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三竜と魔獣
テーブル アリスの休日
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ーー麗らかな、高つ音。
竜は、気温の変化に煩わされることはありません。
無意識の内に、魔力で調整しているからです。
でも、アリスは意図して魔力を解いています。
肌を転がるやわらかな日差しと、草木の匂いを運んでくれる優しい風。
無駄なこと。
それを行うことの快楽を、アリスは識っています。
そうでなければ、ティノの茶番につき合うことはなかったでしょう。
本を一冊。
読み終えたので、次を取ろうとしたところーー。
「ぅ……、ん?」
どうやら、目を覚ましたようです。
アリスは構わず本を手に取って、読み始めます。
「……え、と? あの、アリスさん、ありがとうございます」
「あら? お礼をされることなんて、私はしたかしら?」
アリスは、起きしなのティノを揶揄います。
大半の男が骨抜きになる微笑みを浮かべて見せましたが、効果は薄いようです。
しかしそれも、ティノの「誓言」を思い返してみれば、納得。
ティノの魂の色彩は、もはや竜でも変えることはできません。
「『治癒』か何かで、治してくれたんですよね? 背骨か何か、折れてはいけないものが折れてしまった、そんな音が聞こえました」
「それに関しては、運が良かったわね」
「運、ですか?」
「ええ、実はね、その折れてしまったものは、重要な臓器に突き刺さったのよ。もしティノが気絶していなかったなら、耐えがたい痛みで悶絶していたことでしょう。そうなれば、悪化して即死。私でも『治癒』は不可能だったわ」
「……重ね重ね、お手数をおかけしました」
てっきり、勝負がついたあとにアリスが殴ったことに対し、嫌味でも言ってくるのかと思っていたのですが。
反撃の言葉を用意しておいたアリスの思惑が挫かれてしまいました。
禍根は、水竜に食べてもらったティノですが。
その代わりでしょうか、最後の一個の「イオリ玉」に手を伸ばしてきたので、それくらいは許してやろうかとアリスは広い心でーー。
「……酷いです。材料を採取してきたのは僕で、料理したのはイオリなのに」
「心配いらないわよ。もうすぐイオリが、『お代わり』を持ってきてくれるから」
うっかりティノの手を弾いてしまったので、アリスは誤魔化そうと強弁します。
それにしても、お皿に山盛りだったはずの「イオリ玉」がいつの間にか無くなっています。
アリスは健啖家というわけでもないのに、これは由々しき事態です。
「あなたに毛布をかけたのは、イオリよ。まぁ、その所為で、暑くて目を覚ましたようだけれど。あと、イオリが転んだ際についた汚れは、綺麗にしてあげたわ」
「『イオリ玉』を気に入ってくれたようで、僕も嬉しいです」
あっさりと反撃されてしまいました。
本を読むのをやめず、アリスは自分から提案することにします。
「聞きたいことがあるのでしょう? 今の私は機嫌が良いの。こんなこと、千周期に一度だってないことよ。好機は逃さないことをお勧めするわ」
「イオリの料理と同じで、本を読んだままでも問題ないんですか?」
「う~ん? そうね、ティノはイオリと一緒にいるのだものね。それじゃあ、竜について少しばかり話してあげようかしら」
アリスはこれまで、様々な人種と会話をしてきましたが。
ティノのような人種は、初めてでした。
ただ、それはティノが優れているから、という理由ではありません。
他の人種とは異なる、得難い経験を積んできているからです。
聡明なアリスは、ティノと接した短い時間で、それを見抜きます。
人種との交流。
アリスもまた、それを見抜けるだけの経験を人種との間に積み重ねてきました。
アリスとイオラングリディア。
二竜とも二十歳程の容姿なので、ティノは気づいていませんが、通常の古竜はイオリと同じように十歳程の見かけなのです。
人種との交流が、アリスの心と体に影響を及ぼし、現在の姿へと成長させました。
「竜の役割って、知っていて?」
「はい。マ……と、ではなく、世界の魔力の調整を行っているんですよね」
マルに聞いた。
ティノは口を滑らせそうになりましたが、アリスは「マ」を「魔力」と思い、また視線は本に向けていたので、マルの存在を気取ることが敵いませんでした。
「あらま、よく知っているわね。そんなことまで識っていたなんて、本当にファルワール・ランティノールは凄いわね」
「……はい。『お爺さん』は本当に凄い人でした」
「基本的に、竜の能力というのは、その役割に準じているわけよ。調整役が誰かにやられていては意味がないから、最強。次に、時間に関する感覚や捉え方。永い時間を生きるのだもの、精神や魂といったものは、人種のように脆弱では話にならないわね。次にーー」
続けて話そうとしたアリスでしたが、ティノの姿を見て言葉を切りました。
自分に立ち向かってきた人種。
あそこまで「聖語」を使いこなす人種。
それなのに。
目の前に居るのは、普通の人種でした。
「ティノはーー。何というか、普通よね」
「……あはは、自覚はあります」
「特徴と言えばーー。匂いと魔力でわかるわ。ティノは男なのに、『微熱』のような容姿ね」
「そこは、僕の所為じゃないと思います。きっと、顔も名前も知らない、僕の両親の所為でしょう」
「微熱」のような容姿、が気に入っていないのか、即座に反駁してきました。
わかり易いにもほどがあります。
アリスは褒めたつもりだったのですが、ティノには通じなかったようです。
意外なことに、ティノは自分の容姿について大きな誤解をしているようです。
ここでバラしても、そこで終わり。
それでは面白くないので、アリスはティノの容姿について言及するのを控えることにしました。
「イオリは料理が得意。それで、イオリは昔から料理が得意だったのかしら?」
「え? あ……、あー、そういえば。ーー思いだしました。僕、ここに来る前の記憶はないんですけど、まともな食事はしていなかったようで、イオリが作ってくれた料理は。……今から思えば、お世辞にも美味しくなかったんですけど、……凄く、美味しかったんです」
「ふーん? まぁ、そこは良いわ。それでティノは、その美味しい料理を食べたあと、イオリに何を言ったのかしら?」
「何って……? と、どうだったかな? えっと、その頃、僕はイオリが大嫌いだったんです。でも、料理だけは褒めていた、ような?」
「そう、褒めたのね。それで、イオリの料理の腕が上達していった、と?」
「え? えーと、……そうだと思います」
ここまで言っても、ティノは思い至ることができません。
若干、炎が猛りましたが、快い日和がアリスを宥めてくれました。
「イオリが料理が上手いのは、あなたが褒めたからよ。他のことでは褒めなかったから、下手なままだったのね」
「いえ、そんなことはありません。失敗しながらでも、イオリはちゃんと最後までやってくれます。そんなときは、イオリに感謝をーー」
「そこよ」
鎌をかけたわけでもないのに、ティノがあっさりと暴露してくれたので、アリスは指摘しました。
「ティノがしていたのは、感謝。それじゃあ、駄目なのよ。きちんと褒めてあげないと。察するに、変な感じで竜の自尊心がイオリの中に残っているのね。感謝では足りない。褒めてもらえるから頑張るーーと、イオリの内ではそうなっているのね」
「って、それじゃあ……。もしかして、僕がイオリの可能性を……、奪っていたんですか……?」
ティノは、テーブルの上に崩れ落ちました。
ぴくりとも動きません。
ーー庇護欲。
そんなものは自分にはないはずなのに。
アリスは他の可能性を提示しました。
「たぶん、だけれど。『角無し』のイオリの能力は限られているのよ。能力が『10』だとして。その『10』のすべてが料理に振り分けられたの。例えば、料理『5』、歌『5』だったら、こんな美味しい料理は食べられなかったはずよ」
「ひっひ~、ひっひ~、つぎつぎ、ひっひ~」
テーブルに「イオリ玉」が山盛りのお皿を置くと、イオリは料理小屋に戻っていきました。
ティノが意識を失っている間に、「イオリ玉」をべた褒めしたので、それが功を奏しているようです。
今度は「イオリ玉」がたくさんあるので、ティノが手を伸ばしてもーー弾くのを我慢することができました。
さすがに意地汚いようにも思えますが。
自分の獲物を奪われる。
そのことに、竜の本能が反応してしまっているようです。
「お皿に『イオリ玉』がある内に聞いておきます。ーーイオラングリディアから力を奪ったのは、アリスさんなんですか?」
「せっかちね。まぁ、答えてあげるわ。半分以上は間違いよ。私は、イオラングリディアが『移譲』を行う手伝いをしただけ。そんなわけだから、地竜の魔力は私の内には無いし、当然、無いものを返すなんてこともできないわ」
「え、と? ちょっと待ってください、と、……その、もうちょっとだけ、詳しくお願いします」
「『ちょっとだけ』で良いのかしら?」
「いえ、ごめんなさい。物凄く、僕でもわかるように、優しく説明してくださることを期待します」
始めこそ、無能であるティノにイラつきましたが、普通の人種である少年との会話が楽しくなってきました。
そして、同時に。
それとは相反するものが、イオラングリディアに向かいます。
ーーあの地竜。
古い記憶を探った途端に。
燎原の火のように、アリスの魔力を刺激します。
アリスはイオラングリディアの要請に応じ、手を、いえ、翼を貸しました。
そう、彼女を手伝ってあげたのです。
イオラングリディアに対する純粋な善意ではないとはいえ、力を奪ったなどと、難癖をつけられる謂われはありません。
「イオラングリディアは、私のことが嫌いだったのかしら?」
「それは……、僕にはわかりません。永いつき合いだと思うので、気づかずに獲物を横取りしてしまったとかそんなっ、アリスさん! 魔力っ、魔力っ! 引っ込めてください!?」
魔力の影響を受ける人種。
それがどれだけ「特別」でーー何より「危険」な存在であるか、ティノはまったく理解していません。
それと、昔のアリスは食い意地が張っているどころか、魔力しか吸収していませんでした。
誤解も甚だしいところですが、「イオリ玉」の美味しさに屈服してしまっているので、強く主張することができません。
「ファルワール・ランティノール、ね」
ティノという存在を放置したまま、天の国へと旅立った「創始」の「聖語使い」。
ランティノールの意図が那辺にあるのか、探らなければいけないようです。
場合によっては、アリスの計画に支障を来しかねません。
「はぁ、竜のことを話すのだったわね。ティノは、ミースガルタンシェアリは知っているわよね」
「それは、はい。僕は村のことしか知りませんが、彼の炎竜のことを知らない人はいない、と聞いています」
「なーに? 聞きたいことがあるのなら、遠慮せず聞きなさい」
内心を隠すのが下手なので、バレバレです。
アリスはティノが何に興味を抱いたのか知りたくなったので、気軽に許可をだしたのですが。
ティノのほうは、そうはいきません。
イオリは料理小屋です。
「無敵の盾」がないのです。
竜の機嫌を損ねれば、次こそ天の国へ強制移住させられてしまうかもしれません。
「しっとり焼くわよ」
可愛いもので。
ほんの少し脅してやったら、胸襟を開いてくれたようです。
アリスは上機嫌です。
反面、魂まで焼き尽くされる危機に直面したティノは。
即座に気になったことをアリスに尋ね、ではなく、ぶちまけました。
「あのっ、アリスさんとミースガルタンシェアリは、どっちが強いのかな、とかそんなことを思ったんですけど、でも、数々の伝説がある炎竜には勝てないと思うし、それを聞いてしまうとアリスさんに悪いかな、とか考えてしまって、って、もう実は、戦ったことがあって、敗けたことが……」
オブラートに包む。
そんなこともできない自分の能力のなさを、ティノは呪いました。
また魔力が溢れだすのではないかと警戒したティノですが。
炎麗なアリスは拗ねてしまったのか、唇を曲げただけでした。
「炎竜の『枠』を壊したのは、私だけ。炎竜で最も『熱い』のは私。それゆえに、最熱の炎竜ーーと言いたいのだけれど。ミースガルタンシェアリは、魔力調整の統括。他の炎竜とは異なる能力を具えている可能性は十分にあるわ。だから答えは、『わからない』よ」
「……ということは、あっちの大陸ーーえ~と、大陸でしたっけ? 行ったことはないんですか?」
「大陸は、幻想種の竜が住まう場所。大陸は、魔獣種の竜が住まう場所。幻想種の竜のほうが、総じて大人しいとされ、『分化』した竜も居ないようね。ーー私が大陸に渡らないのは、別の理由もあるわ」
子犬みたい。
ティノの表情を見て、アリスはそんなことを思いました。
竜の魔力に怯え、獣は近づいてきません。
いつか動物を撫でてみたい。
密かに、そんな願望を持っていたアリスは、マースグリナダにも明かしたことのない胸中を吐露していました。
「ミースガルタンシェアリに会いに行くのは、問題ないの。問題の一つは、『竜の狩場』の隣にいる、氷竜」
「やっぱり、古事の通りに、炎竜氷竜って仲が悪いんですか?」
「ええ、特に、その氷竜は極めつきなのよ。私と同じく、『枠』を壊した竜。氷竜ヴァレイスナと遭って、戦いにならないーーそんなこと想像することもできないわ」
「って、だから魔力っ、魔力っ!? もう、態とやってますよねっ!?」
何ということでしょう。
竜の真意が看破されてしまいました。
気を良くしたアリスは、愚痴めいた言葉で饒舌に語り始めます。
「あとね、もう一竜、厄介なのがいるのよ。『枠』を越えたヴァレイスナは、そうであるがゆえに、その性質はある程度、予想がつく。その対極にあるかのような竜ーーそれが風竜ラカールラカ。竜の中で最速。そう言わしめる風竜なのだけれど、アレは『風の城』、若しくは『白亜宮』と呼ばれるモノを、空に浮かべているのよ」
「空に、ですか? アリスさんが警戒するということは、危険なものなんですか?」
「アレはね、ラカールラカの余剰魔力、十万周期分でできているのよ。もし、アレの制御を怠ったら、人種を含めた多くの生物が絶滅の憂き目に遭うわ」
「ええ? それ、放っておいていいんですか?」
「一つには、竜には影響が少ない、というのが大きいわね。自身の力を誇示、或いは自身に手をださせないようにーーなんてことが考えられるのだけれど。恐らくラカールラカは、そのような理由でアレを創っていないと思うわ」
「ーー自分の家が、欲しかったんじゃないかな」
「何、ソレ?」
「あ、いえ、話を聞いていて、そう思っただけで、竜の深淵なる思惑なんて僕にはとんとわかりません」
ティノの推測。
始めは、くだらないものと切り捨てるところでしたが、アリスは思い直しました。
ヴァレイスナとイオラングリディアは。
似たような性格ではないかと、アリスは当たりをつけています。
そして、イオラングリディアと対極にあるかのような、イオリ。
ティノは、イオリと長く過ごしています。
不思議と、言われてみると、ティノの直感が正しいような気がしてきて。
「ひっ、ふひひっ」
笑いが込み上げてきてしまいました。
ティノがとぼけた表情で自分を見ていたので、アリスは軽い気持ちで尋ねてみました。
「何よ?」
「あ、いえ、その、そうやって自然な姿で笑っているアリスさんは可愛いな、とそう思っただけです」
「……もれなく燃やすわよ」
「ひっ!? 魔力に引火!? ごめんなさい! 竜は褒めたほうがいいってアリスさんが言ったから! 何かごめんなさい!!」
これまでたくさんの人種から称賛、どころか、絶賛されてきたアリスですが。
素直に嬉しいと思えた言葉は、初めてでした。
照れ隠しでティノをちょっとばかり燃やしてしまいましたが、そんな不合理な自分も悪くないと思えてきてしまうから不思議です。
人種と長く交流してきた理由の一つです。
一言で言えば、面白い。
興味深い、生き物なのです。
竜からすれば、ほんの一瞬。
瞬く間の生に、想いを費やす生き物。
だからこそ、その輝きは竜を凌ぐことさえあるのです。
「そういえば。あなたはイオリを大切にしている割には、平気で盾にするわよね」
「はは、イオリ一人が生き残っても、僕だけが生き残っても意味はありません。二人一緒でないと、駄目なんです。それは絶対です」
羨ましい。
そう思えない自分に、アリスは失望しました。
恐らく、竜であることが、ティノに共感できない理由だと思ってはいますが。
アリスはまだ、そこには手が届きません。
気紛れ。
そう言い訳してから、アリスはティノを利用することに決めました。
「じゃあ、そろそろ、わかり易く説明してあげるわ」
「はい。お願いします」
ティノが居住まいを正したので、アリスは読みかけの本をテーブルに置きました。
ティノに係わると、係わらせると決めたからです。
このアリスの決断が、ティノの運命を大きく翻弄することになるのですが、当のティノは。
真面目な顔をしながら、最後の一個の「イオリ玉」に手を伸ばしてきたので。
獲物の横取りなど、アリスが許すはずがありません。
「……けちんぼ」
「授業料よ。先ず、この世界には、『王』を冠する竜が、三竜いるわ。幻竜王ミースガルタンシェアリ。魔竜王マースグリナダ。海竜王アグスキュラレゾン。ーー幻竜王と海竜王は。恐らく特殊な能力を具えている。魔竜王は、私が見る限り、特殊な能力は具えていない」
「でも、『王様』なんですよね。竜の『王様』なんですから、凄い人格者、ではなくて、竜格者なんですか?」
「一生懸命な、ーー竜ではあるわ。やんちゃな竜が多い、この大陸を纏めようと四苦八苦していたわ。まぁ、そんなだから、思いっ切りぶん殴っちゃったんだけれど」
「……すみません。どうしたらそこにつながるのか、まったく理解できません」
ティノの言葉は至極真っ当なものでしたが。
残念ながら、マースグリナダが係わった際のアリスには、正論など通用しません。
愚かな人種であるティノに、わかり易く早口で捲し立てました。
「ほんっとに、イライラするわよ! 両竜の話を聞く? 馬鹿ね、そんなことで解決するわけないじゃない! 案の定、拗れたわ! まぁ、私が二竜をブッ飛ばして解決してあげたけれどね! 巣穴の近くの人種がうるさいから滅ぼす? そんなもの放っておけば良いじゃない! 両者を取り持とうとして、修復不可能なくらい悪化したわ! まぁ、もちろん、私が近くの山を蒸発させて、どっちも黙らせてやったけれどね!」
「あの、結局、マースグリナダ…様と、仲がいいんですか?」
これ以上、アリスを噴火させるのは不味いと、ティノは言葉を滑り込ませました。
変なところで鋭いティノの指摘に、アリスは鎮火しました。
「ーー不思議なことにね。はっきり言って、私が嫌いな性質を満載したような竜なのよ。なのに、会うたびに、謝りながら、感謝しながら、……馬鹿みたいに笑っているマースグリナダを見ていたら。マースグリナダを手伝うことが嫌ではなくなっていたの。ーーだからこそ、イオラングリディアの提案に乗ることにしたのよ」
「アリスさんが、さっき言った『移譲』ですか?」
「ええ。古竜はね、『竜の魂』とも言える軛から解き放たれ、『個性』を手に入れたのよ。それゆえに、独自の力を持つ竜も現れた」
「えっと、イオラングリディアの、個竜の能力が『移譲』ということですか?」
「そういうことね。『移譲』というのは、対等の者に譲るってことね。自身の魔力を、他者に譲る。そういう能力。イオラングリディアだけでは、マースグリナダに『移譲』できなかったから、私が手伝ってそれを完遂させてあげたわけよ」
そうして、表情を変えることもなく、去っていったイオラングリディア。
仲良くなど絶対になれないと思っていたマースグリナダとは和解したのに。
懇意になれると思っていたイオラングリディアとは、最後まで心を通わすことが敵いませんでした。
イオリがティノに魔力を注ぐことができたのも、「移譲」の能力があったからです。
当のイオリとティノは。
まったく気づくことなく能天気に笑っているので、アリスの癇に障りました。
これもイオラングリディアの策謀のように思えてきてしまいます。
竜の中で、最も頭が固い。
それゆえに、魔獣種の竜に恐れられていた地竜。
「それが、何で、こんな『へんて仔』になってしまったのかしらね」
「ひっひ~、ひっひ~、つぎまた、ひっひ~」
三皿目を置いたイオリは、四皿目を作りに料理小屋に走って行きました。
そんなイオリを見て、ティノも自分の役割を悟りました。
「……今日は、『イオリ玉』の材料を集めてきます。僕のやる気が増すように、続きをお願いします」
「続き。続き、ねぇ? もう、答えはでたようなものじゃない。イオラングリディアの魔力が『移譲』されたのは、魔竜王マースグリナダ。私の話を聞いていたなら、わかるでしょう? マースグリナダに頼みにいけば良いのよ。魔力を返してください、ってね」
「え? ええ……? そ、それだけでいいんですか?」
「それ以外に何をするつもり? 私にやったように、マースグリナダにも戦いを挑むのかしら?」
「あー」
またもやティノは、テーブルに崩れ落ちました。
ティノがここまで「聖語」を使いこなせるようになったのは、イオラングリディアと再会を果たす為です。
ティノの豊かな表情から、それを解したアリスは。
にやりと笑いました。
でも、今は時期尚早。
もう少し、見定める必要があります。
「私は今、休暇中なのよ。そういうわけで一巡りくらいお世話になるから、よろしくね」
「……は?」
ティノの間抜け面を見てから。
「イオリ玉」をつまみつつ、アリスは読書に戻ったのでした。
竜は、気温の変化に煩わされることはありません。
無意識の内に、魔力で調整しているからです。
でも、アリスは意図して魔力を解いています。
肌を転がるやわらかな日差しと、草木の匂いを運んでくれる優しい風。
無駄なこと。
それを行うことの快楽を、アリスは識っています。
そうでなければ、ティノの茶番につき合うことはなかったでしょう。
本を一冊。
読み終えたので、次を取ろうとしたところーー。
「ぅ……、ん?」
どうやら、目を覚ましたようです。
アリスは構わず本を手に取って、読み始めます。
「……え、と? あの、アリスさん、ありがとうございます」
「あら? お礼をされることなんて、私はしたかしら?」
アリスは、起きしなのティノを揶揄います。
大半の男が骨抜きになる微笑みを浮かべて見せましたが、効果は薄いようです。
しかしそれも、ティノの「誓言」を思い返してみれば、納得。
ティノの魂の色彩は、もはや竜でも変えることはできません。
「『治癒』か何かで、治してくれたんですよね? 背骨か何か、折れてはいけないものが折れてしまった、そんな音が聞こえました」
「それに関しては、運が良かったわね」
「運、ですか?」
「ええ、実はね、その折れてしまったものは、重要な臓器に突き刺さったのよ。もしティノが気絶していなかったなら、耐えがたい痛みで悶絶していたことでしょう。そうなれば、悪化して即死。私でも『治癒』は不可能だったわ」
「……重ね重ね、お手数をおかけしました」
てっきり、勝負がついたあとにアリスが殴ったことに対し、嫌味でも言ってくるのかと思っていたのですが。
反撃の言葉を用意しておいたアリスの思惑が挫かれてしまいました。
禍根は、水竜に食べてもらったティノですが。
その代わりでしょうか、最後の一個の「イオリ玉」に手を伸ばしてきたので、それくらいは許してやろうかとアリスは広い心でーー。
「……酷いです。材料を採取してきたのは僕で、料理したのはイオリなのに」
「心配いらないわよ。もうすぐイオリが、『お代わり』を持ってきてくれるから」
うっかりティノの手を弾いてしまったので、アリスは誤魔化そうと強弁します。
それにしても、お皿に山盛りだったはずの「イオリ玉」がいつの間にか無くなっています。
アリスは健啖家というわけでもないのに、これは由々しき事態です。
「あなたに毛布をかけたのは、イオリよ。まぁ、その所為で、暑くて目を覚ましたようだけれど。あと、イオリが転んだ際についた汚れは、綺麗にしてあげたわ」
「『イオリ玉』を気に入ってくれたようで、僕も嬉しいです」
あっさりと反撃されてしまいました。
本を読むのをやめず、アリスは自分から提案することにします。
「聞きたいことがあるのでしょう? 今の私は機嫌が良いの。こんなこと、千周期に一度だってないことよ。好機は逃さないことをお勧めするわ」
「イオリの料理と同じで、本を読んだままでも問題ないんですか?」
「う~ん? そうね、ティノはイオリと一緒にいるのだものね。それじゃあ、竜について少しばかり話してあげようかしら」
アリスはこれまで、様々な人種と会話をしてきましたが。
ティノのような人種は、初めてでした。
ただ、それはティノが優れているから、という理由ではありません。
他の人種とは異なる、得難い経験を積んできているからです。
聡明なアリスは、ティノと接した短い時間で、それを見抜きます。
人種との交流。
アリスもまた、それを見抜けるだけの経験を人種との間に積み重ねてきました。
アリスとイオラングリディア。
二竜とも二十歳程の容姿なので、ティノは気づいていませんが、通常の古竜はイオリと同じように十歳程の見かけなのです。
人種との交流が、アリスの心と体に影響を及ぼし、現在の姿へと成長させました。
「竜の役割って、知っていて?」
「はい。マ……と、ではなく、世界の魔力の調整を行っているんですよね」
マルに聞いた。
ティノは口を滑らせそうになりましたが、アリスは「マ」を「魔力」と思い、また視線は本に向けていたので、マルの存在を気取ることが敵いませんでした。
「あらま、よく知っているわね。そんなことまで識っていたなんて、本当にファルワール・ランティノールは凄いわね」
「……はい。『お爺さん』は本当に凄い人でした」
「基本的に、竜の能力というのは、その役割に準じているわけよ。調整役が誰かにやられていては意味がないから、最強。次に、時間に関する感覚や捉え方。永い時間を生きるのだもの、精神や魂といったものは、人種のように脆弱では話にならないわね。次にーー」
続けて話そうとしたアリスでしたが、ティノの姿を見て言葉を切りました。
自分に立ち向かってきた人種。
あそこまで「聖語」を使いこなす人種。
それなのに。
目の前に居るのは、普通の人種でした。
「ティノはーー。何というか、普通よね」
「……あはは、自覚はあります」
「特徴と言えばーー。匂いと魔力でわかるわ。ティノは男なのに、『微熱』のような容姿ね」
「そこは、僕の所為じゃないと思います。きっと、顔も名前も知らない、僕の両親の所為でしょう」
「微熱」のような容姿、が気に入っていないのか、即座に反駁してきました。
わかり易いにもほどがあります。
アリスは褒めたつもりだったのですが、ティノには通じなかったようです。
意外なことに、ティノは自分の容姿について大きな誤解をしているようです。
ここでバラしても、そこで終わり。
それでは面白くないので、アリスはティノの容姿について言及するのを控えることにしました。
「イオリは料理が得意。それで、イオリは昔から料理が得意だったのかしら?」
「え? あ……、あー、そういえば。ーー思いだしました。僕、ここに来る前の記憶はないんですけど、まともな食事はしていなかったようで、イオリが作ってくれた料理は。……今から思えば、お世辞にも美味しくなかったんですけど、……凄く、美味しかったんです」
「ふーん? まぁ、そこは良いわ。それでティノは、その美味しい料理を食べたあと、イオリに何を言ったのかしら?」
「何って……? と、どうだったかな? えっと、その頃、僕はイオリが大嫌いだったんです。でも、料理だけは褒めていた、ような?」
「そう、褒めたのね。それで、イオリの料理の腕が上達していった、と?」
「え? えーと、……そうだと思います」
ここまで言っても、ティノは思い至ることができません。
若干、炎が猛りましたが、快い日和がアリスを宥めてくれました。
「イオリが料理が上手いのは、あなたが褒めたからよ。他のことでは褒めなかったから、下手なままだったのね」
「いえ、そんなことはありません。失敗しながらでも、イオリはちゃんと最後までやってくれます。そんなときは、イオリに感謝をーー」
「そこよ」
鎌をかけたわけでもないのに、ティノがあっさりと暴露してくれたので、アリスは指摘しました。
「ティノがしていたのは、感謝。それじゃあ、駄目なのよ。きちんと褒めてあげないと。察するに、変な感じで竜の自尊心がイオリの中に残っているのね。感謝では足りない。褒めてもらえるから頑張るーーと、イオリの内ではそうなっているのね」
「って、それじゃあ……。もしかして、僕がイオリの可能性を……、奪っていたんですか……?」
ティノは、テーブルの上に崩れ落ちました。
ぴくりとも動きません。
ーー庇護欲。
そんなものは自分にはないはずなのに。
アリスは他の可能性を提示しました。
「たぶん、だけれど。『角無し』のイオリの能力は限られているのよ。能力が『10』だとして。その『10』のすべてが料理に振り分けられたの。例えば、料理『5』、歌『5』だったら、こんな美味しい料理は食べられなかったはずよ」
「ひっひ~、ひっひ~、つぎつぎ、ひっひ~」
テーブルに「イオリ玉」が山盛りのお皿を置くと、イオリは料理小屋に戻っていきました。
ティノが意識を失っている間に、「イオリ玉」をべた褒めしたので、それが功を奏しているようです。
今度は「イオリ玉」がたくさんあるので、ティノが手を伸ばしてもーー弾くのを我慢することができました。
さすがに意地汚いようにも思えますが。
自分の獲物を奪われる。
そのことに、竜の本能が反応してしまっているようです。
「お皿に『イオリ玉』がある内に聞いておきます。ーーイオラングリディアから力を奪ったのは、アリスさんなんですか?」
「せっかちね。まぁ、答えてあげるわ。半分以上は間違いよ。私は、イオラングリディアが『移譲』を行う手伝いをしただけ。そんなわけだから、地竜の魔力は私の内には無いし、当然、無いものを返すなんてこともできないわ」
「え、と? ちょっと待ってください、と、……その、もうちょっとだけ、詳しくお願いします」
「『ちょっとだけ』で良いのかしら?」
「いえ、ごめんなさい。物凄く、僕でもわかるように、優しく説明してくださることを期待します」
始めこそ、無能であるティノにイラつきましたが、普通の人種である少年との会話が楽しくなってきました。
そして、同時に。
それとは相反するものが、イオラングリディアに向かいます。
ーーあの地竜。
古い記憶を探った途端に。
燎原の火のように、アリスの魔力を刺激します。
アリスはイオラングリディアの要請に応じ、手を、いえ、翼を貸しました。
そう、彼女を手伝ってあげたのです。
イオラングリディアに対する純粋な善意ではないとはいえ、力を奪ったなどと、難癖をつけられる謂われはありません。
「イオラングリディアは、私のことが嫌いだったのかしら?」
「それは……、僕にはわかりません。永いつき合いだと思うので、気づかずに獲物を横取りしてしまったとかそんなっ、アリスさん! 魔力っ、魔力っ! 引っ込めてください!?」
魔力の影響を受ける人種。
それがどれだけ「特別」でーー何より「危険」な存在であるか、ティノはまったく理解していません。
それと、昔のアリスは食い意地が張っているどころか、魔力しか吸収していませんでした。
誤解も甚だしいところですが、「イオリ玉」の美味しさに屈服してしまっているので、強く主張することができません。
「ファルワール・ランティノール、ね」
ティノという存在を放置したまま、天の国へと旅立った「創始」の「聖語使い」。
ランティノールの意図が那辺にあるのか、探らなければいけないようです。
場合によっては、アリスの計画に支障を来しかねません。
「はぁ、竜のことを話すのだったわね。ティノは、ミースガルタンシェアリは知っているわよね」
「それは、はい。僕は村のことしか知りませんが、彼の炎竜のことを知らない人はいない、と聞いています」
「なーに? 聞きたいことがあるのなら、遠慮せず聞きなさい」
内心を隠すのが下手なので、バレバレです。
アリスはティノが何に興味を抱いたのか知りたくなったので、気軽に許可をだしたのですが。
ティノのほうは、そうはいきません。
イオリは料理小屋です。
「無敵の盾」がないのです。
竜の機嫌を損ねれば、次こそ天の国へ強制移住させられてしまうかもしれません。
「しっとり焼くわよ」
可愛いもので。
ほんの少し脅してやったら、胸襟を開いてくれたようです。
アリスは上機嫌です。
反面、魂まで焼き尽くされる危機に直面したティノは。
即座に気になったことをアリスに尋ね、ではなく、ぶちまけました。
「あのっ、アリスさんとミースガルタンシェアリは、どっちが強いのかな、とかそんなことを思ったんですけど、でも、数々の伝説がある炎竜には勝てないと思うし、それを聞いてしまうとアリスさんに悪いかな、とか考えてしまって、って、もう実は、戦ったことがあって、敗けたことが……」
オブラートに包む。
そんなこともできない自分の能力のなさを、ティノは呪いました。
また魔力が溢れだすのではないかと警戒したティノですが。
炎麗なアリスは拗ねてしまったのか、唇を曲げただけでした。
「炎竜の『枠』を壊したのは、私だけ。炎竜で最も『熱い』のは私。それゆえに、最熱の炎竜ーーと言いたいのだけれど。ミースガルタンシェアリは、魔力調整の統括。他の炎竜とは異なる能力を具えている可能性は十分にあるわ。だから答えは、『わからない』よ」
「……ということは、あっちの大陸ーーえ~と、大陸でしたっけ? 行ったことはないんですか?」
「大陸は、幻想種の竜が住まう場所。大陸は、魔獣種の竜が住まう場所。幻想種の竜のほうが、総じて大人しいとされ、『分化』した竜も居ないようね。ーー私が大陸に渡らないのは、別の理由もあるわ」
子犬みたい。
ティノの表情を見て、アリスはそんなことを思いました。
竜の魔力に怯え、獣は近づいてきません。
いつか動物を撫でてみたい。
密かに、そんな願望を持っていたアリスは、マースグリナダにも明かしたことのない胸中を吐露していました。
「ミースガルタンシェアリに会いに行くのは、問題ないの。問題の一つは、『竜の狩場』の隣にいる、氷竜」
「やっぱり、古事の通りに、炎竜氷竜って仲が悪いんですか?」
「ええ、特に、その氷竜は極めつきなのよ。私と同じく、『枠』を壊した竜。氷竜ヴァレイスナと遭って、戦いにならないーーそんなこと想像することもできないわ」
「って、だから魔力っ、魔力っ!? もう、態とやってますよねっ!?」
何ということでしょう。
竜の真意が看破されてしまいました。
気を良くしたアリスは、愚痴めいた言葉で饒舌に語り始めます。
「あとね、もう一竜、厄介なのがいるのよ。『枠』を越えたヴァレイスナは、そうであるがゆえに、その性質はある程度、予想がつく。その対極にあるかのような竜ーーそれが風竜ラカールラカ。竜の中で最速。そう言わしめる風竜なのだけれど、アレは『風の城』、若しくは『白亜宮』と呼ばれるモノを、空に浮かべているのよ」
「空に、ですか? アリスさんが警戒するということは、危険なものなんですか?」
「アレはね、ラカールラカの余剰魔力、十万周期分でできているのよ。もし、アレの制御を怠ったら、人種を含めた多くの生物が絶滅の憂き目に遭うわ」
「ええ? それ、放っておいていいんですか?」
「一つには、竜には影響が少ない、というのが大きいわね。自身の力を誇示、或いは自身に手をださせないようにーーなんてことが考えられるのだけれど。恐らくラカールラカは、そのような理由でアレを創っていないと思うわ」
「ーー自分の家が、欲しかったんじゃないかな」
「何、ソレ?」
「あ、いえ、話を聞いていて、そう思っただけで、竜の深淵なる思惑なんて僕にはとんとわかりません」
ティノの推測。
始めは、くだらないものと切り捨てるところでしたが、アリスは思い直しました。
ヴァレイスナとイオラングリディアは。
似たような性格ではないかと、アリスは当たりをつけています。
そして、イオラングリディアと対極にあるかのような、イオリ。
ティノは、イオリと長く過ごしています。
不思議と、言われてみると、ティノの直感が正しいような気がしてきて。
「ひっ、ふひひっ」
笑いが込み上げてきてしまいました。
ティノがとぼけた表情で自分を見ていたので、アリスは軽い気持ちで尋ねてみました。
「何よ?」
「あ、いえ、その、そうやって自然な姿で笑っているアリスさんは可愛いな、とそう思っただけです」
「……もれなく燃やすわよ」
「ひっ!? 魔力に引火!? ごめんなさい! 竜は褒めたほうがいいってアリスさんが言ったから! 何かごめんなさい!!」
これまでたくさんの人種から称賛、どころか、絶賛されてきたアリスですが。
素直に嬉しいと思えた言葉は、初めてでした。
照れ隠しでティノをちょっとばかり燃やしてしまいましたが、そんな不合理な自分も悪くないと思えてきてしまうから不思議です。
人種と長く交流してきた理由の一つです。
一言で言えば、面白い。
興味深い、生き物なのです。
竜からすれば、ほんの一瞬。
瞬く間の生に、想いを費やす生き物。
だからこそ、その輝きは竜を凌ぐことさえあるのです。
「そういえば。あなたはイオリを大切にしている割には、平気で盾にするわよね」
「はは、イオリ一人が生き残っても、僕だけが生き残っても意味はありません。二人一緒でないと、駄目なんです。それは絶対です」
羨ましい。
そう思えない自分に、アリスは失望しました。
恐らく、竜であることが、ティノに共感できない理由だと思ってはいますが。
アリスはまだ、そこには手が届きません。
気紛れ。
そう言い訳してから、アリスはティノを利用することに決めました。
「じゃあ、そろそろ、わかり易く説明してあげるわ」
「はい。お願いします」
ティノが居住まいを正したので、アリスは読みかけの本をテーブルに置きました。
ティノに係わると、係わらせると決めたからです。
このアリスの決断が、ティノの運命を大きく翻弄することになるのですが、当のティノは。
真面目な顔をしながら、最後の一個の「イオリ玉」に手を伸ばしてきたので。
獲物の横取りなど、アリスが許すはずがありません。
「……けちんぼ」
「授業料よ。先ず、この世界には、『王』を冠する竜が、三竜いるわ。幻竜王ミースガルタンシェアリ。魔竜王マースグリナダ。海竜王アグスキュラレゾン。ーー幻竜王と海竜王は。恐らく特殊な能力を具えている。魔竜王は、私が見る限り、特殊な能力は具えていない」
「でも、『王様』なんですよね。竜の『王様』なんですから、凄い人格者、ではなくて、竜格者なんですか?」
「一生懸命な、ーー竜ではあるわ。やんちゃな竜が多い、この大陸を纏めようと四苦八苦していたわ。まぁ、そんなだから、思いっ切りぶん殴っちゃったんだけれど」
「……すみません。どうしたらそこにつながるのか、まったく理解できません」
ティノの言葉は至極真っ当なものでしたが。
残念ながら、マースグリナダが係わった際のアリスには、正論など通用しません。
愚かな人種であるティノに、わかり易く早口で捲し立てました。
「ほんっとに、イライラするわよ! 両竜の話を聞く? 馬鹿ね、そんなことで解決するわけないじゃない! 案の定、拗れたわ! まぁ、私が二竜をブッ飛ばして解決してあげたけれどね! 巣穴の近くの人種がうるさいから滅ぼす? そんなもの放っておけば良いじゃない! 両者を取り持とうとして、修復不可能なくらい悪化したわ! まぁ、もちろん、私が近くの山を蒸発させて、どっちも黙らせてやったけれどね!」
「あの、結局、マースグリナダ…様と、仲がいいんですか?」
これ以上、アリスを噴火させるのは不味いと、ティノは言葉を滑り込ませました。
変なところで鋭いティノの指摘に、アリスは鎮火しました。
「ーー不思議なことにね。はっきり言って、私が嫌いな性質を満載したような竜なのよ。なのに、会うたびに、謝りながら、感謝しながら、……馬鹿みたいに笑っているマースグリナダを見ていたら。マースグリナダを手伝うことが嫌ではなくなっていたの。ーーだからこそ、イオラングリディアの提案に乗ることにしたのよ」
「アリスさんが、さっき言った『移譲』ですか?」
「ええ。古竜はね、『竜の魂』とも言える軛から解き放たれ、『個性』を手に入れたのよ。それゆえに、独自の力を持つ竜も現れた」
「えっと、イオラングリディアの、個竜の能力が『移譲』ということですか?」
「そういうことね。『移譲』というのは、対等の者に譲るってことね。自身の魔力を、他者に譲る。そういう能力。イオラングリディアだけでは、マースグリナダに『移譲』できなかったから、私が手伝ってそれを完遂させてあげたわけよ」
そうして、表情を変えることもなく、去っていったイオラングリディア。
仲良くなど絶対になれないと思っていたマースグリナダとは和解したのに。
懇意になれると思っていたイオラングリディアとは、最後まで心を通わすことが敵いませんでした。
イオリがティノに魔力を注ぐことができたのも、「移譲」の能力があったからです。
当のイオリとティノは。
まったく気づくことなく能天気に笑っているので、アリスの癇に障りました。
これもイオラングリディアの策謀のように思えてきてしまいます。
竜の中で、最も頭が固い。
それゆえに、魔獣種の竜に恐れられていた地竜。
「それが、何で、こんな『へんて仔』になってしまったのかしらね」
「ひっひ~、ひっひ~、つぎまた、ひっひ~」
三皿目を置いたイオリは、四皿目を作りに料理小屋に走って行きました。
そんなイオリを見て、ティノも自分の役割を悟りました。
「……今日は、『イオリ玉』の材料を集めてきます。僕のやる気が増すように、続きをお願いします」
「続き。続き、ねぇ? もう、答えはでたようなものじゃない。イオラングリディアの魔力が『移譲』されたのは、魔竜王マースグリナダ。私の話を聞いていたなら、わかるでしょう? マースグリナダに頼みにいけば良いのよ。魔力を返してください、ってね」
「え? ええ……? そ、それだけでいいんですか?」
「それ以外に何をするつもり? 私にやったように、マースグリナダにも戦いを挑むのかしら?」
「あー」
またもやティノは、テーブルに崩れ落ちました。
ティノがここまで「聖語」を使いこなせるようになったのは、イオラングリディアと再会を果たす為です。
ティノの豊かな表情から、それを解したアリスは。
にやりと笑いました。
でも、今は時期尚早。
もう少し、見定める必要があります。
「私は今、休暇中なのよ。そういうわけで一巡りくらいお世話になるから、よろしくね」
「……は?」
ティノの間抜け面を見てから。
「イオリ玉」をつまみつつ、アリスは読書に戻ったのでした。
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