竜の庵の聖語使い

風結

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聖休と陰謀

応接室  サロウ・ダナの困惑

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「ふぅ~」

 使用人から報告を受け、ここまで走ってきました。
 「八創家」の「筆頭」。
 何より、大切な息子たちの父。
 なればこそ、無様な姿を見せるわけにはいきません。

 いた心を落ち着かせ、使用人に合図を送ります。
 中途半端に開いていた扉が開かれ、ダナはゆっくりと歩いてゆきました。
 そして。
 信頼するシーソニアの当主に、困惑した表情を向けます。

「……ジジよ。トロウとカロウは何をしているのだ?」
「ダナ様。避けがたい、どうにもならない不幸が発生いたしました」
「……そうか」

 大方おおかたクロウに駆け寄ろうとした二人が先を争い、ぶつかるか何かしたのでしょう。
 でも、二人の気持ちもわからなくはありません。
 ダナ家の宝物。
 クロウが四星巡りぶりに帰ってきたのです。

「父様っ!」
「おお、クロウ!」

 クロウに駆け寄りたい気持ちを抑え、大事な息子を待ち受けます。
 胸に飛び込んできた息子を抱き締め、頭を撫でてやります。

「身長はーー、あまり伸びておらんな。顔つきは、少し精悍になったようだ」
「はは、父様。邸をでてから、四星巡りしか経っていませんよ」
「いや、短い期間でも変わるのが、男というものだ。顔を見ればわかる。学園で様々に学んできたのだろう」

 このまま一日中でも息子を抱き締めていたいところですが、客人を待たせるわけにはいきません。
 クロウの肩に手を置き、ゆっくりと引き離してから、ティノと正面から相対します。

「クロウが友達を連れてくるとは、嬉しいことだ。私は、サロウ・ダナ。是非とも、クロウと仲良くしてやってくれたまえ」
「初めまして、ダナ様。クロウのの、ラン・ティノです。お会いできて嬉しいです」

 ダナは。
 次に何を言うべきか、迷ってしまいました。

 事前に、学園のーー特にアリスやベズ、ティノの情報を重点的に集めさせました。
 情報通り、ティノを男扱いしたので、好印象だったようです。
 そうでありながら、クロウのことを「知り合い」と嘘を吐き、牽制してきました。

 ーーアリス・ランティノールの妹、ではなく、弟。

 やはり、一筋縄ではいかないようです。
 ここは駆け引きなど行わず、招き入れたほうが良い。
 ダナがそう考えたところで、真剣な表情をしたジジが提案してきました。

「ダナ様。どうか、私を護衛としてお傍に」

 どうやら、非礼を承知しての献言のようです。
 客人の前での無礼ですが。
 ティノに、気分を害した様子は見られません。

 そう長く迷ってはいられません。
 ーークロウの友人。
 結局、それが決め手となりました。

 最大限、ジジの言葉を尊重。
 その上で、客人でありクロウの友人であるティノを優先することにしました。

 目線でそのことを伝えると、ジジはこうべを垂れました。
 ジジがここまで警戒する相手。
 気を引き締めなければいけないようです。

「それでは、ティノ君。応接室まで御足労願えるかな。少し、話をしよう」
「はい」
「ワン」

 ティノの肩にいる「聖人形ワヤン・クリ」も返事をしてきました。
 残念ながら、人型の「イオリ」は見当たりません。

「父様っ」
「どうかしたか、クロウ?」
「いえ、その、……どうか、お気をつけて」
「あ、ああ……、留意しておこう」

 ダナは、少しだけ不安になってきました。
 ジジだけでなく、クロウまで。
 周囲を見てみれば、使用人たちが普段見せないような顔をしています。

 まるで戦場に向かう主君の武運を祈っているかのようです。
 警固がし易い。
 普段使用している二階の応接室ではなく、一階の部屋を使用することにしました。

 使用人が扉を開け、室内を確認。
 ダナとティノが入ると、扉が閉められます。

 ダナが上座に回ろうとしたところで、ぽふっ、と音がしました。
 視線を向けると、ティノがソファに座っていました。
 あまりのことに呆けてしまいましたが、ノックの音がしたのですぐに対応します。

「入りなさい」
「失礼いたします。お飲み物を持ってまいりました」

 使用人がテーブルに二つのグラスを置くと、ティノは断りもなくワインを飲み始めてしまいます。
 それから、最後の一口は、口を開けたマルに。
 マルの目が、すまなそうにしていたのは勘違いでしょうか。
 手で使用人に下がるよう合図してから、ダナはティノの対面に座りました。

 アリスは、ティノに礼儀作法を教えていない。
 恐らくそれは、「八創家」に係わらせる気はないという意思表示でしょう。
 そうであったとしても、「聖語使い」たちの「筆頭」であるダナを前にしての、この自然体。
 もしや、あの女傑をして制御し切れぬほどの異端児なのでしょうか。

 気にかかることは幾つもありますが、いつまでも思考に沈んでいるわけにはいきません。
 ダナは先ず、話の取っかかりとして「聖人形」であるマルを利用することにしました。

「名前は、確か『マル』だったかな。『聖人形』を見せてもらっても良いだろうか」
「あ、はい。どうぞ」

 ティノが頷くと、まるで言葉を理解しているような振る舞いで、マルはテーブルに飛び下りました。
 それからダナの前まで歩いてきます。

 仔犬です。
 どこからどう見ても、仔犬です。
 いえ、正確には可愛い仔犬です。
 こんな状況ですが、好奇心が疼きました。

 ダナは、「当主」となる前は、研究者でした。
 久しく忘れていた、新奇を求める心。
 気がつけば、勝手に手が伸びてしまっていました。

「……ワヲ」
「あはは……」

 マルは溜め息、ティノは苦笑い。
 不思議に思い、ダナは率直に尋ねてみました。

「どうかしたのかね?」
「いえ、やっぱり親子だな、と思って。クロウもマルに最初に触れたとき、尻尾を上にあげて肛門を確認していました」
「そうかね!」

 跳び上がって喜びそうになりましたが、ダナはギリギリのところで我慢することができました。
 クロウに傾倒し過ぎている。
 そうとわかっていても、クロウはダナ家だけでなく「聖域」の宝でもある、かけ替えのない存在なので、如何ともしがたいのです。

 しかし、これでダナの心は落ち着きました。
 ティノはダナを喜ばせる言動をし、ダナは見事にそれに乗せられてしまいました。
 そうなれば、もう容赦はいりません。
 アリスの情報を少しでも得る為に、さっそくダナは仕かけました。

「このマル君は、ティノ君が造ったのだったかな?」
「はい。でも、『お爺さん』が基本となる骨子を残してくれたので、造ることができました。僕だけでは、到底造ることなんてできません」

 見る限り、ティノは嘘を吐いていないようです。
 ただ、不自然さも見受けられるので、演技という可能性は捨てきれません。

 ダナも、造れない、という部分には納得。
 こうして調べてみればわかります。
 子供が造れるような代物ではありません。

 「お爺さん」。

 ここに鍵があります。
 ただ尋ねるだけでは、はぐらかされてしまいます。

 ここは、あり得ないことを聞き、様子を探る。
 相手はまだ少年です。
 「議会」で鍛え上げた眼力から逃れることなどできない。
 ダナは心を殺し、「筆頭」たる自分を心がけ、ティノに尋ねました。

「さすがはファルワール・ランティノール。ティノ君の『お爺さん』は凄いな」
「はい。『お爺さん』は凄かったです」

 困惑ーーその言葉を百個くらい固め、ティノに投げつけてやりたい気分でした。
 これはブラフ、或いは高度な心理戦でしょうか。

 ダナは。
 ティノの言う「お爺さん」とは、ランティノールの息子なのではないかと推定していました。
 ランティノールの周期からすれば、「孫」ということもあり得ます。
 ここはあえてティノの言い分に乗っかってみる。
 表向き、何気ない風を装いつつ、ダナは細心の注意を払って尋ねました。

「ティノ君の『お爺さん』は、ランティノールの息子ではなく、ランティノール本人なのかい?」
「えっと、そうだと思います。『お爺さん』は、村長が子供の頃には、もうお爺さんだったみたいなので……、て、あ……」
「どうかしたのかね?」
「あ、いえ、『お爺さん』のことは秘密にしておくように、アリスさんに言われていたのを忘れていました」

 どうしたものでしょう。
 やっぱり嘘を吐いているようには見えません。
 まだ確定ではないので、ティノを肯定しつつ、ダナは様子を探ることにしました。

「先ず、勘違いして欲しくないのだが、私はクロウの味方だ。それゆえに、クロウの友人であるティノ君の味方でもある。あと私は『議会』の『筆頭』ではあるが、地位に拘泥してはいない。私の望みは、ダナ家の安定、延いては『聖域』の静謐だ。だから、騒乱の種となるようなことを知ったとて、公表などしないから安心したまえ」
「あの……」
「どうかしたのかね?」
「いえ、その、僕は馬鹿なので、そんなむずかしいことを言われてもわかりません」
「そ、そうなのか……」

 ますますわからなくなってきました。
 本当に、どうしたものか迷っていると、ティノのほうから話しかけてきました。

「ダナ様は、クロウの才能を見抜いているんですか?」

 別の意味で、不意を衝かれました。
 これまでも、今も、ティノの姿勢に変わりはありません。
 自分は勘違いしていたのかもしれない。
 ダナは心のかんぬきを外し、胸襟を開くことにしました。

「どうやら、クロウ自身も気づいていない『才能』に、君も気づいているようだ。クロウの『才能』は、ダナ家という小さな檻の中に、閉じ込めておくべきものではない。『聖域』の、『聖語使い』たちの未来を照らす『光』なのだ。ーーティノ君。君はダナ家が、如何にして『筆頭』となれたかわかるかね?」
「えっと、間違っているかもしれませんけど、『聖語』が苦手な人を『当主』にしているからですか?」

 ダナの心臓が軋みました。
 現「当主」であるダナ。
 ティノはそのダナを見て、そう判断したのです。

 とうの昔に整理をつけたはずなのに。
 やはり心のどこかで納得できないものがあったのかもしれません。
 ファルワール・ランティノールの秘密と引き換え。
 ダナは、そんな言い訳をしながら、ダナ家の秘密を明かしました。

「『聖語』が苦手な者が『当主』となる。これは私の父が決めたことだ。『八創家』の『当主』は通常、最も優秀な『聖語使い』がなる。だが父は、私を『当主』と決め、早くから政治の、手練手管を叩き込んだ。ーーカロウが二十歳を超えたら。私もまた、二人の内、どちらが『当主』となるか決めることになるだろう」
「んー? ダナ様は後悔しているんですか?」
「どうだろう? ダナ家を、家族を守ることができている。それは、私の一番の願いだ。……『聖語』はおろか、研究でも兄には敵わなかった。ーー今だからわかる。それでも、私は『聖語』が好きだったのだ。『聖語』という未知に、ずっと触れていたかったのだ」

 この少年は、なんと酷い人間なのでしょう。
 他人ひとの心に、ずかずかと裸足で入り込んできます。
 これだけ無遠慮に掻き回したというのに。
 まだ何かを言おうとしているようです。
 でも、ダナには、それをとめることはできませんでした。

「僕は子供で、馬鹿だから、この先、どうなるかなんてぼんやりとしかわかりません。ーーアリスさんは、とっても怖いです。意地悪です。人でなしです。あっかんりゅーです。でも、一つだけわかることもあります」
「それは、何かね?」
「僕は、アリスさんの弟です。なので、意地悪なんです。だからーー、教えてあげません」

 これからアリスとの面会があるというのに。
 ティノを招いたのは、その踏み台とする為でした。

 「アリスの弟」、ではなく、「ティノの姉」。

 そんな視点で眺めても良いのかもしれません。
 人でなし。
 その言葉はティノにも当てはまるようです。
 まだ話したいことはあったというのに、早々に部屋から辞していってしまいました。

 ーークロウの友人。
 ティノの味方をすると言った言葉に、嘘はーーあります。
 ダナ家の、大切な息子たちの為であれば、躊躇なく彼を切ります。
 それでも。
 そんなときが遣って来ないことを、ダナは幸運の女神エルシュテルに祈りました。

「ふぅ~」
「クゥ~ン」

 アリスが遣って来るまで、心の休憩が必要です。
 ソファに背中を預け、膝の上にいるマルを撫でます。
 と、ここでダナは気づきました。

「あ……。あ、と? マルは預かっておいて良いのかな?」

 返し忘れたダナもどうかしていますが、大切な「聖人形」を忘れてゆくなんて、ティノは本当に「人でなし」かもしれません。
 でも、あのよくわからない少年のことです。
 ダナの為を思い、マルを残していった可能性もあります。
 そうであるなら、これから遣って来るアリスに返せば良いだけのことです。

「お腹以外なら、たんと撫でるが良いかの」
「ああ、そうさせてもらお……う?」
「そげに驚くことはなかろう。『聖人形』であるイオリは喋っておるゆえ、わしが話したところで問題ないかの」

 アリスとの面会の前に、これ以上心労を溜めたくないというのに。
 ダナはもう、常識を半分ほど投げ捨てることにしました。

「マル殿が喋れるという話は聞いていないが、何か私に伝えたいことでもあるのかな」
「大したことではないがの。わしはティノの味方ゆえ、ダナ家の味方をしてやらんでもない。きっかり、ダナ殿と反対の立場ということかの」

 これは、主を想う「聖人形」の脅しでしょうか。
 どうやら、常識をもう半分、捨てる必要があるようです。

「つまり、秘密を知った者同士、仲良くやろうということですかな?」
「そういうことかの。そこで、お願いがあるのじゃが」
「お願い、ですか?」
「これから、アリス・ランティノールが遣って来るで、ダナ殿は。見せつけるように、わしを撫でてくれたし」
「……私は別に、アリス殿に嫌われたいわけではないのだが」

 ダナが困惑するのも無理ありません。
 マルは。
 アリスに騙されていたのです。

 首輪に方術をかけてもらうのと引き換えに、マルは「腹毛」を渡していました。
 でも、三日前に知ってしまったのです。
 毎星巡り、方術を行使してもらっていましたが。
 そんなに頻繁にかけるような術ではないことを、ベズから教えられたのです。

 これは偶然でした。
 「聖語」でどうにかならないかティノに尋ねたとき、たまたまそこをベズが通りかかったのです。
 「保存」を使えば、三十周期は余裕で持つ。
 ベズの「凍結」なら、五百周期持つとも言っていました。

 これは復讐しないわけにはいきません。
 「腹毛」の恨みは恐ろしいのです。

「心配は要らないかの。その程度のこと、ティノとは違い、アリス・ランティノールならわかりようし、交渉も上手く運べるじゃろうて」
「……わかりました。では、アリス殿の精神を最大限逆撫さかなでするよう、愛犬のように可愛がらせていただきます」
「よきにはからうかの」

 仔犬との交渉は終了しました。
 物事というのはよくできているもので。
 休む間もなく、炎竜の如き女傑が遣って来たことを、使用人が知らせにきたのでした。
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