竜の国の異邦人

風結

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魔法王の執務室

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「り…リシェさんなんて、竜に千回苦情を入れられて、ほやほやのお熱になると良いのです」
「ケモ?」
「心配ない。冷気で少しだけ、頭がおかしくなっているだけだから」
「……酷いこと言うの禁止なのです。リシェさんみたいな意地悪という噂は、本当だったのです」

 リシェを引き合いに出されたので、僕は同情するのを止めた。
 ケモが怯えているのは、この部屋に原因があるようなので尋ねてみる。

「ヴァレイスナ。僕には何となくしかわからないが、この執務室はのか?」
「ひゃっふふ~のふ~」
「ふぃっ……」

 僕を無視して、コウに頬擦りをするヴァレイスナ。
 氷竜の微笑とは裏腹に、コウは。
 明日、処刑だと知らされた囚人のような顔をしていた。

「リシェは居ないのか」
「ケモ」

 ケモが言うには、近くにリシェの気配はないらしい。
 リシェが居ないのは残念だが、コウとヴァレイスナが揃っているのは、もっけの幸い、というか獣の幸い。

「父様はエーリアと一緒に、教会に行ってますわ」
「ああ、『半神グロウ』のことを伝えるのか」

 となると今日、リシェとグロウに会うのは望み薄、と考えるのが妥当か。
 竜の都で一泊するかどうかは、面会が済んだあとで考えるとしよう。
 コウが死人のように存在感を失わせようとしていたので、みーにしたのと同じ質問をする。

「コウは、暇なのか?」
「……一応、天の国が安定したので、少し離れても大丈夫そうだったので、みーちゃんに会いに来たのです。また、戻らないといけないのです」
「先程、扉の魔法を打っ壊して入ると、この娘とちょろ火があっちっちだったので、私が作ったお菓子と一緒に、あっちの部屋に投げ込んできたのですわ」

 コウが答えた直後に、ヴァレイスナが説明する。

「ケモ?」
「ひゃふ?」

 ーー私を楽しませるのですわ。
 あからさまな表情で、僕に要求してくる。
 顔を出したケモは、すぐさま引っ込めた。
 炎竜とは仲良くなれたようだが、氷竜とは難しいようだ。
 いや、氷竜だけでなく、仔竜以外の竜との交流は、控えたほうが良さそうだ。
 幸い、ヴァレイスナの興味は、ケモではなく僕に向いている。
 ヴァレイスナの譲歩を引き出さなければならないので、僕に否やはない。

「炎竜氷竜。百竜とヴァレイスナの関係は、この言葉にたがわないものだと思う。だが、みーとヴァレイスナの関係は、その限りではない。ーーお菓子と一緒に、みーを閉じ込めたというが、『結界』か?」

 正解のようだ。
 項垂れていたコウは、僕の答えに驚いて顔を上げた。
 そして。
 物凄く無礼なことを言われた。

「リシェさんが居るのです」
「ケモっ、ケモっ!」
「僕の代わりに怒ってくれてありがとう、ケモ」
「ふぇ……? あっ、ケモちゃんっ、そんなつもりじゃなかったのです! 許してっ、なのです!」
「ケモ……、ケモ~」
「ふぁ……」

 ケモに不信感たっぷりの眼差しを向けられて、仰け反るコウ。
 子供や動物に睨まれるのは、コウでなくともきつい。
 コウは単純に、精神的に未熟なだけで、悪意があるわけではない。
 このままだと可哀想なので、ケモから伝わってきたことを話す。

「ケモは魔力に敏感だ。コウや竜に慣れるには、時間が掛かる。リシェのほうに、より怯えているということは、リシェには何かがあるのだろうーーと、話が途中だった」

 立ち入らないほうがいい。
 気不味い雰囲気のコウと、竜の微笑みを浮かべるヴァレイスナ。
 コウとヴァレイスナの表情から、そう読み取れたので軌道修正する。

「複数の『結界』を張った。『結界』を破壊できれば、お菓子を取ることが出来る。先に言った、みーとヴァレイスナの関係からして、コウは。みーの魔法の師範を、ヴァレイスナに委ねた」
「半分正解ですわ。応用は私が。基本はマホマールが教えていますわ。始めは、みーをどうやっていびってやろうかと楽しみにしていたのですわ。ですが、ナトラ、ではなく、地竜の中で最も頭が固いと言わしめる、イオラングリディア並みに融通が利かないマホマールが、ちょろ火をけ火にしてやったのですわ」
「そ、それはマホマールさんが……」

 コウが慌てて弁明しようとしたので、手を上げて止める。

「竜の国には、みーに甘い人間が多い。みーに厳しく接する者が必要だと、マホマールがその役を買って出たのだろう。言わずもがなのことだが、その役をヴァレイスナに任せるのは危険だと、マホマールは判断した」
「ひゃふ?」
「ケモ。ここからは、ちょっと面倒な話になる。みーを手伝って、『結界』を壊してきて。それが出来ないようだったら、みーを応援してあげて」
「ケモ? ケモっ!」

 大体のことは、あとでケモに伝えればいい。
 今は、人や竜の、ややこしい関係に頭を悩ませるよりも、みーと友情を育むことを優先させたほうがいいだろう。
 僕の想いが伝わると、ケモは一直線に扉に走っていった。

「ケモ~」

 ヴァレイスナが扉に掛けられた魔法を解法したようで、ケモは少しだけ手古摺ったが、器用に取っ手ドアノブを回して入っていく。
 ここまで、コウに遠慮していたわけではないが、ある意味、炎竜のように、ではなく、氷竜のように振る舞うことにする。
 コウに対して、そのように振る舞うことは許される。
 そう、コウは許してしまう。
 もう少し、コウという少女をーー王様のことを知りたいので、良心の半分を氷竜に差し出すこおりつかせる

「コウは、百何歳なんだ?」
「っ! まだ四十なのです!」
「そうか、四十周期か。ワーシュの見立ては正しかった」
「ふぁ…、ふぉ……?」
「ファタは二十歳ほどの容姿だったが、実周期は三十歳だった。コウは四十歳だというが、それにしては幼い。それは何故だ?」

 四十周期を確定事項として、更に質問する。
 もはや誤魔化せないと、見るから動揺しているコウ。
 このままなら口を滑らせそうだが、発言したのはヴァレイスナだった。

「ま、実周期は四十で、精神周期は二十五ですわ。肉体周期は、十四ーーにはまだなっていないですわね」
「……っ」
「十三、四というと、リャナやミャンと同周期だが、それにしては発育が遅れている。魔力の影響なのか?」
「っ……」
「これは私の研究に依るところですが、この娘は魔力が過剰の異常過ぎて大惨事、願望が現実に影響を与えてしまっていますわ。今は多少増しになったようですが以前は、精神的にみーより未熟のジュクジュクのジメジメ娘で、竜すら目を背けるくらいの酷さだったのですわ」
「……っ」
「自身の卑屈さを自覚していたから、成長が阻害されていたと。しかし、未だ幼い容姿を維持しているとなると、依存していたいーー甘えたい願望があるということか?」
「っ……」
「ふふりふふり、中々の目の付け所ですわ。この娘には、二つの願望がありますわ。ライルが言った『甘えたい願望』と、その逆の、些か『願望』ですわ。ただ、後者の願望は、あまりにも現実的ではないので、『甘えたい願望』が勝っているということですわね」
「……っ」
「リシェは大変だ」
「っ!?」

 これ以上苛めると泣き出しそうだったので、最後に特大のものをお見舞いする。
 本当に、コウは素直な感情を向けてくる。
 コウがなれて、僕がなれなかった、王様。
 王様になる準備をしていた僕と、していなかったコウ。
 膨れっ面の、コウを見る。
 普通の少女。
 すべてを取り払った、正解すがた
 そう、正解、のようなもの。

「父様に甘えて良いのは、私だけですわ」
「リシェさんになんて、甘えてないのです!」

 甘える、というより、何かある、だろう。
 リシェとコウの間には、信頼を越えた、何かがある。
 コウは、僕やヴァレイスナとは異なる。
 僕よりは、リシェに近い。
 それでも、リシェと異なる、その核心。
 僕やヴァレイスナは、百万人を犠牲に出来る。
 その覚悟がある。
 反面、コウは。
 ーー百万人を救う覚悟。
 そんなもの。
 王様が持つべきではない。

「……『おうさま』?」

 まさかコウは。
 「おうさま」になろうとしているのだろうか。
 そう思った瞬間。
 リシェと、竜の国の人々の姿がーー僕を苛んだ。

「厄介なこと、この上ないのですわ」

 ヴァレイスナが、歪み、の正体を仄めかす。
 巻き込まれた、リシェ。
 或いは、リシェが巻き込んだ。
 人だけでなく、国だけでなく、竜までも。
 ーーリシェはコウを信じた。
 それ以外の何で、この関係が築かれるのだろう。
 恐らくは、ヴァレイスナの言葉が正解だ。
 氷竜が「厄介」と言ってしまうほどに、混沌としている。

「……リシェさんに依頼されて、私を苛めにきたのです?」
「驚いた。ーーコウの評価を改めないといけない」

 僕でも心配になるのだから、リシェはもっと心配ーーを越えた気苦労を抱えているに違いない。
 交渉事も腹芸も出来ない王様コウ
 僕があからさまに溜め息を吐いてみせると。

「……ふぅぐ」
「僕はコウの評価を改めた。コウは、『おうさま』にはなれない」
「『おうさま』になんて、、なるつもりはないのです」

 もう、か。
 嘗てのコウは、僕と同じく「おうさま」に憧れていたようだ。
 僕には見えない何かを、コウは見ている。
 まただ。
 僕を苛む。
 答えは、ある、ようで、ない。
 僕を苛むものの正体がわからない。
 或いは、僕が目を背けているからなのか。

「魔法陣について、聞きにきた」

 これ以上は無理だと一旦、放り出す。
 魔法に関する相談と知って、コウの顔が輝いたので、竜にも獣にも凹んでもらうことにする。
 リャナの将来に係わるのだから、冷静になってもらわないと困る。

「コウとの間に、リシェを挟んで利用したかったが、時機が合わなかったので仕方がない。そもそも、こういったことを相談したとして、コウに決定権はあるのか?」
「……これ以上、私を苛めたら、『意地悪世界大会』でリシェさんを二位にしてしまうのです。竜に十回喰われろ、なのです」
「リシェが二位ということは、一位はヴァレイスナ。僕は三位なのか?」
「ふぇ……?」

 仕舞った。
 冷静にさせるつもりが、うっかり本当に苛めてしまった。
 適切に返事が出来なかったコウは、ヴァレイスナに物理的に苛められる。

「……これを、あげるのです」
「これは?」

 コウはリャナを気に掛けていた。
 事前に用意してくれていたのかと思ったが、どうも違うようだ。
 机の引き出しから取り出した、化粧箱くらいの木箱にはーー。

「『浮遊』『飛翔』『隠蔽』『結界』『治癒』、他にも?」
「ケモちゃんの、練習用の魔法球なのです。魔法球が割れたら、ケモちゃんがその魔法を使っても大丈夫、という合図なのです」
「そうか、感謝する。あと、みーにもお礼を言っておいてくれ」
「っ!」
「コウは顔に出過ぎる」

 コウにケモのことを伝えてくれたのは、やはりみーのようだ。
 ケモは魔法が使えない。
 或いは、使わない。

「ヴァレイスナ。ケモが使っても大丈夫なナイフが欲しい。武器として使うのではなく、道具として使うものだ。あと、ケモが着ている外套だが、ちょっと地味過ぎるので、こちらもどうにかして欲しい」
「高くつく、かもですわ?」
「問題ない。リシェに魔石の鉱床の権利を譲った。コウには『八竜石』を渡したから、この『ケモ箱』はありがたく頂いておく」

 これであとはリャナのーー魔法陣の話だけかと思ったが、ヴァレイスナが氷眼を向けてきた。
 足を滑らせたら、死ぬ。
 そんな恐怖に囚われて、僕は言葉を発することが出来なかった。

「ライルは。どこまでわかっていて、私にナイフを造るように、求めたのですわ?」

 魂が乾いて、渇いて、頭が、心が働かない。
 ここで答えない、などという選択肢はない。
 血を吐くように。
 実際にそうなって、口を潤してでも言葉を絞り出そうと覚悟を決めたとき。
 氷竜は。
 コウの頭の上に顎を乗っけた。

「『終末の獣』は世界を滅ぼすと言われていますわ。では、どうやって世界を滅ぼすのですわ? それ、答えるですわ」

 ヴァレイスナは、顎でコウの脳天をグリグリしていた。
 僕は不合格。
 これ以上の、氷竜の祝福はない。

「……ケモちゃんは、魔法のような、……ものなのです」
「正解、ということにしてやるのですわ。『終末の獣』という魔法。詳説したところで無意味ですから、そんなものだと思っておけば良いのですわ。ほれ、魔法のことなのですから、答えるのですわ」

 抵抗せず、グリグリされているコウ。
 やはり「意地悪世界大会」の一位は、ヴァレイスナのようだ。

「僅差で、一位はリシェさんなのです」
「そんな厳然たる事実はどうでも良いのですわ。さっさとこの口からドバドバと吐き出せですわ」

 僕の表情から読み取って答えたコウと、名誉ある一位の座をリシェに明け渡すヴァレイスナ。

「……魔法は、心象が重要なのです。直接攻撃ではなく、ナイフを。そのナイフを、攻撃には使わせない。外套もそうなのです。獣から遠ざかって、アーシュさんと繋がって。ケモちゃんの魔法は、もうアーシュさんの魔法でもあるのです」
「僕の、魔法?」
「そこは、気にしなくて良いのです。アーシュさんは、ケモちゃんと一緒に居るのです。それが一番なのです」

 ケモと一緒に居る僕。
 みーと一緒に居るコウ。
 行き着く先は異なれど、同じ眼差しで見詰めている。
 それ以外の答えはあやふやなものだが、コウはそれでいいとーーそうであるべきだと教えてくれる。

「必要な書物は、エルルに集めさせておくのですわ。天の国に戻る前に寄って、魔法球でも何でも造れば良いですわ」

 コウから離れると、ヴァレイスナは天井を擦り抜けて飛んでいってしまった。
 コウだけでは頼りないが、他に居ないので王様を恃む。

「リャナに関することは、問題ないか?」
「私に出来るのは、手段を用意することだけなのです。あとは、アーシュさんとリャナさんが決めることなのです。あ……、ポンさんは……?」
「盗み聞きは感心しない」
「ふぃっ!? そういう機能はありますが、そんなことはしてないのです!」
「そういう機能はあるのか」
「ふぉ……」
「別に非難しているわけではない。ミャンを守る為に、ミャンを監視しておく必要があった。そのお陰で、迷宮の崖でケモの魔力に襲われたとき、難を逃れることが出来た」

 僕の言葉に、何故か顔を逸らすコウ。
 どうやら僕は、「魔法王」を買い被っていたようだ。

「リシェに会ったら伝えておく」
「と……」
「と?」
「と、取り引きなのです」
「わかった」

 取り引き、ということなら容赦する必要はない。
 それから僕は、案外ちゃっかりしている王様から、可能な限り搾り取ったのだった。
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