そこにあるのは寝台と小さな机だけで、私物と呼べるものは何もなかった。けれど、そこは間違いなく「ルイン・ネルケ」の自室だ。
そのことに安堵して、ルインは小さく息を吐く。
――自分は「ルイン・ネルケ」だ。「フェリ・エイデン」じゃない。
そう何度も言い聞かせて、枕元に置いていた水差しから直接水を呷った。夜の間に冷やされた水が、ルインの中を潤して夢を夢だと教えてくれる。
匂いや感触まで感じることの出来る「夢」はひどく鮮明で、時折「夢」と「現実」との境界を曖昧にしてしまう。特に「フェリ」が「彼」を失った瞬間の夢を見た朝は、起きたときに一瞬自分が誰なのか分からなくなってしまうのだ。
そんな風に「フェリ」に引きずられるのが嫌で、ルインは前世の夢を見ることが苦手だった。
だって、どうすればいいというのだ。
男が死んだのも、フェリが死んだのも遠い昔のことだ。
目覚めた今でも鼻の奥に残るような濃い血と硝煙の匂い。風に乗って届くのは死臭で、フェリの視界には傷ついた仲間たちしかいない。
全てが終わったことだというのに、フェリは未だに地獄のようなあの光景から抜け出すことが出来ないでいるのだ。
見ているのに、どうすることも出来ない。足掻くことも助けることも出来ず、ただ諦めるしかない。そんな死と隣り合わせの場所で起こった出来事。
それを延々と見せられるルインの身にもなって欲しい。
初めて前世の夢を見たのはルインが十六歳のときだ。竜師になって三年目の夏のことだった。
今と同じヴィンターベルク城塞のこの隊舎の一室で、やけに現実的な戦の夢を見てルインは飛び起きた。
目の前に迫る白刃。
血まみれの腕に抱きしめられて口づけられた月のない夜。
あっと言う間に滅んだ祖国。
夢を夢と認識するのに今よりもずっと時間がかかって、半狂乱になって泣き叫んだのはルインにとって一生の恥だ。
それからだ。ルインはかつて「フェリ」として生きた人生を夢で見るようになった。
最初はただの夢だと思っていたのだ。けれどあまりに現実的で、まるで実際に見て来たかのような夢を不思議に思っ て、つい調べてしまった。
そして分かったのは、「フェリ」が生きたリーヒラインという王国は、実際に七十年前に帝国により滅ぼされた国 だということだった。亡国となったリーヒラインについての記述は、碌なものがなかった。けれど、それでもリーヒ ラインには竜騎士団があり、国力が著しく劣るにも関わらず帝国からの攻撃に半年間持ちこたえたこと。それから、 男が出陣して行ったハルトヒューゲルという地名は残っていた。
ハルトヒューゲル峠の戦いは、帝国の戦史にも記されていた。
大陸統一戦争の初期の初期。最初に接収したリーヒラインとの最大の戦い。
そこでリーヒラインは王国を守護する竜騎士団のほとんどを失ったという。それからほどなくして地図上からリー ヒラインという国がなくなった。
その戦いで男は死んだのだ。
待っていると約束した「フェリ」を残して。
そのことを知ったとき、ルインはこれがただの夢ではないことを理解した。
さすがに一騎士でしかなかった男や、「フェリ」の存在を確かめることは出来なかった。けれど、あの夢は間違いなく過去に起こった現実で、ルインは「フェリ」としてあの場にいたのだ。
朝の日射しはまだ遠く、涙に濡れた頬がひやりと冷たかった。
一瞬、自分がどこにいるか分からず辺りを見渡した。暁の薄い光だけが照らし出す古ぼけた室内。そこにあるのは寝台と小さな机だけで、私物と呼べるものは何もなかった。けれど、そこは間違いなく「ルイン・ネルケ」の自室だ。
そのことに安堵して、ルインは小さく息を吐く。
――自分は「ルイン・ネルケ」だ。「フェリ・エイデン」じゃない。
そう何度も言い聞かせて、枕元に置いていた水差しから直接水を呷った。夜の間に冷やされた水が、ルインの中を潤して夢を夢だと教えてくれる。
匂いや感触まで感じることの出来る「夢」はひどく鮮明で、時折「夢」と「現実」との境界を曖昧にしてしまう。特に「フェリ」が「彼」を失った瞬間の夢を見た朝は、起きたときに一瞬自分が誰なのか分からなくなってしまうのだ。
そんな風に「フェリ」に引きずられるのが嫌で、ルインは前世の夢を見ることが苦手だった。
だって、どうすればいいというのだ。
男が死んだのも、フェリが死んだのも遠い昔のことだ。
目覚めた今でも鼻の奥に残るような濃い血と硝煙の匂い。風に乗って届くのは死臭で、フェリの視界には傷ついた仲間たちしかいない。
全てが終わったことだというのに、フェリは未だに地獄のようなあの光景から抜け出すことが出来ないでいるのだ。
見ているのに、どうすることも出来ない。足掻くことも助けることも出来ず、ただ諦めるしかない。そんな死と隣り合わせの場所で起こった出来事。
それを延々と見せられるルインの身にもなって欲しい。
初めて前世の夢を見たのはルインが十六歳のときだ。竜師になって三年目の夏のことだった。
今と同じヴィンターベルク城塞のこの隊舎の一室で、やけに現実的な戦の夢を見てルインは飛び起きた。
目の前に迫る白刃。
血まみれの腕に抱きしめられて口づけられた月のない夜。
あっと言う間に滅んだ祖国。
夢を夢と認識するのに今よりもずっと時間がかかって、半狂乱になって泣き叫んだのはルインにとって一生の恥だ。
それからだ。ルインはかつて「フェリ」として生きた人生を夢で見るようになった。
最初はただの夢だと思っていたのだ。けれどあまりに現実的で、まるで実際に見て来たかのような夢を不思議に思っ て、つい調べてしまった。
そして分かったのは、「フェリ」が生きたリーヒラインという王国は、実際に七十年前に帝国により滅ぼされた国 だということだった。亡国となったリーヒラインについての記述は、碌なものがなかった。けれど、それでもリーヒ ラインには竜騎士団があり、国力が著しく劣るにも関わらず帝国からの攻撃に半年間持ちこたえたこと。それから、 男が出陣して行ったハルトヒューゲルという地名は残っていた。
ハルトヒューゲル峠の戦いは、帝国の戦史にも記されていた。
大陸統一戦争の初期の初期。最初に接収したリーヒラインとの最大の戦い。
そこでリーヒラインは王国を守護する竜騎士団のほとんどを失ったという。それからほどなくして地図上からリー ヒラインという国がなくなった。
その戦いで男は死んだのだ。
待っていると約束した「フェリ」を残して。
そのことを知ったとき、ルインはこれがただの夢ではないことを理解した。
さすがに一騎士でしかなかった男や、「フェリ」の存在を確かめることは出来なかった。けれど、あの夢は間違いなく過去に起こった現実で、ルインは「フェリ」としてあの場にいたのだ。
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