竜の庵の聖語使い

風結

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聖休と陰謀

学園長室  作戦会議と報告

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「ぷぅ」
「ふっくらと焼き上げるわよ」

 ティノが拗ねていたので、威嚇してみましたが効果は薄いようです。
 とりあえず、アリスはティノを無視して状況を整理することにしました。

 結局、ティノは。
 ーーエルラ・ダーシュ。
 事情はおろか、彼の名前も聞きだしていませんでした。

 尋問を行う必要もなく、エルラは時間を惜しむように告白を始めました。
 父親が「聖域テト・ラーナ」を追放になるほどの大罪を犯したこと。
 それを見逃す代わりに、裏で「仕事」をしてきたこと。

 父親が亡くなり、自由を得る為の最後の「仕事」であること。
 家族を人質に取られていること。
 命令している者の正体も、家族の居場所もわからないこと。

 アリスが張っておいた網にかかったーーある意味、被害者えもの
 そう、アリスにとって都合の良い、「人手」が向こうから遣って来てくれたのです。

 ーー人手不足。
 竜だから問題ありませんが。
 この一星巡り、アリスは働き詰めの毎日でした。

 人間なら、五回ほど過労で死んでいるくらいの仕事量です。
 好い加減、休みたい。
 当然、貴重な人材をアリスが逃すはずありません。
 それと。
 モロウとガロ、エルラの家族が居れば。
 母親一人が子供たちの面倒を見ることで、二人の手が空きます。

 ただ、懸念事項が一つ。
 それがティノであることは、言を俟ちません。
 どうしたものでしょう。
 ティノのことだから、複雑なことは考えていない。
 アリスは正攻法で攻めることにしました。

「ティノ。わかっているわよね? これからエルラの家族を救出してくるのよ?」
「ぷぅぷぅ。わかっていますよ。行ってきますよ。できることはやってきますよ」
「なら、いつまでも膨れていないで。拗ねている理由を説明しなさい。でないと、そのたくさん空気が詰まった頬を、ぐりぐりするわよ」

 「ぐりぐり」はされたくなかったのか、ティノは口からぷしゅ~と空気を漏らします。
 その次に口から漏れたのは、たまりたまった鬱憤、不平不満でした。

「この一星巡り、ずっと、アリスさんのお手伝いをしてきました。皆は楽しそうにしているのに、あまった時間はぜんぶ、アリスさんのお手伝いをしてきました」
「何よ、同じことを二度も言って。それに、『聖語』の鍛錬なら授業中にやっているでしょう? 今周期に、ティノが学園で学ぶことなんてないのだから」
「ぷぅ~」

 どうやら言及しないわけにはいかないようです。
 面倒だから回避したかったのですが、仕方がありません。
 時間節約の為に。
 こちらも、アリスは正面から炎をぶつけることにしました。

「な~に? そんなにイオリと居る時間が減るのが嫌なの?」
「今日、学園に戻って来てから、イオリに会えていません。イオリに贈り物ができていません。イオリは今日、『お泊まりの日』なので、今日はもう会えないことは決定です。救出が長引けば、明日の朝も会えないかもしれません。……アリスさんの所為です。イオリと一緒に居られる時間が、『庵』に居たときよりも格段に減ってしまいました」

 重症です。
 「イオリ欠乏症」の重篤患者です。
 これはもう、正攻法は諦め、アリスは幾つか段階をすっ飛ばすことにしました。

 ーーエルラの表情。
 竜であるアリスの感覚から逃れることなどできません。

 イオリは今日、「お泊まりの日」なので、男子寮ーーティノの部屋ではなく、女子寮で一泊。
 「お泊まりの日」のことを知っているのは女生徒、もといティノと女生徒だけですので、情報を漏らしたのは男子生徒の誰かーーということになります。

「エルラに命令した者の目的は、学園だけでなく『聖域』でも珍しい、『聖人形ワヤン・クリ』であるイオリね。でも残念、今日イオリは男子寮ではなく女子寮にいるのよ」
「はい。私が忍び込んだのは、『聖人形』を……」
「え? イオリを狙っていたんですか? ーーはい、わかりました、殺しましょう。いえ、駄目ですね、痛覚を具えて生まれてきたことを後悔するくらい、自分が如何に度し難いことを仕でかしたのかを骨の髄までわからせてからでないと、やっぱり殺しては駄目ですよね?」
「ひぃっ!?」

 竜が認めてしまうくらい、ティノの眼光に、一切の偽りは含まれていませんでした。
 「聖域」始まって以来の、大量猟奇殺人。
 最初の犠牲者が生まれる前に、アリスは左右の「五指」で「聖語」を刻みます。

「『束縛バインド』」
「『風刺ピアース』っ!!」

 所詮、多勢に無勢。
 十本の光の紐と、風の一刺し。
 別に一本だけなら切られても良かったのですが。
 生意気にも複数本を同時に切ろうとしてきたので、アリスは「光紐」を操作し、すべて躱してやりました。

「ふふん?」
「むぐ~っ、むぐ~っ、……ぅ~」

 体に手足、口まで塞がれ、陸に上がった魚の魔物のように跳ね回っていたティノですが。
 アリスが勝ち誇ると、やっと自分の立場を理解したのか、炎竜の前の仔犬のようにいじらしく、ではなく、大人しくなりました。

「な……、『五指』…だと? そんな……、『三指』が限界のはず……?」
「ただの『積刻』よ。『聖語』同士が触れ合ってはならないというのは、技術が未熟な者の言い訳に過ぎないわ。あと、ティノが使っていたのは『刻印』と『復刻』で、ティノは『魔毒者』ではないわ。ーーそれよりも、他に気にしなくてはいけないことがあるのではなくて?」

 効率を重視し、エルラに水竜を差し向けました。
 「聖語」の技術だけでなく知能もそこそこ。
 アリスの見立て通り、早急に取りかからなければいけない案件に、エルラは気づきます。

「そうだった! 私には監視がついていたのだ! 今すぐにでも……」
「それなら問題ないわ。ティノの傍に、マルっころが居ないでしょう?」
「……マルッコロ?」

 仔犬の『聖人形』の情報は持っていなかったようで、エルラは眉をひそめました。
 自分で説明するのも芸がないので、アリスはモロウを一瞥。

「そういえば、ティノ君といつも一緒にいる、マルが見当たりません。となると、、なのでしょうか」
「正解。あなたたちのところへ向かう前に、エルラに監視がついていることを予見し、ティノはマルっころを向かわせたのよ。今頃、その監視役と一緒に、ティノが遣って来るのを尻尾をふって待っているわ」

 衝撃の事実。
 まだ少年であるというのに、その才知たるや如何ばかりか。
 半信半疑だったモロウとエルラが息を呑み、アリスの言葉を理解できなかったガロが首を傾げました。

「ぷぅ」

 アリスがティノの光紐を解くと。
 炎竜に騙された氷竜のような顔になりました。
 言わずもがなのことですが。
 普通の少年であるティノに、そこまでの機転は利きません。

 監視役を発見したマルが、自分から捕縛に向かったのです。
 でも、『聖人形』という触れ込みのマルが、自由意志を具えている、などとは言えないので、ティノはへちゃむくれの顔。
 ここで笑ってはいけません。
 へちゃむくれでも愛嬌があるティノの姿に、どうしたものかアリスが迷っていると、彼のほうから要求してきました。

「アリスさん。僕は馬鹿なんです。エルラさんの家族の命が懸かっているんですから、作戦はアリスさんが立案してください」
「まぁ、それくらいのことはしてあげるわ。ーーエルラ。あなたは『聖人形イオリ』の誘拐にから、所定の場所でイオリを引き渡しなさい」
「ーーよろしいのですか?」

 アリスとティノの遣り取りから、エルラは二人の関係性と立場を知ります。
 エルラは敬語を用いることで、アリスへの服従を誓いました。
 賢明なあるじには、これで十分。
 エルラは、渦巻いては軋む、残りのすべての想いを大切な家族に向けます。

「イオリをどうにかできる者など、この『聖域』には一人もいないわ。また、イオリが『聖域』のどこにいても、ティノが気づく。つまり、何も問題がないということよ」

 のっそりと、やっとこティノが立ち上がったので、アリスは。
 身の内に大炎を猛らすエルラに告げました。

「エルラ。もし相手が、あなたの家族を手にかけたなら。首謀者を燃やし尽くして構わない。このアリス・ランティノールが許してあげる」
「……いえっ、いいえっ!」

 アリスの言葉に打たれ、彼女を凝視したエルラは。
 大炎を噛み砕くが如く、アリスの提案を拒絶しました。

 その涙は、自分の為に流されたものではありません。
 ただただ、大切な者の為だけに。
 アリスは、竜にはない人種の輝きを、強さを正面から受け留めます。

「……妻は、私にはもったいないくらい、心優しく、……我が子、ティルも、妻に似たのか、草花を慈しむ優しい子です。二人は、……きっと、私が復讐することを望みません。……だからっ、だから! お願いします! そのときはっ、そのときにはっ、適切な法による裁きを!!」

 微温湯で育った「聖語使い」たち。
 それでも、そこから弾かれる者はいて。
 優しさの上に、強さを積み重ねることもできます。
 同時に。
 弱さを積み重ねてしまうのもまた、人種のさが

「マースグリナダの名に誓い、アリス・ランティノールが聞き届けた。ーーそのときがあったなら。首謀者を『聖域』より追放する」

 人種の、その両面を愛するアリスは。
 竜の威厳を宿し、約しました。
 それから。
 確かめるまでもありませんでしたが、責任者として尋ねておきます。

「モロウ、ガロ。学園には私が居るから、問題ないわ。それで、どうするのかしら?」
「許可をいただけるのであれば、悪人を成敗してきます」
「そうだぜ! 家族を人質に取るなんざ、許しちゃおけねぇ!!」

 即答。
 マルが待ち草臥れているので、早々に四人を部屋から追いだそうとしたところーー。
 思いだしてしまいました。
 これ以上、先延ばしにして仕事を溜めたくないので、この度も水竜にお仕事を発注。

「モロウ、ガロ。あなたたちのファミリーネームーー一家の名を登録しないといけないのを忘れていたわ。今すぐ決めなさい」
「え、あ…、今ですか?」
「うしっ! モロウっ、任せた!」
「……学園長。お願いします」

 お願いされてしまいました。
 本来なら、そんな重要つ面倒臭いことを頼まれても困るのですが。
 しかし、本竜にも意外なことに、すんなりと二人の家名は決まりました。

「じゃあ、モロウは。ーーモロウ・マースグ。それと、ガロは。ーーガロ・グリナダ」
「モロウ・マースグ。ーー格調高い、良い家名です。ありがとうございます」
「うんうん、そうでしょう、そうでしょう」
「ガロ・グリナダって、うぉ~っ! 格好いいぜ!!」
「そうそう、わかっているじゃない、わかっているじゃない」

 ーーマースグリナダ。
 最愛の竜が褒められ、上機嫌のアリス。
 ティノが半笑いの顔でなければ完璧だったのですが。
 竜の機嫌を損ねる不届き者。
 そろそろ折檻が必要かと、アリスが「聖語」を刻もうとしたところで、モロウに機先を制されてしまいました。

「あの、学園長。は似合っていますが、その恰好で学園生の前に出るのはお控えください。その……、我々でも目のやり場に困るので」
「あら? コレ、駄目なの?」

 アリスは、長いスカートをつかみ、フリフリしました。
 スカートを、長い脚の影が揺れます。

 スカートの前面には薄い布が重ねられ、薄っすらと足が見えているのです。
 はっきりとは見えていませんが、大事な部分まで切り上がっています。

「今日は、『八創家』の連中と会ってきたのよ。こんなもので交渉が上手くいくなら、幾らでも着てあげるわよ」

 この服は、アガールの新作です。
 欲望と才能の結晶。
 良くも悪くも、アリスの魅力を引きだしています。
 そんな魅力的な炎竜の脚には目もくれず、アリスの首元を見ながらティノは嫌味を言いました。

「ぷぅ。ずっこいです。アリスさんもマルから毛を贈ってもらって、マフラー作って。暑くないんですか? 汗疹あせもになって痒くなってください」
「そんなもの、幾らでも調節できるわよ。それに、私の容姿は公共物だって言ったでしょう? 公共物は労わりなさい。それにね、思っていた通り、極上の手触りよ」

 マルの腹毛。
 イオリが気に入っていたので、もしやと思い、マルの首輪に方術を施す対価としてもらいましたが。
 珍重な魔狼の毛。
 これは「聖銀貨」百枚でも買えない、価値のある代物です。

 マフラーか枕にしようか迷いましたが、マフラーのほうが常時感触を楽しめるので、決定しました。
 「八創家」の「会議」から戻り、マル毛を入手。
 仕事は後回しに。
 方術を使い、半時で編み上げました。

「ぷぅ、ぷぅ、ぷぅ」
「あー、もう、ぷぅぷぅ、うるさいわね。と、そうだった。エルラ、顔の傷を治すわよ」
「いえ、これは私の弱さの証しとしてこのままに……」
「アホウ。そんなものは心に刻んでおけば十分よ。これだから男ってヤツは。今、治すからじっとしていなさい」

 問答無用で「大治癒スポンテニアス」を発動。
 エルラが情けない顔をしていますが、そんなことは知ったことではありません。
 ついでに、「聖語」を刻むふりをしながら、モロウに方術を行使します。

「モロウ。『増血』をしておいたから、今日は動いても大丈夫よ。ただ、体への負担を考慮し、明日は休みなさい」
「あ、と? ありがとうございます……?」

 信じられないのか、ポカンとした顔で体を動かし、状態を確かめるモロウ。
 まだ仕事も、の用事も残っているので、アリスはとっとと男どもを部屋から追いだしました。

 部屋の扉が閉まった刹那に。
 壁に寄りかかっていたベズは「隠蔽」を解き、姿を現します。

「本当に、ティノ君は面白い。人種には感知できない『隠蔽』を行使したというのに、部屋に入ってきた彼は、私を瞥見べっけんした」
「私を含めてのことだけれど。竜は、自身の力を過信しがちなのよ。ティノはイオリを、イオラングリディアを、ーー竜を、魂から求めている。ティノに限らず、そうした人種の力は。あなたなら知っているでしょう?」

 アリスと同じく、人種と、亜人と係わってきた竜。
 変わり者。
 その中でも、取り分けて数が少ない「分化」したベズ。

「彼らだけで、行かせて良かったのか?」
「わかっていることを、いちいち聞かないで。子供っていうのはね、何でも先回りしてやってあげていると、何もできない大人に育つのよ。ーー私たちは竜。過度の干渉が何をもたらすか、知らないわけがないでしょう」

 アリスとて失敗したことはあります。
 人種と係わり始めた頃。
 彼らが失敗しないように助けてあげていました。

 嬉しかった。
 頼ってもらえることが。
 皆が笑顔であることが。

 その結果はーー。
 際限のない肥大。
 責任感の欠如。

 助けてくれないアリスを、皆がなじりました。
 このままでは駄目だと。
 懸命に訴えるアリスを、皆で追いだしました。

 竜の智慧。
 そこから得られる知識で、わかっていたことです。
 竜という異物。
 それでも皆と一緒に居たかったから。

 皆とは一緒に居られなくなってしまいました。

「それで、何? 世間話でもしに来たの? ティノは拗ねているし、今日は『フラー』しか良いことがなくて疲れているのよ」
「『魔フラー』? ーーなるほど。マル殿の魔力が程好い刺激になっているということか。それと、『魔』と『フラー』の『喝采』をかけて……」
「そこはスルーしなさい」
「了承した。忙しいのは私とて同じこと。侵入者の一件の確認と、学園長から頼まれていたことの報告に遣って来た」

 ーー報告。
 ここでベズの顔を見るようなヘマをしてはいけません。
 そんなことをすれば。
 何をベズに頼んだのか、覚えていないことがバレてしまうからです。

 一呼吸分、アリスは考えました。
 竜の能力をフル活用し、ありとあらゆる可能性を吟味しました。
 そんなわけで、まったく思い当たる節がなかったので、鎌をかけることに決定。

「忙しいって、何をしているのよ?」
「頼まれたイオリの調査だけでなく、『聖板』や『黒板』の改良、書庫に置く本の選定ーーと、そうだった。写本の供給が遅れている。エーレアリステシアゥナの手にあまるのであれば、私がやっておく。原本を渡してくれ」

 そうでした。
 そちらの問題もありました。
 アリスの頭の中に案件が追加され、心がまた一つ、重くなりました。

 ランティノールの遺産。
 「聖語」に関し、ベズより優位に立てる数少ない事柄なので。
 ここで秘密を明かすのは上手くありません。
 その為に、早々に休み(写本の作製の為に塒に向かう)を確保しないといけません。
 本当に。
 エルラの家族には無事でいてもらわないと困ります。

「イオリのことで、何かわかったのかしら?」

 幸い、ベズから頼み事の内容を引きだせたものの、結局覚えがないので、そこはもう考えないことにしました。
 でも、もっけの幸い。
 イオリの調査。
 必要だとわかっていながら、忙しさのあまり、おざなりにしていた事柄です。
 そんなアリスの内心の葛藤に気づくことなく、ベズは淡々と話し始めました。

「今はまだ、本格的な調査は行っていない。その前の段階だ。ーーそこで先ず、エーレアリステシアゥナに尋ねる。イオラングリディア固有の能力である、『移譲』を欲しいと思うか?」
「いいえ、要らないわね。逆の、相手の魔力を奪う能力だったら考えなくもないけれど。そちらも別に欲しくはないわ」

 魔力を受け渡す。
 それだけならば、「移譲」を使わずとも可能です。
 ただ、それだと使えるのは一回こっきり。
 「移譲」は魔力が回復すれば何度でも使用が可能です。

 「移譲」は有用な能力ですが。
 絶対の能力ではありません。
 複数の竜が「受け渡し」を行えば、「移譲」に対抗できます。

 竜は、自分の能力と力に、絶対の自信を持っています。
 それは魂に刻まれた、竜の有様でもあります。
 それゆえに、他竜に魔力を渡したり、他竜から魔力を奪ったりといった行為を、竜は好みません。

 古竜は、「竜の魂」の軛から解放され、「個性」と呼べるものを獲得しました。
 そうして、固有の能力を発現する者も現れます。
 大抵の竜は。
 それら固有の能力を望んで得るのではなく、能力を使ったあと、いつの間にか獲得していたことに気づくのです。

 望んで固有能力を得た竜は、アリスやヴァレイスナといった、ごく一部の竜のみ。
 竜の性質に鑑み、イオラングリディアが「移譲」を望んで獲得したとは思えません。

「私も、『移譲』の能力が欲しいとは思えない。そこで、発想の転換だ。『移譲』とは、目的ではなく手段である可能性」
「ーー手段?」

 アリスはベズに視線を向けましたが、彼は沈黙で応えます。
 言わずともわかるーーということのようです。

 確かに。
 必要な欠片を集めてみれば、自ずと答えに行き着きます。

 イオリ。

 そう、イオラングリディアは「移譲」を使うことで、イオリになったのです。

「そういうことね。『移譲』は手段で、目的は『イオリ』になること。もっと言うと、人種や亜人と接触する前の状態に戻る。そしてもう一つがーー」
「『分化』する前の状態に戻る。つまり、再び男か女を選ぶ機会が得られる。ただ、本当に前回とは異なる『男』を選べるのか、魔竜王から魔力を返却されればイオラングリディアに戻るのか、何度でも『イオリ』になれるのか、ーーまだまだわからないことだらけだ」

 答え合わせ。
 アリスもベズと同じ回答に辿り着きました。

 イオラングリディアーー仲良くなれなかった竜。
 それだけでなく、一見まともに見えて、竜の根本すら変えてしまう変竜、或いは珍竜。
 本当に、訳がわからない地竜です。

「私は『分化』したことを悔いていない。それどころか、誇りに思っているくらいよ」

 マースグリナダ。
 特に何かがあったわけではありません。
 スグリを見ていて、自然とそうなってしまいました。

 スグリの魂に触れ、「女性体」となったのなら。
 スグリはきっと「男性体」になる。
 アリスはそう信じています。

 そしてそれは、半分当たっています。
 スグリがアリスと共に在りたいと願い「分化」したなら、スグリは「男性体」となります。
 でも、今のスグリにとって、アリスは数多くいる竜の中の一竜に過ぎません。
 アリスはアリスで、ティノに呆れられるほどなので。
 これは、長くて永い、「初恋」になりそうな予感がしてきます。

「それは私も同様。『分化』するということは、それ即ち、自身の魂の肯定のようなものだ。それは断じて、拒絶すべきものではない。ーーと、言ってみたところで始まらない。そこでエーレアリステシアゥナに聞きたい。イオラングリディアが『移譲』を行使したあとのことだ」
「『移譲』のあとーー?」

 何も言わず、去っていった地竜。
 今でも、まざまざと思いだすことができます。
 そこで。
 アリスはおかしな点に気づきました。

「ちょっと待って……? あのとき、イオラングリディアは『イオリ』になっていなかったわ。大半の力をーー魔力を失ってはいたみたいだけれど」
「『イオリ』になるまでに、猶予があったのかもしれない。ーーここでもう一竜、ではなく一人、『イオリ』に絡んでくる者がいる。それが、ランティノールだ」
「ーーファルワール・ランティノール」

 また、厄介な人物が絡んできました。
 如何な「創始」の「聖語使い」、「天を焦がす才能」の持ち主だったとしても、竜の能力に介在することは不可能でしょう。
 でも、ランティノールと「イオリ」は、「僻地」で一緒に過ごしていました。
 そこには当然、何かしらのつながりがあるはずです。

「ふぅー、わからないわね。『移譲』を行ったのは、ランティノールが生まれる前。猶予があると言っても、『亜人戦争』のあとまで『イオリ』にならずにいられたとは到底思えないわ」

 あの地竜のこと。
 何か理由があって、ランティノールを選んだはず。
 ただの偶然ではないでしょう。

 しくじりました。
 一巡りの休暇を楽しんでいないで、もっと「研究所」のことを調べておけば良かった。
 アリスは後悔しましたが、竜の祭りです。

「一周期後に魔竜王が学園に来てから、本格的な調査を始める。彼の竜は、魔力操作に長けていると聞く。地竜は分析が得意だ。私の役割は、それまでの地均じならしだ」

 これで報告は終わりーーかと思いましたが、ベズは学園長室を辞さず、その場で沈思黙考。
 その姿を見て、アリスは懸念事項があったことを思いだしました。

「イオリ、そうよ、イオリのことよ。あの『へんて仔』、私の塒まで落っこちて、短時間で戻ってきたのよ。しかも、私に気づかれることなくよ」

 昼は、忙しさからうっちゃってしまいましたが。
 思い返してみれば、かなり奇妙で、奇怪なことです。
 アリスはそこで、それらを可能たらしめる存在に思い至りますが、共犯者ベズ(?)は自白ーーしませんでした。

「イオリが戻ってこられたのは、『黒い魔力』に乗ってきたからだろう。エーレアリステシアゥナが『結界』で『感知』できなかったのも、同様であると推測する」
「『黒い魔力』? それって、スグリが言っていたヤツよね。それって結局、何なの?」
「私も以前、一度見たことがあるだけだ。調べる間もなく消えてしまった。幾つかわかることがある。あの『黒い魔力』は、竜を傷つけるほどの物ではない。実際、イオリは無事だった。ただ、人種や魔物であれば、一溜まりもないだろう」

 「黒い魔力」。
 忽せにできない事柄ですが、今のアリスにはどうしようもありません。
 スグリに任せるほかなく、「聖域」もベズが居るので危険に晒されることはないでしょう。

「まぁ、そこらは任せるわ。それと写本の件は、一巡り以内にどうにかするとして、あとはーー」

 正直、嫌な予感しかしません。
 もう用事はないはずなのに、ベズはまだ部屋を辞す気配を見せていません。
 これは態とでしょう。
 面倒になったアリスが話しかけようとしたところで、ベズは薄く笑みを浮かべ、口火を切ります。

「私は今日、イオリから宝物をーー贈り物をもらった」
「で、何? それがどうしたっていうのよ。というか、他にも何か見つけていたのなら、どうして私に言わないのかしら」

 疑心暗竜になっているアリスに、ベズは。
 さらに炎をべた、閃火せんかを放ちました。

「それを不思議に思い、私はイオリに聞いてみた。私とエーレアリステシアゥナが戦ったなら、どちらを応援するのかと」
「……で、どっちだったのよ」

 嫌味ったらしいにも程があります。
 何のつもりでしょうか。
 ベズらしくない。
 そう思ったアリアスですが、同時に。
 短いつき合いですが、意味のないことをする竜ではないことも理解しています。

「学園長は、イオリと中央地域にでかけ、様々な料理を食べさせた。だがそれは、自身の食生活を向上させる為の、『自分の為の』行為だ。恐らくそれが、イオリに見透かされているのだろう。私はそういった利己を排し、純粋にイオリと遊んでいる」
あそ……、って、イオリと、それ、マジ…?」
「イオリと遊ぶのは楽しい。そのことがイオリにも伝わっているようで、イオリも楽しそうにしている」

 本当に、何を企んでいるのでしょうか。
 結局、イオリがどちらを応援すると言ったのか、ベズは明言していません。
 でも、アリスのほうから尋ねるのは。
 何だか負けを認めたような気がして気に食わない、というか、好みではありません。

「どちらを応援するのか。その答えが知りたいのであれば、イオリから直接聞けば良い」
「夢に見るほど燃やすわよ」

 須臾。
 部屋の内にある物の半分が蒸発しました。
 方術で「強化」していてもこれです。

 ティノですら裸足で逃げだす、極炎。
 世界を灼くような果ての光景。
 そんな中。
 髪の一本も焼かれることなく、ベズは自分の「甘さ」を赤裸々に語りました。

「炎竜であれば。戦いとなれば、相手が何者であろうと自身の存在を懸け、敵を焼くだろう。だが、地竜である私は、そうはいかない。ともに過ごす時間が長くなればなるほど、『情』が邪魔をする。ゆえに、折に触れ、学園長が『敵』であることを認識するよう、魂に刻んでおく必要がある」
「……ちょっと待ちなさい。それって、ティノたちが卒園するまで、を続けるってこと?」
「ああ、私との戦いを了承した以上、私が全力で戦えるよう、私の揶揄からかいの対象となってもらう。これはエーレアリステシアゥナの義務だ」
「あー、もう、勝手にしなさい」

 そんなわけで、鎮火。
 部屋が酷い有様です。

「心配いらない。仕事に関係のあるものは、事前に私が方術をかけておいた」
「何で地竜って、こんな変なのばっかりなのよ」
「そうでもない。私やイオラングリディア、それとイオリがおかしいだけで、通常の地竜は、竜の中でも良識的なーー詰まらない部類だ」
「そんなこと知っているわよ。いちいち言わなくて良いわよ。それより……」
「わかっている。顔も見たくないのだろう。く消えるとしよう」

 言うが早いか、忽然と姿を消すベズ。
 やられました。
 どうやらこれも、アリスへの攻撃いやがらせだったようです。

 部屋のお片づけ。
 燃やしたのはアリスなのですから、自分でお掃除、それから蒸発した物の補充はアリスがしないといけません。
 仕事が増えてしまいました。

「……ボコる」

 そうしてアリスは。
 今すぐベズをボコることができないので。
 頭を冷やす為に夜風に当たりにーー運の悪い竜が飛んでいることを願い、壊れた窓から飛び立ったのでした。
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あの夏、ぼくたちは“本”の中にいた。 夏休みのある日。図書館で宿題をしていた「チハル」と「レン」は、『なんでも願いが叶う本』を探している少女「マリン」と出会う。 空想めいた話しに興味を抱いた二人は本探しを手伝うことに。 三人は図書館の立入禁止の先にある地下室で、光を放つ不思議な一冊の本を見つける。 手に取ろうとした瞬間、なんとその本の中に吸いこまれてしまう。 気がつくとそこは、幼い頃に読んだことがある児童文学作品の世界だった。 現実世界に戻る手がかりもないまま、チハルたちは作中の主人公のように物語を進める――ページをめくるように、様々な『物語の世界』をめぐることになる。 やがて、ある『未完の物語の世界』に辿り着き、そこでマリンが叶えたかった願いとは―― 大切なものは物語の中で、ずっと待っていた。

レイルーク公爵令息は誰の手を取るのか

宮崎世絆
児童書・童話
うたた寝していただけなのに異世界転生してしまった。 公爵家の長男レイルーク・アームストロングとして。 あまりにも美しい容姿に高い魔力。テンプレな好条件に「僕って何かの主人公なのかな?」と困惑するレイルーク。 溺愛してくる両親や義姉に見守られ、心身ともに成長していくレイルーク。 アームストロング公爵の他に三つの公爵家があり、それぞれ才色兼備なご令嬢三人も素直で温厚篤実なレイルークに心奪われ、三人共々婚約を申し出る始末。 十五歳になり、高い魔力を持つ者のみが通える魔術学園に入学する事になったレイルーク。 しかし、その学園はかなり特殊な学園だった。 全員見た目を変えて通わなければならず、性格まで変わって入学する生徒もいるというのだ。 「みんな全然見た目が違うし、性格まで変えてるからもう誰が誰だか分からないな。……でも、学園生活にそんなの関係ないよね? せっかく転生してここまで頑張って来たんだし。正体がバレないように気をつけつつ、学園生活を思いっきり楽しむぞ!!」 果たしてレイルークは正体がバレる事なく無事卒業出来るのだろうか?  そしてレイルークは誰かと恋に落ちることが、果たしてあるのか? レイルークは誰の手(恋)をとるのか。 これはレイルークの半生を描いた成長物語。兼、恋愛物語である(多分) ⚠︎ この物語は『レティシア公爵令嬢は誰の手を取るのか』の主人公の性別を逆転した作品です。 物語進行は同じなのに、主人公が違うとどれ程内容が変わるのか? を検証したくて執筆しました。 『アラサーと高校生』の年齢差や性別による『性格のギャップ』を楽しんで頂けたらと思っております。 ただし、この作品は中高生向けに執筆しており、高学年向け児童書扱いです。なのでレティシアと違いまともな主人公です。 一部の登場人物も性別が逆転していますので、全く同じに物語が進行するか正直分かりません。 もしかしたら学園編からは全く違う内容になる……のか、ならない?(そもそも学園編まで書ける?!)のか……。 かなり見切り発車ですが、宜しくお願いします。

独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。

猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

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