竜の国の魔法使い

風結

文字の大きさ
上 下
55 / 83
六章 世界と魔法使い

隠し事があると大変です

しおりを挟む
「カレン。お茶を三人分、お願いできるかな」
「ええ、わかったわ。竜の国のお水が綺麗で美味しいことが浸透したお陰で、茶葉を扱う店が増えて、選び甲斐があります」
「里も水が豊富で、昔からたしなんできたカレンは茶葉には煩いですが、それに負けないくらい技量は見事なものです。満足のいく品が入ってきたようですから、是非ゆっくりしていってください」
「大丈夫です。今から淹れるのは、心を落ち着ける効果のあるものですから」

 さて、この白々しい遣り取りが何なのかというと、報告だけで速攻帰ろうとしているサシスを引き止める為のものである。

 侍従次長という役職に就いたカレンが阿吽の呼吸で合わせてくれる。

 ギルースさんとフィヨルさんとは、少しだけ距離が縮まった(?)が、同じ竜騎士隊長であるサシスとは未だ距離を感じるので、権力というか威光に飽かせて強制的に場を用意したしだいである。

 あ~、侍従長の悪名からすると、威光というより威闇いやみなどという造語が浮かんでくるがーーあれ? 結構語呂がいいかも、ああ、いや、別にコウという言葉がコウさんを連想するからとかそんな理由じゃないんだけど、いやいや、今は迷わしの魔法使いのことではなくサシスのことである。

 さて、好漢、の部類にぎりぎり入りそうな知性と武力を併せ持った彼だが。元冒険者の二隊長と同じく僕を恐れているようだが、それが職務を怠っていい理由にはならない。

 竜の国の枢要に名を連ねたからには、相応の資質と結果を求めるのは当然のことである。とそれらしいことを考えてみるが、諸悪の根源は僕なので、早く慣れてくれたらいいな、という消極的で情けない希望が、偽らざる僕の本心である。

 侍従長の執務室は、在りし日の姿が嘘のように小奇麗になっている。

 カレンは、仕事を熟しながら執務室に必要な家具や備品を見繕い、二日と経たぬ内に、僕にとっての最適な環境がカレンにとっての、通常の人々にとっての良識的なものに置き換わったのだった。

 応接室とは別に、執務室でお客様を迎えることもあるでしょう。というカレンの意見で、部屋の中央には、品の良い卓と長椅子ソファが鎮座している。

 竜の国では、侍従長は大人物とされているが、僕にはその自覚が薄いので、この座り心地の良過ぎる長椅子に座る度に、長椅子さんには役不足でしょうが失礼しますね、と恐縮してしまうのだ。

 僕の周期で居心地が悪く感じたとしても、不思議ではないだろう。礼儀作法や立ち居振る舞いが完璧であるカレンは、ただ座っているだけで見蕩れてしまうくらいの優雅さと気品を醸しているが。

 そうなんですよね。皆さん知ってましたか?

 優秀過ぎる部下って、本当に怖いんです。

 長椅子に座って、窓の外のずっと向こうにいる竜の民に語り掛けてみるが、無論返答はない。

 罷り間違ってカレンの上役などやっているが、本来なら僕などカレンの使い走りがいいところ。物事が順調に進んでいるときのカレンの手腕は、わかってはいたが空恐ろしいくらい。

 「竜饅事件」から一巡りの間に、否応なく思い知る羽目になった。

「では、先ず報告から聞きましょうか」

 僕の対面に座ったサシスを正視する。

 カレンが気遣って鎮静効果のあるお茶を淹れたのだから、一口飲んでからにすればいいのに。

 二竜の邪竜を前にしたかのような、身の奥から滲み出る怯えをどうにか克服して、鍛え抜かれた戦士の風貌通りの威風を纏って応える。

「元外地の二隊の隊名が、昨日決まりました」
「はい? 昨日って、もうずいぶん前に要請したはずですが」
「あ、いや、実はザーツネルから報告を受けた奴が勘違いして、ちゃんとこっちまで伝わっていなかったんだ。だからこれまで『隊名を北隊と南隊に決定した。文句がある奴は侍従長に言いに来い』と俺たちは思っていたんだが。昨日ザーツネルが『そんな隊名でいいのか?』と聞いてきて、やっと連絡の齟齬に気付いたってわけで」

 遅延を叱責しっせきされると思ったのだろうか。内容が内容だけに、始めの威風はどこへやら、言い訳めいた物言いに合わせるように、どんどん卑屈になってゆく。

「それで、隊名を決めることになったんだが、北と南が同じものを望んで、団長がそれぞれの隊から三人ずつ選出して……」
「勝ち残ったほうが隊名を獲得したのですねっ」

 顔をほころばせて身を乗り出すカレンとは逆に、無意識にだろう、身を引くサシス。

 カレンは容姿に似ず、好戦的な面がある。まだ里で学んでいた頃、僕の防御を破ろうと躍起やっきになったのが原因、もとい遠因ではないかと思っているのだが、もしそうなら里長に何とお詫びをすればいいのやら。

 話に聞くところの、彼女の祖母の面影が色濃く表れているようなので、許してくれそうな気もするのだが。

「んー。エンさんがそんな普通のことをするとは思えない。選出した六人は、……ああ、そうか、みー様と戦ったんですね。ということは、二隊が望んだ隊名は『炎竜隊』」

 話している途中で気付く。

 気付いてみれば、まぁ、順当な流れといったところか。

「えっ? みー様一人に、六人もの竜騎士が襲い掛かったというのですかーー」

 みーが竜であることを失念しているらしいカレンに睨まれて、たじたじとなるサシス。

 美人、というのは、整っているということ、左右対称ということである。美人に睨まれると怖いのは、どのような作用が生じているのだろうか。と人事のように考えていたが、僕にもおはちが回ってきそうな感じだったので、思考を中断してカレンの疑問を解消する。

「報告に来たのがサシスさんということは、最後まで立っていられたのは、あなただったと」
「ああ、デアの奴が『みー様の攻撃を避けることなど、我には出来ぬ!!』と宣言して自爆しなければ、危なかったかもしれないが」
「北が炎竜隊に決定。では、南は?」

 カレンという危難を前にして、少しだけ距離が縮まる二人の男。一人の女は断言する。

「『氷竜隊』に決まっているでしょう」
「……その通りだが」

 サシスが困惑している。どうやら、僕以上にカレンの扱いに難儀なんぎしているようだ。

 水竜隊や風竜隊、地竜隊や雷竜隊などの候補がある中、なぜカレンは断言できたのだろう。

 まさか女の勘とかいうものだろうか。もしそうなら、確かに女性とは恐ろしい生き物である。

「それと、これは氷竜隊からの要請だが……。竜の国に氷竜を連れてきて欲しいと……」

 サシスは、僕の顔色を窺いながら、氷竜隊にことづかった希望を言葉にしていくが、内容が内容だけに、竜ならぬギザマルの尻尾切れに終わる。

 カレンは、サシスではなく僕を、闇の色彩を深くしたような黒曜の瞳でじっと見ていた。

 ときどき彼女は、こういう目で僕を見る。心に疚しい、いやさ、機密や秘密などを抱えているときに、それを見透かすような視線。

 ……妙な空気なので、さっさと本題に入ってしまうことにしよう。

「竜騎士や近衛隊で、魔法使いに接触した者はいますか?」

 サシスとしても、引き伸ばしたい話ではないのだろう、僕の話題転換に乗ってくる。

「おかしなことに、誰も遭遇そうぐうしていない。聞く限り、普通に歩き回っているようだが、こうなると魔法を使っていると考えるのが自然。とはいえ、竜の民に姿を晒しながら、己の存在を誇示しながら、俺たちを避けていることの理由がわからない」

 わからない、とサシスは言ったが、幾つか予想はしているのだろう。だが、どの推測もしっくりこない。それ故に、明言を避けているようだ。

 竜の国で情報収集をしているらしい魔法使い。

 竜の民との接触は多いが、未だに目的は不明。竜の都を中心に、北の洞窟や水源に向かおうとしていた、との報告もあるが。

誰何すいかすら出来ていないというのは不自然。普段は魔法使いのよそおいを解いているのかしら」
「どうやら、そうじゃないらしい。僕が以前目撃したとき、魔法使いの様相だった。シア様から頂いた情報から類推しても、市井人に紛れるようなことはしていない。あと、老師から聞いたところによると、基礎がしっかりしている魔法使いならフィア様の魔力感知にも引っ掛からない、そうだけど。翠緑王の目を逃れるなんてことが出来るのはーー」
「油断のならない手合いということね。そうなると、対応を変える必要がある。フィア様がいらっしゃるので大事にはならないと思うけれど、接触を図るべきかしら」

 一巡り前の「晴れときどき竜」作戦の最中、遊牧民たちを突破した先に居たのが、魔法使いだった。

 魔法使いは即座に姿を隠したが、僕に見られたのは予想外のことだったのか。僕が見て、魔法使いは隠れた。それは、魔法使いが僕を見ていた、かもしれないということだ。

 刺客しかくだろうか、と考えるが、それにしては一連の魔法使いの行動に整合性がない。

「今日は、五つ音に会議だし、本日中に収穫がなければ対応を協議するかな」

 僕の消極的だが現実的な意見に、二人は納得の仕草を見せる。のだが、カレンの目が先程と同じ、いや、もっと如実にょじつな疑いを含んだ感じの、じとぉ~、とした粘着質なものを乗せて見詰めてくる。

 ちょっぴり頬を染めて、そんなに見詰められたら恥ずかしいですよ、と冗談を言って誤魔化したくなるが、実際にやったら破滅的な何かが訪れるような気がするので、背中の悪寒めいた冷たさを自覚しつつ自重する。

 気付いていない素振りでお茶を一口、然れども、この度の彼女は引く気はないようだ。

「降参です、カレン。何か思うところがあるのなら、なるべく真摯に応えるように努力するので、言っていただけると助かるのですが」

 これ以上は、精神の衛生上支障を来しそうだったので、両手を上げて、参りました、の姿勢を取る。

 僕の懇願に、或いは根負けした姿に、やっとこ甘心してくれるカレン。

「ランル・リシェ。あなた、私に隠していることがあるでしょう」

 疑問ではなく、確信や確定。背後の竜、ということで、先ず言い訳から始める。

「うん。竜の国に係わるものから、そうでないものまで、氷焔と行動を共にするようになってから、色々と言えないこと、言いたくないことまで抱え込むことになってしまった」

 世界に還ったミースガルタンシェアリの秘密を筆頭に、世界の有様からコウさんの内緒の話まで、振り返ってみれば、そんな事項で山積みである。

 それらを表に兆したことはなかったと思うが、秘密を抱えた上での、言葉の選択や思考に於けるわずかな遅滞、心の重心がどこにあるのかさえ看取してきそうなカレンだけに、驚きはないのだが。というか、いつかこうなると思っていたので。然ても然ても、どうしたものやら。

「私は侍従次長、彼は竜騎士の隊長です。その私たちにも言えないことなのですか?」

 カレンは、からめ手ではなく正面から斬り込んでくる。これがカレンの良い所であり、悪いところでもある。だが、今回ばかりは、情を絡める遣り口に否やはないので、斜めの方向に折れることにした。

「時機が来れば話すこともあるだろうし、知らないほうがいい、そんな秘密もある。でも、そんな言葉では得心してもらえないだろうから、一つ開陳かいちん、というよりお願いしたいことがあるので、二人に知っておいて欲しいことがあります」

 居住まいを正して、出来るだけ神妙さや殊勝さが感じられるような演技をする。

「先程、氷竜隊の希望として、氷竜を連れてきて欲しいとのことでしたが、実は氷竜につてがあります。竜の国に姿を見せるかどうかは、氷竜の気紛れーーではなく、スナあのおかたの意思しだいになりますが。氷焔が不在のときにスナひょうりゅうが訪れたら、この事実を知る二人に対応して頂きたいのです。無論、このことは口外無用でお願いします」

 嘘は言っていない、と信じたいが、そんなことを思っている時点で、有罪うそつきかもしれない。

「炎竜氷竜の仲、と言うけれど、それは大丈夫なのかしら。みー様、延いてはミースガルタンシェアリ様の不興を招くことになるとしたら、やんわりとお断りしたほうが……?」

 カレンが率直に不安を述べる。

 まったく考慮に入れていなかったので、不意を突かれる。

 まさか、スナがみーのことを苛めるなんてこと……、……どうしよう、容易に想像できてしまった。

 いやいや、これはスナに失礼だ。スナは、遥かな時を跨ぎ、茫漠ぼうばくたる知恵を蓄えた尊き存在である。たかだか属性が反発するという理由だけで険悪になるなんてこと。

「そういうわけで、二人には、問題が生じたときには、両竜の仲立ちをお願いします」

 問題は皆無、と言おうとしたが、いや、ごめんなさい、とてもではないが、そんな嘘は吐けそうになかったので、御為おためごかしのような物言いになってしまった。

「承りました、侍従長。今日のところは、それで許してあげます。ーー私たちは、これから闘技場へ向かいますが、行く先が同じならサシス隊長もご一緒しますか?」
「っ、いや、闘技場での鍛錬までまだ時間があるから、っと、そうだった、用事があったのを思い出したから、これで失礼いたしますっ」
「然う然う、もう一つ、ランル・リシェ、あなたに聞きたいことがあったのを思い出しました。サシス殿のご意見もお伺いしたく」

 サシスがカレンに弄ばれている。たぶん、侍従長時の僕の論理や交渉術から、学習しようとしているのかもしれないが、対象に選ばれてしまったサシスがあわれで涙が出そうだ。

 カレンは優雅な所作でカップを回収してーーと、丁度お湯が沸いたところだった。

 どうやら、事前に準備していたらしい。ああ、何だろう、首筋辺りがぞわぞわする。

「意外でした。王様と竜の民は同等、役目と役割が違うだけ。始めに聞いたときは、そのような体制、上手くゆくはずがないと。いずれ統治し易い形に移行する為の方便だと思っていました。今では自らを恥じています。ランル・リシェ、あなたはどうしてこのような体制にしようと考えたのです。本当に根付くと思ってやったのですか?」
「それは、俺も考えたことがある。外地の奴らを纏めるのに、そんな安易な方法など、理想などーー、すぐに力ある者の理不尽が振りかざされると確信していた。フィア様の想いに触れ、揺れはしたが、答えが変わることはなかった。今だって、心の何処かで信じていない自分がいることを否定できない」

 おかしなことになっている。

 サシスから情報を引き出すだけだったはずなのに、僕が差し出す流れになっている。そうだなぁ、こうなったからには、この場を利用させてもらおう。

 ザーツネルさんにはある程度打ち明けたが、もう少し共有できる人間が欲しい。

「城街地で想いを語ったコウさん。カレンは、竜の国に来てからのことしか知りませんが。僕が氷焔に所属した当初の頃のコウさんは、魔法とその関連を除いた女の子は、駄目だめでした」
「……えっ?」
「……は?」

 突然何を言い出すんだこの馬鹿は(訳、ランル・リシェ)。という表情の御二人。

 いや、僕がそう見えた、というだけのことだが。彼らの心情が、不審の域に到達する前に言葉を継いでしまわないと。

「えっと、その気持ちはわかりますが、前提としてこの事実を受け容れてください。翠緑王の名誉の為に、詳細は省きますが、残念っ娘のコウさんは、魔力の弊害のことも含めて、人より劣った存在だと思い込んでいました。彼女の根本の想いは、自分も皆と同じように見て欲しい、というものでした。王様になったのも、人の為に尽くせば自分のことを見てもらえる、いえ、もっと心の底では、誰に見てもらえなくてもいい、皆に認めてもらえなくてもいい、ただ誰かの役に立てるのなら、それだけでいい、そのほうがいい」

 コウさんが王様になる決意をしたとき、微かに聞こえた言葉。これまで彼女を間近で見てきたからこそ、拾い集めて形になった。

 あのときコウさんは、もう一つの決意を、悲しく虚しい決意を固めていた。

 ーーひとりぼっちのおうさま。

 そうなりたいと願った女の子の想いは、嘘偽りのないものだった。

「無能っ娘で鈍感っ娘で夢想っ娘で嫉妬っ娘で我が侭っ娘で、ちゃっかりしてるし、おっちょこちょいだし、逆恨みはするし、自分の立場を弁えてないし、容赦がないし、怒りんぼだし、理不尽だし、みー様を甘やかし過ぎるし。ーー一応、優しい女の子ではあるし」

 何だろう、これまでのことを思い返すと、すらすらと言葉が出てきた。

「氷焔は魔物退治専門と言われていましたが、それ以外でも、人と接する部分はファタさんが担当していたみたいです。エンさんとクーさんは、人によって態度を変える人ではありません。コウさんも人と係わるのは苦手でした。国を造りたいと願った兄さんが、氷焔を選ばなかったことからも、そこら辺の事情は察してもらえると思いますが。
 どうしてこの体制にしようとしたのか、ではなく、氷焔の性質に鑑みて、こうするしかなかった、というのが本当のところです。それと、コウさんと老師は、僕に教えてくれませんでしたが、竜の民と接することで、コウさんの魔力による弊害が解消されるのではないかと考えています。多くの民と心を通わすことで得られるものではないかと」

 詳しいことはわからないが、感情に溜まった魔力が排出されなかったのは、コウさんの精神が安定していなかったからではないのか。

 竜の民と心を通わせて、魔力の遣り取りが為されるようになれば、きっと何かが変わるはず。

 コウさんが精神的な成長を遂げて、「やわらかいところ」関連を克服して、僕を必要としなくなる。それは一つの区切り、或いは目的達成ゴールなのかもしれない。

「えっと、王様の秘密も口外無用でお願いします」
「ええ、わかったわ。侍従長が心に溜め込んでいた、フィア様への悪口雑言は脳内に深く深く刻みつけ、すべて暗記したので、いつでもそらんずることが出来ます」

 顔色一つ変えず、お茶を嗜むカレン。その手があったか、と必死に僕が赤裸々に語った言葉を思い出そうとするサシス。

 人が折角、真情を吐露したというのに、この二人は。

 ……ああ、素直で真っ直ぐで純真で純情な女の子だったのに。どこで間違ったのか、竜の国の侍従長の薫陶を程好く受けて、僕の肩身を益々狭くしてくれるカレンなのであった。
しおりを挟む

処理中です...