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対抗戦
聖技場 「暴れ馬」と地竜
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ーー「暴れ馬」。
中央の歓楽街での、ギルの二つ名でした。
「暴れ竜」や「雷竜」のほうが良かったのですが。
自分で自分に二つ名をつけるような小っ恥ずかしい真似などできるはずもありません。
「馬」となってしまったのには、男どものやっかみも含まれています。
長身でどこか陰のあるギルは、歓楽街の女性にモテました。
噂に竜の角や尻尾がついてしまったとはいえ、彼の夜の武勇伝は夙に有名でした。
はっきり言って。
ギルは人生を嘗めていました。
世の中にあるのは、「敵」ではなく「踏み台」だけ。
不幸など「雷竜」の牙で噛み砕き、幸福すら跪かせる「力」が自分にはあると信じていました。
それがどうしたことでしょう。
学園に来たら、化け物が二人も居ました。
学園生の中にも、メイリーンやクロウ、ーーそれからティノ。
この九星巡り。
誰も殴っていませんし、蹴ってもいません。
明らかに、異常事態です。
職員や警備員の中にも、ヤバそうなのが幾人か交じっています。
初日から学園の甘ちゃんたちをいわしてしめるつもりだったのに、ずいぶんと予定が狂ってしまいました。
鈍っている。
軽く頭を振ったギルは実感します。
体よりも精神のほうが心配です。
それを助長するような要因。
よりによって、なぜナインが対戦相手なのでしょう。
「何て顔をしているんだ、ギル」
「いつもの太々しい、小生意気な面してんだよ」
フィールドに立って体を解していると、試合を終えたファロが戻ってきました。
そのまま通りすぎるのかと思ったら。
なぜかファロは横に並び、一緒に炎竜組の面々に視線を向けました。
「九星巡りも顔を突き合わせているんだ。誤魔化せると思うな。さっさと吐け」
「……いや、なぁ。まぁ、知らねぇだろうけどよ、俺たちが居たとこじゃ、女子供には手ぇださねぇって決まりごとみたいのがあったんだよ」
体だけでなく、精神も図太い。
ギルは「八創家」に似つかわしくない少年を見て、内心で溜め息を吐きました。
ギルに気を遣わずに話しかけてくるのは、地竜組ではファロとディズルだけです。
何だかんだで、話した回数が一番多かったのはファロ。
とはいえ、彼は友人などではありません。
では、何なのかというと。
考えるのも馬鹿らしくなってきたので、ギルは考えないことにしました。
「それなら知っている。男どもの喧嘩をある程度、容認する。それによって発散させつつ、逆の部分では、女子供への暴力は許さない。ギルたちの仲間内では、女子供に手をださない、っていう不文律みたいのがあっただろうし、それどころか、女子供に手をだす奴は、排除したり制裁を加えたりといった自浄作用が働いていたんだろ」
「……だからあれほど拾い食いは駄目だと」
「心配するな。拾ってきたのは、あの御方ーーベズ先生だ。今、僕が言ったのは、ベズ先生の受け売りだ。どこまで許容するかによって人々を制御する、治安維持の為の方法の一つ。ーーベズ先生は凄い。『聖語』だけじゃないんだ。まるで知識の泉だ。『八創家』のことで、少し相談に乗ってもらおうと思ったら、……怠け者を自認する僕が、自分から知識を求めていた」
「……竜が帰っていくぞ」
「吐くまで続けるぞ。特に若者って奴は、どうにもじっとしていられない、そんな感じの『熱情』を抱えている。それを正しく発散できないなら、制約をつけた集団に適宜吐きださせて……」
「あー、わかったって。わかったから、ちょいと黙れ」
炎竜組は総出で、樹木ーーというか木材を運んでいます。
問題は、その木材らしきものの、大きさと数。
武器や道具の使用は可。
ルールではそうなっていますが、あれを何に使うのか、いまいち予想がつきません。
「何てーか、生意気そーなイゴとか、小生意気そーなリフとかだったら、ふつーにぶっ飛ばせるんだけどよ」
「ひ弱そうで、人が良さそうなーーえっと、ナインか。あいつとでは遣りにくいんだろ?」
ーーナイン・ラズウェル。
ーーギル・バーン。
ファロは上空の名前を見て、ナインの名を口にします。
ファロと同様に、ギルもまた、対戦相手が決まるまでナインの名を覚えていませんでした。
クラスの違う、目立たない生徒。
逆に、炎竜組には目立った者が多く居たので、埋没してナインを認識していなかったとしても仕方がないことです。
ーー遣りにくい。
ファロの言ったことは、事実以外の何物でもないので、ギルは話を逸らすことにしました。
「それよりも、だ。『爆炎』なんて隠し竜、やってくれんじゃねぇか」
「あー、あれかぁ。子供の頃に見た、『家宝』みたいな本に書いてあったんだ。そのときに暗記したのを、さっき思いだして使ってみたら上手くいった」
「オイオイ、ぶっつけ本番かよ」
「まぁ、そうともいう。ーーイゴに勝つ為には、そんくらいの『聖語』が必要だと思ったし、まぁ、あとは打算だけどな。『爆炎』を使えば、勝とうが敗けようが僕の評価は下がらない、っていうのはあった」
その図太さは、正に竜心。
結果、成功させてしまったのですから、やっぱりファロは油断のならない相手です。
ルッシェルのことを持ちだし、揶揄ってやりたいところでしたが、時間は有限。
そろそろ切り替えないといけません。
「あの丸太とか、腕くらいの長さの木材とか。何に使うと思う?」
「そうだなぁ。まず考えられるのは、ーー武器として飛ばす。あの大きさと数なら、『結界』以外じゃ、いや、『結界』だって危ないなぁ。普通なら無理だけど、イゴがやってたような『技』があるんなら、可能かもしれない。もう一つは、防御に使う、かな」
「防御?」
「『結界』じゃない、『檻』のような物理的な防御として使うとか。その『檻』が壊せないんなら、一方的に撃たれるだけになるなぁ」
おおむね、ギルの考えと同じでした。
攻撃と防御。
どちらに使われても、厄介なことになりそうです。
その上、イゴが使っていた「技」のこともあります。
イゴだけが特別ーーということはないでしょう。
当然、ナインや他の「邪聖班」のメンバーも使ってくるはずです。
振り返って「裏切り者」のメイリーンに確認しようとしたところで。
ファロに肩をつかまれました。
「ーーギル。お前が敗けると、僕たちは二敗だ。そうなれば、全敗もあり得る。結局、僕はずっと5位で、お前を抜けなかったからなぁ。僕より上なんだから、僕より無様な戦いをしたら、一生嗤ってやるから覚悟しておけ」
ーー痛い。
ーー触るな。
いつもならでてくる、そんな軽口が、ギルの喉元から、いえ、心から漏れだすことはありませんでした。
歓楽街にいた頃と、学園にいる今。
ギルは何も変わっていません。
試合が始まれば、昔のように「暴れ馬」になることができます。
そんなことを考えている時点で。
かつての自分ではなくなっていることを、ギルは自覚せざるを得ませんでした。
丸太や木材を運び終えたようで、「邪聖班」のメンバーが選手席に戻ってゆきます。
やっとこ出番が回ってきたので、中央に立っているベズに向かい、歩いてゆくとーー。
「うがーっ! 『暴れ馬』の糞野郎だ! 血塗れでハラワタぶちまけろ!!」
「敗けろ敗けろ敗けろ敗けろ!! 地面にのたうって地の国まで逝け~~っ!!」
「聖技場」の「地竜席」から、ドゲドゲした心温まる声援が送られてきます。
頭が悪いことがバレるから黙っていろ。
誰も彼も、ギルが一度は殴り飛ばしたことがある者たちでした。
学園に入園してから九星巡り。
それくらいでは、ほとぼりが冷めることはなかったようです。
「きやぁ~っ、ナインちゃんよ、がんばって~」
「怖かったら逃げてもいいのよ! 危ないことはしないで~」
ナインには風竜席から、ぽよぽよな心温まる声援が送られています。
黄色い、というか、黄緑色の悲鳴。
南地域に住んでいる「おばさま」、もとい「お姉さま」たちからの生温かい声援です。
「父は人が良くて、地域の相談役みたいなこともやっているから、僕は近所の『お姉さん』たちから可愛がられていたりするんだ」
「ん?」
一見すると、ナインは穏やかで内向的な性格をしているように見えましたが。
「お姉さま」たちに手をふっているナインからは、ファロに似た「芯」のようなものを感じ取ることができました。
緊張はしているようですが、怖じけづいてはいません。
「お姉さん」たちの声援に困ってはいるようですが、冷静に対処しています。
「先ず、『刻印』で『結界』を張ります。効果が切れるまでに、通常の『聖語』で『結界』を張ります。それから『家族』に魂を注ぎ込みます」
「ふーん?」
ファロとイゴの試合に鑑みるに、ナインが嘘を吐く理由はありません。
ーー「家族」。
聞けば答えてくれそうでしたが、ギルは尋ねることはしませんでした。
ナインはギルに。
礼儀、というか正々堂々と試合を行うことを告げようとしていたのかもしれませんが。
そんなもの。
ギルからすれば、嘗められているのと同義。
ーー何があるかわからない。
ーー存在するものはすべて利用する。
ーープライドなんぞ糞食らえ。
喧嘩は、嘗められたら終わりです。
それを全力で否定してきたのがギルです。
これまで誰一人として、「暴れ馬」の背には乗せませんでした。
この感覚。
少しだけーー戻ってきました。
目がチカチカします。
吸った空気が、不味い。
頭の中がどす黒いもので埋まってゆく感覚。
わかります。
肌が焼けるように熱くなって、これからーー。
『それでは、二試合目。ギル・バーンとナイン・ラズウェルの試合を開始します』
ベズが「結界」を張り、20歩離れ、アリスの声に続き、鐘の音。
どれもこれも、ギルは正しく認識できていませんでした。
喧嘩は、冷静に狂ったほうが勝ち。
「地竜組」とか馬鹿どもの「罵倒」とか、それこそ対戦相手のナインだってもう関係ありません。
「おっらぁああっ!!」
「っ!?」
当然、間に合いません。
ナインは「刻印」に触れるだけ。
そんなことはわかっています。
わかっているからこそ、やるのです。
相手が攻撃してこないのであれば、全力で攻撃と妨害をするのみ。
全力でナインに向かって駆けたギルは、飛びかかるように蹴りをかまします。
「結界」は壊れないものではない。
ギルは不完全な「結界」をこれまで幾つも壊してきました。
喧嘩の最中に、正しく「聖語」を刻める者など稀です。
ギルはそのことを熟知していました。
「だらっしゃああっ!!」
「けっかい」
3度目で罅が入り、5度目の蹴りで「結界」を破壊。
同時に、ナインの「聖語」が発動します。
ギルが「暴れ馬」の如く攻撃したのは。
ナインの心を搔き乱すーー動揺させる為でもありました。
荒事を経験したことがない人間は、攻撃をされる以前に、大声で怒鳴られただけでも委縮してしまうものです。
でも、ナインの「聖語」は。
まるで心の熱量を表すかのように、揺るぐことなく確実に刻まれていました。
「ちっ」
「結界」の内側で、ナインは新たに「聖語」を刻み始めます。
この「結界」は破れない。
ギルは自分が刻める「聖語」で最も威力が高い「雷槍」を使おうとしましたが、即座に指をとめます。
わずかな可能性よりも、手の内を晒さないほうを選択します。
「なん、だ?」
「結界」の内側に置いてあった丸太が浮かび上がりました。
いえ、浮かび上がったというより、上下の四本の木材に押されるように持ち上がったのです。
「はぁ、そういうことかよ」
近づいてみて、わかりました。
丸太と、木材が置いてある場所。
その配置はーー。
『これはもしや、『聖人形』ですかな?』
『そう、簡易的な『聖人形』。ナインは、コレを十体使役、いえ、『家族』と共闘することになるわ』
2体目が立ち上がったところで、アリスの説明が終わりました。
イオリとマル。
観客たちのほとんどは知る由もありませんが。
本物と見紛う「聖人形」を見慣れている学園生たちからすれば、ナインのそれは悪夢のような「駄人形」でした。
真ん中の丸太に、真っ直ぐな棒の手足と、無いと見た目が悪くなるのか、薪のような頭が乗っています。
あんな出来損ないでは、動くかどうかさえ怪しいところでしたが。
立ち上がった4体は、前衛ということでしょうか、思った以上の安定性を見せながら「結界」の端まで歩いてゆきます。
『高度な技術ーーですが、即興となると、現在ではこれが限界なのでしょうな』
『ええ、そう。ナインは階段を上っている途中。たとえどれほど粗悪で醜悪で、みすぼらしかったとしても、幾百、幾千失敗しようとも、その先を見詰めるからこそ諦めない。この姿から目を背ける者は、この姿を嗤う者は。この先『聖語使い』を名乗ることを恥じなさい』
アリスの言葉で。
「駄人形」たちの姿に、嫌悪や畏怖といった感情を抱き、悪感情が溢れだしそうになっていた「聖技場」が静まりました。
それから。
観客たちの幾人かが、ナインが刻む「聖語」がおかしいことに気づきました。
間近で見ているギルも気づきます。
ナインの「聖語」の半分ほどしか「読刻」で読み取ることができないのです。
それと、「結界」が張ってあったから見落としていましたが。
ナインは「聖語」を口にせず、無言で刻んでいます。
「まぁ、だいたいわかった、と」
何でもあり。
それが喧嘩でのギルの強味だったからわかります。
目新しい技術ーー「聖語」。
でも、それだけなのです。
これまで見た「新技」の中で、厄介なのは「刻印」だけ。
それ以外は、兆候があればわかります。
ナインは片腕の「刻印」を使ったので、もう片方を警戒しておけば良いだけです。
指針が決まったので、ギルは準備を始めます。
9体目が起き上がり始めるーーこのタイミング。
「駄人形」の動きが鈍いと見越しての、先制攻撃を敢行します。
「はにはにい、ごさろろいくなじ、さなごじくご、ろごごごくいさ、いさなごじく、いごなごいじな」
他の系統と違い、刻みにくいとされている雷系の「聖語」を、ギルは正確に刻んでゆきます。
「雷」ーーその性質と関連があるのか、通常よりも乱れた「聖語」をギルは気に入っていました。
目論見通り。
10体目が立ち上がると同時に「結界」が消え、「駄人形」たちが動き始めます。
「らいそう!!」
刻んだ「聖語」の淡い光が、消え去る前に強烈な光によって弾け飛びます。
雷系の「聖語」の特徴的な発現。
精神を掻き毟るようなこの瞬間。
これまで、ギルが「強敵」だと認めた相手にだけ放ってきた「聖語」。
「いいぃぎぎぃあっ!!」
本来なら、そんなことをする必要はないのですが。
頭上の「雷槍」をつかみ取った瞬間ーーガチリ、とギルの内側で爆ぜます。
勢いのままに、全身を使って「雷槍」を投擲。
『なっ!? ……手でつかみ投げるなど、何と無意味なことを』
『ええ、無意味ね。でも、無意味だからこそ、意味があることもあるのよ』
外野が何かほざいていますが。
スイッチが入ったギルにはもう聞こえていません。
地竜組は、フィフェス、ギル、リース。
ディズルの他に、「兆候」を見せ始めていた者たちです。
ベズは。
幾つかの方術を行使し、ギルが暴走しないように「力」を抑え込みました。
「ぶはっ!」
「雷槍」が「駄人形」の胴に直撃。
その無様な結果に、ギルは噴きだしました。
「駄人形」の、胴体の丸太の表面が少し焦げただけで、「人形」の動きにはまったく影響はありません。
頭よりも早く、体が動きだします。
迫ってくる緩慢な動きの「駄人形」たちを置き去りに、半円を描くようにギルは走ってゆきます。
「駄人形」は「武器」。
なら、いちいち相手をする必要はありません。
「本体」ーーナインを叩けばそれで終わりです。
体が動いたので、次は頭が働き始めました。
「駄人形」相手には。
「雷」と、それから「炎」系統も効果は薄そうです。
そうなると、「風」や「水」、一番効果がありそうなのは「土」系統でしょうか。
でも、ギルが最も苦手としているのが土系の「聖語」。
土系は、精確さを要求する、面白味のない「聖語」。
そう、土系が得意なのが、ディズルです。
前日まで特訓をする馬鹿。
嫌いながらも、心の底までは嫌いになれなかったディズル。
あの、「糞」と「真面目」をごちゃ混ぜにしたディズルがどのような戦い方をするのか見たかったのですが、今となってはどうでも良いことです。
「がははっ!」
ギルは。
目の前の光景に歓喜します。
半円を描き、強襲しようとしたギルに対し、ナインもまた、同じ動きをしていたのです。
それだけではありません。
「駄人形」を避けなければいけないギルと違い、ナインは「人形」たちの内側を移動することもできます。
冷静に状況を判断し、ナインは過たず実行しているのです。
もはやナインは。
ギルにとって、「敵」を超えた「何か」でした。
その瞬間。
ギルは、体の内側で暴れ回っていたものを、発意のまま言葉に乗せて吐きだしました。
「らいりゅうっっ!!!」
それは。
何の意味もない「聖語」でした。
刻んだところで、何も起こりません。
無意味だからこそ意味がある。
アリスが言った通りに。
ギルは、無意味なことをしました。
意味を失って、無意味に。
ギルは。
「武器」になりました。
「ざぃや!!」
ーー「武器」は恐怖など感じません。
「だっ!?」
「駄人形」の腕を避けながら、頭部に腕を回すと。
「人形」の首が捥げました。
人間なら頭は急所となりますが、相手は「人形」。
どうやら頭はお飾りだったようで、首無し「人形」は元気に動いています。
「そぃや!!」
奥にナインを護るように、3体。
前衛の4体を抜けたら、ーー罠。
「うはっ!」
まったく、嫌に、いえ、楽しくて仕方がありません。
あんな虫も殺さないような顔をしている癖に、ナインは獲物の狩り方がわかっているのです。
「頭」がお飾りなら、「腕」や「足」はどうでしょう。
それに、それらは全部、「胴」にくっついています。
「あぁあぃや!!」
前衛と中衛に取り囲まれましたが。
手間が省けたというものです。
「胴体」に蹴り。
それだけで足りないとなれば、体当たり。
自分が攻撃する分には「痛み」があるようで、体の芯まで響きます。
ーー「武器」は痛みなど感じません。
2体が倒れたので、「腕」と「足」を「胴体」から強引に引き離し、「人形」を「殺し」ます。
正面の「駄人形」の攻撃を躱した瞬間、背中に攻撃を食らいました。
「結界」の効力なのか、押されるような衝撃はありましたが、「痛み」はありません。
『『有効打』、一つ』
アリスの声が「聖技場」に響き渡り、ギルの耳にも届きます。
届いてしまいます。
まだまだ足りないようです。
ーー「武器」は痛みなど感じません。
ーー「武器」は何も考えません。
「ぎぃや!!」
目の前に居る、「障害」。
「排除」「排除」「排除」。
壊れるまでが、いえ、壊れても尚、噛み砕くのが「武器」の「役目」。
「排除」「排除」「排除」「排除」。
「ぃいっ!!」
7体「排除」。
相手の「武器」の性能が向上。
10体を操っていた「聖語」を、ナインは3体に集中。
もう「駄人形」ではありません。
立派な「武器」です。
『『有効打』、二つ』
「ぁああっ!!」
痛くないはずなのに痛い。
何も考えないはずの「武器」なのに、伝わってきてしまいます。
防御する為に、「駄人形」の「腕」に自分の腕をぶつけたら、攻撃と判断されたらしく腕から感覚がなくなります。
「右腕」が「壊れた」ので、「盾」として使います。
動けなくなったら終わりなので、「両足」を護る為に、「左腕」が「半壊」。
何て顔をしている。
ギルは、「武器」がーー「家族」が使い物にならなくなるごとに「痛み」を宿してゆくナインの顔を見ました。
「ばぁっっ!!!」
「っ!」
避けられない「人形」の攻撃を、「有効打」とならないように左腕を挟んで頭で迎撃。
それからーー。
宿っていた「雷竜」が体から抜けだしたかのように。
ギルは動きをとめました。
ギルが弾き飛ばした「人形」の、最後の1体にぶつかって、倒れるナイン。
彼もまた、動きをとめます。
「戦意喪失と判定。勝者、ギル・バーン」
ベズから、勝者の名が告げられましたが。
ギルの壮絶な肉弾戦に圧倒され、いまだ「聖技場」はピリピリとした緊張感に包まれています。
「暴れ馬」ならぬ「雷竜」の羽搏きの余韻に。
歓楽街の荒くれ者たちも、魂が痺れ、声がでてきません。
「おい、ナイン。何で最後、『刻印』だったっけか? もう片方の『結界』使わなかったんだ?」
早く選手席に戻らないといけないというのに。
ギルは、ナインに尋ねてしまいました。
「ーーうん。『結界』の『刻印』を使って仕切り直せば、もう限界だったギルに勝てたかもしれないね」
「じゃあ、何でそーしなかったんだよ」
麻痺していた痛みが熱を伴って襲ってきましたが、答えを聞くまでは戻るわけにはいきません。
ちらりとベズを見ましたが、彼は明後日の方向に視線を向けていました。
首を動かすのも難儀だったので、視線だけ向けると。
上空に、ギルとナインの姿が映しだされていました。
「『聖人形』はね、最初に言った通り『家族』なんだ。『家族』は一緒に居るのが一番いい。……感傷的かもしれないけど、『結界』で『家族』との間を分断したくなかったんだ。最後まで一緒に戦って勝つーーそれが本当の勝利だと思ったから」
観客席からたった一つーーナインにとっては唯一の、拍手が聞こえてきました。
ナインの母親。
女性の表情を見た瞬間に、ギルは理解してしまいました。
羨ましい、などとギルは思っていません。
「家族」は、ギルが最初に捨てたものです。
やがて「聖技場」は拍手に包まれ、喚声が飛び交います。
らしくなく、感傷的になってしまったギルは。
予兆はあったというのに、最後まで気づくことができませんでした。
「ほらよ」
ギルは、倒れているナインに手を差しだしました。
まだ動いてくれた「半壊」の「左腕」。
健闘をたたえ合う、その光景に「聖技場」がさらに沸いたところで。
ナインは。
ギルの手をつかみましたーーそれはもう、握り潰すくらい、思いっ切り。
「っっっ!?!」
「はぁ、早く後ろに体重をかけて。そうしないと起き上がれないよ」
上空に自分たちの姿が映っていないことを確認してから、ナインはギルに命令しました。
命令に逆らえば、さらなる追撃がやってきます。
この場で気絶するのは不味い。
体中が悲鳴を上げていますが、ギルは唯々諾々と命令に従います。
「僕の容姿や喋り方に誤魔化される人が多いけど、僕って結構容赦がないし、目的の為には手段を選ばない性格なんだ」
「お、ぎっ、げ…、がっ、とぉ~」
幾度となく「人形」を殴って、骨が折れているかもしれない手を、ナインに「揉み揉み」されてしまいます。
それでも何とかナインの手を引っ張って立ち上がらせると。
ナインが自分で言っていたように、本当に容赦がありません。
追撃の「雷竜の息吹」がギルを昏倒間際まで追い込みます。
「次はもっと制御が上手くなっているし、『家族』の系統の付与とかもできるようになっておくから、ーー次を覚えていやがれ」
ナインの言葉とは裏腹の、純真無垢な笑顔に。
騙された観客たちは大盛り上がり。
こいつ、ヤバい。
ギルはやっとこ、目の前の少年の「腹黒さ」を理解しました。
ナインは、観客に微笑ましい場面を見せることで、ギルの肉弾戦にドン引きしていた観客たちの心を引き戻しました。
ギルへの宣戦布告と、報復というか嫌がらせと併行しながら、平然とやってのけたのです。
黄緑色の声援に応えながら、笑顔で歩いてゆくナイン。
「はぁ、歓楽街の馬鹿どもよりも、よっぽど厄介じゃねぇか」
「残りの『治癒』は、待機所で行う。少ししたら行くから、先に戻っていなさい」
「うおっ!?」
気配もなく近づかれ、ギルは体を動かしてしまいましたが。
痛みが和らいでいました。
とはいっても、それは表層部分のことで、体の奥は鈍く重たいままです。
まだ無理はできないでしょう。
振り返ってみると、ベズは「聖語」で地固めを行っていました。
主に、「聖人形」が倒れるなどしてできた凸凹です。
炎竜組のほうは、「聖人形」のお片づけ。
そんなわけで、ギルも選手席に戻るーー途中で、フィールドで待機していたフィフェスに話しかけました。
「お嬢さん。わかってるよな?」
「はい、わかっています。私では、ソニアさんに勝てません。であるなら、私の役割は、試合を長引かせることです」
正しい現状認識。
そうであるというのに、フィフェスの姿を見たギルは。
なぜか納得が、いえ、釈然としませんでした。
その答えに辿り着く前に、地固めを終えたベズが遣って来ました。
「フィフェス君。君もいったん、選手席まで戻りなさい」
「私も、ですか?」
「ああ、これまでのことについて話す」
ギルはフィフェスを見ましたが。
彼女の視線はギルではなく、通りすぎてゆくベズの背中に向けられていました。
その視線に乗せられているのは、ベズへの揺るぎない信頼。
困ったことに、ギルと同じものでした。
「あー、えっと、あたしは待機所の奥に行ってたほうがいいですか?」
「メイリーン君も知っていることだから構わない。そのまま座っていなさい」
「あ、はい」
ベズが答えると、借りてきた仔犬のようにメイリーンは大人しくなりました。
妙な雰囲気の中、地竜組の4人がベズの前に並びます。
「ここまで、君たちには何も教えていなかった。すまない。謝ろう」
「え……?」
ベズは。
皆に向かい、静かに頭を下げました。
驚いたメイリーンが声を上げますが。
ベズの人間性に触れてきた地竜組の皆は、彼の謝罪を動揺することなく受け留めます。
「理由は、説明してくださるのですよね」
地竜組を代表し、クロウが尋ねました。
頭を上げたベズは、普段と変わらない眼差のまま、話し始めます。
「むろんだ。この度の一件。ティノ君が『邪聖班』に勝手に教えたーーと表向き、そういうことになっているが、当然、私と学園長も加担している。君たちもおおよそ察しがついていると思うが、この『対抗戦』にて、『聖語使い』たちの『その先』を見せる必要があった」
「私たちに教えてくれなかったのは、『聖研』の皆に『その先』の『聖語』を使わせない為ですか?」
ギルは視線を向けて確認しましたが、クロウの言葉を理解しているのはベズだけのようでした。
どうも、「その先」に触れているはずのメイリーンも理解が及んでいないようです。
「『その先』の『聖語』は、一見眩く見える。だが、君たちならわかるはずだ。あれは一歩、先に進んだだけのもの。『聖語使い』であるなら、手を伸ばせば届くものだ。ここで君たちまで『邪聖班』と同じく『その先』の『聖語』を使ったならーー」
「観客たちは、『新たな聖語』に魅了されることになる」
「クロウ君の言う通りだ。これまで自分たちが歩いてきた道。紡いできた『聖語』。その重要さから目を背けてしまうことになる。それではいけないのだ。これまでの『聖語』は無駄ではなかったのだと、これまでの『聖語』にも意味はあったのだと、誰かが示してやる必要がある。それにーー」
ベズは言葉を切って、一人一人に眼差しを送ります。
穏やかで、どこか遠くを見詰めているようなーーベズの眼差し。
ギルでさえ、そこから逃れることはできませんでした。
「君たちならば、それでも勝てると私は思った。そう信じたからこそ、私は最後まで君たちに明かさずに済んだ」
ギルは。
跳ね飛ばすつもりでした。
でも、動いてくれませんでした。
腕が痛くて動かない。
考えついた言い訳が、あまりにもお粗末だったので。
ギルはもう、どうでもよくなってきてしまいました。
「ギル君、よくやった。『聖語』とて、一つの手段。その拳一つで、その体一つで、打ち破ることも可能。『聖語』が先に向かえば、必ず『聖語』に傾倒しすぎる者が現れる。そんな未来の愚か者たちに、君は強烈な鉄槌を食らわせてやった」
頭を撫でられる。
そんなことをギルが許すはずがありません。
天竜と地竜が引っ繰り返っても、あり得ないことです。
でも、仕方がありません。
用意周到なベズは。
すでに言い訳を用意していました。
「これは『隠刻』による『治癒』だ。『聖語』を刻んでいるーーそれを相手に気取られなければ、すべて『隠刻』となるが、その種類は様々だ。イゴ君は、複数の『技』。ナイン君は、『その先』の『聖語』を匂わせた。ここから先、『隠刻』や重複の『聖語』、『改変』なども用いてくる可能性がある。ーー良し、『治癒』は済んだ」
ベズの手が、ギルの頭から離れます。
喪失感と、それを上回る充足感。
もう、認めないわけにはいきません。
学園に来るまで、大人たちは「敵」でした。
いえ、「敵」であると思っていなければ、ギルという存在を成り立たせることができなかったのです。
そうして気づきました。
そんな大人たちの中で。
ただ一人、ベズだけが正面からギルを見てきたのです。
ギルが勝手に思い込んでいた、「大人」という無意味な「枠」の中から向けられたーー「本物」。
あんなものを向けられたら。
竜だって逃げられません。
「敵」の正体を知ってしまったギルは。
仏頂面のまま、ーー有頂天竜です。
風竜もおまけに、空に舞い上がりたい気分でした。
地竜組のメンバーに見透かされようが構いません。
ベズに褒められたーー認められたのです。
勝てて良かった。
信じてくれたベズの信頼に応えることができたのです。
「ファロ君には申し訳ないことをした。本当に、何も知らない状態で送りだしてしまった」
「いや、問題ないです。何かあるだろうなぁ、とは思っていたし、全力をだし切ることはできました。『対抗戦』はもう一度あるだろうから、そこで、次は勝ちます」
本当に問題ないと思っているようで、ファロはいつも通りの軽口。
でも、その内に秘められたものを、皆は感じ取ります。
話は終了ーーそう思ったところで、クロウが半歩前にでました。
「ベズ先生。次の試合、フィフェスが不利に過ぎます。できれば、助言をお願いします」
「くっ、クロウさん!?」
特別な感情は一切なく、助言を乞うクロウと、特別な感情がたんまりなフィフェス。
試合前だというのに。
ギルは、どうしたものかと悩んでしまいました。
ギルも認めざるを得ない「天才」だというのに。
なぜか、未だにクロウは気がついていないのです。
変に突っ込むと、フィフェスが自爆して試合がおじゃんになってしまいかねないので、ギルはベズに任せることにしました。
「ふむ。そうなると、私よりもメイリーン君から聞いたほうが良さそうだ」
「ほ……、へ? あ、あたし……ですか?」
「頼む」
「っ!?」
ベズに頼まれたメイリーン。
こっちもか。
学園に来てからは女旱だったので、ギルはこの甘ったるい空気に耐えられそうにありませんでした。
クロウとファロはこなれていないでしょうから、仕方がなくギルが促します。
「んで、ソニアの『聖語』は、どんくらいなんだ?」
「お、ひゅ……。……あー、えっと、あたし、ティノに勉強教わって、何度か一緒に寝ちゃって、……って、違いますよ!? 何にもありませんからっ、それでソニアが遣って来て、どっかん! というか、ぼっかん! っていうか!?」
こういう話題になると、男は形無し、ではなく用無しです。
そんなわけで、係わるのは最小限に。
ギルは、指をメイリーンに向け、今度はフィフェスを促しました。
「3度も『暴走事件』が発生しました。それで、メイリーン。何度目のことなのか、先ずそこから答えてください」
「さ、3度目……?」
「そのとき、何があったのですか?」
さすがは「優等生」のフィフェス。
一つ一つ、的確にメイリーンから言葉を引きだしてゆきます。
「な…何っていうか、あたしたちはティノから、『原聖語』の先の『聖語』を教えてもらってたんだけど。ーーそのとき、ソニアが刻んだ『聖語』がわからなかったのよ」
「それって、メイリーンが馬鹿だか…だぁっ!?」
ついうっかり、我慢できず、ギルは本音を駄々洩れにしてしまいました。
その刹那。
照れ隠しにしては過激なメイリーンの一撃を、ギルはギリギリ回避。
躱せたから良かったものの、冷や汗ドバドバです。
「って、試合終わったばっかだってのにっ、殺す気か!」
「何よ。『聖拳』使ってないんだから、当たったって大したことないわよ」
いえ、あれは死ねる一撃でした。
でも、命の危機に瀕したというのに。
皆はギルを見ていませんでした。
「フィフェス君。今回は、君の優れた『読刻』は役に立たない。逆に、ソニア君にはすべて読み取られてしまう。すまないが、私が言えるのはここまでだ」
「いえ、大丈夫です。『読刻』で読み取られても読み切れない、そんな方法があります」
これだから女という奴は。
どうやらギルは勘違いしていたようです。
確固たる歩みで、ソニアに向かって歩いてゆくフィフェス。
これからは「お嬢さん」ではなく「フィフェス」と呼んでも良いかもしれない。
ギルはフィフェスを侮っていたことを恥じ、それからーー。
今の彼女に相応しい、荒っぽい声援を送ったのでした。
中央の歓楽街での、ギルの二つ名でした。
「暴れ竜」や「雷竜」のほうが良かったのですが。
自分で自分に二つ名をつけるような小っ恥ずかしい真似などできるはずもありません。
「馬」となってしまったのには、男どものやっかみも含まれています。
長身でどこか陰のあるギルは、歓楽街の女性にモテました。
噂に竜の角や尻尾がついてしまったとはいえ、彼の夜の武勇伝は夙に有名でした。
はっきり言って。
ギルは人生を嘗めていました。
世の中にあるのは、「敵」ではなく「踏み台」だけ。
不幸など「雷竜」の牙で噛み砕き、幸福すら跪かせる「力」が自分にはあると信じていました。
それがどうしたことでしょう。
学園に来たら、化け物が二人も居ました。
学園生の中にも、メイリーンやクロウ、ーーそれからティノ。
この九星巡り。
誰も殴っていませんし、蹴ってもいません。
明らかに、異常事態です。
職員や警備員の中にも、ヤバそうなのが幾人か交じっています。
初日から学園の甘ちゃんたちをいわしてしめるつもりだったのに、ずいぶんと予定が狂ってしまいました。
鈍っている。
軽く頭を振ったギルは実感します。
体よりも精神のほうが心配です。
それを助長するような要因。
よりによって、なぜナインが対戦相手なのでしょう。
「何て顔をしているんだ、ギル」
「いつもの太々しい、小生意気な面してんだよ」
フィールドに立って体を解していると、試合を終えたファロが戻ってきました。
そのまま通りすぎるのかと思ったら。
なぜかファロは横に並び、一緒に炎竜組の面々に視線を向けました。
「九星巡りも顔を突き合わせているんだ。誤魔化せると思うな。さっさと吐け」
「……いや、なぁ。まぁ、知らねぇだろうけどよ、俺たちが居たとこじゃ、女子供には手ぇださねぇって決まりごとみたいのがあったんだよ」
体だけでなく、精神も図太い。
ギルは「八創家」に似つかわしくない少年を見て、内心で溜め息を吐きました。
ギルに気を遣わずに話しかけてくるのは、地竜組ではファロとディズルだけです。
何だかんだで、話した回数が一番多かったのはファロ。
とはいえ、彼は友人などではありません。
では、何なのかというと。
考えるのも馬鹿らしくなってきたので、ギルは考えないことにしました。
「それなら知っている。男どもの喧嘩をある程度、容認する。それによって発散させつつ、逆の部分では、女子供への暴力は許さない。ギルたちの仲間内では、女子供に手をださない、っていう不文律みたいのがあっただろうし、それどころか、女子供に手をだす奴は、排除したり制裁を加えたりといった自浄作用が働いていたんだろ」
「……だからあれほど拾い食いは駄目だと」
「心配するな。拾ってきたのは、あの御方ーーベズ先生だ。今、僕が言ったのは、ベズ先生の受け売りだ。どこまで許容するかによって人々を制御する、治安維持の為の方法の一つ。ーーベズ先生は凄い。『聖語』だけじゃないんだ。まるで知識の泉だ。『八創家』のことで、少し相談に乗ってもらおうと思ったら、……怠け者を自認する僕が、自分から知識を求めていた」
「……竜が帰っていくぞ」
「吐くまで続けるぞ。特に若者って奴は、どうにもじっとしていられない、そんな感じの『熱情』を抱えている。それを正しく発散できないなら、制約をつけた集団に適宜吐きださせて……」
「あー、わかったって。わかったから、ちょいと黙れ」
炎竜組は総出で、樹木ーーというか木材を運んでいます。
問題は、その木材らしきものの、大きさと数。
武器や道具の使用は可。
ルールではそうなっていますが、あれを何に使うのか、いまいち予想がつきません。
「何てーか、生意気そーなイゴとか、小生意気そーなリフとかだったら、ふつーにぶっ飛ばせるんだけどよ」
「ひ弱そうで、人が良さそうなーーえっと、ナインか。あいつとでは遣りにくいんだろ?」
ーーナイン・ラズウェル。
ーーギル・バーン。
ファロは上空の名前を見て、ナインの名を口にします。
ファロと同様に、ギルもまた、対戦相手が決まるまでナインの名を覚えていませんでした。
クラスの違う、目立たない生徒。
逆に、炎竜組には目立った者が多く居たので、埋没してナインを認識していなかったとしても仕方がないことです。
ーー遣りにくい。
ファロの言ったことは、事実以外の何物でもないので、ギルは話を逸らすことにしました。
「それよりも、だ。『爆炎』なんて隠し竜、やってくれんじゃねぇか」
「あー、あれかぁ。子供の頃に見た、『家宝』みたいな本に書いてあったんだ。そのときに暗記したのを、さっき思いだして使ってみたら上手くいった」
「オイオイ、ぶっつけ本番かよ」
「まぁ、そうともいう。ーーイゴに勝つ為には、そんくらいの『聖語』が必要だと思ったし、まぁ、あとは打算だけどな。『爆炎』を使えば、勝とうが敗けようが僕の評価は下がらない、っていうのはあった」
その図太さは、正に竜心。
結果、成功させてしまったのですから、やっぱりファロは油断のならない相手です。
ルッシェルのことを持ちだし、揶揄ってやりたいところでしたが、時間は有限。
そろそろ切り替えないといけません。
「あの丸太とか、腕くらいの長さの木材とか。何に使うと思う?」
「そうだなぁ。まず考えられるのは、ーー武器として飛ばす。あの大きさと数なら、『結界』以外じゃ、いや、『結界』だって危ないなぁ。普通なら無理だけど、イゴがやってたような『技』があるんなら、可能かもしれない。もう一つは、防御に使う、かな」
「防御?」
「『結界』じゃない、『檻』のような物理的な防御として使うとか。その『檻』が壊せないんなら、一方的に撃たれるだけになるなぁ」
おおむね、ギルの考えと同じでした。
攻撃と防御。
どちらに使われても、厄介なことになりそうです。
その上、イゴが使っていた「技」のこともあります。
イゴだけが特別ーーということはないでしょう。
当然、ナインや他の「邪聖班」のメンバーも使ってくるはずです。
振り返って「裏切り者」のメイリーンに確認しようとしたところで。
ファロに肩をつかまれました。
「ーーギル。お前が敗けると、僕たちは二敗だ。そうなれば、全敗もあり得る。結局、僕はずっと5位で、お前を抜けなかったからなぁ。僕より上なんだから、僕より無様な戦いをしたら、一生嗤ってやるから覚悟しておけ」
ーー痛い。
ーー触るな。
いつもならでてくる、そんな軽口が、ギルの喉元から、いえ、心から漏れだすことはありませんでした。
歓楽街にいた頃と、学園にいる今。
ギルは何も変わっていません。
試合が始まれば、昔のように「暴れ馬」になることができます。
そんなことを考えている時点で。
かつての自分ではなくなっていることを、ギルは自覚せざるを得ませんでした。
丸太や木材を運び終えたようで、「邪聖班」のメンバーが選手席に戻ってゆきます。
やっとこ出番が回ってきたので、中央に立っているベズに向かい、歩いてゆくとーー。
「うがーっ! 『暴れ馬』の糞野郎だ! 血塗れでハラワタぶちまけろ!!」
「敗けろ敗けろ敗けろ敗けろ!! 地面にのたうって地の国まで逝け~~っ!!」
「聖技場」の「地竜席」から、ドゲドゲした心温まる声援が送られてきます。
頭が悪いことがバレるから黙っていろ。
誰も彼も、ギルが一度は殴り飛ばしたことがある者たちでした。
学園に入園してから九星巡り。
それくらいでは、ほとぼりが冷めることはなかったようです。
「きやぁ~っ、ナインちゃんよ、がんばって~」
「怖かったら逃げてもいいのよ! 危ないことはしないで~」
ナインには風竜席から、ぽよぽよな心温まる声援が送られています。
黄色い、というか、黄緑色の悲鳴。
南地域に住んでいる「おばさま」、もとい「お姉さま」たちからの生温かい声援です。
「父は人が良くて、地域の相談役みたいなこともやっているから、僕は近所の『お姉さん』たちから可愛がられていたりするんだ」
「ん?」
一見すると、ナインは穏やかで内向的な性格をしているように見えましたが。
「お姉さま」たちに手をふっているナインからは、ファロに似た「芯」のようなものを感じ取ることができました。
緊張はしているようですが、怖じけづいてはいません。
「お姉さん」たちの声援に困ってはいるようですが、冷静に対処しています。
「先ず、『刻印』で『結界』を張ります。効果が切れるまでに、通常の『聖語』で『結界』を張ります。それから『家族』に魂を注ぎ込みます」
「ふーん?」
ファロとイゴの試合に鑑みるに、ナインが嘘を吐く理由はありません。
ーー「家族」。
聞けば答えてくれそうでしたが、ギルは尋ねることはしませんでした。
ナインはギルに。
礼儀、というか正々堂々と試合を行うことを告げようとしていたのかもしれませんが。
そんなもの。
ギルからすれば、嘗められているのと同義。
ーー何があるかわからない。
ーー存在するものはすべて利用する。
ーープライドなんぞ糞食らえ。
喧嘩は、嘗められたら終わりです。
それを全力で否定してきたのがギルです。
これまで誰一人として、「暴れ馬」の背には乗せませんでした。
この感覚。
少しだけーー戻ってきました。
目がチカチカします。
吸った空気が、不味い。
頭の中がどす黒いもので埋まってゆく感覚。
わかります。
肌が焼けるように熱くなって、これからーー。
『それでは、二試合目。ギル・バーンとナイン・ラズウェルの試合を開始します』
ベズが「結界」を張り、20歩離れ、アリスの声に続き、鐘の音。
どれもこれも、ギルは正しく認識できていませんでした。
喧嘩は、冷静に狂ったほうが勝ち。
「地竜組」とか馬鹿どもの「罵倒」とか、それこそ対戦相手のナインだってもう関係ありません。
「おっらぁああっ!!」
「っ!?」
当然、間に合いません。
ナインは「刻印」に触れるだけ。
そんなことはわかっています。
わかっているからこそ、やるのです。
相手が攻撃してこないのであれば、全力で攻撃と妨害をするのみ。
全力でナインに向かって駆けたギルは、飛びかかるように蹴りをかまします。
「結界」は壊れないものではない。
ギルは不完全な「結界」をこれまで幾つも壊してきました。
喧嘩の最中に、正しく「聖語」を刻める者など稀です。
ギルはそのことを熟知していました。
「だらっしゃああっ!!」
「けっかい」
3度目で罅が入り、5度目の蹴りで「結界」を破壊。
同時に、ナインの「聖語」が発動します。
ギルが「暴れ馬」の如く攻撃したのは。
ナインの心を搔き乱すーー動揺させる為でもありました。
荒事を経験したことがない人間は、攻撃をされる以前に、大声で怒鳴られただけでも委縮してしまうものです。
でも、ナインの「聖語」は。
まるで心の熱量を表すかのように、揺るぐことなく確実に刻まれていました。
「ちっ」
「結界」の内側で、ナインは新たに「聖語」を刻み始めます。
この「結界」は破れない。
ギルは自分が刻める「聖語」で最も威力が高い「雷槍」を使おうとしましたが、即座に指をとめます。
わずかな可能性よりも、手の内を晒さないほうを選択します。
「なん、だ?」
「結界」の内側に置いてあった丸太が浮かび上がりました。
いえ、浮かび上がったというより、上下の四本の木材に押されるように持ち上がったのです。
「はぁ、そういうことかよ」
近づいてみて、わかりました。
丸太と、木材が置いてある場所。
その配置はーー。
『これはもしや、『聖人形』ですかな?』
『そう、簡易的な『聖人形』。ナインは、コレを十体使役、いえ、『家族』と共闘することになるわ』
2体目が立ち上がったところで、アリスの説明が終わりました。
イオリとマル。
観客たちのほとんどは知る由もありませんが。
本物と見紛う「聖人形」を見慣れている学園生たちからすれば、ナインのそれは悪夢のような「駄人形」でした。
真ん中の丸太に、真っ直ぐな棒の手足と、無いと見た目が悪くなるのか、薪のような頭が乗っています。
あんな出来損ないでは、動くかどうかさえ怪しいところでしたが。
立ち上がった4体は、前衛ということでしょうか、思った以上の安定性を見せながら「結界」の端まで歩いてゆきます。
『高度な技術ーーですが、即興となると、現在ではこれが限界なのでしょうな』
『ええ、そう。ナインは階段を上っている途中。たとえどれほど粗悪で醜悪で、みすぼらしかったとしても、幾百、幾千失敗しようとも、その先を見詰めるからこそ諦めない。この姿から目を背ける者は、この姿を嗤う者は。この先『聖語使い』を名乗ることを恥じなさい』
アリスの言葉で。
「駄人形」たちの姿に、嫌悪や畏怖といった感情を抱き、悪感情が溢れだしそうになっていた「聖技場」が静まりました。
それから。
観客たちの幾人かが、ナインが刻む「聖語」がおかしいことに気づきました。
間近で見ているギルも気づきます。
ナインの「聖語」の半分ほどしか「読刻」で読み取ることができないのです。
それと、「結界」が張ってあったから見落としていましたが。
ナインは「聖語」を口にせず、無言で刻んでいます。
「まぁ、だいたいわかった、と」
何でもあり。
それが喧嘩でのギルの強味だったからわかります。
目新しい技術ーー「聖語」。
でも、それだけなのです。
これまで見た「新技」の中で、厄介なのは「刻印」だけ。
それ以外は、兆候があればわかります。
ナインは片腕の「刻印」を使ったので、もう片方を警戒しておけば良いだけです。
指針が決まったので、ギルは準備を始めます。
9体目が起き上がり始めるーーこのタイミング。
「駄人形」の動きが鈍いと見越しての、先制攻撃を敢行します。
「はにはにい、ごさろろいくなじ、さなごじくご、ろごごごくいさ、いさなごじく、いごなごいじな」
他の系統と違い、刻みにくいとされている雷系の「聖語」を、ギルは正確に刻んでゆきます。
「雷」ーーその性質と関連があるのか、通常よりも乱れた「聖語」をギルは気に入っていました。
目論見通り。
10体目が立ち上がると同時に「結界」が消え、「駄人形」たちが動き始めます。
「らいそう!!」
刻んだ「聖語」の淡い光が、消え去る前に強烈な光によって弾け飛びます。
雷系の「聖語」の特徴的な発現。
精神を掻き毟るようなこの瞬間。
これまで、ギルが「強敵」だと認めた相手にだけ放ってきた「聖語」。
「いいぃぎぎぃあっ!!」
本来なら、そんなことをする必要はないのですが。
頭上の「雷槍」をつかみ取った瞬間ーーガチリ、とギルの内側で爆ぜます。
勢いのままに、全身を使って「雷槍」を投擲。
『なっ!? ……手でつかみ投げるなど、何と無意味なことを』
『ええ、無意味ね。でも、無意味だからこそ、意味があることもあるのよ』
外野が何かほざいていますが。
スイッチが入ったギルにはもう聞こえていません。
地竜組は、フィフェス、ギル、リース。
ディズルの他に、「兆候」を見せ始めていた者たちです。
ベズは。
幾つかの方術を行使し、ギルが暴走しないように「力」を抑え込みました。
「ぶはっ!」
「雷槍」が「駄人形」の胴に直撃。
その無様な結果に、ギルは噴きだしました。
「駄人形」の、胴体の丸太の表面が少し焦げただけで、「人形」の動きにはまったく影響はありません。
頭よりも早く、体が動きだします。
迫ってくる緩慢な動きの「駄人形」たちを置き去りに、半円を描くようにギルは走ってゆきます。
「駄人形」は「武器」。
なら、いちいち相手をする必要はありません。
「本体」ーーナインを叩けばそれで終わりです。
体が動いたので、次は頭が働き始めました。
「駄人形」相手には。
「雷」と、それから「炎」系統も効果は薄そうです。
そうなると、「風」や「水」、一番効果がありそうなのは「土」系統でしょうか。
でも、ギルが最も苦手としているのが土系の「聖語」。
土系は、精確さを要求する、面白味のない「聖語」。
そう、土系が得意なのが、ディズルです。
前日まで特訓をする馬鹿。
嫌いながらも、心の底までは嫌いになれなかったディズル。
あの、「糞」と「真面目」をごちゃ混ぜにしたディズルがどのような戦い方をするのか見たかったのですが、今となってはどうでも良いことです。
「がははっ!」
ギルは。
目の前の光景に歓喜します。
半円を描き、強襲しようとしたギルに対し、ナインもまた、同じ動きをしていたのです。
それだけではありません。
「駄人形」を避けなければいけないギルと違い、ナインは「人形」たちの内側を移動することもできます。
冷静に状況を判断し、ナインは過たず実行しているのです。
もはやナインは。
ギルにとって、「敵」を超えた「何か」でした。
その瞬間。
ギルは、体の内側で暴れ回っていたものを、発意のまま言葉に乗せて吐きだしました。
「らいりゅうっっ!!!」
それは。
何の意味もない「聖語」でした。
刻んだところで、何も起こりません。
無意味だからこそ意味がある。
アリスが言った通りに。
ギルは、無意味なことをしました。
意味を失って、無意味に。
ギルは。
「武器」になりました。
「ざぃや!!」
ーー「武器」は恐怖など感じません。
「だっ!?」
「駄人形」の腕を避けながら、頭部に腕を回すと。
「人形」の首が捥げました。
人間なら頭は急所となりますが、相手は「人形」。
どうやら頭はお飾りだったようで、首無し「人形」は元気に動いています。
「そぃや!!」
奥にナインを護るように、3体。
前衛の4体を抜けたら、ーー罠。
「うはっ!」
まったく、嫌に、いえ、楽しくて仕方がありません。
あんな虫も殺さないような顔をしている癖に、ナインは獲物の狩り方がわかっているのです。
「頭」がお飾りなら、「腕」や「足」はどうでしょう。
それに、それらは全部、「胴」にくっついています。
「あぁあぃや!!」
前衛と中衛に取り囲まれましたが。
手間が省けたというものです。
「胴体」に蹴り。
それだけで足りないとなれば、体当たり。
自分が攻撃する分には「痛み」があるようで、体の芯まで響きます。
ーー「武器」は痛みなど感じません。
2体が倒れたので、「腕」と「足」を「胴体」から強引に引き離し、「人形」を「殺し」ます。
正面の「駄人形」の攻撃を躱した瞬間、背中に攻撃を食らいました。
「結界」の効力なのか、押されるような衝撃はありましたが、「痛み」はありません。
『『有効打』、一つ』
アリスの声が「聖技場」に響き渡り、ギルの耳にも届きます。
届いてしまいます。
まだまだ足りないようです。
ーー「武器」は痛みなど感じません。
ーー「武器」は何も考えません。
「ぎぃや!!」
目の前に居る、「障害」。
「排除」「排除」「排除」。
壊れるまでが、いえ、壊れても尚、噛み砕くのが「武器」の「役目」。
「排除」「排除」「排除」「排除」。
「ぃいっ!!」
7体「排除」。
相手の「武器」の性能が向上。
10体を操っていた「聖語」を、ナインは3体に集中。
もう「駄人形」ではありません。
立派な「武器」です。
『『有効打』、二つ』
「ぁああっ!!」
痛くないはずなのに痛い。
何も考えないはずの「武器」なのに、伝わってきてしまいます。
防御する為に、「駄人形」の「腕」に自分の腕をぶつけたら、攻撃と判断されたらしく腕から感覚がなくなります。
「右腕」が「壊れた」ので、「盾」として使います。
動けなくなったら終わりなので、「両足」を護る為に、「左腕」が「半壊」。
何て顔をしている。
ギルは、「武器」がーー「家族」が使い物にならなくなるごとに「痛み」を宿してゆくナインの顔を見ました。
「ばぁっっ!!!」
「っ!」
避けられない「人形」の攻撃を、「有効打」とならないように左腕を挟んで頭で迎撃。
それからーー。
宿っていた「雷竜」が体から抜けだしたかのように。
ギルは動きをとめました。
ギルが弾き飛ばした「人形」の、最後の1体にぶつかって、倒れるナイン。
彼もまた、動きをとめます。
「戦意喪失と判定。勝者、ギル・バーン」
ベズから、勝者の名が告げられましたが。
ギルの壮絶な肉弾戦に圧倒され、いまだ「聖技場」はピリピリとした緊張感に包まれています。
「暴れ馬」ならぬ「雷竜」の羽搏きの余韻に。
歓楽街の荒くれ者たちも、魂が痺れ、声がでてきません。
「おい、ナイン。何で最後、『刻印』だったっけか? もう片方の『結界』使わなかったんだ?」
早く選手席に戻らないといけないというのに。
ギルは、ナインに尋ねてしまいました。
「ーーうん。『結界』の『刻印』を使って仕切り直せば、もう限界だったギルに勝てたかもしれないね」
「じゃあ、何でそーしなかったんだよ」
麻痺していた痛みが熱を伴って襲ってきましたが、答えを聞くまでは戻るわけにはいきません。
ちらりとベズを見ましたが、彼は明後日の方向に視線を向けていました。
首を動かすのも難儀だったので、視線だけ向けると。
上空に、ギルとナインの姿が映しだされていました。
「『聖人形』はね、最初に言った通り『家族』なんだ。『家族』は一緒に居るのが一番いい。……感傷的かもしれないけど、『結界』で『家族』との間を分断したくなかったんだ。最後まで一緒に戦って勝つーーそれが本当の勝利だと思ったから」
観客席からたった一つーーナインにとっては唯一の、拍手が聞こえてきました。
ナインの母親。
女性の表情を見た瞬間に、ギルは理解してしまいました。
羨ましい、などとギルは思っていません。
「家族」は、ギルが最初に捨てたものです。
やがて「聖技場」は拍手に包まれ、喚声が飛び交います。
らしくなく、感傷的になってしまったギルは。
予兆はあったというのに、最後まで気づくことができませんでした。
「ほらよ」
ギルは、倒れているナインに手を差しだしました。
まだ動いてくれた「半壊」の「左腕」。
健闘をたたえ合う、その光景に「聖技場」がさらに沸いたところで。
ナインは。
ギルの手をつかみましたーーそれはもう、握り潰すくらい、思いっ切り。
「っっっ!?!」
「はぁ、早く後ろに体重をかけて。そうしないと起き上がれないよ」
上空に自分たちの姿が映っていないことを確認してから、ナインはギルに命令しました。
命令に逆らえば、さらなる追撃がやってきます。
この場で気絶するのは不味い。
体中が悲鳴を上げていますが、ギルは唯々諾々と命令に従います。
「僕の容姿や喋り方に誤魔化される人が多いけど、僕って結構容赦がないし、目的の為には手段を選ばない性格なんだ」
「お、ぎっ、げ…、がっ、とぉ~」
幾度となく「人形」を殴って、骨が折れているかもしれない手を、ナインに「揉み揉み」されてしまいます。
それでも何とかナインの手を引っ張って立ち上がらせると。
ナインが自分で言っていたように、本当に容赦がありません。
追撃の「雷竜の息吹」がギルを昏倒間際まで追い込みます。
「次はもっと制御が上手くなっているし、『家族』の系統の付与とかもできるようになっておくから、ーー次を覚えていやがれ」
ナインの言葉とは裏腹の、純真無垢な笑顔に。
騙された観客たちは大盛り上がり。
こいつ、ヤバい。
ギルはやっとこ、目の前の少年の「腹黒さ」を理解しました。
ナインは、観客に微笑ましい場面を見せることで、ギルの肉弾戦にドン引きしていた観客たちの心を引き戻しました。
ギルへの宣戦布告と、報復というか嫌がらせと併行しながら、平然とやってのけたのです。
黄緑色の声援に応えながら、笑顔で歩いてゆくナイン。
「はぁ、歓楽街の馬鹿どもよりも、よっぽど厄介じゃねぇか」
「残りの『治癒』は、待機所で行う。少ししたら行くから、先に戻っていなさい」
「うおっ!?」
気配もなく近づかれ、ギルは体を動かしてしまいましたが。
痛みが和らいでいました。
とはいっても、それは表層部分のことで、体の奥は鈍く重たいままです。
まだ無理はできないでしょう。
振り返ってみると、ベズは「聖語」で地固めを行っていました。
主に、「聖人形」が倒れるなどしてできた凸凹です。
炎竜組のほうは、「聖人形」のお片づけ。
そんなわけで、ギルも選手席に戻るーー途中で、フィールドで待機していたフィフェスに話しかけました。
「お嬢さん。わかってるよな?」
「はい、わかっています。私では、ソニアさんに勝てません。であるなら、私の役割は、試合を長引かせることです」
正しい現状認識。
そうであるというのに、フィフェスの姿を見たギルは。
なぜか納得が、いえ、釈然としませんでした。
その答えに辿り着く前に、地固めを終えたベズが遣って来ました。
「フィフェス君。君もいったん、選手席まで戻りなさい」
「私も、ですか?」
「ああ、これまでのことについて話す」
ギルはフィフェスを見ましたが。
彼女の視線はギルではなく、通りすぎてゆくベズの背中に向けられていました。
その視線に乗せられているのは、ベズへの揺るぎない信頼。
困ったことに、ギルと同じものでした。
「あー、えっと、あたしは待機所の奥に行ってたほうがいいですか?」
「メイリーン君も知っていることだから構わない。そのまま座っていなさい」
「あ、はい」
ベズが答えると、借りてきた仔犬のようにメイリーンは大人しくなりました。
妙な雰囲気の中、地竜組の4人がベズの前に並びます。
「ここまで、君たちには何も教えていなかった。すまない。謝ろう」
「え……?」
ベズは。
皆に向かい、静かに頭を下げました。
驚いたメイリーンが声を上げますが。
ベズの人間性に触れてきた地竜組の皆は、彼の謝罪を動揺することなく受け留めます。
「理由は、説明してくださるのですよね」
地竜組を代表し、クロウが尋ねました。
頭を上げたベズは、普段と変わらない眼差のまま、話し始めます。
「むろんだ。この度の一件。ティノ君が『邪聖班』に勝手に教えたーーと表向き、そういうことになっているが、当然、私と学園長も加担している。君たちもおおよそ察しがついていると思うが、この『対抗戦』にて、『聖語使い』たちの『その先』を見せる必要があった」
「私たちに教えてくれなかったのは、『聖研』の皆に『その先』の『聖語』を使わせない為ですか?」
ギルは視線を向けて確認しましたが、クロウの言葉を理解しているのはベズだけのようでした。
どうも、「その先」に触れているはずのメイリーンも理解が及んでいないようです。
「『その先』の『聖語』は、一見眩く見える。だが、君たちならわかるはずだ。あれは一歩、先に進んだだけのもの。『聖語使い』であるなら、手を伸ばせば届くものだ。ここで君たちまで『邪聖班』と同じく『その先』の『聖語』を使ったならーー」
「観客たちは、『新たな聖語』に魅了されることになる」
「クロウ君の言う通りだ。これまで自分たちが歩いてきた道。紡いできた『聖語』。その重要さから目を背けてしまうことになる。それではいけないのだ。これまでの『聖語』は無駄ではなかったのだと、これまでの『聖語』にも意味はあったのだと、誰かが示してやる必要がある。それにーー」
ベズは言葉を切って、一人一人に眼差しを送ります。
穏やかで、どこか遠くを見詰めているようなーーベズの眼差し。
ギルでさえ、そこから逃れることはできませんでした。
「君たちならば、それでも勝てると私は思った。そう信じたからこそ、私は最後まで君たちに明かさずに済んだ」
ギルは。
跳ね飛ばすつもりでした。
でも、動いてくれませんでした。
腕が痛くて動かない。
考えついた言い訳が、あまりにもお粗末だったので。
ギルはもう、どうでもよくなってきてしまいました。
「ギル君、よくやった。『聖語』とて、一つの手段。その拳一つで、その体一つで、打ち破ることも可能。『聖語』が先に向かえば、必ず『聖語』に傾倒しすぎる者が現れる。そんな未来の愚か者たちに、君は強烈な鉄槌を食らわせてやった」
頭を撫でられる。
そんなことをギルが許すはずがありません。
天竜と地竜が引っ繰り返っても、あり得ないことです。
でも、仕方がありません。
用意周到なベズは。
すでに言い訳を用意していました。
「これは『隠刻』による『治癒』だ。『聖語』を刻んでいるーーそれを相手に気取られなければ、すべて『隠刻』となるが、その種類は様々だ。イゴ君は、複数の『技』。ナイン君は、『その先』の『聖語』を匂わせた。ここから先、『隠刻』や重複の『聖語』、『改変』なども用いてくる可能性がある。ーー良し、『治癒』は済んだ」
ベズの手が、ギルの頭から離れます。
喪失感と、それを上回る充足感。
もう、認めないわけにはいきません。
学園に来るまで、大人たちは「敵」でした。
いえ、「敵」であると思っていなければ、ギルという存在を成り立たせることができなかったのです。
そうして気づきました。
そんな大人たちの中で。
ただ一人、ベズだけが正面からギルを見てきたのです。
ギルが勝手に思い込んでいた、「大人」という無意味な「枠」の中から向けられたーー「本物」。
あんなものを向けられたら。
竜だって逃げられません。
「敵」の正体を知ってしまったギルは。
仏頂面のまま、ーー有頂天竜です。
風竜もおまけに、空に舞い上がりたい気分でした。
地竜組のメンバーに見透かされようが構いません。
ベズに褒められたーー認められたのです。
勝てて良かった。
信じてくれたベズの信頼に応えることができたのです。
「ファロ君には申し訳ないことをした。本当に、何も知らない状態で送りだしてしまった」
「いや、問題ないです。何かあるだろうなぁ、とは思っていたし、全力をだし切ることはできました。『対抗戦』はもう一度あるだろうから、そこで、次は勝ちます」
本当に問題ないと思っているようで、ファロはいつも通りの軽口。
でも、その内に秘められたものを、皆は感じ取ります。
話は終了ーーそう思ったところで、クロウが半歩前にでました。
「ベズ先生。次の試合、フィフェスが不利に過ぎます。できれば、助言をお願いします」
「くっ、クロウさん!?」
特別な感情は一切なく、助言を乞うクロウと、特別な感情がたんまりなフィフェス。
試合前だというのに。
ギルは、どうしたものかと悩んでしまいました。
ギルも認めざるを得ない「天才」だというのに。
なぜか、未だにクロウは気がついていないのです。
変に突っ込むと、フィフェスが自爆して試合がおじゃんになってしまいかねないので、ギルはベズに任せることにしました。
「ふむ。そうなると、私よりもメイリーン君から聞いたほうが良さそうだ」
「ほ……、へ? あ、あたし……ですか?」
「頼む」
「っ!?」
ベズに頼まれたメイリーン。
こっちもか。
学園に来てからは女旱だったので、ギルはこの甘ったるい空気に耐えられそうにありませんでした。
クロウとファロはこなれていないでしょうから、仕方がなくギルが促します。
「んで、ソニアの『聖語』は、どんくらいなんだ?」
「お、ひゅ……。……あー、えっと、あたし、ティノに勉強教わって、何度か一緒に寝ちゃって、……って、違いますよ!? 何にもありませんからっ、それでソニアが遣って来て、どっかん! というか、ぼっかん! っていうか!?」
こういう話題になると、男は形無し、ではなく用無しです。
そんなわけで、係わるのは最小限に。
ギルは、指をメイリーンに向け、今度はフィフェスを促しました。
「3度も『暴走事件』が発生しました。それで、メイリーン。何度目のことなのか、先ずそこから答えてください」
「さ、3度目……?」
「そのとき、何があったのですか?」
さすがは「優等生」のフィフェス。
一つ一つ、的確にメイリーンから言葉を引きだしてゆきます。
「な…何っていうか、あたしたちはティノから、『原聖語』の先の『聖語』を教えてもらってたんだけど。ーーそのとき、ソニアが刻んだ『聖語』がわからなかったのよ」
「それって、メイリーンが馬鹿だか…だぁっ!?」
ついうっかり、我慢できず、ギルは本音を駄々洩れにしてしまいました。
その刹那。
照れ隠しにしては過激なメイリーンの一撃を、ギルはギリギリ回避。
躱せたから良かったものの、冷や汗ドバドバです。
「って、試合終わったばっかだってのにっ、殺す気か!」
「何よ。『聖拳』使ってないんだから、当たったって大したことないわよ」
いえ、あれは死ねる一撃でした。
でも、命の危機に瀕したというのに。
皆はギルを見ていませんでした。
「フィフェス君。今回は、君の優れた『読刻』は役に立たない。逆に、ソニア君にはすべて読み取られてしまう。すまないが、私が言えるのはここまでだ」
「いえ、大丈夫です。『読刻』で読み取られても読み切れない、そんな方法があります」
これだから女という奴は。
どうやらギルは勘違いしていたようです。
確固たる歩みで、ソニアに向かって歩いてゆくフィフェス。
これからは「お嬢さん」ではなく「フィフェス」と呼んでも良いかもしれない。
ギルはフィフェスを侮っていたことを恥じ、それからーー。
今の彼女に相応しい、荒っぽい声援を送ったのでした。
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