竜の庵の聖語使い

風結

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三竜と魔獣

結界  魔獣と炎竜

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「隠れておらんで、でてくるが良い」

 ティノとイオリが去ってから、マルは暗闇に声をかけました。
 まるで暗竜の懐からでてくるように、姿を現す炎竜。
 どうやら、飛び去ったと見せかけ、戻ってきていたようです。

 もし、アリスが本気で方術を使っていたなら、感知は不可能だったでしょう。
 つまり、マルと会話をする意思はあるということです。

「まぁ、待ちなさい」

 マルに視線を寄越すことなく、アリスは通り過ぎてゆきます。
 巨体で体勢を変えるのは難ですが、アリスに背を見せることに比べれば何のことはありません。
 山の惨状。
 内心で溜め息を吐きながら、生き残った植物をなるべく傷つけないように向きを変えます。

「ほ……?」

 戦った相手の正体は知っていましたが。
 マルはまだ、相手の力量を把握し損ねていたようです。

 アリスに視線を向けたときには。
 二本のロープの「結界」が元通りになっていました。

「……達者なものだな」
「大したことじゃないわ。この『結界』を作った者が優秀だったというだけのこと。ときどき人種に現れるのよね、竜に匹敵する叡智を有するモノが」

 「人化」した、炎竜。
 それで尚、魔獣を圧倒する強さ。
 老いた身でなければ、戦いを挑んでいたかもしれません。
 二つの幸い。
 マルは胸を撫で下ろしました。

 重要なもう一つとは。
 アリスが「結界」を補修したことです。
 マルにはできないことを、アリスがやってくれました。

 どうやらアリスは、この「結界」の真の目的に気づいていないようなのです。
 ランティノールという人種は、何ということを思いつくのか。
 アリスとは違う方向性で、彼女の意見にマルもどうじました。

「それで、舞い戻ったは、如何に?」

 「結界」にこだわると、悟られてしまうかもしれません。
 何気ない風を装い、アリスと相対しました。

「別に。一言、言いに来ただけよ。私は今、休暇中。一巡りくらいしたら、『聖域テト・ラーナ』に戻るわ」
「ーーお主。『聖域』にるのか?」
「何よ。悪い?」
「エーレアリステシアゥナ。『最強の三竜』の一角。それが、名を奪った地に居るとは。ーー我にはわからぬ」

 エーレアリステシアゥナ。
 それが、アリスの真名ーー竜名です。

 「エーレアリステシアゥナ盆地」。
 大陸中央にあるその場所は、かつてそう呼ばれていたのですが。
 「聖語使い」が「聖域」を造ってのち、「セレステナ聖地」ととなえられるようになりました。

「千周期や二千周期、他の名を冠したくらいで怒るほど狭量じゃないわよ。それを言うなら、あなたこそこんな所で何しているのよ、『南の大恩』」
「知っておったか。ならば、片方だけを言うでないわ」
「『北の大咎』。あんな場所に生じるなんてーー。イオラングリディアが態とやったのかしら?」
「さて、な。地竜の思惑がどうあれ、この生を戴いたことは感謝すべきであろうな」

 依り代の狼。
 「イオラングリディア僻地」での、最後の群れの生き残り。
 その狼こそが、マルの依り代でした。

 魔獣が生じる際、命が尽きた獣を依り代とします。
 マルの意識は、その瞬間に芽生えました。

 偶然、だったのでしょうか。
 魔力汚染の地とは、時期を狙って起こせるようなものではないからです。
 たまたま、運良く、或いは運悪く死んだ狼。
 そのほうが符合するし、納得もいきます。

 イオラングリディアの狙いは。
 恐らく、マルが生じたにあります。

 「僻地」の中央には山脈がありました。
 北と南の、唯一の抜け道にマルは生じたのです。

 北に攻め入ろうとしていた、南の大国にとっては「大咎」。
 侵攻を防いでくれた北の国々にとっては「大恩」。

「三千周期で情勢も変化しよったが」

 かつては栄えた南は分裂。
 交易で栄えた北は統一して大国となりました。

 南に攻め入りたい北にとって、「大恩」は邪魔な存在となってしまいましたが。
 政治的な理由ーー「大恩」に対する民の信仰に介入するのは危険との判断から、今でも「大恩」として北では親しまれています。

 逆に北の侵攻を防いでくれる恰好となった南では。
 こちらも政治的な理由ーー「大咎」に頼らずとも北の脅威に対応できると民に信じさせたいが為に、「大咎」を利用し、今でも南の民からは忌み嫌われています。

「まぁ、『僻地』は、北と南で分かれていたほうが、何かと都合が良いのでしょうね。あなたがもう居ないと知ったら、どうなるのかしらね?」
は、我の責ではなかろう。この先も介入せぬことが、我の最後の務めぞ」
「あ、そ。じゃあ、話の続きよ。私は『聖域』に『聖語使い』の為の学園を創ったわ。あなたが『聖語』に詳しいのなら、その理由もわかるはずよ」
「理由とな?」

 マルは、「聖語」のことはとんと知りません。
 、三周期。
 それまでに「聖語使い」と関わり合いになることがあるとは思っていなかったからです。
 ティノと係わるのなら、「聖語」について知ったほうが良いかもしれない。
 そう考えていたマルは、アリスの次の言葉で絶句しました。

「だからティノを、ああ、そうだった、イオリも連れていかないといけないわね。一竜と一人を、私が創った学園に連れていくわ」
「っ……」

 これは完全に、予想外でした。
 ティノと逢ってから、一日。
 マルは「結界」を探って、結論をだしました。

 ティノが「結界」の外にでることには、マルも賛成しています。
 でも、それだとマルの命が尽きるまでに、ティノが戻ってこないかもしれないのです。
 そうなれば。
 初めて自分で決した、「自身の命の使い道」に、支障が生じてしまうかもしれません。

 これは、由々しき事態です。
 マルの心情に構うことなく、アリスは一方的にこれからの予定を話してゆきます。

「学園の卒園までは、二周期を予定しているわ。半周期は基本を叩き込む。それができたら、短期休暇ね。ティノのことだから、『庵』に戻ってくるのではないかしら。一周期経って、次にどれだけ入園者が増えるか見物ね」
「……竜であろうに、そこまで人種に介入するのか?」
「何? 気になるの? でも、犬っころには関係ないのだから、教えたところで意味なんてないでしょうしね」

 マルが言葉を探している間に。
 アリスは飛び去っていってしまいました。

 「犬っころ」呼ばわりされましたが、訂正する気にもなれませんでした。
 恐らく、今の会見、いえ、面会は。
 炎竜の、善意なのでしょう。

 先程のティノとアリスの遣り取りを見るに。
 アリスの譲歩を引きだしたのは、ティノ。
 あの、見るからに普通の少年が、マルにはできないことを遣って退けたのです。

 ますます、ティノに興味が湧いてきたマルですが。
 その分、アリスの言葉がマルに刺さります。

 炎竜が決めたのであれば、それは絶対。
 マルには、くつがえすことは不可能でしょう。
 それができるとしたら、ティノ。

 ただ、ティノのことを考えるのなら、アリスの提案は悪いものではありません。
 いえ、悪いどころか、彼の人生に道を拓くような、喜ばしいこと。
 ティノがアリスの要請を断ることはないでしょう。

「獣生の終わりに、やっとこ巡ってきたかと思ったのだが。神ならぬ竜がでしゃばってくるとはの」

 上に引き上げてから、一気に落とす。
 最悪です。
 翌日に、アリスが遣って来たときから嫌な予感はしていました。

「頼むしか、無いのかの」

 炎竜に、頭を下げる。
 マルに手段がなくとも、アリスならその限りではありません。
 「最強の三竜」の一角なら、他の竜から助力を得ることも可能。

 もしかしたら。
 アリスも、マルが遣って来るのを待っているのかもしれません。

 魔獣としての矜持きょうじ
 今のマルなら、ゴミのように捨ててしまえる、些細なものですが。
 友達と言ってくれた、ティノの傍らに居る自分。
 それを想像したとき。
 マルの心は決まりました。

「わしをあなどるでないぞ、エーレアリステシアゥナよ」

 「結界」に背を向け、マルは闇に消えてゆきました。
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