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聖休と陰謀
応接室 サロウ・ダナの困惑
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「ふぅ~」
使用人から報告を受け、ここまで走ってきました。
「八創家」の「筆頭」。
何より、大切な息子たちの父。
なればこそ、無様な姿を見せるわけにはいきません。
急いた心を落ち着かせ、使用人に合図を送ります。
中途半端に開いていた扉が開かれ、ダナはゆっくりと歩いてゆきました。
そして。
信頼するシーソニアの当主に、困惑した表情を向けます。
「……ジジよ。トロウとカロウは何をしているのだ?」
「ダナ様。避けがたい、どうにもならない不幸が発生いたしました」
「……そうか」
大方クロウに駆け寄ろうとした二人が先を争い、ぶつかるか何かしたのでしょう。
でも、二人の気持ちもわからなくはありません。
ダナ家の宝物。
クロウが四星巡りぶりに帰ってきたのです。
「父様っ!」
「おお、クロウ!」
クロウに駆け寄りたい気持ちを抑え、大事な息子を待ち受けます。
胸に飛び込んできた息子を抱き締め、頭を撫でてやります。
「身長はーー、あまり伸びておらんな。顔つきは、少し精悍になったようだ」
「はは、父様。邸をでてから、四星巡りしか経っていませんよ」
「いや、短い期間でも変わるのが、男というものだ。顔を見ればわかる。学園で様々に学んできたのだろう」
このまま一日中でも息子を抱き締めていたいところですが、客人を待たせるわけにはいきません。
クロウの肩に手を置き、ゆっくりと引き離してから、ティノと正面から相対します。
「クロウが男友達を連れてくるとは、嬉しいことだ。私は、サロウ・ダナ。是非とも、クロウと仲良くしてやってくれたまえ」
「初めまして、ダナ様。クロウの知り合いの、ラン・ティノです。お会いできて嬉しいです」
ダナは。
次に何を言うべきか、迷ってしまいました。
事前に、学園のーー特にアリスやベズ、ティノの情報を重点的に集めさせました。
情報通り、ティノを男扱いしたので、好印象だったようです。
そうでありながら、クロウのことを「知り合い」と嘘を吐き、牽制してきました。
ーーアリス・ランティノールの妹、ではなく、弟。
やはり、一筋縄ではいかないようです。
ここは駆け引きなど行わず、招き入れたほうが良い。
ダナがそう考えたところで、真剣な表情をしたジジが提案してきました。
「ダナ様。どうか、私を護衛としてお傍に」
どうやら、非礼を承知しての献言のようです。
客人の前での無礼ですが。
ティノに、気分を害した様子は見られません。
そう長く迷ってはいられません。
ーークロウの友人。
結局、それが決め手となりました。
最大限、ジジの言葉を尊重。
その上で、客人でありクロウの友人であるティノを優先することにしました。
目線でそのことを伝えると、ジジは頭を垂れました。
ジジがここまで警戒する相手。
気を引き締めなければいけないようです。
「それでは、ティノ君。応接室まで御足労願えるかな。少し、話をしよう」
「はい」
「ワン」
ティノの肩にいる「聖人形」も返事をしてきました。
残念ながら、人型の「イオリ」は見当たりません。
「父様っ」
「どうかしたか、クロウ?」
「いえ、その、……どうか、お気をつけて」
「あ、ああ……、留意しておこう」
ダナは、少しだけ不安になってきました。
ジジだけでなく、クロウまで。
周囲を見てみれば、使用人たちが普段見せないような顔をしています。
まるで戦場に向かう主君の武運を祈っているかのようです。
警固がし易い。
普段使用している二階の応接室ではなく、一階の部屋を使用することにしました。
使用人が扉を開け、室内を確認。
ダナとティノが入ると、扉が閉められます。
ダナが上座に回ろうとしたところで、ぽふっ、と音がしました。
視線を向けると、ティノがソファに座っていました。
あまりのことに呆けてしまいましたが、ノックの音がしたのですぐに対応します。
「入りなさい」
「失礼いたします。お飲み物を持ってまいりました」
使用人がテーブルに二つのグラスを置くと、ティノは断りもなくワインを飲み始めてしまいます。
それから、最後の一口は、口を開けたマルに。
マルの目が、すまなそうにしていたのは勘違いでしょうか。
手で使用人に下がるよう合図してから、ダナはティノの対面に座りました。
アリスは、ティノに礼儀作法を教えていない。
恐らくそれは、「八創家」に係わらせる気はないという意思表示でしょう。
そうであったとしても、「聖語使い」たちの「筆頭」であるダナを前にしての、この自然体。
もしや、あの女傑をして制御し切れぬほどの異端児なのでしょうか。
気にかかることは幾つもありますが、いつまでも思考に沈んでいるわけにはいきません。
ダナは先ず、話の取っかかりとして「聖人形」であるマルを利用することにしました。
「名前は、確か『マル』だったかな。『聖人形』を見せてもらっても良いだろうか」
「あ、はい。どうぞ」
ティノが頷くと、まるで言葉を理解しているような振る舞いで、マルはテーブルに飛び下りました。
それからダナの前まで歩いてきます。
仔犬です。
どこからどう見ても、仔犬です。
いえ、正確には可愛い仔犬です。
こんな状況ですが、好奇心が疼きました。
ダナは、「当主」となる前は、研究者でした。
久しく忘れていた、新奇を求める心。
気がつけば、勝手に手が伸びてしまっていました。
「……ワヲ」
「あはは……」
マルは溜め息、ティノは苦笑い。
不思議に思い、ダナは率直に尋ねてみました。
「どうかしたのかね?」
「いえ、やっぱり親子だな、と思って。クロウもマルに最初に触れたとき、尻尾を上にあげて肛門を確認していました」
「そうかね!」
跳び上がって喜びそうになりましたが、ダナはギリギリのところで我慢することができました。
クロウに傾倒し過ぎている。
そうとわかっていても、クロウはダナ家だけでなく「聖域」の宝でもある、かけ替えのない存在なので、如何ともしがたいのです。
しかし、これでダナの心は落ち着きました。
ティノはダナを喜ばせる言動をし、ダナは見事にそれに乗せられてしまいました。
そうなれば、もう容赦はいりません。
アリスの情報を少しでも得る為に、さっそくダナは仕かけました。
「このマル君は、ティノ君が造ったのだったかな?」
「はい。でも、『お爺さん』が基本となる骨子を残してくれたので、造ることができました。僕だけでは、到底造ることなんてできません」
見る限り、ティノは嘘を吐いていないようです。
ただ、不自然さも見受けられるので、演技という可能性は捨てきれません。
ダナも、造れない、という部分には納得。
こうして調べてみればわかります。
子供が造れるような代物ではありません。
「お爺さん」。
ここに鍵があります。
ただ尋ねるだけでは、はぐらかされてしまいます。
ここは、あり得ないことを聞き、様子を探る。
相手はまだ少年です。
「議会」で鍛え上げた眼力から逃れることなどできない。
ダナは心を殺し、「筆頭」たる自分を心がけ、ティノに尋ねました。
「さすがはファルワール・ランティノール。ティノ君の『お爺さん』は凄いな」
「はい。『お爺さん』は凄かったです」
困惑ーーその言葉を百個くらい固め、ティノに投げつけてやりたい気分でした。
これはブラフ、或いは高度な心理戦でしょうか。
ダナは。
ティノの言う「お爺さん」とは、ランティノールの息子なのではないかと推定していました。
ランティノールの周期からすれば、「孫」ということもあり得ます。
ここはあえてティノの言い分に乗っかってみる。
表向き、何気ない風を装いつつ、ダナは細心の注意を払って尋ねました。
「ティノ君の『お爺さん』は、ランティノールの息子ではなく、ランティノール本人なのかい?」
「えっと、そうだと思います。『お爺さん』は、村長が子供の頃には、もうお爺さんだったみたいなので……、て、あ……」
「どうかしたのかね?」
「あ、いえ、『お爺さん』のことは秘密にしておくように、アリスさんに言われていたのを忘れていました」
どうしたものでしょう。
やっぱり嘘を吐いているようには見えません。
まだ確定ではないので、ティノを肯定しつつ、ダナは様子を探ることにしました。
「先ず、勘違いして欲しくないのだが、私はクロウの味方だ。それゆえに、クロウの友人であるティノ君の味方でもある。あと私は『議会』の『筆頭』ではあるが、地位に拘泥してはいない。私の望みは、ダナ家の安定、延いては『聖域』の静謐だ。だから、騒乱の種となるようなことを知ったとて、公表などしないから安心したまえ」
「あの……」
「どうかしたのかね?」
「いえ、その、僕は馬鹿なので、そんなむずかしいことを言われてもわかりません」
「そ、そうなのか……」
ますますわからなくなってきました。
本当に、どうしたものか迷っていると、ティノのほうから話しかけてきました。
「ダナ様は、クロウの才能を見抜いているんですか?」
別の意味で、不意を衝かれました。
これまでも、今も、ティノの姿勢に変わりはありません。
自分は勘違いしていたのかもしれない。
ダナは心の閂を外し、胸襟を開くことにしました。
「どうやら、クロウ自身も気づいていない『才能』に、君も気づいているようだ。クロウの『才能』は、ダナ家という小さな檻の中に、閉じ込めておくべきものではない。『聖域』の、『聖語使い』たちの未来を照らす『光』なのだ。ーーティノ君。君はダナ家が、如何にして『筆頭』となれたかわかるかね?」
「えっと、間違っているかもしれませんけど、『聖語』が苦手な人を『当主』にしているからですか?」
ダナの心臓が軋みました。
現「当主」であるダナ。
ティノはそのダナを見て、そう判断したのです。
とうの昔に整理をつけたはずなのに。
やはり心のどこかで納得できないものがあったのかもしれません。
ファルワール・ランティノールの秘密と引き換え。
ダナは、そんな言い訳をしながら、ダナ家の秘密を明かしました。
「『聖語』が苦手な者が『当主』となる。これは私の父が決めたことだ。『八創家』の『当主』は通常、最も優秀な『聖語使い』がなる。だが父は、私を『当主』と決め、早くから政治の、手練手管を叩き込んだ。ーーカロウが二十歳を超えたら。私もまた、二人の内、どちらが『当主』となるか決めることになるだろう」
「んー? ダナ様は後悔しているんですか?」
「どうだろう? ダナ家を、家族を守ることができている。それは、私の一番の願いだ。……『聖語』はおろか、研究でも兄には敵わなかった。ーー今だからわかる。それでも、私は『聖語』が好きだったのだ。『聖語』という未知に、ずっと触れていたかったのだ」
この少年は、なんと酷い人間なのでしょう。
他人の心に、ずかずかと裸足で入り込んできます。
これだけ無遠慮に掻き回したというのに。
まだ何かを言おうとしているようです。
でも、ダナには、それをとめることはできませんでした。
「僕は子供で、馬鹿だから、この先、どうなるかなんてぼんやりとしかわかりません。ーーアリスさんは、とっても怖いです。意地悪です。人でなしです。あっかんりゅーです。でも、一つだけわかることもあります」
「それは、何かね?」
「僕は、アリスさんの弟です。なので、意地悪なんです。だからーー、教えてあげません」
これからアリスとの面会があるというのに。
ティノを招いたのは、その踏み台とする為でした。
「アリスの弟」、ではなく、「ティノの姉」。
そんな視点で眺めても良いのかもしれません。
人でなし。
その言葉はティノにも当てはまるようです。
まだ話したいことはあったというのに、早々に部屋から辞していってしまいました。
ーークロウの友人。
ティノの味方をすると言った言葉に、嘘はーーあります。
ダナ家の、大切な息子たちの為であれば、躊躇なく彼を切ります。
それでも。
そんなときが遣って来ないことを、ダナは幸運の女神エルシュテルに祈りました。
「ふぅ~」
「クゥ~ン」
アリスが遣って来るまで、心の休憩が必要です。
ソファに背中を預け、膝の上にいるマルを撫でます。
と、ここでダナは気づきました。
「あ……。あ、と? マルは預かっておいて良いのかな?」
返し忘れたダナもどうかしていますが、大切な「聖人形」を忘れてゆくなんて、ティノは本当に「人でなし」かもしれません。
でも、あのよくわからない少年のことです。
ダナの為を思い、マルを残していった可能性もあります。
そうであるなら、これから遣って来るアリスに返せば良いだけのことです。
「お腹以外なら、たんと撫でるが良いかの」
「ああ、そうさせてもらお……う?」
「そげに驚くことはなかろう。『聖人形』であるイオリは喋っておるゆえ、わしが話したところで問題ないかの」
アリスとの面会の前に、これ以上心労を溜めたくないというのに。
ダナはもう、常識を半分ほど投げ捨てることにしました。
「マル殿が喋れるという話は聞いていないが、何か私に伝えたいことでもあるのかな」
「大したことではないがの。わしはティノの味方ゆえ、ダナ家の味方をしてやらんでもない。きっかり、ダナ殿と反対の立場ということかの」
これは、主を想う「聖人形」の脅しでしょうか。
どうやら、常識をもう半分、捨てる必要があるようです。
「つまり、秘密を知った者同士、仲良くやろうということですかな?」
「そういうことかの。そこで、お願いがあるのじゃが」
「お願い、ですか?」
「これから、アリス・ランティノールが遣って来るで、ダナ殿は。見せつけるように、わしを撫でてくれたし」
「……私は別に、アリス殿に嫌われたいわけではないのだが」
ダナが困惑するのも無理ありません。
マルは。
アリスに騙されていたのです。
首輪に方術をかけてもらうのと引き換えに、マルは「腹毛」を渡していました。
でも、三日前に知ってしまったのです。
毎星巡り、方術を行使してもらっていましたが。
そんなに頻繁にかけるような術ではないことを、ベズから教えられたのです。
これは偶然でした。
「聖語」でどうにかならないかティノに尋ねたとき、たまたまそこをベズが通りかかったのです。
「保存」を使えば、三十周期は余裕で持つ。
ベズの「凍結」なら、五百周期持つとも言っていました。
これは復讐しないわけにはいきません。
「腹毛」の恨みは恐ろしいのです。
「心配は要らないかの。その程度のこと、ティノとは違い、アリス・ランティノールならわかりようし、交渉も上手く運べるじゃろうて」
「……わかりました。では、アリス殿の精神を最大限逆撫でするよう、愛犬のように可愛がらせていただきます」
「よきにはからうかの」
仔犬との交渉は終了しました。
物事というのはよくできているもので。
休む間もなく、炎竜の如き女傑が遣って来たことを、使用人が知らせにきたのでした。
使用人から報告を受け、ここまで走ってきました。
「八創家」の「筆頭」。
何より、大切な息子たちの父。
なればこそ、無様な姿を見せるわけにはいきません。
急いた心を落ち着かせ、使用人に合図を送ります。
中途半端に開いていた扉が開かれ、ダナはゆっくりと歩いてゆきました。
そして。
信頼するシーソニアの当主に、困惑した表情を向けます。
「……ジジよ。トロウとカロウは何をしているのだ?」
「ダナ様。避けがたい、どうにもならない不幸が発生いたしました」
「……そうか」
大方クロウに駆け寄ろうとした二人が先を争い、ぶつかるか何かしたのでしょう。
でも、二人の気持ちもわからなくはありません。
ダナ家の宝物。
クロウが四星巡りぶりに帰ってきたのです。
「父様っ!」
「おお、クロウ!」
クロウに駆け寄りたい気持ちを抑え、大事な息子を待ち受けます。
胸に飛び込んできた息子を抱き締め、頭を撫でてやります。
「身長はーー、あまり伸びておらんな。顔つきは、少し精悍になったようだ」
「はは、父様。邸をでてから、四星巡りしか経っていませんよ」
「いや、短い期間でも変わるのが、男というものだ。顔を見ればわかる。学園で様々に学んできたのだろう」
このまま一日中でも息子を抱き締めていたいところですが、客人を待たせるわけにはいきません。
クロウの肩に手を置き、ゆっくりと引き離してから、ティノと正面から相対します。
「クロウが男友達を連れてくるとは、嬉しいことだ。私は、サロウ・ダナ。是非とも、クロウと仲良くしてやってくれたまえ」
「初めまして、ダナ様。クロウの知り合いの、ラン・ティノです。お会いできて嬉しいです」
ダナは。
次に何を言うべきか、迷ってしまいました。
事前に、学園のーー特にアリスやベズ、ティノの情報を重点的に集めさせました。
情報通り、ティノを男扱いしたので、好印象だったようです。
そうでありながら、クロウのことを「知り合い」と嘘を吐き、牽制してきました。
ーーアリス・ランティノールの妹、ではなく、弟。
やはり、一筋縄ではいかないようです。
ここは駆け引きなど行わず、招き入れたほうが良い。
ダナがそう考えたところで、真剣な表情をしたジジが提案してきました。
「ダナ様。どうか、私を護衛としてお傍に」
どうやら、非礼を承知しての献言のようです。
客人の前での無礼ですが。
ティノに、気分を害した様子は見られません。
そう長く迷ってはいられません。
ーークロウの友人。
結局、それが決め手となりました。
最大限、ジジの言葉を尊重。
その上で、客人でありクロウの友人であるティノを優先することにしました。
目線でそのことを伝えると、ジジは頭を垂れました。
ジジがここまで警戒する相手。
気を引き締めなければいけないようです。
「それでは、ティノ君。応接室まで御足労願えるかな。少し、話をしよう」
「はい」
「ワン」
ティノの肩にいる「聖人形」も返事をしてきました。
残念ながら、人型の「イオリ」は見当たりません。
「父様っ」
「どうかしたか、クロウ?」
「いえ、その、……どうか、お気をつけて」
「あ、ああ……、留意しておこう」
ダナは、少しだけ不安になってきました。
ジジだけでなく、クロウまで。
周囲を見てみれば、使用人たちが普段見せないような顔をしています。
まるで戦場に向かう主君の武運を祈っているかのようです。
警固がし易い。
普段使用している二階の応接室ではなく、一階の部屋を使用することにしました。
使用人が扉を開け、室内を確認。
ダナとティノが入ると、扉が閉められます。
ダナが上座に回ろうとしたところで、ぽふっ、と音がしました。
視線を向けると、ティノがソファに座っていました。
あまりのことに呆けてしまいましたが、ノックの音がしたのですぐに対応します。
「入りなさい」
「失礼いたします。お飲み物を持ってまいりました」
使用人がテーブルに二つのグラスを置くと、ティノは断りもなくワインを飲み始めてしまいます。
それから、最後の一口は、口を開けたマルに。
マルの目が、すまなそうにしていたのは勘違いでしょうか。
手で使用人に下がるよう合図してから、ダナはティノの対面に座りました。
アリスは、ティノに礼儀作法を教えていない。
恐らくそれは、「八創家」に係わらせる気はないという意思表示でしょう。
そうであったとしても、「聖語使い」たちの「筆頭」であるダナを前にしての、この自然体。
もしや、あの女傑をして制御し切れぬほどの異端児なのでしょうか。
気にかかることは幾つもありますが、いつまでも思考に沈んでいるわけにはいきません。
ダナは先ず、話の取っかかりとして「聖人形」であるマルを利用することにしました。
「名前は、確か『マル』だったかな。『聖人形』を見せてもらっても良いだろうか」
「あ、はい。どうぞ」
ティノが頷くと、まるで言葉を理解しているような振る舞いで、マルはテーブルに飛び下りました。
それからダナの前まで歩いてきます。
仔犬です。
どこからどう見ても、仔犬です。
いえ、正確には可愛い仔犬です。
こんな状況ですが、好奇心が疼きました。
ダナは、「当主」となる前は、研究者でした。
久しく忘れていた、新奇を求める心。
気がつけば、勝手に手が伸びてしまっていました。
「……ワヲ」
「あはは……」
マルは溜め息、ティノは苦笑い。
不思議に思い、ダナは率直に尋ねてみました。
「どうかしたのかね?」
「いえ、やっぱり親子だな、と思って。クロウもマルに最初に触れたとき、尻尾を上にあげて肛門を確認していました」
「そうかね!」
跳び上がって喜びそうになりましたが、ダナはギリギリのところで我慢することができました。
クロウに傾倒し過ぎている。
そうとわかっていても、クロウはダナ家だけでなく「聖域」の宝でもある、かけ替えのない存在なので、如何ともしがたいのです。
しかし、これでダナの心は落ち着きました。
ティノはダナを喜ばせる言動をし、ダナは見事にそれに乗せられてしまいました。
そうなれば、もう容赦はいりません。
アリスの情報を少しでも得る為に、さっそくダナは仕かけました。
「このマル君は、ティノ君が造ったのだったかな?」
「はい。でも、『お爺さん』が基本となる骨子を残してくれたので、造ることができました。僕だけでは、到底造ることなんてできません」
見る限り、ティノは嘘を吐いていないようです。
ただ、不自然さも見受けられるので、演技という可能性は捨てきれません。
ダナも、造れない、という部分には納得。
こうして調べてみればわかります。
子供が造れるような代物ではありません。
「お爺さん」。
ここに鍵があります。
ただ尋ねるだけでは、はぐらかされてしまいます。
ここは、あり得ないことを聞き、様子を探る。
相手はまだ少年です。
「議会」で鍛え上げた眼力から逃れることなどできない。
ダナは心を殺し、「筆頭」たる自分を心がけ、ティノに尋ねました。
「さすがはファルワール・ランティノール。ティノ君の『お爺さん』は凄いな」
「はい。『お爺さん』は凄かったです」
困惑ーーその言葉を百個くらい固め、ティノに投げつけてやりたい気分でした。
これはブラフ、或いは高度な心理戦でしょうか。
ダナは。
ティノの言う「お爺さん」とは、ランティノールの息子なのではないかと推定していました。
ランティノールの周期からすれば、「孫」ということもあり得ます。
ここはあえてティノの言い分に乗っかってみる。
表向き、何気ない風を装いつつ、ダナは細心の注意を払って尋ねました。
「ティノ君の『お爺さん』は、ランティノールの息子ではなく、ランティノール本人なのかい?」
「えっと、そうだと思います。『お爺さん』は、村長が子供の頃には、もうお爺さんだったみたいなので……、て、あ……」
「どうかしたのかね?」
「あ、いえ、『お爺さん』のことは秘密にしておくように、アリスさんに言われていたのを忘れていました」
どうしたものでしょう。
やっぱり嘘を吐いているようには見えません。
まだ確定ではないので、ティノを肯定しつつ、ダナは様子を探ることにしました。
「先ず、勘違いして欲しくないのだが、私はクロウの味方だ。それゆえに、クロウの友人であるティノ君の味方でもある。あと私は『議会』の『筆頭』ではあるが、地位に拘泥してはいない。私の望みは、ダナ家の安定、延いては『聖域』の静謐だ。だから、騒乱の種となるようなことを知ったとて、公表などしないから安心したまえ」
「あの……」
「どうかしたのかね?」
「いえ、その、僕は馬鹿なので、そんなむずかしいことを言われてもわかりません」
「そ、そうなのか……」
ますますわからなくなってきました。
本当に、どうしたものか迷っていると、ティノのほうから話しかけてきました。
「ダナ様は、クロウの才能を見抜いているんですか?」
別の意味で、不意を衝かれました。
これまでも、今も、ティノの姿勢に変わりはありません。
自分は勘違いしていたのかもしれない。
ダナは心の閂を外し、胸襟を開くことにしました。
「どうやら、クロウ自身も気づいていない『才能』に、君も気づいているようだ。クロウの『才能』は、ダナ家という小さな檻の中に、閉じ込めておくべきものではない。『聖域』の、『聖語使い』たちの未来を照らす『光』なのだ。ーーティノ君。君はダナ家が、如何にして『筆頭』となれたかわかるかね?」
「えっと、間違っているかもしれませんけど、『聖語』が苦手な人を『当主』にしているからですか?」
ダナの心臓が軋みました。
現「当主」であるダナ。
ティノはそのダナを見て、そう判断したのです。
とうの昔に整理をつけたはずなのに。
やはり心のどこかで納得できないものがあったのかもしれません。
ファルワール・ランティノールの秘密と引き換え。
ダナは、そんな言い訳をしながら、ダナ家の秘密を明かしました。
「『聖語』が苦手な者が『当主』となる。これは私の父が決めたことだ。『八創家』の『当主』は通常、最も優秀な『聖語使い』がなる。だが父は、私を『当主』と決め、早くから政治の、手練手管を叩き込んだ。ーーカロウが二十歳を超えたら。私もまた、二人の内、どちらが『当主』となるか決めることになるだろう」
「んー? ダナ様は後悔しているんですか?」
「どうだろう? ダナ家を、家族を守ることができている。それは、私の一番の願いだ。……『聖語』はおろか、研究でも兄には敵わなかった。ーー今だからわかる。それでも、私は『聖語』が好きだったのだ。『聖語』という未知に、ずっと触れていたかったのだ」
この少年は、なんと酷い人間なのでしょう。
他人の心に、ずかずかと裸足で入り込んできます。
これだけ無遠慮に掻き回したというのに。
まだ何かを言おうとしているようです。
でも、ダナには、それをとめることはできませんでした。
「僕は子供で、馬鹿だから、この先、どうなるかなんてぼんやりとしかわかりません。ーーアリスさんは、とっても怖いです。意地悪です。人でなしです。あっかんりゅーです。でも、一つだけわかることもあります」
「それは、何かね?」
「僕は、アリスさんの弟です。なので、意地悪なんです。だからーー、教えてあげません」
これからアリスとの面会があるというのに。
ティノを招いたのは、その踏み台とする為でした。
「アリスの弟」、ではなく、「ティノの姉」。
そんな視点で眺めても良いのかもしれません。
人でなし。
その言葉はティノにも当てはまるようです。
まだ話したいことはあったというのに、早々に部屋から辞していってしまいました。
ーークロウの友人。
ティノの味方をすると言った言葉に、嘘はーーあります。
ダナ家の、大切な息子たちの為であれば、躊躇なく彼を切ります。
それでも。
そんなときが遣って来ないことを、ダナは幸運の女神エルシュテルに祈りました。
「ふぅ~」
「クゥ~ン」
アリスが遣って来るまで、心の休憩が必要です。
ソファに背中を預け、膝の上にいるマルを撫でます。
と、ここでダナは気づきました。
「あ……。あ、と? マルは預かっておいて良いのかな?」
返し忘れたダナもどうかしていますが、大切な「聖人形」を忘れてゆくなんて、ティノは本当に「人でなし」かもしれません。
でも、あのよくわからない少年のことです。
ダナの為を思い、マルを残していった可能性もあります。
そうであるなら、これから遣って来るアリスに返せば良いだけのことです。
「お腹以外なら、たんと撫でるが良いかの」
「ああ、そうさせてもらお……う?」
「そげに驚くことはなかろう。『聖人形』であるイオリは喋っておるゆえ、わしが話したところで問題ないかの」
アリスとの面会の前に、これ以上心労を溜めたくないというのに。
ダナはもう、常識を半分ほど投げ捨てることにしました。
「マル殿が喋れるという話は聞いていないが、何か私に伝えたいことでもあるのかな」
「大したことではないがの。わしはティノの味方ゆえ、ダナ家の味方をしてやらんでもない。きっかり、ダナ殿と反対の立場ということかの」
これは、主を想う「聖人形」の脅しでしょうか。
どうやら、常識をもう半分、捨てる必要があるようです。
「つまり、秘密を知った者同士、仲良くやろうということですかな?」
「そういうことかの。そこで、お願いがあるのじゃが」
「お願い、ですか?」
「これから、アリス・ランティノールが遣って来るで、ダナ殿は。見せつけるように、わしを撫でてくれたし」
「……私は別に、アリス殿に嫌われたいわけではないのだが」
ダナが困惑するのも無理ありません。
マルは。
アリスに騙されていたのです。
首輪に方術をかけてもらうのと引き換えに、マルは「腹毛」を渡していました。
でも、三日前に知ってしまったのです。
毎星巡り、方術を行使してもらっていましたが。
そんなに頻繁にかけるような術ではないことを、ベズから教えられたのです。
これは偶然でした。
「聖語」でどうにかならないかティノに尋ねたとき、たまたまそこをベズが通りかかったのです。
「保存」を使えば、三十周期は余裕で持つ。
ベズの「凍結」なら、五百周期持つとも言っていました。
これは復讐しないわけにはいきません。
「腹毛」の恨みは恐ろしいのです。
「心配は要らないかの。その程度のこと、ティノとは違い、アリス・ランティノールならわかりようし、交渉も上手く運べるじゃろうて」
「……わかりました。では、アリス殿の精神を最大限逆撫でするよう、愛犬のように可愛がらせていただきます」
「よきにはからうかの」
仔犬との交渉は終了しました。
物事というのはよくできているもので。
休む間もなく、炎竜の如き女傑が遣って来たことを、使用人が知らせにきたのでした。
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ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。
自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・
極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。
猫菜こん
児童書・童話
私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。
だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。
「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」
優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。
……これは一体どういう状況なんですか!?
静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん
できるだけ目立たないように過ごしたい
湖宮結衣(こみやゆい)
×
文武両道な学園の王子様
実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?
氷堂秦斗(ひょうどうかなと)
最初は【仮】のはずだった。
「結衣さん……って呼んでもいい?
だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」
「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」
「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、
今もどうしようもないくらい好きなんだ。」
……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。
グリモワールなメモワール、それはめくるめくメメントモリ
和本明子
児童書・童話
あの夏、ぼくたちは“本”の中にいた。
夏休みのある日。図書館で宿題をしていた「チハル」と「レン」は、『なんでも願いが叶う本』を探している少女「マリン」と出会う。
空想めいた話しに興味を抱いた二人は本探しを手伝うことに。
三人は図書館の立入禁止の先にある地下室で、光を放つ不思議な一冊の本を見つける。
手に取ろうとした瞬間、なんとその本の中に吸いこまれてしまう。
気がつくとそこは、幼い頃に読んだことがある児童文学作品の世界だった。
現実世界に戻る手がかりもないまま、チハルたちは作中の主人公のように物語を進める――ページをめくるように、様々な『物語の世界』をめぐることになる。
やがて、ある『未完の物語の世界』に辿り着き、そこでマリンが叶えたかった願いとは――
大切なものは物語の中で、ずっと待っていた。
レイルーク公爵令息は誰の手を取るのか
宮崎世絆
児童書・童話
うたた寝していただけなのに異世界転生してしまった。
公爵家の長男レイルーク・アームストロングとして。
あまりにも美しい容姿に高い魔力。テンプレな好条件に「僕って何かの主人公なのかな?」と困惑するレイルーク。
溺愛してくる両親や義姉に見守られ、心身ともに成長していくレイルーク。
アームストロング公爵の他に三つの公爵家があり、それぞれ才色兼備なご令嬢三人も素直で温厚篤実なレイルークに心奪われ、三人共々婚約を申し出る始末。
十五歳になり、高い魔力を持つ者のみが通える魔術学園に入学する事になったレイルーク。
しかし、その学園はかなり特殊な学園だった。
全員見た目を変えて通わなければならず、性格まで変わって入学する生徒もいるというのだ。
「みんな全然見た目が違うし、性格まで変えてるからもう誰が誰だか分からないな。……でも、学園生活にそんなの関係ないよね? せっかく転生してここまで頑張って来たんだし。正体がバレないように気をつけつつ、学園生活を思いっきり楽しむぞ!!」
果たしてレイルークは正体がバレる事なく無事卒業出来るのだろうか?
そしてレイルークは誰かと恋に落ちることが、果たしてあるのか?
レイルークは誰の手(恋)をとるのか。
これはレイルークの半生を描いた成長物語。兼、恋愛物語である(多分)
⚠︎ この物語は『レティシア公爵令嬢は誰の手を取るのか』の主人公の性別を逆転した作品です。
物語進行は同じなのに、主人公が違うとどれ程内容が変わるのか? を検証したくて執筆しました。
『アラサーと高校生』の年齢差や性別による『性格のギャップ』を楽しんで頂けたらと思っております。
ただし、この作品は中高生向けに執筆しており、高学年向け児童書扱いです。なのでレティシアと違いまともな主人公です。
一部の登場人物も性別が逆転していますので、全く同じに物語が進行するか正直分かりません。
もしかしたら学園編からは全く違う内容になる……のか、ならない?(そもそも学園編まで書ける?!)のか……。
かなり見切り発車ですが、宜しくお願いします。
独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。
猫菜こん
児童書・童話
小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。
中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!
そう意気込んでいたのに……。
「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」
私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。
巻き込まれ体質の不憫な中学生
ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主
咲城和凜(さきしろかりん)
×
圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良
和凜以外に容赦がない
天狼絆那(てんろうきずな)
些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。
彼曰く、私に一目惚れしたらしく……?
「おい、俺の和凜に何しやがる。」
「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」
「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」
王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
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