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第九話 宿探し -1
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「どうすんだよ。ルイン」
同期のロルフに声をかけられたのは、兵舎崩落事件から三日後のことだった。
ルインが食堂で少し遅めの昼食をとっていると、目の前に勢いよくパンとスープが乗ったトレーが置かれた。
生来、不愛想で無口なルインには、友人と呼べる相手が数人しかいない。こうやって気安く近寄ってくる相手な ど、本当に数えるほどしかいないのだ。少々乱暴な相手の仕草に眉を寄せながら顔を上げると、そこには案の定橙の 髪と紺碧の瞳を持った青年が立っていた。――ラルフだ。
ルインと同じように少年兵としてヴィンターベルク城塞に配属になったラルフ・シュヴァルベは四年前に竜騎士となった。明るく快活な性格の彼には、ルインとは違いたくさんの友人がいる上に、生来の素直さや従順さもあって上 官や先輩にもよく可愛がられていた。
同じ竜騎士であるシグルドとも気が合うらしく、よく連れだって飛行訓練をしているのを見かけることもある。
そんな人を惹きつける魅力を持ったラルフであるが、不思議なことにルインとは出会った当初から仲が良かった。 長い付き合い故か、彼が最も親しいと言うのはルインで、ルインもラルフのことは数少ない友人だと思っている。
「なにが?」
そんな友人の脈絡のない問いにルインは首を傾げた。するとラルフは呆れたように息を吐いて言う。
「第三兵舎。ぶっ壊れたんだろ。ヴェルナーが落ちたって聞いた」
「ヴェルナー?」
「嘘だろ、お前。ルドルフの騎士だよ」
「ああ」
あの騎士、ヴェルナーっていうのか、と思いつつルインはパンを口に運ぶ。
軍の食堂で給食されている硬いライ麦パンは食べられたものではないが、薄いスープに浸すと少しだけ柔らかくなる。噛めば顎が痛くなるようなその硬さを、奥歯ですりつぶしてルインは何とか飲み込んでいく。
「聞いたんだ」
「そりゃ、聞くだろう。ヴィンターベルクは今、溢れかえる難民でてんやわんやだ」
ラルフの言った「難民」という単語にルインは目を眇めた。
その「難民」のひとりが目の前にいて、よくもまああっけらかんと言えるものだと思ったからだ。
三日前、竜騎士ヴェルナーが竜の操作を誤って兵舎に落ちた一件は、ヴィンターベルクでも大問題になっていた。 新米騎士が不慮の事故で器物を破損することはよくあることであったが、その壊した「物」が悪かったのだ。
ヴィンターベルクに三つある兵舎の中でも最も古く、下っ端の兵士たちが使っていた第三兵舎では、多くの兵士た ちが寝泊まりしていた。その兵舎が半壊してしまったのだ。
壁や屋根は崩れ、とてもじゃないが人が住める状態ではなかった。むしろ、誰かひとりでも足を踏み入れればその まま崩落してしまう危険すらあって、第三兵舎に住んでいたルインたちは荷物すら取りに行けなかったのだ。
おかげさまで今現在、ヴィンターベルクでは宿をなくしたラルフ曰く「難民」が溢れかえっている。
しかも運が悪いことに、近々始まるであろう連邦との戦争に備えて、ちょうど人員が増員されたばかりだった。他の基地から配属された尉官以上の将校は、すぐさま第二兵舎以上に振り分けられるが、下士官以下と新規で徴兵され た新兵たちは第三兵舎で寝泊まりするのが通例だった。
つまり、今の第三兵舎には普段よりも大勢の人間がいたのだった。
「お前の部屋は?」
「壁がなくなった」
「まじか」
勢いよくパンを頬張りながら、ラルフが瞬いた。
兵舎で借りていたルインの部屋は三階の東側の角部屋だった。
ヴェルナーは西側から、兵舎の北側を掠るように突っ込んでおり、ルインの部屋は北側の壁が大きく崩れるだけで済んだ。もうすでに決定している兵舎の解体の際には立ち会わせてもらって、最低限の荷物は取り出せるように手配済みだ。
前線の兵士らしく大したものは持っていないが、それでも支給された替えの軍服や冬用の外套はないと不便である。
「ラルフ、一応聞いとくけど、君の部屋って」
「無理。もうすでにふたり居座ってる。三日前に聞いてくれたら、追い出せたかもしんねぇけど」
「だよね」
ラルフの答えに、ルインはまあそうだよな、と思った。
大勢の兵士たちが寝泊まりしていた第三兵舎は崩れ落ちた。当然、そこで暮らすことは出来ないし、城塞内には難民が溢れている。上層部は第三兵舎の建て替えを決定したが、問題は建て替わるまでの期間、元々第三兵舎を使っていた兵士たちがどこで寝泊まりするか、ということだった。
上層部は建て替わるまでに早くて四か月、長ければ半年以上かかると説明した。
それは必要な資材の確保や、建築業者の外部委託なとの手配。それから必要な工期を含めての日数であることをルインは理解していた。
けれども、これからヴィンターベルクは厳しい冬を迎えるのだ。雪が降り、氷に閉ざされる季節になってしまえば、外で活動することはできなくなる。雪が本格的に降り始めるまでに、何とか解体までは出来ても着工は春からになるだろう。
そうなれば、完成までに優に半年以上はかかってしまう。
それまでの期間――つまり、極寒の真冬も含めて――貴重な戦力たちに長期間の野営をしろと言うわけにもいかなかったのだろう。
上層部は城壁の外にある宿屋をいくつか借り上げてくれたのだ。とはいえ、宿には限りがあり、第三兵舎の兵士た ち全てを収容することは出来なかった。
宿に入れるのは下士官か、城塞に配属になって半年以内の新兵のみ。それもすぐに希望者で埋まってしまって、ルインが仕事を終えたときにはもう部屋は開いていなかった。
上層部からは宿がないものは友人の部屋にでも間借りをさせてもらえ、という無慈悲な通達しかなく、宿からあぶれた兵士たちはその日の宿を探すのに必死になった。
第二兵舎以上の将校たちに伝手があればそれを頼り、なければ誰かに紹介してもらってなんとか野営をしないでいいようにと動いていた。――けれども。
「人見知りで知り合いがいないお前に、声をかけなかった俺が馬鹿だった」
「失礼だな。俺にだって友だちくらいいるよ」
「誰だよ」
「君だよ」
「俺ひとりかよ」
はぁ、と大きなため息をつかれて、ルインは目の前の男を睨んだ。
ルインは兵舎がなくなったその夜、仕事終わりにそのまま竜舎に泊った。親しい人もそういないからと積極的に宿を探すこともせず、まあ、そのうち会えたときにでもラルフに聞いてみようと呑気に考えていたのだ。
昔は一等兵として一緒の大部屋で雑魚寝をしていたラルフであったが、竜騎士になった時点で、下士官用の第二兵舎へと引っ越していた。
誰だって上官や先輩の部屋を借りるのであれば、優しく朗らかな人物に頼みたいと思うものだ。その点、ラルフは 竜騎士として少尉の階級を持つ将校であるにもかかわらず、後輩にも優しく面倒見がいい青年だ。
お世辞にも性格がいいとは言えないルインと、長年友だちでいてくれるくらいには人間が出来ているのだ。
つまり、ラルフは早々にふたりの後輩から頼まれて、部屋を貸してしまったらしい。
第三兵舎よりも多少は広いとはいえ、ラルフの部屋だって単身用の部屋でしかない。床で雑魚寝をするといっても、受け入れるのはふたりが限度だろう。
「俺の部屋は駄目だし。お前、ほんとどうするんだ」
「そうだな……」
ラルフに訊ねられて、ルインは思案した。
ルインの僅かばかりの知り合いといえば、竜師のふたりであるが、グスタフは家族と一緒に城壁の外で暮らしていて到底頼めないし、リアムはルインと同じ第三兵舎に住んでいた。つまり、ルインと同様「難民」である。
しかし、ルインとは違い愛想がいいリアムは、一昨日仲のいい竜騎士の部屋に居候させてもらえることになった、と話していたから心配はいらないだろう。
問題は、自分自身である。
同期のロルフに声をかけられたのは、兵舎崩落事件から三日後のことだった。
ルインが食堂で少し遅めの昼食をとっていると、目の前に勢いよくパンとスープが乗ったトレーが置かれた。
生来、不愛想で無口なルインには、友人と呼べる相手が数人しかいない。こうやって気安く近寄ってくる相手な ど、本当に数えるほどしかいないのだ。少々乱暴な相手の仕草に眉を寄せながら顔を上げると、そこには案の定橙の 髪と紺碧の瞳を持った青年が立っていた。――ラルフだ。
ルインと同じように少年兵としてヴィンターベルク城塞に配属になったラルフ・シュヴァルベは四年前に竜騎士となった。明るく快活な性格の彼には、ルインとは違いたくさんの友人がいる上に、生来の素直さや従順さもあって上 官や先輩にもよく可愛がられていた。
同じ竜騎士であるシグルドとも気が合うらしく、よく連れだって飛行訓練をしているのを見かけることもある。
そんな人を惹きつける魅力を持ったラルフであるが、不思議なことにルインとは出会った当初から仲が良かった。 長い付き合い故か、彼が最も親しいと言うのはルインで、ルインもラルフのことは数少ない友人だと思っている。
「なにが?」
そんな友人の脈絡のない問いにルインは首を傾げた。するとラルフは呆れたように息を吐いて言う。
「第三兵舎。ぶっ壊れたんだろ。ヴェルナーが落ちたって聞いた」
「ヴェルナー?」
「嘘だろ、お前。ルドルフの騎士だよ」
「ああ」
あの騎士、ヴェルナーっていうのか、と思いつつルインはパンを口に運ぶ。
軍の食堂で給食されている硬いライ麦パンは食べられたものではないが、薄いスープに浸すと少しだけ柔らかくなる。噛めば顎が痛くなるようなその硬さを、奥歯ですりつぶしてルインは何とか飲み込んでいく。
「聞いたんだ」
「そりゃ、聞くだろう。ヴィンターベルクは今、溢れかえる難民でてんやわんやだ」
ラルフの言った「難民」という単語にルインは目を眇めた。
その「難民」のひとりが目の前にいて、よくもまああっけらかんと言えるものだと思ったからだ。
三日前、竜騎士ヴェルナーが竜の操作を誤って兵舎に落ちた一件は、ヴィンターベルクでも大問題になっていた。 新米騎士が不慮の事故で器物を破損することはよくあることであったが、その壊した「物」が悪かったのだ。
ヴィンターベルクに三つある兵舎の中でも最も古く、下っ端の兵士たちが使っていた第三兵舎では、多くの兵士た ちが寝泊まりしていた。その兵舎が半壊してしまったのだ。
壁や屋根は崩れ、とてもじゃないが人が住める状態ではなかった。むしろ、誰かひとりでも足を踏み入れればその まま崩落してしまう危険すらあって、第三兵舎に住んでいたルインたちは荷物すら取りに行けなかったのだ。
おかげさまで今現在、ヴィンターベルクでは宿をなくしたラルフ曰く「難民」が溢れかえっている。
しかも運が悪いことに、近々始まるであろう連邦との戦争に備えて、ちょうど人員が増員されたばかりだった。他の基地から配属された尉官以上の将校は、すぐさま第二兵舎以上に振り分けられるが、下士官以下と新規で徴兵され た新兵たちは第三兵舎で寝泊まりするのが通例だった。
つまり、今の第三兵舎には普段よりも大勢の人間がいたのだった。
「お前の部屋は?」
「壁がなくなった」
「まじか」
勢いよくパンを頬張りながら、ラルフが瞬いた。
兵舎で借りていたルインの部屋は三階の東側の角部屋だった。
ヴェルナーは西側から、兵舎の北側を掠るように突っ込んでおり、ルインの部屋は北側の壁が大きく崩れるだけで済んだ。もうすでに決定している兵舎の解体の際には立ち会わせてもらって、最低限の荷物は取り出せるように手配済みだ。
前線の兵士らしく大したものは持っていないが、それでも支給された替えの軍服や冬用の外套はないと不便である。
「ラルフ、一応聞いとくけど、君の部屋って」
「無理。もうすでにふたり居座ってる。三日前に聞いてくれたら、追い出せたかもしんねぇけど」
「だよね」
ラルフの答えに、ルインはまあそうだよな、と思った。
大勢の兵士たちが寝泊まりしていた第三兵舎は崩れ落ちた。当然、そこで暮らすことは出来ないし、城塞内には難民が溢れている。上層部は第三兵舎の建て替えを決定したが、問題は建て替わるまでの期間、元々第三兵舎を使っていた兵士たちがどこで寝泊まりするか、ということだった。
上層部は建て替わるまでに早くて四か月、長ければ半年以上かかると説明した。
それは必要な資材の確保や、建築業者の外部委託なとの手配。それから必要な工期を含めての日数であることをルインは理解していた。
けれども、これからヴィンターベルクは厳しい冬を迎えるのだ。雪が降り、氷に閉ざされる季節になってしまえば、外で活動することはできなくなる。雪が本格的に降り始めるまでに、何とか解体までは出来ても着工は春からになるだろう。
そうなれば、完成までに優に半年以上はかかってしまう。
それまでの期間――つまり、極寒の真冬も含めて――貴重な戦力たちに長期間の野営をしろと言うわけにもいかなかったのだろう。
上層部は城壁の外にある宿屋をいくつか借り上げてくれたのだ。とはいえ、宿には限りがあり、第三兵舎の兵士た ち全てを収容することは出来なかった。
宿に入れるのは下士官か、城塞に配属になって半年以内の新兵のみ。それもすぐに希望者で埋まってしまって、ルインが仕事を終えたときにはもう部屋は開いていなかった。
上層部からは宿がないものは友人の部屋にでも間借りをさせてもらえ、という無慈悲な通達しかなく、宿からあぶれた兵士たちはその日の宿を探すのに必死になった。
第二兵舎以上の将校たちに伝手があればそれを頼り、なければ誰かに紹介してもらってなんとか野営をしないでいいようにと動いていた。――けれども。
「人見知りで知り合いがいないお前に、声をかけなかった俺が馬鹿だった」
「失礼だな。俺にだって友だちくらいいるよ」
「誰だよ」
「君だよ」
「俺ひとりかよ」
はぁ、と大きなため息をつかれて、ルインは目の前の男を睨んだ。
ルインは兵舎がなくなったその夜、仕事終わりにそのまま竜舎に泊った。親しい人もそういないからと積極的に宿を探すこともせず、まあ、そのうち会えたときにでもラルフに聞いてみようと呑気に考えていたのだ。
昔は一等兵として一緒の大部屋で雑魚寝をしていたラルフであったが、竜騎士になった時点で、下士官用の第二兵舎へと引っ越していた。
誰だって上官や先輩の部屋を借りるのであれば、優しく朗らかな人物に頼みたいと思うものだ。その点、ラルフは 竜騎士として少尉の階級を持つ将校であるにもかかわらず、後輩にも優しく面倒見がいい青年だ。
お世辞にも性格がいいとは言えないルインと、長年友だちでいてくれるくらいには人間が出来ているのだ。
つまり、ラルフは早々にふたりの後輩から頼まれて、部屋を貸してしまったらしい。
第三兵舎よりも多少は広いとはいえ、ラルフの部屋だって単身用の部屋でしかない。床で雑魚寝をするといっても、受け入れるのはふたりが限度だろう。
「俺の部屋は駄目だし。お前、ほんとどうするんだ」
「そうだな……」
ラルフに訊ねられて、ルインは思案した。
ルインの僅かばかりの知り合いといえば、竜師のふたりであるが、グスタフは家族と一緒に城壁の外で暮らしていて到底頼めないし、リアムはルインと同じ第三兵舎に住んでいた。つまり、ルインと同様「難民」である。
しかし、ルインとは違い愛想がいいリアムは、一昨日仲のいい竜騎士の部屋に居候させてもらえることになった、と話していたから心配はいらないだろう。
問題は、自分自身である。
応援ありがとうございます!
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