竜の庵の聖語使い

風結

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聖休と陰謀

空と竜の庵  帰郷と異変

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「ぴー」

 からりとしたイオリの寝言とは違い、「結界」の外は雨が降り続いています。
 雨の時季は夏の前までですが、今周期は水竜と仲良し。
 農作物に被害がでないか心配になります。

「もうすぐ着くわよ」
「え? もうですか? 半日もかからないのは凄いですね」
「山、河、関係なく直線で進めるのが大きいわね。『僻地』を上から見たことはなかったでしょう。あいにくの雨模様だけれど、周辺を飛んであげるわ」

 「庵」を出発するとき、ティノは目を閉じていたので「庵」を見ることができませんでした。
 アリスの気遣いはありがたいのですが。
 目を開けられなくなった原因のほとんどは彼女にあるので、何となく釈然としません。
 旋回し始めたアリスの竜頭の上で、懐かしの我が家ーーが見えませんでした。

「あれ? 村があそこにあるのに、『庵』と『研究所』がない?」
「ぷー」

 この高さです。
 「庵」が見えなくてもおかしくありませんが、「施設」まで見えないのは不自然。
 四星巡りの間に、そこまで植物が繁茂はんもしてしまったのでしょうか。

「上から見るのは初めてとはいえ、ボケてるんじゃないわよ。『結界』に決まっているでしょう。上から見たら、あんな風に、何もないように見えるのよ」

 アリスの言う通りでした。
 短いようで長かった、四星巡り。
 学園での生活。
 心の置き場所は、今でも「庵」にあるとはいえ、頭と体は学園に馴染んでしまっていたようです。

「ぽー」
「ーーイオリ?」

 気が緩んでいる。
 イオリの寝言を聞き、ティノはまざまざと自覚しました。
 アリスとマル。
 一竜と一獣が戦っていたときも、イオリの寝言がおかしかったのをティノは思いだしました。

「アリスさん! イオリを起こします!」
「ちょっ!? 待ちなさい!! 今っ、『隠蔽』で見えなくするから、邪竜な儀式は待っていなさい!!」
「頭の上なんだから見えません!」
「そういう問題じゃないのよ! 私は竜なのよ! 意識するだけで、そちらのほうが見える、というか、認識してしまうのよ!!」

 もうアリスになど構っていられません。
 そんなわけで、イオリをーー。

「あ~、……?」

 噛みませんでした。
 微動だにしない、土色の瞳。
 こんなことは初めてでした。

「……イオリ?」

 イオリが目を覚ましていたのです。
 その目は、その耳はーー。
 ティノを通り越し、何かを感じ取っているかのようです。

「イオリ!?」

 以前の、「庵」にいた頃のティノなら、手はーー届いていたはずでした。
 ティノの腕の中から抜けだしたイオリは。
 たった三歩で。
 その姿を消してしまったのです。

「アリスさん! お願いします!!」

 まるで、「庵」に置いてきた「心」を取り戻したかのように、衝動が溢れました。
 アリスに頼んだとき、ティノはすでに空中に身を投げていました。
 イオリなら落ちても問題ない。
 そう思っていても、イオリの背中をーー一竜で行ってしまったあの背中を。
 命を懸けてでも追いかけないわけにはいかなかったのです。

「イオリ? って、ティノまで! 何をしているの……っ!?」

 アリスが視線を向けたとき、イオリはアリスの「結界」を壊したところでした。
 その先の、もう一つの「結界」。
 「最熱の炎竜」。
 炎に優れた竜だからこそ、間に合いました。

「ティノ! 魔力を纏いなさい!!」

 森と山を囲う、「結界」の内側と外側。
 「逆気流現象バックドラフト」が発生しました。
 荒れ狂う炎の濁流が、周囲を食い散らかします。

「邪魔よ!!」

 炎竜が炎を邪険にするという異常事態。
 死なせない。
 ティノを守る為の、アリスの「結界」は間に合ったーーはずです。
 ティノは魔力を纏ったーーはずです。

 アリスは可能性を拾いに、激甚なる炎を纏い、周囲の爆炎を灼いてゆきます。
 「人化」し、イオリが破壊した「穴」に入る直前で、「結界」に包まれたティノを確保。
 次に、壊れた「結界」の内側の惨状に、目を向けようとした瞬間ーー。

「学園長は炎を! 私は換気かんきをする!」
「ベズ!?」

 アリスは。
 振り返って確認するような間抜けなことはしませんでした。
 火災の箇所を確認。
 炎の息吹を吐きます。

 対象を焼くものではなく、炎が燃える為の成分を引き寄せる為の、特殊な炎。
 炎竜でも、アリスだけが使える「転炎アフーム=ザー」の応用。
 そこから、再発火しないように「結界」で覆います。
 これで「結界」内の温度が下がるのを待てば、これ以上燃えることはありません。

「って、コラっ、ティノ!」

 咄嗟に張った「結界」だったので、ほころびがあったようです。
 ティノは「結界」を壊し、落ちてゆきます。
 この高さなら問題ない。
 アリスのことなど眼中にない、魔力を纏ったティノを見送ってから、周囲を確認します。

 燃えていたのは、「庵」と「料理小屋」、そして「施設」。
 森や山は燃えていません。

 ベズの換気が済んだのか、炎の気配は微塵も感じません。
 アリスが地に降りると、ベズも同時に着地。
 そこに。
 竜の嗚咽おえつが響き渡りました。

「イオリのぉ、イオリのおうちがぁ~~」

 アリスが張った「結界」。
 「結界」の内側は、今なお熱く。
 今はまだ、「結界」を解くことはできません。

 「結界」にすがりつき、爪を立てるイオリ。
 ティノは。
 初めて見ました。

 イオリが、泣いています。
 水竜になってしまったのではないかと思ってしまうくらい、涙が溢れ、とまりません。

 灰と、炭になった「庵」。
 ティノとイオリが、一緒に過ごした「庵」。
 ランティノールがーー「お爺さん」が亡くなったときにも泣かなかったイオリが。

「いやぁ~、いやぁ~、イオリのおうちぃ~~」
「イオリ」

 ティノは、「結界」に取りつくイオリの肘の上に手を回し、腕を下げさせました。
 そして腕ごと、後ろからイオリを抱き締めます。

「大丈夫。僕もイオリも、ここにいる。僕とイオリがいれば、大丈夫。イオリの『おうち』は、僕が必ず造ってあげる」
「ティ~ノぉ~、ティ~ノぉ~」

 「結界」を掻き毟り、爪が剥がれた、イオリの手。
 体が、何より心が傷ついています。

 ただ、立ったまま、泣き続けるイオリ。
 何もできず、イオリの泣き声を聞き続けるティノ。

 地竜であるイオリ。
 傷つかないはずのイオリが怪我をした。

 嬉しい。
 そう思った自分を、ティノは呪いました。
 イオリはランティノールと過ごした「施設」ではなく、ティノと過ごした「庵」が焼け焦げたのを見て、泣いているのです。
 竜という存在。
 自分の体を傷つけてしまうほどに、想いが溢れてしまっているのです。

「ベズ。手伝いなさい。イオリを眠らせるわ」
「了解した」

 炎竜と地竜は、方術を行使しました。
 如何に竜が魔力耐性を具えていようとも、二竜の力ーー延いては魔力が乱れた今のイオリでは防ぐことは敵いません。

「ティ…ノ……」
「うん。おやすみ、イオリ」

 体から力が抜けたイオリを、しっかりと抱き留め、地面に横たわらせます。
 服を脱いで、上半身裸に。
 脱いだ服をたたみ、イオリの頭の下に。
 それからーー。

「アリスさん」
「何?」
「僕は、アリスさんがやったんじゃないかと疑っています。でも、僕は。アリスさんがやったんじゃないことも知っています」
「焼くわよ」

 透明なものが、ティノの胸の内側にありました。
 イオリが泣いていたのです。
 怒りなど、とうに突き抜けています。
 ティノの宝物。
 「敵」となる可能性の、一つたりとも逃すつもりはありません。

「ベズ先生ーー」

 炎竜を焼いて尚、煮え滾る炎。
 ベズは人種の、竜にはない強さと脆さを垣間見ます。

 ーー気づいたのは。
 ベズのほうが一瞬早く。
 地竜のすべての能力を注ぎ込みました。

「ベズ!!」
「方角は東! 追いつける!」

 ーー須臾。
 アリスの声に応えます。

 「結界」から離れる「気配」。
 地竜であるベズでは追いつけません。
 それにまだ、ティノとイオリの安全が確保されたわけではありません。

 「竜化」したのと、舞い上がったのは、どちらが早かったでしょうか。
 「最熱の炎竜」の向かう先に居るのが自分でなかったことを、わずかに残念に思いながら。
 ベズは「結界」を張って、アリスの残炎を防いだのでした。
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