竜の庵の聖語使い

風結

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対抗戦

聖技場  メイリーン・ストーフグレフの勇気

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 ーー二勝二敗。

 メイリーンが「裏切り者」であることを知らない観客たちは、最終試合の開始を今か今かと待ち焦がれています。
 このような大規模な娯楽は、「聖域テト・ラーナ」で初めてということもあって大盛り上がり。
 ここまでは、大成功といったところでしょう。
 そう、は。

 ーーラン・ティノ。
 ーーメイリーン・ストーフグレフ。

 空を見上げるメイリーン。
 困ったことに。
 彼女はとても緊張していました。

 これからティノと試合をするからではありません。
 では、なぜメイリーンが緊張のし過ぎでになっているかというと。
 フィールドの中心で、二人っきりだからです。

 そう、メイリーンの至近距離にいるのは、ベズ。
 ティノが遅いわけではありません。
 地竜組の選手席に座っているのが居た堪れなかったので、早々にフィールドの中央まで遣って来たのです。

 考えないようにしよう。
 そう思っている時点で、気にしている証拠。
 ーー昨日の抱擁。
 さっそく思いだしてしまいます。

 「御転婆おきゃん」どころか「御転竜どっかん」な感じですが、メイリーンだって女の子です。
 好意を寄せている相手に抱きしめられたのですから、炎竜になったとしても仕方がありません。

 昨日の夜。
 メイリーンは抱擁のことを思いだし、お布団の中でもだえました。
 もう一度煩悶はんもんしたところで、脳の処理が追いつかず、ぐっすりと眠りました。
 十分に睡眠を取ったので、体調は万全です。

「助言は必要か?」
「はひっ!? お願ぁしまーず?」

 ティノがフィールドにでてきました。
 中央に遣って来るまでに時間があったので、ベズはメイリーンに声をかけたのですが。
 珍妙な返事に、困惑顔。

 地竜を困惑させるという快挙を成し遂げたメイリーンは、羞恥心もプラスした真っ赤竜。
 メイリーンの事情をまったく理解していないベズは。
 考えあぐねた末に、的外れな助言をしました。

「ティノ君に好意を寄せているのはわかるが、戦いが始まれば、メイリーン君はいつも通りに動ける。先ずは落ち着くと良い」
「ほ、へ? ……あ、あたしが好きなのは、ティノじゃなくて別の人です…よ?」

 言ってしまってから、その発言が微妙なものだったことにメイリーンは気づきました。
 これは遠回しな告白かもしれない。
 真っ赤竜から太陽竜に進化しそうになったところで、ティノが到着。

「ティノ! やっと戦えるわね!!」

 そんなわけで、乙女(?)なメイリーンは、すべてを誤魔化すことにしました。

「『対抗戦』が終わったら、メイリーンと戦ってあげる予定だったのに。はぁ、こんな大舞台でなんて、アリスさんももう少し考えてくれたらいいのに」
「ええ……? た…『対抗戦』じゃなくても戦って……?」
「マルに相談……じゃなくて、僕と戦えるかどうかは、マルが決めることになっていたからね。『対抗戦』前に、合格だって教えてくれたよ」

 「マル」と「合格」の間にどんな関連があるのか、絶賛混乱中のメイリーンは理解できませんでしたが。
 「諸悪の根源」だけは、特定することができました。
 メイリーンは体ごと、というか、魂ごとがばっと振り返りました。

 ーーもしかしたらこんな機会、もう一生巡ってこないかもしれないわよ。

 そのようにメイリーンをそそのかしたアリスは、邪竜な笑顔で「聖語」を刻んでいました。
 竜にも角にも、アリスのことはあと。
 そうとなれば、確かめなければいけないことがあります。

「で、でもでも、『対抗戦』じゃないと、ティノは全力でやってくれないって……」
「えっと、僕はメイリーンのことは手のかかる妹、じゃなくて、友人というか仲間のような親友? みたいに思っているんだ。そんな相手と戦うときに、手を抜いたりしないよ。『対抗戦』じゃなくても、ちゃんとやるって」

 確定です。
 完全にアリスに騙されました。

 ーーティノが人類最強だというのなら。
 ーーそんな場所に、独りにさせてはいけない。

 ティノの為に、「悪役上等」とまで意気込んだというのに。
 これはあんまりです。
 そんな状態だというのに、いえ、そんな状態だからこそ、メイリーンはアリスの餌食おやつとなってしまいます。

 アリスの「聖語」が発動。
 上空にティノとメイリーンの姿が映しだされます。
 だいたいの事情を察したティノは、ーーアリスを見ました。

(イオリ玉。一星巡り禁止)
(いきなり何よ。私はメイリーンの願いを叶えてあげたのよ)
(僕の使。間違えていませんか?)
(何のことかしら?)
(まぁ、いいです。スグリ袋で、僕の言う通りにしてくれたので、使われてあげます)
(それより、ティノ。何でスカートを穿いていないの? 罰ゲーム継続中よ)
(ーーアリスさん。忘れたんですか? 僕はアリスさんの味方ですけど、スグリの友人でも、あ・る・ん・で・す・よ・?)
(ひっ、卑怯よ!? 竜質りゅうじちを取るなんて! 邪竜でもそんなことしないわよ!!)
(はいはい。僕は邪竜ではないので、そんなことはしません。それよりも、わかっていますよね? 『対抗戦』だろうが何だろうが、知ったこっちゃありません。僕はメイリーンと。メイリーンをけしかけたのはアリスさんなんですから、フォローをお願いします)
(ソニアがやらかしたし、『新聖語』を使うくらいなら大目に見てあげるわよ)

 ティノがアリスを見たのは、一つか二つ、数える程度の時間。
 そうであるというのに、メイリーンは。
 風を濃縮したかのような、圧力を伴った何かを感じ取りました。

「メイリーン。というわけで、僕たちが映っているから、抱負でも決意でも、ぶちまけていいよ」

 メイリーンが尋ねる前に、ティノは人差し指を上に向け、無茶ぶりをしてきました。
 ただ、今回はがあるので、喋る内容には困りません。
 深呼吸を一つ。
 家族のことを想った瞬間、怒りが湧いてきたので、その勢いのままメイリーンは「聖技場バナー・ラス」にぶちまけました。

「皆さん! 先ほどはうちの馬鹿どもが、特に『大問題』と『珍獣』がご迷惑をおかけしました! できれば、でいいので、記憶からの抹消をお願いします!」

 率直な物言いに、「聖技場」が笑いに包まれました。
 家族をけなしたメイリーンですが。
 それは裏返し。
 誰よりも家族が大好きなのが、メイリーンという少女です。

「皆さんは、『聖拳』という言葉を聞いたことがあっても、それを使っているのを見たことがないと思います! だから、今、ここであたしがお見せします!」

 メイリーンは左指で「光」の「聖語」を刻みます。
 刻み終えると同時に、刻んだ「聖語」を右手で端から壊してゆき、握りしめました。
 すると、右手が発光。
 『聖拳』を実演してから、力強く家族を自慢します。

「ずっと馬鹿やりながら、それでも真剣に、強さだけを求めてきたのが『聖拳』! 家族が夢見てきた、正義の拳! 悪を滅ぼす鉄拳! そんなことを真面目にやってるストーフグレフの拳! ぜひ! 見ていってください!!」

 メイリーンの大音声に。
 最初に拍手をしたのは、マホマールでした。
 やがて歓声が、声援がメイリーンに送られます。

 先ほどまでの勢いはどこへやら。
 今度は、照れてあちらこちらに頭を下げるメイリーン。
 和やかな雰囲気の中、ティノの番が遣って来ます。

 ティノは、メイリーンと同様に、左指で「光」の「聖語」を刻みました。
 右手で「聖語」を壊してゆき、「聖拳」を実演します。

「って、ティノ! 『聖拳』使えたの!?」
「『聖拳』というか『壊刻』だけどね。それで、メイリーンに聞きたいことがあるんだけど。メイリーンは、この『壊刻』、一回目から使うことができたよね?」
「えっと、それは、うん。『メイリーンは才能がある』って親父が褒めてくれた……って、べ、別に嬉しかったとかそんなことないんだから!!」

 メイリーンは即座に否定しましたが、そんな彼女を見て、ティノはにんやりと笑いました。

 逆にメイリーンは。
 そんなティノの顔を見て、アリスを連想してしまいました。
 体が覚えています。
 そうです、ティノは邪竜。
 アリスもそうでしたが、ティノも大概、意地悪だったのを思いだしました。

「僕はね、他の『聖語』や『技』と併行してだったけど、『壊刻』ができるようになるまで、半周期かかったんだ」
「ほ? いやいや、ティノがそんなかかるわけないでしょ!」
「僕には『才能』がないから。一つ一つ、積み上げていくことしかできなかった。でも、僕には『努力』の才能があるって、『お爺さん』が言ってくれた。その言葉を信じて、できないことを、少しずつ、できるようにしていった」

 嫌な予感は当たりました。
 ティノは、メイリーンを悪役に仕立て上げるつもりなのです。
 「悪役上等」とは思っていましたが、こんな形での悪役は御免被りたいところ。
 でも、手遅れでした。
 「対抗戦」に引きだされた腹癒はらいせでしょうか、ティノも「聖技場」にぶちまけました。

「今日は皆さんに! 『努力』が『才能』を上回ることがあると! どんなにゆっくりとでも、積み上げていくことは無駄ではないと! 『聖語』が大好きだからこそ、最後まで諦めなかった、その成果を! お見せしようと思います!!」

 ティノの宣言は、「聖語使い」たちの胸に突き刺さりました。
 メイリーンの宣誓時を上回る、大歓声。
 このままでは不味い。
 せめて「悪役」は回避しようと、メイリーンは必死に食い下がります。

「ちょっ、確かに一回目でできたけどっ、一日も欠かさず家族とどつき合いであたしだって『努力』しまくりな毎日だったんだから! それにティノ! だいたいティノはあたしより強いじゃない!!」
「あー、えっと、メイリーン? これから戦うんだから、僕のほうが強い、とか言ったら駄目だって」
「ふん! そこは大丈夫! いい? 勝負ってのは、強いほうが勝つんじゃない! 勝ったほうが強いのよ!!」

 竜も驚く大威張りな感じで、メイリーンは言い切りました。
 これには「聖技場」も竜盛り上がり。
 ティノに傾いていた流れを引き戻しました。

「僕が強いってメイリーンは言うけど。『』が済んだあと、朝から秘密特訓で50連敗だったよ」
「ほへ? ティノが敗けるって、あ、そうか、アリス先生? っていうか、直接指導とかずっこい!」
『私ではないわよ。そもそも、ティノの手伝いが必要だったのに、ティノは思いっ切りサボったのよ。お陰で『対抗戦』の直前までずっと仕事をしていたの。がんばっている先生を、もう少し労わりなさい』
「あ、と? じゃあ、ベズ先生?」
「いや、私でもない。私が知る限りだが、ティノ君は朝まで学園内には居なかったようだ」

 二人に否定されたメイリーン。
 このままでは引き下がれない、というか、ティノの相手が誰だったのか知りたかったので、珍しく頭を回転させまくった結果。
 メイリーンは、消滅しかかっていた記憶の発掘に成功。

 学園初日の食堂でフィフェスが言ったーー「エーレアリステシアゥナ盆地」。
 エーレアリステシアゥナは、竜。
 そして、ソニアが言いました。
 エーレアリステシアゥナの知り合いはティノかもしれない、と。

 昨日、アリスは言いました。
 ティノは竜と戦ったことがある、と。

「そっか! ティノの相手って、エーレアリステシアゥナ!!」

 観客たちの大半は。
 メイリーンがなぜ学園の名を挙げたのか、わかりませんでした。
 ちんぷんかんぷんです。
 理解できたのは、「八創家」と「研究者」の一部。

 これはいけません。
 「エーレアリステシアゥナ」に興味を持った者は、「対抗戦」後に調べ、竜ーー炎竜であることを突きとめることでしょう。
 箝口令を敷いたところで手遅れ。
 人の噂は竜にだってとめられません。

 「聖技場」の雰囲気と、ティノの顔。
 メイリーンだって、魂の底まで馬鹿というわけではありませんーーたぶん。
 今すぐ誤魔化さないといけない。
 過去最高に頭を回転させすぎた結界、彼女は唯一の正解を引き当てました。

「ちっ、違っ!? エーレアリステシアゥナは竜じゃないから! ティノは竜と……あ」

 間違えました。
 彼女は完全な不正解を引き当てました。
 いずれバレるーーではなく、今、バラしてしまいました。

(というわけで、エーレアリステシアゥナ様。どういたしますか?)
(私は困らないから、好きなようにして良いわよ)
(え? アリスさんが『エー』さんだって、バラしてもいいんですか?)
(足の裏だけ焼くわよ)
(そんなピンポイントな嫌がらせはやめてください)
(まぁ、私よりティノが困るのだから。冗談ということで否定しておきなさいな)
(了解しました)
(ああ、あと、完全に否定するのではなく、少しだけ匂わせておきなさい)
(えっと、何でですか?)
(あとで利用できるかもしれないからよ。逆に言うなら、そういったこともできるってこと。匂わせたあとは引き受けてあげるから)
(……まだ人手不足なんですか?)
(人手と仔犬の肉球だけでなく、大事な竜手であるスグリまで連れていったのは誰だったかしら?)
(そこはちょっと仕方がないというか。僕にも目的はあるので)
(は?)
(あ、はい、わかりました。誤魔化すので、フォローお願いします)
(ちょっ、ティノ! 待ちなさい!)

 懇願します。
 もうメイリーンにはどうにもできません。
 竜でも返せないくらいの恩。
 たんまりと溜まってゆくのを感じながら、涙目でティノをじ~と見つめました。

「はぁ、メイリーン。どこで知ったのか知らないけど、それは何の冗談? 僕の秘密特訓の相手は、エーレアリステシアゥナーー炎竜じゃないよ」

 そう、相手は炎竜ではなく暗竜のスグリです。
 エーレアリステシアゥナが炎竜であることを知る者は、「聖域」にはほとんど居ないので、アリスの要請である「匂わせ」も完了。
 そこにアリスのフォローが入ります。

『あら、博識ね、メイリーン。『セレステナ聖地』はかつて、『エーレアリステシアゥナ盆地』と呼ばれていたの。各地の地域名がと噂されているように、『エーレアリステシアゥナ』もまた、竜の名称ーーと言われているわ。ーーなどというお為ごかしを言うのはやめて、本当のことを教えてあげる。『エーレアリステシアゥナ』とは、紛う方なき竜の御名おんなよ。なぜそんなことを知っているかというと、私とベズは。エーレアリステシアゥナに会ったことがあるからよ』

 竜のフォロー。
 特大、というか竜大のそれは、メイリーンの戯言など完全無欠に焼き尽くしてしまいます。
 そんな焼け野原で。
 共犯者にされたベズは、とっとと「結界」の「聖語」を刻みました。

『それでは五試合目。メイリーン・ストーフグレフとラン・ティノの試合を開始します』
「な!? って、待っ!」

 まだティノは目の前にいるというのに、アリスは試合の開始を告げてしまいました。
 素晴らしい反応速度を見せ、メイリーンは三歩後退。
 左手を胸の前に、右手は腰の横に。
 左右の人差し指をやや立てる、「聖拳」の構えを取ります。

「始めは、ティノ君から攻撃することはない。初手は、好きに攻撃すると良い」

 上空にベズの姿が映しだされると、次はメイリーンとティノの姿が映しだされます。
 構えることなく、ただ突っ立っているティノは、ベズの言葉を肯定しました。

「必要があれば防御するし、攻撃もする。あと、反撃もすることがあるから気をつけてね」
「……わかった」

 観客たちも、何かを察したようです。
 冬の妖精が飛び回って、二人を祝福。
 戦いの予兆。
 冬の寒さを思いだしたかのように、「聖技場」は静寂にかしずきます。

 ーー実力差。

 メイリーンにはわからないそれを、ティノとベズーーそれからアリスも、明確に理解しているのです。
 でも、ティノ、というかマルは、「合格」だと認めてくれました。
 戦える。
 そう言えるところまで、強くなった、ということです。

 なら、あとは。
 全力でやるだけです。

「ごごささくろごじなろなろろろくいろごさい」

 刻む「聖語」は「火矢」で十分。
 それが「聖拳」であるなら、「致命打」となります。
 「縮刻」で刻んだ「聖語」を右手で壊してゆき、握り潰します。

 ーー重心。
 「聖拳」の奥義の一つです。
 相手がどのような動きをしようが関係ありません。
 ただ、「重心」を貫けば良いだけ。

 メイリーンにはよくわかりませんでしたが。
 心の重さーーそれすらメイリーンは見極められると、父親は褒めてくれました。
 この距離で、先手。
 「大問題」さえ躱すことができなかった、絶対の一撃ひとうち

「はぁっ!!」

 ティノの正面から踏み込みます。

 ーー炎を宿した右手。
 ーー左側に動くティノ。
 ーーティノの左足に力が入って、右に。

 その瞬間。
 メイリーンは。
 ティノの心を見失いました。

「ぃぎっ!?」

 ティノは右に動きながら、動いたのです。
 ティノは「隠刻」ーー「聖語」を刻んでいた。
 そう思ったメイリーンですが、即座に否定。

 ーー須臾しゅゆ
 背中から頭にーー神経をずたずたに引き裂くような警告しょうげき
 いえ、警告というより絶対的な拒絶であり拒否。

 この感覚には覚えがあります。

 出会った頃のティノーー。

「がっ!!」

 空が見えました。
 ーーティノが拳を握っているのが見えて。
 壁が見えました。
 ーー勝手に体が動いて。

 今度は、自分の意思でしっかりと体を動かして。
 壁にしました。

 永いようで短い、浮遊感。
 呼吸するのを忘れている間に、働き者の「重力」が仕事を再開。
 メイリーンは。
 本物の地面に着地。
 しかし、足、だけでなく体に力が入らず、両膝を突いてしまいます。

「……っ!」

 ごっそりと持っていかれました。

 顔を上げてティノを見ます。
 壁まで、およそ35歩。
 「聖語」も使わず、人を、飛ばせる距離ではありません。

 出会った頃のティノ。
 いえ、それ以上の、ただの「狂気」でした。
 そうではありません。
 言葉では言い表せない、メイリーンが触れたことのないーー「何か」。

 ごっそりと喰われてしまいました。

「ティ…ノ……?」

 勘違いしていたのかもしれない。
 メイリーンの痺れた頭が、勝手に答えを弾きだしてゆきます。

 ーーアリスとベズは、エーレアリステシアゥナに会ったことがある。
 ーーティノの秘密特訓の相手は、エーレアリステシアゥナではない。

 ーーティノは朝まで学園に居なかった。
 ーー学園の外で、人の姿で、知り合いの竜と戦って50連敗。

 ーーティノが男だという確証はない。
 ーー角無しの地竜だという「設定」のイオリは、男でも女でもない。

 これらはすべて。
 ある一つの事実によって結びつきます。
 それはーー。

「ティノが、エーレアリステシアゥナ……?」
「ぷっ……」

 幻聴でしょうか。
 或いは、幻覚かもしれません。

 ベズが噴きだし、口を手で押さえていました。
 ここからではよくわかりませんが、笑いを堪えているようにも見えます。

『あ、の……。アリス殿、今のはどう、いえ、何があったのですかな?』
『ティノは『隠刻』で『反撃』。やったのはそれだけ。問題は二つの『結界』のほうね。内側の『結界』が上手く機能しなかったのよ』
『内側ーーというと、位置の固定ですかな』
『あら、さすがマホマール様。簡単に言うと、ティノの攻撃で、『結界』ごと引っぺがされてしまったということね。『結界』は機能しているから、仮にメイリーンが壁に激突していたとしてもダメージはなかった。今回は二つの『結界』で事足りると思っていたのだけれど、ティノはメイリーンと、ーー本気でやり合うみたいね』

 やってくれました。
 「隠刻」とか「聖語」とか、そんなものではありません。
 ティノは右手に魔力を籠め。
 普通にメイリーンをぶん殴ったのです。

 もしメイリーンが腕で防御しなかったなら。
 アリスとベズが全力で、方術の「治癒」を行う必要があったでしょう。
 「聖語」の「治癒」では到底間に合わないーー即死水準のダメージ。

『腕で防御したから、『有効打』にはならないわ。ベズが新しく『結界』を張ってから、試合再開よ』

 アリスの説明のあと、「結界」の「聖語」を刻み始めるベズ。
 時間がない。
 ガチガチと歯が鳴らないように、メイリーンは口を開け、痛いだけの空気を吸って誤魔化します。

 ーー怖い。
 ーー逃げたい。

 透明で重たい、痛烈なものが、単純な二つの欲求として集約されます。
 蹂躙される。
 戦いとして成立しない、一方的な殺戮。

 あの、一撃ひとうち
 もし体に当たっていたら、死んでいたでしょう。
 あの、瞬間。
 ティノから伝わってきた、明確な「モノなにか」。

 それがメイリーンを揺り動かしました。
 体は熱く、頭は焼き切れそうだというのに。
 心に力が入りません。

 これまでひたすらに積み重ねてきました。
 強くなること。
 それは楽しく、心躍る日々。
 果てのない場所に、手を伸ばし続けていました。

 でも、メイリーンは。
 その「先」のことを考えていませんでした。
 いえ、考えることなく「先」に進むことができてしまったのです。

 真っ暗で、底のない穴が、メイリーンの足元に開きました。
 落っこちました。
 こんなに、空っぽな感じで晴れているというのに、メイリーンの世界はみじめなくらいぐちゃぐちゃでした。

 試合前。
 ティノと戦うことを、戦えることを喜んでいたような気がします。
 昨日。
 あの空っぽなような場所から、ティノを引き摺りだそうとか考えていたような気がします。

 ティノは本気で。
 全力で、ぶつかってきました。

 ーーぶつかってきてくれました。

 なぜでしょう。
 手足の震えがとまりました。

 ーー怖い。
 ーー逃げたい。

 それは今も心を縛りあげているというのに。
 心に、力が入りました。

 ティノはメイリーンを殺す気で。
 手加減しませんでした。

 メイリーンは自分が馬鹿だということを知っています。
 だから、ぜんぶのことはわかりません。

 メイリーンはティノのことを知っています。
 そのティノが、本気で、全力でやったということはーー。

「あは、何かもう、ティノのことが好きになっちゃいそう」

 メイリーンのことを、心の底から信じてくれたということです。
 相手が死ぬかもしれないというのに。
 メイリーンならできると、切り抜けられると、遣って退けられると、ーーぶつけてきてくれたのです。

 そんなこと、メイリーンにはできません。
 でも、ティノはやりました。
 メイリーンも、できるようにならないといけません。
 いえ、違います。
 何が違うのか、メイリーンにはわかりませんでしたが、ティノが求めているのはそんなことではありません。

 重いのか軽いのかわかりません。
 立ち上がって、踏み締めた大地の感触。
 ティノの一撃で、目覚めた、或いはぶち壊されました。

 ティノの強さの秘密。
 今ならわかります。
 メイリーンもまた、そこに踏み込んだのです。

「試合再開」

 ベズが短く告げました。

 弾けます。
 何が弾けたのかわかりません。

 でも、そんなことは関係ありません。
 メイリーンがやることは、一つ。
 ただ、全身全霊で立ち向かうのみ。

『刻み終えた『聖語』が、消えない?』
『ーー『遅刻』。刻み終えた『聖語』を発動させず、保持する。あれは本来の『遅刻』ではなく、『聖拳』に特化させた『遅刻』ね。さすがにまだ学園生では、『遅刻』は使えないわ。『縮刻』と『動刻』と『遅刻』。これらを『聖拳』に組み込むことができたメイリーンは、ーー強いわよ』
『それは、わかります。私は、ストーフグレフの者とよしみ……ではなく、面識があるのですが。彼らはこと戦闘に於いては最強ーーそう思わせるだけの強さがあった、のですが、これは……』

 「聖技場」の中で気づいたのは一握り。
 一見、メイリーンの猛攻に見えますが。
 ティノの動きについてゆけず、彼女は振り回されているのです。

 メイリーンは知りませんでしたが。
 ティノの秘密特訓の相手は、スグリです。
 ティノ自身も気づいていませんでしたが、鍛錬の相手としてスグリは、師匠でした。

 魔力操作は、大陸マースどころか世界ミースガルタンシェアリでも指折り。
 いえ、随一と言えるでしょう。
 そんなスグリは、ティノを的確に「半殺し」。

 「半殺し」「治癒」「半殺し」「治癒」「半殺し」「治癒」ーー。
 そんなことを50回も繰り返したのです。

 その結果。
 ティノの魔力操作は飛躍的に向上し、魔力の制御もお手の物。
 魔力を乗せた「殺気」で、先ほどのようにメイリーンを「刺激」することもできるようになりました。

『……信じられませんが、ティノ選手は。メイリーン選手の攻撃を、『聖語』を使わず、体術だけで躱しておりますな』

 マホマールの言う通りでした。
 「遅刻」で、刻んだ『聖語』を空中に保持。
 短い制限内ではありますが、「聖語」をあとから使えるようになったことで、「聖拳」は進化。
 かつては「静」と「動」の組み合わせだった「聖拳」は、「流」を加え、途切れることなく攻撃ができるようになりました。

 沸いていた観客たちが、ティノの異常な強さを知って。
 ーー静寂。
 駄目です。
 このままでは、ティノが独りになってしまいます。

 ティノを引き摺り下ろす、いえ、無理やりにでも彼が居る場所まで、這いつくばってでも登らないといけません。
 どれだけの障害があろうが関係ありません。
 これを打ち破る為に、メイリーンはーー。

「はぁっ!!」

 拳一つ、近づきました。

 見えます
 感じます。
 ティノと同じ「何か」で。

 一歩、踏み込むたびに。
 一撃、放つごとに。
 もう少しでティノと同じ場所にーー。

「あ……、やった」

 到頭、ティノに拳が届きました。
 ティノがメイリーンの拳を弾き、防御したのです。

『メイリーン! 来るわよ! 準備なさい!』

 ーーアリスの警告。
 ーーティノの笑顔。
 ーー地面に浮き上がるように、突如現れた「聖語」。

 同時に起こったそれに。
 何も考えられず、いえ、メイリーンは考えることを放棄し、ただ目の前のことだけに対処しました。

 ティノは「隠刻」で刻んでいた「聖語」を、あえてメイリーンに見せました。
 メイリーンの猛攻を躱しながら、足で「聖語」を刻んでいたのです。
 ティノは、足で「聖語」を「壊刻」。
 彼の両足が光り輝きます。

「せっ!」

 跳ね上がるように回転するティノ。
 脇腹を狙った蹴りを腕で防いだ瞬間ーー逆の足のかかとが上から頭に。
 ここで観客たちが驚愕し、どよめきますが。
 メイリーンは、ティノの挙動のみに集中します。

 攻撃後、ティノは地面に下りるのではなく、
 メイリーンの頭上に移動したティノは、容赦なく蹴りを放ってきます。
 速いーーが防げないほどではありません。

 ティノは移動し、頭上から背後に回られますが、なぜかティノの動きがメイリーンにはわかりました。
 見えずとも、体から溢れでるような「何か」で感じ取ることができるのです。
 逆に、鋭敏になり過ぎたが為に。
 感覚に振り回され、隙を衝かれてしまいます。

「もえろ、てきをうて」

 ティノの「聖語」が何か、「読刻」はできませんでした。
 でも、なぜか炎系の「聖語」だとわかりました。
 そう、その「聖語」は「火弾」です。

「『火弾ビュレット』」

 ティノに、ーー追いつきました。
 彼と同じく「火弾」の「聖語」ですが、「縮刻」で刻んだ分、同時にーー。

「『ひだんひな』っっぶばぁっ!?」

 メイリーンは。
 「火弾」を握り潰した「聖拳」で、ティノの「火弾」を相殺、或いは爆砕するつもりでした。
 その後、超接近戦でティノをぶっ殺すーーそんなことを考えていたのですが。

 炎を纏う右手が、いえ、右腕が、でっかい「炎」に呑み込まれてゆきました。
 その瞬間。
 メイリーンは受け身のことも考えず、仰け反って背中から倒れました。

「う…ひ……?」

 メイリーンの体の上を、一抱えもある「炎の球」が通りすぎてゆきました。
 「聖技場」の壁に当たると、大惨事というか炎竜の息吹めちゃくちゃ

 「爆炎」以上の炎と、「爆風」以上の風。
 明らかに何かが間違っているような気がしますが、そんなときでも冷静なアリスが判定を告げました。

『よく避けたわね、メイリーン。体に当たっていたら『致命打』だったけれど、腕だけだったから『有効打』一つよ』

 不味い。
 そう思ったときには、手遅れーーではありませんでした。
 頭を持ち上げて確認すると、ティノは離れた場所に居ました。

「接近戦は問題ないようだから、次は。『聖語使い』らしく、『聖語』でやってみようか。ーーメイリーン。がんばって避けてね」

 メイリーンは、慌てずむっくりと起き上がります。
 ティノは、避けろ、と言いました。
 ティノが刻み終えるまでに接近戦を仕かける。
 恐らくそれは、悪手となります。

 メイリーンは、何となくわかってきました。
 ティノは勝つ為に戦っていますが、同時に、メイリーンの為にも戦ってくれているのです。
 そのティノが言うのであれば。
 メイリーンはティノから距離を取って、待ち受けることにしました。

「ひるまのそらにもかがやいている、せいれいたちよ、ここまではこびとどけておくれ、てんからくだるちいさなかけらたち、だいちはほうじょう、うまれたばしょをおもいだし、ひかりをてらすゆめとなっておくれ」
「うーわー」

 ベズが「聖語」を刻んでいました。
 彼が「聖語」を刻まないといけないくらいの攻撃が放たれるようです。

 先ほどの「火弾」のときは、炎系の「聖語」だとわかりましたが。
 もはや、どのような属性の攻撃かすらわかりません。

「『流星スターダスト』」

 あおい月。
 そんな風に見えました。

 「聖技場」の八竜の像の、さらに上。
 誰もが見上げる場所で灯る、星の光を集めたかのような蒼白い球体。

 観客たちは、儚くも美しい「月」に見惚れていましたが。
 何となく、どんな攻撃が放たれるのかわかってしまったメイリーンには。
 禍々しい「もの」としか映りませんでした。

「うひぃぃっ~!」

 予想通り、降ってきます。
 降ってきました。
 たくさん、てんでバラバラ、フィールド上に降りまくりました。

 数十、いえ、そんな数ではありません。
 千を超える「光」がフィールド中に降り注いだのです。

 数十ーーという数字は、メイリーンに降り注いでくる数です。
 あんなもの避けられるはずがない。
 そう思っていたメイリーンですが。
 意外とどうにかなりました。

「お、ひっ、な、むむっ、と、あ~」

 自分の体の動きや、「光」の位置がなぜかのです。
 わかる、としか言い様がありません。
 ティノと戦うことで引き上げられた「何か」で、最後のほうは余裕をもって避けることができました。

 そう、余裕ができてしまったので、見えてしまいました。
 ティノは。
 自分の攻撃なので、躱す必要はないというのに。
 「光」を避けながら、左右の人差し指で「聖語」をーー「流星」を刻んでいました。

「はい。次は倍だよ。でも、メイリーンなら、たぶん大丈夫」
「ひっ、ひふ……」

 蒼い月が二つ。
 単純に倍というわけではありません。
 先ほどの「光」は、一定の角度で降ってきていました。
 そこにもう一つ、別の角度から降ってくる「光」が加わるのです。

「ひっ、ふひ~~っっ!!」

 生存本能。
 メイリーンはそんな感じのものを発揮し、二つの「蒼月」の真ん中に移動しました。
 ここなら左右から、同じ角度で降ってくるはず。

「『流星』」

 本当にそうか吟味するいとまなど与えられず、ティノは無慈悲に「聖名」を唱えました。
 観客たちは、再びメイリーンがすべての「光」を躱すことを期待し、やんややんやの大歓声。

「ちっくしょ~っ、やってやらぁ~っ!!」

 メイリーンは即座に、できる限りの「火弾」を「遅刻」で刻んでゆきます。
 今回は避けるだけでなく、「光」を「聖拳」で打ち砕かないといけないでしょう。

 刻んだ「火弾」は四つ。
 そしてさらに、降り始めの「光」を躱しながら、五つ目の「火弾」が完成。

 ーーメイリーンはがんばりました。
 ーー物凄くがんばりました。
 ーー竜も吃驚するくらいがんばりました。

「ほ……?」

 そう、がんばり過ぎてしまったことが裏目にでてしまいました。
 すべての「光」を避け、砕き、一息つこうしたメイリーンのお腹に。
 ぽこんっ、と何かが当たりました。

「それは『聖語』で固めた土だよ。で、その『土』を投げた。そうやって『感知』に頼りすぎると隙ができるから、気をつけてね」

 「光」をぜんぶ避けた末の、むごい仕打ちーーかと思いましたが。
 さらなる追い打ちがアリスの口から語られます。

『先ず、ティノが刻んだ『流星』だけれど、アレは見かけ倒しなのよ。降ってくるのはただの『光』だから、当たったとしても『有効打』にはならない。でも、ぜんぶ躱し切ったメイリーンは褒めてあげる。竜だって大喜びよ。思いっ切り無駄な行為だったけれど、自信を持ちなさい』
『固めた『土』は痛そうですし、『有効打』だったのですかな?』
『と、そうでしたわね。これで二つ目の『有効打』。ーー、メイリーン』

 先ほどの「警告」といい、今回の「助言」といい、贔屓ひいきが過ぎるので、ティノはアリスを見ました。
 ティノとアリスの遣り取り。
 それが何かは、メイリーンにはわかりませんでしたが。
 二人の感じから、「アリス」の「許可」だということは伝わってきました。

「だ~っ! もうっ、もうっ、勝つのは諦めた!!」

  そんなわけで、メイリーンは。
 噴火しました。

「必殺技を使う!!」
「えっと、必殺技を使うのなら、僕に勝てるんじゃないの?」
「ちっが~う! 必殺技というか必技! 使ったら必ず自分が倒れる技よ!!」
「つまり、引き分け狙い?」
「そうっ! あたしは敗けるのが大嫌い! だから覚悟してっ、ティノ! 天の国まで道連れよ!!」

 ここまで来たら、勢いが大事。
 言葉の意味や内容はあまり関係がないようで、「聖技場」もメイリーンの自滅宣言に大噴火しました。
 「聖技場」が熱々の溶岩で溢れている内に、メイリーンはさっそく行動に移ります。

 掌を斜め上に掲げると、親指を手前ーー外側に曲げ、左右の人差し指の側面をくっつけます。
 これで二つの掌による、大きな平面ができ上りました。

「んぎぎぎぃぃ~っっ!!」

 ーー全力。
 そうしてやっとこ動く、二掌。

 淡い光による、空中の汚点ーーそんな風に見えた不格好な淡光でしたが。
 その「点」が「線」であると気づいたところで、「聖技場」の随所で疑問の声が上がりました。
 それらに答える形で、アリスが説明を加えます。

『あれは、『大聖語』よ』
『そのようですな。ですが、『大聖語』は『聖語』を大きくしただけで効果は変わらないとされていますが、違うのですかな?』
『先ず、『大聖語』は複数の『聖語使い』で使うのが本当なのよ。一人で刻むとしても、『刻印』でないと発動しない。見てわかると思うけれど、メイリーンのアレ。かなり無理をして使っているの。昨日、何とか使えるようになっただけで、未完成な『技』なのよ』

 横に動いていたメイリーンの掌は、斜め左へと動き始めました。
 その形の「聖語」は一つだけなので、観客たちの大部分がその「文字」が何かわかりましたが。
 彼女の真意まで見抜いたのは、竜とティノ、それと幾人かの学園生だけでした。

『あれは、『と』ですな』
『ええ、本来なら『二字』で完成するのだけれど、今のメイリーンは『一字』で精一杯。でも、問題ないわ。十分に、ティノには伝わったから』

 まるでアリスの声を待っていたかのように、ティノが動き始めました。
 左右に真っ直ぐ腕を伸ばし、人差し指を立てます。
 そして、その場で回転し始めたのです。

 淡い光の線が幾重にも描かれてゆきます。
 その「線」の角度がそれぞれに、若干ずれていることに気づいたマホマールは、推論をーーいえ、確信をもって断言しました。

『あの『線』は『聖語』! 『文字』の一字一字が、もの凄く長いのですな!』
『ええ、その通り。メイリーンの『聖語』は大きく、そして、ティノの『聖語』は長い。どちらも求めるところは同じ。高威力、というか高火力。ーーそれよりも見なさい、『聖語使い』たち。今、あなたたちの目に、二人の『聖語』はどのように映っているかしら?』

 力を振り絞って、苦悶の表情で残りの半分を刻み始めるメイリーン。
 完全には制御できていないのか、重ねすぎて「光の輪」となっている「輝輪リング」に、構わず刻み続けるティノ。

『あそこはね、手を伸ばし続ければ、真っ直ぐに歩き続ければ、誰でも辿り着ける場所なのよ。この『先』にある、『聖語』の未来。いえ、あの『場所』さえも、通過点にすぎない。心しなさい、『聖語使い』たち。足踏みしている暇なんてない、ーーもう、活況の時代の入り口に、皆は立っているのよ』

 腕は棒、もう足の感触はなくなっています。
 「聖語」に吸い込まれてゆく「何か」。
 不思議と、観客たちの「想い」のようなものが伝わってきます。

 アリスは、「聖語使い」に炎を灯しました。
 後戻りできない、強い、確かな炎を。
 そして、それ以上に伝わってくるのがーー。

「ティノ!! 行くわよっっ!!!」

 「聖語」を刻み終えてからが本番。
 ティノと真っ正面からのどつき合い。
 こんな楽しいところで倒れたら、本当の馬鹿。
 メイリーンは、自然と笑顔を浮かべました。
 うしなわれる以上の何かで上書きしないと、今すぐにでも倒れてしまいます。

 手とか足とか、もう何がなんだかわかりません。
 刻み終えた「大聖語」を全身、だけでなく魂のすべてで丸ごと抱え込み、叩き潰します。

「受けて立つ!! メイリーンっっ!!!」

 おとぎ話の天使の輪のような、圧倒的な「輝輪リング」。
 それを断ち切って、回転しながら右手で「聖語」を叩き潰してゆくティノ。

 ーー転換点。

 昨日は、奪われるだけで終わりました。
 その「何か」が逆流し、メイリーンを満たしてゆきます。

「あはっ!」

 理由なんてどうでも良い。
 全力の、その「先」でティノと勝負できるのです。
 邪竜の後押しだろうが、利用できるものは利用します。

 ーー2歩。

 15歩の距離を、それだけで踏破。
 もったいない。
 そんなことを思いながら。
 メイリーンは拳を突きだしました。

 それに合わせるように、というより、引き寄せられるようにティノも拳を突きだします。

 ーー拳と拳。
 ーー正面からの激突。
 ーー光の乱舞。

 光に埋もれた場所で見える、ティノの姿。
 メイリーンは。
 少しだけ悲しくなりました。

 彼女は目覚めました。
 「何か」の後押し。
 それによって、ティノの「力」を超えてしまったのです。

 互角ーーではなく圧倒。
 このままなら、試合終了後に倒れず、立っていることもーー勝利することも可能かもしれません。

 そんなとき。
 「声」が聞こえてきました。

 いえ、実際には聞こえていません。
 ただ、「何か」を通して、伝わってきただけ。
 ティノとメイリーンーー二人の間に割り込んでくる「存在なにか」。

 ーーつらぬきとおす。

 ティノの口は動いていません。
 それでもメイリーンには、刻まれたことがわかりました。
 その「想い」を超えた、純粋な力に。
 対抗する術はありませんでした。

「ーーっ」

 弾き飛ばされる寸前、光に呑み込まれ、何も見えなくなりました。
 体が何度か地面に打ちつけられているようですが、「結界」のお陰で痛みはありません。

 転がって、転がって、転がってーー。

「あー」

 空が見えました。
 体はまったく動きません。
 ティノが攻撃範囲を絞ったからでしょうか。
 頭部にはダメージがないようで、声もだせるし、目や耳は問題なく機能しています。

『あらま。どうやらティノは『奥の手』を使ったようね。そこまでティノを追い詰めるなんてーー。ご褒美に、今度、私が戦ってあげるわ』
『ところで。これは先に立ったほうが勝ちなのですかな?』
『二人の『聖語』は反発して、『有効打』にはならなかったから。ルールでは、10、数えるまでに立ち上がらなかったら敗け。つまり、それまでに立てなければ、引き分けということね』
「……ほ?」

 アリスとマホマールの会話に。
 聞き捨てならない言葉が含まれていました。

 視界の左端で、何かが動いたので見てみると。
 「5」が「4」になりました。
 がばっと、反射的にメイリーンは起き上がりました。

 本人はそのつもりでしたが。
 メイリーンの体は、ぴくりとも動きません。

「うー、引き分けも無理だった」

 到頭、「1」が「0」になりました。
 視界の右端にいるベズが、勝者の名を告げます。

「両者、立つことあたわず。この試合、引き分けとする」
「……ほ?」

 おかしい。
 頭は動いたので、少しだけ持ち上げてみると。
 ティノがうつ伏せで倒れているのが見えました。

「おっしゃぁーーっっ!!」

 何がどうなっているのか、まったくわかりませんが。
 宣誓通りに引き分けたので、メイリーンは竜の咆哮のごとき雄叫びを上げました。
 彼女に呼応した「聖技場」も「八竜の息吹おまつりさわぎ」。

 ティノを独りにはさせなかった。
 引き分けはメイリーンにとって、勝利以上の成果です。
 喜びが魂にまで浸透したところで、ーー足音が聞こえてきます。
 試合中、メイリーンを振り回した「何か」が底をついていたので、彼女は実際に目で見ました。

「荷物のように小脇に抱えられるのと、肩に担がれるのと、どちらが良い」
「お……」
「おんぶ、か?」
「お、……『お姫さま抱っこ』で」
「……そういうものか」

 これまでの人生で、最も成功した瞬間。
 メイリーンがそんなことを考えていると、ベズは軽々と彼女を「お姫さま抱っこ」。

 美男子ーーと呼べるベズに抱えられる傷ついた少女。
 絵になる光景に、「聖技場」の、主に若い女性たちから羨望の声が上がります。

 頭が天竜。
 脳までやられそうになったメイリーンでしたが。
 すんでのところで思いだし、ベズに尋ねました。

「あの、ベズ先生。ティノはーー、竜なんですか?」
「ティノ君は、エーレアリステシアゥナではない。これは私が保証する。また、彼は人間だ。こちらも私が保証する。だが、メイリーン君がティノ君を竜だと思った理由には興味がある。差し支えなければ、教えて欲しい」
「あ、はい。その、あたしは竜に逢ったことはありません。だから、あたしがそう感じた、ってことでしかないんですけど。ーー貫き通す。そんな強い、壊れそうなほど強すぎる、ティノの『想い』なのか『力』が伝わってきたとき、ティノとは違う別の『存在なにか』を感じて……。不思議とそれを、あたしは『竜』だって、確信したっていうか何というか……」

 触れた先から壊れていった、あの感触。
 あの短すぎる時間に、メイリーンは感じ取りました。
 上手く伝えられず、彼女がもどかしさを感じていると。
 アリスが予想だにしない提案ーーではなく、決定事項を伝えました。

『さて、最終試合が終わったので、皆さん、帰られてもよろしいのですが。お時間があるのでしたら模擬戦、いえ、『特別戦』を観覧していってくださいな』

 炎竜組の選手席まで遣って来たベズは。
 メイリーンにも見えるように振り返ります。

 ーーラン・ティノ。
 ーーベズ・ランティノール。

 驚いたメイリーンが言葉を発するよりも早く、ベズは炎竜組の面々に語りかけました。

「君たちは、それぞれに『聖語』の『その先』を見せてくれた。冷めた私の心さえ熱くしてくれる、見事な戦いぶりだった。ゆえに、学園長はもう一歩、『先』を見せても良いと判断したようだ」
「ん。イゴ、手伝う」

 待機所から毛布を持ってきたソニアは、片側をイゴに手渡しました。
 弟の世話で慣れているのか、察したイゴは彼女と一緒に、選手席の前に毛布を敷きました。
 その毛布の上に、ベズはメイリーンを横たわらせます。

「地竜組の生徒たちにも、伝えることがある。それではーー」
『ほら、ティノ。いつまでも寝転がっていないで、さっさと立ちなさい』

 ベズの言葉を遮るような、アリスの声。
 彼女の言葉の意味が頭に浸透する前に。
 うつ伏せに倒れていたティノは、何事もなかったかのようにむくっと立ち上がりました。

「う…、かっ、き、ティ……ティノ! ずっこい!!」
「ずっこい、て。意味がわからないよ、メイリーン。体の痺れがなくなったから起き上がっただけで、ちゃんと『引き分け』だよ」
「そ、それはそうかもしれないけど……。何か、納得いかない」

 平然と歩いて戻ってくるティノ。
 その彼と、擦れ違うベズ。
 両者とも、「特別戦」があることがわかっていたような振る舞いです。

「ん。ティノ。『特別戦』を予想していた?」
「うん。アリスさんなら、僕を使って、何かやるとは思っていたよ。補欠のままだったら、ベズ先生と戦えるように、僕のほうからアリスさんに頼むつもりだった」
「いや、ティノ。それよりも、だ。メイリーンと戦ったあとなのに、ベズ先生とーー。大丈夫なのか?」
「それは問題ないかな。僕が全力で一撃ひとうち。それで決まらなければ、僕の敗けだから」

 リフの当然の疑問に、あっけらかんと答えるティノ。

 ティノの、あの一撃。
 メイリーンのすべてを貫いた「一撃」でしたが。
 ベズを貫き通せるとは、とてもではありませんが思えません。

 アリスとベズ。
 二人は別格なのです。
 入園当初より強くなったことでわかります。

 強くなることで、二人との差が、少しだけわかるようになったのです。
 入園時に、アリスと戦うことを切望した自分を殴りに行きたい。
 そう思えるようになるくらい、メイリーンは成長しました。

「……ティノ。勝てるの?」
「僕だけなら勝てないよ。アリスさんもそれはわかっているから、そろそろ説明があるんじゃないかな」
『教師と生徒では、さすがに差があるから、ティノには『聖人形ワヤン・クリ』の使用を許可するわ』

 まるでティノの声が聞こえていたかのようなタイミングで、アリスの声が「聖技場」に響き渡りました。
 そんなとき、ばしっ、と音がしました。

「む。残念。痛みに悶える、メイリーンの姿が見たかった」
「あとで仕返しに、くすぐってやるわよ」

 良いのか悪いのか、未だ体の感覚は戻ってきません。
 そこでメイリーンは思いだしました。

 何かもう、ティノのことが好きになっちゃいそう。

 試合中、精神が高揚して、そんなことを口走ってしまいました。
 どうやらソニアは、あの戯言たわごとを耳にしてしまったようです。
 その後、ソニアの嫌がらせは、三人の男と「聖人形」の登場まで続いたのでした。
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