竜の庵の聖語使い

風結

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三竜と魔獣

テーブル  暴食竜エーレアリステシアゥナ

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「『倉庫』の、食料庫が空になりました。暴食竜エーレアリステシアゥナ様。どうぞ、食べるのをおやめください」
「あら、マルっころからわたくしの名を聞いたのかしら」

 ーー三つ音。
 昨日は雨が降りましたが、今日は食欲日和です。
 いえ、昨日もアリスの食欲は絶好調でした。

 というか、アリスが遣って来てから一巡り。
 本を読むことと、食べることしかしていません。
 そうでした、もう一つ、ありました。

「……隠しておいたのに、ワインまで空になっていました」
「心配しなくても、適正料金を払ってあげるわよ」

 アリスは、手の届く範囲にいるマルの頭を撫でました。
 すると、マルは上を向き、口を開けます。
 アリスはグラスからワインを一滴。

「これまで酒など飲んだことがないゆえ、いまいちわからんかの」
「……仲良しさんですね」

 ティノの嫌味もどこ飛ぶ風竜。
 アリスは本を読み続けます。

 マルは三日間、ティノと行動をともにしていたのですが。
 毎日、同じことの繰り返しだったので、風通しが良いテーブルの上が定位置になりました。

「ひっひ~、マジュマジュ~、ひまひま、ひっじゅ~、ひっじゅ~」

 アリスとマルの前に料理を置くと、イオリは料理小屋に戻っていきました。
 マルはさっそく、魔獣用の料理にがっつきます。

「しかし、イオリは天才じゃな。魔獣の舌を喜ばせる料理が作れるとはの」

 こちらはアリスと違い、本当に食っちゃ寝生活。
 ある意味、領域で過ごしていた生活に戻ったとも言えます。

「このワイン。自分で飲む為に造っていたわけではないでしょう? 村の為?」
「いえ、『庵』から旅立つときの、旅費にするつもりで造っていました」
「なら、良かったじゃない。このワインの価値がわからない者に売れば買い叩かれるし、このワインの価値がわかる者に売っても買い叩かれるのだもの。私に売って、正解よ」

 グラスのワインを飲み干し、樽から直接、次を注ぎます。
 大きな樽を片手で持ち上げているのですが、もう誰も驚きません。

 ティノが作った木製のお皿やコップと違い、見るからに高価そうなグラス。
 細かな装飾が施されたグラスは、アリスが即興で作った物です。
 技術云々うんぬん以前の、芸術的感性。
 ティノを凹ませて楽しんだアリスは、気前良く人数分、プレゼントしてあげました。

「どちらにしろ買い叩かれるということは、この酒は上等なものなのかの」
「え? んー、それはないと思うけど。自分で言うのも何だけど、僕は完全に素人だし。本に書かれていた通りの味にはならなかったから」

 答えを求め、ティノとマルの目が向かうと。
 やっとこアリスは本から視線を外しました。

「貴重なのは、ワインを造る際に使った果実よ。『僻地』の外では、病気か何かで全滅してしまって、『幻の絶酒』とまで呼ばれているのよ」
「話しぶりからすると、ティノが造ったことに問題があるような気がするかの」
「正解。と言っても、ティノの所為でもないわよ。このワインは、熟練の職人じゃないと平凡な味になってしまう、職人泣かせの代物なのよ。国によっては、失敗したら首を斬られていたらしいわね」

 話し終えてから、アリスはワインを一気に飲み干しました。
 これからの予定を話すには、頃合いでしょうか。
 察したマルも、お皿を舐めるのをやめ、位置に移動しました。

「私が食料庫を空にしたのは、食料を無駄にしない為よ。ティノの『聖語』では、一巡りしか『冷凍』できないのだものね」
「すみません。言っている意味がわかりません」

 珍しく、ティノが拗ねています。
 さすがに、ここまで話さずにいたのは意地悪が過ぎたでしょうか。
 ティノに嫌われるのは本意ではないので、彼が臍を曲げる前にアリスは本題に入りました。

「『聖域テト・ラーナ』に戻るからよ。長く『僻地』から離れるのだもの、食料を残しておいても腐らせてしまうだけでしょう?」
「いえ、アリスさんはそうでしょうけど、僕……は?」

 アリスの言葉を理解できなかったティノですが。
 アリスとマルから、これまでと異なる真剣な眼差しを向けられ、返答に窮してしまいました。

「ティノ。相手の言葉には、もっと注意深く耳を傾けなさい。外の世界には、あなたを嫌う者、あなたを騙そうとする者、あなたを利用する者がいる。善意が悪に向かうこともあれば、悪が被害を少なくすることもあるわ」
「ひっひ~、ひっひ~、たまたま、ひっひ~」
「最後の『イオリ玉』です。冷めない内にどうぞ」
「……とりあえず、座りなさい、ティノ」

 そう命令したアリスですが。
 どうしたものか、視線が「イオリ玉」から離れてくれません。
 ティノは知りませんが、ワインの果実と同様に、「イオリ玉」の材料も「僻地」にしかない特別なものなのです。
 「聖域」には代替の材料があるとはいえ、この味には及びません。

「途中までわしが話してやろう。『イオリ玉』も、最も美味しいときに食べて欲しいはずじゃからの」
「っ!」

 お礼のつもりでしょうか。
 左手でマルを撫でながら、右手で熱々の「イオリ玉」をぱくり。
 子供のような、純真満面な笑顔。
 こんな笑顔を向けられれば、大抵の男なら骨抜きになってしまうところですが。
 ティノはもう見慣れてしまっているので、椅子に座ってアリスを意識から除外しました。

「食料を腐らせる、ということは、ティノが『聖語』を使えない、ということになるかの」
「えっと? なぜ僕が『聖語』を使えないことになるのかな?」
「答えを言うてしまっても良いのじゃがな。先ほどの、エーレアリステシアゥナの言葉を思いだしてみるかの」
「……注意深く耳を傾ける、だよね」

 人づき合いに関しては、「普通」以下のティノ。
 自覚があるのか、まだ不信感はあるようですが、マルの言葉に素直に従います。
 アリスは遠回しに言ったわけでもないので、ティノはすぐに思い違いに気づきました。

「え、あれ? 腐るってことは、僕も『庵』から居なくなる?」
「見知らぬ相手の場合、認識が異なることもあるかの。相手は、言葉を省略することもあれば、独特の言い回しをすることもあるゆえ。イオリや村人との会話に慣れたティノは、そこらに注意しないとじゃな。これよりティノは『聖域』に行くのじゃからの」
「は……?」
「別に強制ではないようじゃが。いずれ旅立つというのであれば、今、『聖域』の学園に入園するのは、丁度良い機会ではないかの」
「ちょっ、待っ、マル……。……頭を整理する時間、ちょうだい」
「たんと考えるが良いかの。ティノの人生なのじゃから、じっくり腰を据えてーー」
「ああ、いえ、『聖域』に行くのは問題ないんだけど。ただ、いきなりだったというか、えっと、『聖域』の学園で働くってことかな?」

 マルは、この先が心配になってしまいました。
 学園に行ってからしばらくは、ティノのかたわらに居たほうが良さそうです。

「ティノ、落ち着くかの。わしは今、言うたじゃろう。学園に入園する、と。ティノは『聖域』の、エーレアリステシアゥナが創った学園に通うのじゃよ」
「……は?」

 再度の、ティノのお間抜け顔。
 どうやらまだかかるようです。
 アリスは読みかけの本を、最後まで読んでしまうことにしました。

 日中は、アリスの目的に適う本を重点的に読み、理解に努めました。
 夜中は、重要度の低い本を「記憶」、ではなく、魔力で「記録」しました。
 如何な竜とて、「施設」の「書庫」の膨大な書物を記憶するのは不可能。

 いずれ、紙か何かに写さないと、方術で記録した内容が失われてしまいます。
 ファルワール・ランティノール。
 彼の遺したものを、そのまま学園にーーというわけにはいきません。

 選別が必要です。
 後戻りができない言語。
 それが、「聖語」です。

 それを理解した上で、ランティノールは「聖語」を創ったのです。
 恐らく、あえてそうしたのでしょう。
 その目的まではわかりませんが、このままでは「原聖語」の時点でーーやっと雛鳥が殻を割る、というところで行き詰まってしまいます。
 それでは面白くありません。

 魔力による方術とは異なる体系。
 こんなものを創りだせる、いえ、創りだせてしまう存在。
 そう考えた瞬間。
 アリスは愉悦ゆえつに近いものを感じました。

 同時に。
 圧しかかってもきます。
 当てが外れました。
 学園の運営に、イオラングリディアの翼を借りようと思っていたのです。
 あと、イオラングリディアを奇貨きかとして、魔竜王マースグリナダにお願いしようと画策していました。

 二竜の力を借りられないとなると、学園での仕事が処理し切れなくなってしまうかもしれません。
 一度、写本を巣穴に持っていったほうが面倒が少ない。
 そこまで考えたところで、アリスは顔を上げました。

「ティノ。あなた学園のことは聞いたわよね」
「え、それは……」
「何? 煮え切らないわね。行くのでしょう? まさか、行かないとでも言うつもり?」
「……はい。行きます」

 なぜかはわかりませんが、どうもティノに覇気がありません。
 ティノにとっても悪い提案ではないはずですが。
 まだ実感が湧かない、或いは食料庫を空にしたことが、そんなにもこたえているのでしょうか。
 とりあえずティノの心情は後回しに、アリスは話を進めました。

「良し。じゃあ、聞くのだけれど。紙を作る『聖語』は知らないかしら?」
「紙、ですか?」

 どうやら、望み薄のようです。
 一巡り、どころか、一日でわかったことですが、ティノは思ったことが顔にですぎます。
 効果はあまり期待できませんが、学園に着くまでに指導することにアリスは決めました。

「そういえば。ティノは『聖語』を覚える際、何で練習していたのかしら? 暗記? 地面に書いていたとかではないのでしょう?」
「あ、はい。ちょっと待っていてください」

 そう言うと、ティノは「庵」に向かい、走ってゆきました。
 最後の一個。
 存分に味わってから、両手でマルを撫で回します。

「学園に行くことしか言うておらんが。は話さなくても良いのかの」
「ティノの頭では、許容量を超えてしまうわ。面倒だけれど、その都度つど話していかないと」
「優しい、と誤解してしまいそうじゃが。面白さを優先ーー悪巧みかの」
「何よ。マルっころだって、わかっていてティノに言っていないじゃない。ーーティノには、人生を謳歌おうかしてもらいましょう」

 反論できないので、マルは尻尾を振って誤魔化しました。
 残念ながら、尻尾を撫でる前にティノが戻ってきたので、アリスは溜め息を一つ。
 ここでの緩やかな生活がアリスの直感を鈍らせていたのですが、どうやら彼女は気づいていないようです。

「これです」
「ただの木の板ーーではないようだの」

 マルが感知したように、アリスも木板から少量の魔力を感じ取りました。
 「聖語」であると同時に、方術の気配も放つ、違和感を伴う代物でした。

「これはーー、『刻印』かしら?」
「はい。二枚の板を貼りつけています。内側に『刻印』を刻んでいます」
「それはわかるわ。でも、それでは、さして『聖語』を保持できないでしょうから、書いたものはすぐに消えてしまうのではないかしら?」
「『刻印』ですけど、『聖語』として刻むのではなく、木の板に、実際に『聖語』を刻んだ、というか、彫ったんです」
「ーー何ですって」

 アリスは許可なくティノから木板を奪い取ると、接着面を方術で無理やり裂きました。
 乱暴なやり口に、ティノとマルは顔を顰めましたが、アリスは見向きもしません。

 ティノの言葉通り、木板の裏には「聖語」が彫ってありました。

「まだここに来たばかりの頃、地面に『聖語』を書いていたら、『お爺さん』が木板の作り方を教えてくれたんです。魔力で簡単に消せますし、便利ですよ」

 アリスはもう、ティノの言葉を聞いていませんでした。
 この時代、紙はまだ貴重です。
 実戦形式の授業にしようと考えていたのですが。
 この木板があれば、基礎の基礎からきちんと仕込んでやることができます。

 ただ、木板には問題が天こ盛り、竜盛りです。
 でも、この利便性には抗いがたいものがあります。
 大きな木板を教室に備えつければ、授業も捗ることでしょう。

「ティノ。あとで話そうと思っていたけれど。これについては今、話すことにしたわ」
「改まってどうしたんですか? 何かありましたか?」

 思った通り、ティノは問題を認識していません。
 「聖語使い」にとっての、「爆弾」。
 アリスは一瞬ですが。
 ティノを本当に「聖域」に連れていって良いものか、迷ってしまいました。

「人種が『魔力』のことを知らないのは、知っているのよね」
「はい。魔力のことを知っている僕からすると不思議に思えますけど、外の世界ではそうみたいですね」
「あのね、『魔力』のことを知らないのは、『聖語使い』も同様なのよ」
「は…て、……え? ……いえいえ、魔力のことを知らないで『聖語』を刻むって、ええ……?」

 ティノが混乱するのも無理はありません。
 幼い頃から知っていた、ただの「常識」。
 ティノにとっては毎日吸っている空気のようなもので、当たり前のことだったのです。

 ランティノールのことを話すのは、時期尚早。
 アリスは「創始」である彼のことを省いて話すことにしました。

「先ず、『聖語』を刻むには少量の魔力が必要。これはわかるわよね」
「それは、はい」
「で、次。刻まれた『聖語』は、様々な効力を発揮する。それは魔力を使っているからーーと、ここまでは良い?」
「はい。『お爺さん』にそう教わりました」
「じゃあ、この話で一番重要なところよ。その『聖語』が発動する為の魔力は、どこから供給されているのかしら?」
「え? どこからって……、『聖語』は『力ある言葉』なんですし、刻んだ『聖語』から発生しているんじゃないですか?」

 薄々、そうではないかと思っていましたが、ランティノールは。
 いったいティノを、どのようにしたかったのでしょう。
 アリスは頭が痛くなってきました。

「理解できなかったとしても、とりあえず話を聞きなさい。刻んだ『聖語』はね、『魔素』を集めているのよ」
「『魔素』、ですか?」
「そう、『魔力』の素となるようなモノ。そんな風に思っておきなさい。私やマルっころが方術を使っているように、魔力を使うこと自体は然程むずかしいことではないのよ。『聖語』は、『魔力を使うこと』を回避しつつ、効力を発揮しているの。それが『力ある言葉』の正体よ」
「はい?」
「急ぎすぎだの。ティノの頭では理解できておらんな」

 どうしたものでしょう。
 これ以上簡単に、と言われても、アリスの手にあまります。
 それでも。
 これから学園で、ティノと同等かそれ以下の生徒にも教える立場。
 ここで投げだすわけにはいきません。

「ティノ。あなたは『脳内聖語』を使っているでしょう」
「……えっと、はい」
「『脳内聖語』が危険なのは、頭の中で『聖語』を刻んでいるから。『聖語』は、『力ある言葉』。つまり、脳内で魔力が発生してしまっているのよ」
「それって、……やっぱり不味いんですか?」
「当たり前よ。私が居るとき以外で『脳内聖語』を使ったら、体の中まで焼いてあげるわ」
「そっちのほうが即死……」
「何?」
「いえ、何でもありません。アリスさんが居る場所でしか『脳内聖語』は使いません。イオラングリディアに誓います」

 いまいち信用できませんが、イオラングリディアに誓ったのであれば。
 アリスもそれで納得するしかありません。

「でね、『聖語』って言うのは、『魔力』のことを知らなくても使えるものなのよ。そういう風に、創られているの。魔力のことを知らなければ、魔力の影響を受けづらい。そういうわけで、魔力のことを知らなければ、『脳内聖語』も魔力の影響を受けづらいから、普通に使うことができるってわけね」

 魔力を知らなくても使える「力」。
 今日の内に、「書庫」にある本をすべて読み終えることができますが。
 ランティノールの日記も含め、彼の真意を知ることは敵わないでしょう。

 巧妙という言葉すら、安易な罠と思えてきてしまうほどの深淵。
 まるで二度と抜けだすことができない迷路に入り込んでしまったかのようです。

 竜である自分にすらわからないもの。
 人種と係わってきた甲斐があるというものです。
 まだ話の途中なので、アリスは炎の猛りを抑えました。

「それって、魔力のことを知っている僕は、不利ってことですか?」
「そうでもないわよ。この木板のように、魔力のことを知っているからこそ、できることもある。というより、『聖語』をこの先に進めるには、魔力のことを知っている者が牽引する必要があるのよ」
「えっと、その牽引するのがアリスさんで、……と、その為に学園を創った、ということですか?」

 やっとこ一段。
 ティノは理解してくれました。
 そうして安堵した瞬間、アリスは思いだしてしまい、怒りが込み上げてきました。

「ま、そういうことね。……でもね、大変だったわよ。結果的には、『聖語使い』たちの為になるっていうのに、『八創家』のあいつら……、どれだけ偉そうで我がままなのよ! 資金も資材もぜんぶこっちで準備するって言っているのに、要求だけはしっかりとしてくるのよ! しかも、気になっている癖して、失敗すると決めつけているし! 特に用事もないのに呼びだしてエロい目で見てくるわで、何度燃やそうと思ったことか!!」
「ひっ!? アリスさんっ、魔力っ魔力っ、どうどうっ、どうどうっ!」
「……私は馬じゃないわよ」
「とうとう、とうとう」
「鶏でもないわよ」

 どうも調子が狂ってしまいます。
 本心を曝けだしてしまうことが、これまで度々ありました。
 「普通」の人種でありながら、竜である自分に正面から向き合ってくれるティノ。

 ーー甘えている。
 そんな可能性など、竜の爪の先ほどもないので、アリスはティノの未熟な魔力操作を指摘することで。
 自覚していない羞恥心を誤魔化しました。

「ティノ。そのへたっぴな魔力操作、もう少しどうにかしなさい」
「あ、はい。アリスさんに焼かれない為にも、魔力を纏えるように努力します」
「そうではなくて。魔力を纏うことも含めて、魔力操作はかなり有用なのよ。『聖語』よりも優先しろ、とは言わないけれど。半周期以内に、戦いながらでも魔力を纏えるようにしておきなさい」
「あー、はい」

 また、です。
 やる気、気概、積極性ーーそういったものがティノから抜け落ちてしまっています。
 アリスと戦ったときのティノは。
 炎竜である自分を楽しませるくらい、炎を猛らせていたというのに。
 こんなことで思い遣っている自分を馬鹿らしく思いながらも、アリスはどうにも気になって仕方がありません。

 直接尋ねれば問題が何かはっきりするのですが。
 竜の誇りがそれを邪魔してしまいます。

 アリスの心情を表すかのように。
 撫でてくる手が優しくなかったので。
 見兼ねたマルは、助け舟をだすことにしました。

「ティノから聞いたのだがの。ティノの目的は、イオリの『竜の力』を取り戻すこと。その為に、一生懸命『聖語』を鍛錬していたようじゃな。じゃが、魔竜王に会わば、『竜の力』を返してもらえるそうな。ーーぶっちゃけ、『聖語』を鍛錬する理由がなくなったかの」
「……っ!?」

 その認識は、アリスの頭の中から、すっぽりと抜け落ちていました。
 考えてみれば、当然のことです。

 何ということでしょう。
 ティノの「人生の目標」。
 その為の解決方法を提示したのは、アリス自身です。
 つまり、自業自得、とも言えます。

 呆れるほど簡単な「答え」を、アリスは放置し、読書と暴食に明け暮れていたのです。
 このままでは、アリスの計画が頓挫とんざしてしまうかもしれません。

 でも、アリスーーエーレアリステシアゥナは大陸マースに名を轟かせる炎竜。
 竜ですら、畏怖と敬意を籠め、彼女の名を呼びます。
 こんなところで挫けて良いはずがありません。

 竜の叡智は、一瞬にも満たない時間で答えを弾きだします。
 大人げないと自覚しつつ、アリスは事態の打開の為に、問答無用で竜の息吹のごとく言い放ちました。

「学園に行かないというのなら、マースグリナダに会わせてあげない! というか、邪魔してやるわ!」
「なっ!? くっ、何て卑劣な! 悪竜っ! 邪竜っ! 暴食竜!!」
「ひっ、ふひひっ、何とでも言うが良いわ! 明日の朝、出発なのだから、さっさと準備に取りかかりなさい!」
「んぎっ!? アリスのっ、熾火~~っっ!!」
「この餓鬼っ、また言ったわね!!」

 子供の喧嘩の始まりです。
 逃げるティノと、追いかけるアリス。

「まるで仲の良い姉妹のようかの」

 のんきに見守っていたマルですが。
 こちらも食っちゃ寝生活で、魔獣の本能が鈍っていました。
 恐怖の「魔の手」、ではなく、「竜の顔」が迫ってきていることに気づけませんでした。

「な~でう~、な~でう~、りゅーもり、な~でう~」
「ワヲっ!?」

 横から押されたマルは。
 急所であるお腹を竜顔でぐりぐりされます。

 こうしてやっとこ出発となる一行ですが。
 先が思い遣られて仕方がありません。

 春の日差しが降り注ぐ、優しい世界にーー。
 人種と魔獣の悲鳴が響き渡ったのでした。
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