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第一章 黒の魔獣と花嫁候補
迷い込んだ修道女
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目の前で繰り広げられる珍妙な光景。
いったい何が起きているのか、わたしにはしばらく理解することができませんでした。
ただ一つ分かったのは……わたしが、あの恐ろしい魔獣に食べられる未来は、どうやらなさそうだということです。
「いってえな……少しは手加減してくれ」
「いいからお主は黙って殴られとれ! このバカたれが! バカたれ! バカたれ!」
「痛っ、痛い! 畜生、理不尽だ……」
繰り広げられていたのは、萌木色のドレスを着た女の子と、黒くて大きな魔獣の戦いでした。
戦いと言っても、魔獣のほうは抵抗もせず、一方的に杖で叩かれているだけでしたが……。
「あ、あの……」
わたしは意を決して、突然現れた女の子に声をかけてみます。すると、女の子は魔獣を叩くのを止めて振り返りました。
「おお、もう怖がらなくてもよいぞ。このデリカシーのないアホは儂が懲らしめたからのう!」
振り返った彼女の、麦畑のような黄金色の髪が、流れるように揺れました。
「あぁ、こりゃ可哀そうに、体もこんなに冷え切って。すぐにでも体を温めないといかんのじゃ……」
女の子はわたしのほうへ歩み寄ると、わたしの頭をその胸に抱き寄せました。
その女の子は幼い外見にもかかわらず、なぜかとても安心できる包容力が……その温かさは、記憶に残るお母さまを思い出させてくれます。
一方で、例の魔獣は女の子の後ろで大人しくしていました。
頬杖を突きながら寝そべるその姿は、どこかふて腐れているようにも見えます。
あれほど恐ろしい魔獣を、いとも簡単に手懐けるなんて!
「貴女は、いったい……?」
その不思議な女の子は、わたしの頭を撫でながら教えてくれました。
「儂か? 儂の名はドロシー。今はそう名乗っておる。そうさな……『放浪の魔女』と言えば、少しは通りが良いかの」
「魔女、様……?」
その言葉に、わたしは自分の耳を疑いました。
魔女という称号。それは決して軽いものではありません。
ただ魔術が使える女性というだけだと、魔女様なんて呼ばれ方は、絶対にしないからです。
魔力に適性のある女性の中でも、世界の法則に――すなわち、神の領域にまで干渉できる力の持ち主。
そんな方々のみが特別に『魔女』と称されるのです。
しかし、目の前にいる女の子は一見、顔立ちが整っている以外は普通の女の子に見えました。
まさかこんなに幼く見える少女が魔女様だなんて……。
でも、こうして触れ合ってみれば、確かにその小さな身体の内側を、膨大な魔力が流れていることが分かります。
「うむ、そうじゃ。一応、魔女連盟に儂の名前は載っとるはずじゃよ……まあ、自慢できるほど立派な立場ではないがのう」
魔女様は謙遜なさいます。しかし、これほどまでの魔力は宮廷魔術師の方でも持っていないでしょう。
もしかすると、わたしが勝手に足を踏み入れた冬の城は、とてつもないお方が住んでいる場所だったのかもしれません。
「も、申し訳ありません、『放浪の魔女』様。知らなかったとはいえ、無断でお城に入ってしまって――」
謝罪の言葉の途中で魔女様に優しく制されます。
「そんなにかしこまらんでもよい。第一、この城の主は儂ではない。後ろでふて腐れとるあの獣じゃよ。儂はただの客人にすぎぬ」
「……そういうことだ」
魔女様の後ろで、魔獣さんが不機嫌そうに、ぼそりと肯定しました。
なんと。てっきり彼は魔女様の使い魔だと思っていたのですが、実は違ったようです。
それならば、わたしは……まず魔獣さんに謝るべきでしょうか?
勝手に上り込んだこともそうですが……見た目の恐ろしさに囚われて、だいぶん失礼な態度を取ってしまったのですから。
「あの、えっと、魔獣……さま? 先ほどは大変失礼いたしました。あと、勝手に入ってしまって、ごめんなさい……」
「もういいよ、別に気にしてねえし……」
そう言いながらも、ふて腐れた魔獣様はわたしと目も合わせてくれませんでした。
しかし、それは当然でしょう。
彼からすれば、侵入者に声をかけただけなのに、なぜか自分が悪者にされた状況なのですもの……。
わたしの胸中は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
「こんなバカに気を遣う必要はないさね。こやつが不機嫌なのはいつものことなのじゃ。それよりお主、早く温かい風呂に入らんと、そのままでは風邪を引いてしまうぞ」
魔女様はわたしの手を取ります。
「ほれ、ぼやっとしとらんで。儂らが風呂に浸かっとる間、お主は獣らしく狩りにでも行ってこんか」
「……ひょっとしてそれは俺に言っているのか?」
魔獣様が不機嫌に答えました。
その唸り声は今にも魔女様に跳びかかり、噛み殺さんばかりです。
しかし魔女様は動じず、涼しい顔で返します。
「当たり前じゃろ? お主以外に誰がおるんじゃ」
「ハア!? ふざけるな。なんで俺が」
魔獣様が魔女様に咆えます。
わたしは驚いて、思わず跳び上がりました。
「なぜってそりゃ、この城にまともな食べ物がなーんもありゃせんからじゃ。それともお主、こんないたいけな少女にひもじい思いをさせるつもりかえ? 甲斐性ないのう」
魔獣様は言い返したそうにしましたが、結局何も口に出さないままチラリとわたしのほうを見ました。
その真紅の眼光は鋭く、体がすくんでしまいます。
しかし彼は意外にもおとなしく矛を収め、しぶしぶといった様子で立ち上がりました。
「チッ、仕方ねーな……適当に魔獣でも獲ってこればいいのか?」
「最低限食いでがありそうなのを頼む。あと、ついでに薪も拾ってくるのじゃ」
「はいよ。ったく、面倒くさい……」
ぶつぶつ文句を呟きながらも、魔獣様は驚くべき跳躍力で正面扉から飛び出して行ってしまいました。
……見た目は恐ろしいですが、もしかすると意外に素直な性格なのかもしれません。
「根がお人よしなのは相変わらずか……さて、お主はこっちじゃ。ついてまいれ」
「は、はい……!」
わたしは魔女様に率いられて冬の城の奥へと向かいました。
「まずはゆっくりと体を温めるのじゃ。難しい話は風呂から上がった後にでもするとしよう――お主を取り巻く状況は、ちいとややこしそうだからの」
歩きながら魔女様が口を開きます。
わたしはその言葉にどきりとしました。
やはり、魔女様の目はごまかせなかったようです。
「安心せい。ここにお主を傷つける者はおらん。そんなにフードを深くかぶって、顔を隠す必要はないぞ……そういえば新しい服も用意してやらんといかんな」
「……ありがとうございます」
魔女様が身分を隠していたわたしを咎めることはありませんでした。
やはり、いろんな意味で敵いませんね。
わたしはお言葉に甘えて、まずはお風呂で冷え切った体を癒すことに決めました。
* * *
雪の降る森の中、俺はただ一頭突っ立っていた。
「……さ、寒い」
鼻面に降り積もっていく雪を眺めながら俺は呟く。
いくら我慢できると言っても、寒いものは寒いんだよ! 氷点下の暗い森、人間だったら遭難してもおかしくない。
そして次の日には、変わり果てた姿で発見されるのだ。
ああ、なんて可哀そうな俺。
本来なら、今頃はボロボロでもそれなりに温かい毛布にくるまって、ゴロゴロ過ごしていたはず。
それなのに俺は今、冬に呪われた森で狩猟している。
しかも魔女に城を追い出されて、一人寒空の下でだ。
なんだこの理不尽は。
いや、まあ理由は納得できるし、逆にあの娘の世話を任されても困るけどさ。
うん。そう考えれば俺に食糧調達が押し付けられたのも当然の流れだ。
……なんとなく釈然としない気はするがな。
その時、俺の耳が何かの気配を捕らえた。
魔獣化した俺の耳は、小動物が雪を蹴る音も聞き逃さない。
足音から考えるに、相手は割と小さめ……だがネズミほど軽い動物でもなさそうだ。食い出は十分にあるだろう。
これは僥倖。狩りは意外に早く終わりそうだ。
こんな寒い中、いつまでも外にいたくない。俺は早く仕事を終わらせて帰りたかった。
俺は前傾姿勢を取る。そして十分に力を高めてから闇の中を駆けだした。
暗くて物寂しい枯れ木の森。少し走れば獲物はあっさりと見つかった。
駆け抜けた先に居たのは一羽のウサギ。
小さめで、真っ白の毛がふわふわしている白いウサギだ。
おあつらえ向きの獲物。あの娘一人分の食料としては問題ないだろう。
俺はウサギに無警戒で跳びかかる。
しかし、俺の無計画な狩りが成功することはなかった。
「……あれ?」
消えた……だと?
着地した時、そこにウサギは居なかった。あの一瞬のうちに逃げられたようだ。
しくじった。思ったより速い。
いったい、どこに行ったんだ?
とにかく追いかけようと周囲を探し始めた刹那、背後から延髄を殴られたような衝撃を受けた。
頭の中が真っ白になるような感覚。
続けざまに、顎の下から蹴り上げられる衝撃。
見える世界が歪む。
脳が揺れてもはや立っていられなくなり、俺はその場に倒れこんだ。
視界が戻ると、雪に埋もれた俺の鼻の先には白いウサギが居た。そいつはクゥクゥと笑っているような鳴き声を上げている。
……まさか、こいつか? さっきの衝撃は。
そう思っていた矢先、ウサギから魔力が放出されて俺の鼻と口が凍りついた。
「ムガッ!?」
突然現れた氷の口枷に慌てる俺を見て、ウサギは明らかに腹を抱えて笑っている。見た目は可愛い癒し系のくせして、ずいぶんと腹黒い。
その性悪な姿を見て俺はハッとする。
そうか、このウサギも魔獣なのか! あのオオカミと同じだ! この森にただの動物がいるわけなかった!
今さら気が付いたが、色々と遅すぎた。
続いて鼻面めがけてウサギからの強烈な蹴り。氷の口枷が砕け散る。
「ガァッ!? ッこの野郎! やりたい放題しやがって!」
俺は完全におちょくられていた。
「この畜生め。もう、許さねえぞ……!」
俺は気を取り直し、正面を見据える。
だが、そこにはすでに何も居なかった。
また視界の外から奇襲をするつもりか?
そう思った俺は暗い森の雪の中、警戒しながら一人でたたずむ。
十秒……三十秒……一分……二分と、静かに時が流れた。
……結局、さっきのウサギが現れることはもう二度となかった。
風の音がヒュウヒュウと、虚しく流れていく。
どうやら、ウサギは完全に逃げたようだった。
「…………そりゃ、そうだよ。冷静に考えなくても、普通は逃げるよなぁ」
だって相手はウサギだもん。
むしろアイツはなぜ、最初から逃げなかったの? 俺を馬鹿にするためにわざわざ攻撃してきたの?
残ったのは蹴り落とされた延髄と、蹴り上げられた顎と鼻面の痛みだけだった。
せっかく獲物を見つけたと思ったら返り討ち。俺は寒空の下、惨めな思いに囚われる。
冬の森での狩りは前途多難のようだった。
* * *
一方その頃、魔女と修道服の少女は大浴場に居た。
大量の温かい湯と、立ち上る湯気で溢れているその場所。白い大理石で造られた贅沢な空間だ。
本来の主が居なくなってから長い期間放置されていたが、今やかつて冬に呪われる以前のような……いや、それ以上の入浴施設として息を吹き返していた。
全ては温泉に意外なこだわりを見せた魔女の仕業である。
彼女はあらゆる魔術を駆使して地下深くの源泉と無理やりに繋げたのだ。
また、魔女のこだわりはそれだけに留まらず、管理用の守護像まで用意してしまった。
今後の大浴場は、天然温泉を売りにして二十四時間営業状態となるだろう。
「よ、宜しいのでしょうか、これは……」
その工程の一部始終を見ていた修道服の少女は、若干引き気味に言った。
「よいに決まっとるじゃろ。源泉はもともと誰のものでもないし、誰にも迷惑かけ取らん」
「でもここは、魔獣様のお城なのでは……」
「ほれ、細かいことばかり気にしとらんで、お主も服を脱がんか」
「え、ちょっと待って……キャー!?」
修道服の少女は魔女に服をひん剥かれた。
この後、新装開店した大浴場の一番風呂で、彼女たちは洗いっこに興じることとなる。
「しかし……まさか修道服の下に、これほどのモノを隠し持っておるとはのう。ハリ、ツヤ、やわらかさ、どれも一級品じゃ」
「ま、魔女様? その、そんなに強く揉まれると、ちょっと……」
「よいではないか、ただのスキンシップじゃよ!」
「そ、そうなのでしょうか……? いえっ、やっぱりダメでっ! ひゃうんっ!?」
その際に、二人の少女が絡み合うピンク色な光景が広がったりするのだが、それを魔獣が知る由もない。
片や、豪勢な天然温泉で戯れる二人の少女。
片や、寒くて暗い森の中でウサギにコテンパンにやられている魔獣。
あまりにも圧倒的な格差社会が、そこにはあった。
いったい何が起きているのか、わたしにはしばらく理解することができませんでした。
ただ一つ分かったのは……わたしが、あの恐ろしい魔獣に食べられる未来は、どうやらなさそうだということです。
「いってえな……少しは手加減してくれ」
「いいからお主は黙って殴られとれ! このバカたれが! バカたれ! バカたれ!」
「痛っ、痛い! 畜生、理不尽だ……」
繰り広げられていたのは、萌木色のドレスを着た女の子と、黒くて大きな魔獣の戦いでした。
戦いと言っても、魔獣のほうは抵抗もせず、一方的に杖で叩かれているだけでしたが……。
「あ、あの……」
わたしは意を決して、突然現れた女の子に声をかけてみます。すると、女の子は魔獣を叩くのを止めて振り返りました。
「おお、もう怖がらなくてもよいぞ。このデリカシーのないアホは儂が懲らしめたからのう!」
振り返った彼女の、麦畑のような黄金色の髪が、流れるように揺れました。
「あぁ、こりゃ可哀そうに、体もこんなに冷え切って。すぐにでも体を温めないといかんのじゃ……」
女の子はわたしのほうへ歩み寄ると、わたしの頭をその胸に抱き寄せました。
その女の子は幼い外見にもかかわらず、なぜかとても安心できる包容力が……その温かさは、記憶に残るお母さまを思い出させてくれます。
一方で、例の魔獣は女の子の後ろで大人しくしていました。
頬杖を突きながら寝そべるその姿は、どこかふて腐れているようにも見えます。
あれほど恐ろしい魔獣を、いとも簡単に手懐けるなんて!
「貴女は、いったい……?」
その不思議な女の子は、わたしの頭を撫でながら教えてくれました。
「儂か? 儂の名はドロシー。今はそう名乗っておる。そうさな……『放浪の魔女』と言えば、少しは通りが良いかの」
「魔女、様……?」
その言葉に、わたしは自分の耳を疑いました。
魔女という称号。それは決して軽いものではありません。
ただ魔術が使える女性というだけだと、魔女様なんて呼ばれ方は、絶対にしないからです。
魔力に適性のある女性の中でも、世界の法則に――すなわち、神の領域にまで干渉できる力の持ち主。
そんな方々のみが特別に『魔女』と称されるのです。
しかし、目の前にいる女の子は一見、顔立ちが整っている以外は普通の女の子に見えました。
まさかこんなに幼く見える少女が魔女様だなんて……。
でも、こうして触れ合ってみれば、確かにその小さな身体の内側を、膨大な魔力が流れていることが分かります。
「うむ、そうじゃ。一応、魔女連盟に儂の名前は載っとるはずじゃよ……まあ、自慢できるほど立派な立場ではないがのう」
魔女様は謙遜なさいます。しかし、これほどまでの魔力は宮廷魔術師の方でも持っていないでしょう。
もしかすると、わたしが勝手に足を踏み入れた冬の城は、とてつもないお方が住んでいる場所だったのかもしれません。
「も、申し訳ありません、『放浪の魔女』様。知らなかったとはいえ、無断でお城に入ってしまって――」
謝罪の言葉の途中で魔女様に優しく制されます。
「そんなにかしこまらんでもよい。第一、この城の主は儂ではない。後ろでふて腐れとるあの獣じゃよ。儂はただの客人にすぎぬ」
「……そういうことだ」
魔女様の後ろで、魔獣さんが不機嫌そうに、ぼそりと肯定しました。
なんと。てっきり彼は魔女様の使い魔だと思っていたのですが、実は違ったようです。
それならば、わたしは……まず魔獣さんに謝るべきでしょうか?
勝手に上り込んだこともそうですが……見た目の恐ろしさに囚われて、だいぶん失礼な態度を取ってしまったのですから。
「あの、えっと、魔獣……さま? 先ほどは大変失礼いたしました。あと、勝手に入ってしまって、ごめんなさい……」
「もういいよ、別に気にしてねえし……」
そう言いながらも、ふて腐れた魔獣様はわたしと目も合わせてくれませんでした。
しかし、それは当然でしょう。
彼からすれば、侵入者に声をかけただけなのに、なぜか自分が悪者にされた状況なのですもの……。
わたしの胸中は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
「こんなバカに気を遣う必要はないさね。こやつが不機嫌なのはいつものことなのじゃ。それよりお主、早く温かい風呂に入らんと、そのままでは風邪を引いてしまうぞ」
魔女様はわたしの手を取ります。
「ほれ、ぼやっとしとらんで。儂らが風呂に浸かっとる間、お主は獣らしく狩りにでも行ってこんか」
「……ひょっとしてそれは俺に言っているのか?」
魔獣様が不機嫌に答えました。
その唸り声は今にも魔女様に跳びかかり、噛み殺さんばかりです。
しかし魔女様は動じず、涼しい顔で返します。
「当たり前じゃろ? お主以外に誰がおるんじゃ」
「ハア!? ふざけるな。なんで俺が」
魔獣様が魔女様に咆えます。
わたしは驚いて、思わず跳び上がりました。
「なぜってそりゃ、この城にまともな食べ物がなーんもありゃせんからじゃ。それともお主、こんないたいけな少女にひもじい思いをさせるつもりかえ? 甲斐性ないのう」
魔獣様は言い返したそうにしましたが、結局何も口に出さないままチラリとわたしのほうを見ました。
その真紅の眼光は鋭く、体がすくんでしまいます。
しかし彼は意外にもおとなしく矛を収め、しぶしぶといった様子で立ち上がりました。
「チッ、仕方ねーな……適当に魔獣でも獲ってこればいいのか?」
「最低限食いでがありそうなのを頼む。あと、ついでに薪も拾ってくるのじゃ」
「はいよ。ったく、面倒くさい……」
ぶつぶつ文句を呟きながらも、魔獣様は驚くべき跳躍力で正面扉から飛び出して行ってしまいました。
……見た目は恐ろしいですが、もしかすると意外に素直な性格なのかもしれません。
「根がお人よしなのは相変わらずか……さて、お主はこっちじゃ。ついてまいれ」
「は、はい……!」
わたしは魔女様に率いられて冬の城の奥へと向かいました。
「まずはゆっくりと体を温めるのじゃ。難しい話は風呂から上がった後にでもするとしよう――お主を取り巻く状況は、ちいとややこしそうだからの」
歩きながら魔女様が口を開きます。
わたしはその言葉にどきりとしました。
やはり、魔女様の目はごまかせなかったようです。
「安心せい。ここにお主を傷つける者はおらん。そんなにフードを深くかぶって、顔を隠す必要はないぞ……そういえば新しい服も用意してやらんといかんな」
「……ありがとうございます」
魔女様が身分を隠していたわたしを咎めることはありませんでした。
やはり、いろんな意味で敵いませんね。
わたしはお言葉に甘えて、まずはお風呂で冷え切った体を癒すことに決めました。
* * *
雪の降る森の中、俺はただ一頭突っ立っていた。
「……さ、寒い」
鼻面に降り積もっていく雪を眺めながら俺は呟く。
いくら我慢できると言っても、寒いものは寒いんだよ! 氷点下の暗い森、人間だったら遭難してもおかしくない。
そして次の日には、変わり果てた姿で発見されるのだ。
ああ、なんて可哀そうな俺。
本来なら、今頃はボロボロでもそれなりに温かい毛布にくるまって、ゴロゴロ過ごしていたはず。
それなのに俺は今、冬に呪われた森で狩猟している。
しかも魔女に城を追い出されて、一人寒空の下でだ。
なんだこの理不尽は。
いや、まあ理由は納得できるし、逆にあの娘の世話を任されても困るけどさ。
うん。そう考えれば俺に食糧調達が押し付けられたのも当然の流れだ。
……なんとなく釈然としない気はするがな。
その時、俺の耳が何かの気配を捕らえた。
魔獣化した俺の耳は、小動物が雪を蹴る音も聞き逃さない。
足音から考えるに、相手は割と小さめ……だがネズミほど軽い動物でもなさそうだ。食い出は十分にあるだろう。
これは僥倖。狩りは意外に早く終わりそうだ。
こんな寒い中、いつまでも外にいたくない。俺は早く仕事を終わらせて帰りたかった。
俺は前傾姿勢を取る。そして十分に力を高めてから闇の中を駆けだした。
暗くて物寂しい枯れ木の森。少し走れば獲物はあっさりと見つかった。
駆け抜けた先に居たのは一羽のウサギ。
小さめで、真っ白の毛がふわふわしている白いウサギだ。
おあつらえ向きの獲物。あの娘一人分の食料としては問題ないだろう。
俺はウサギに無警戒で跳びかかる。
しかし、俺の無計画な狩りが成功することはなかった。
「……あれ?」
消えた……だと?
着地した時、そこにウサギは居なかった。あの一瞬のうちに逃げられたようだ。
しくじった。思ったより速い。
いったい、どこに行ったんだ?
とにかく追いかけようと周囲を探し始めた刹那、背後から延髄を殴られたような衝撃を受けた。
頭の中が真っ白になるような感覚。
続けざまに、顎の下から蹴り上げられる衝撃。
見える世界が歪む。
脳が揺れてもはや立っていられなくなり、俺はその場に倒れこんだ。
視界が戻ると、雪に埋もれた俺の鼻の先には白いウサギが居た。そいつはクゥクゥと笑っているような鳴き声を上げている。
……まさか、こいつか? さっきの衝撃は。
そう思っていた矢先、ウサギから魔力が放出されて俺の鼻と口が凍りついた。
「ムガッ!?」
突然現れた氷の口枷に慌てる俺を見て、ウサギは明らかに腹を抱えて笑っている。見た目は可愛い癒し系のくせして、ずいぶんと腹黒い。
その性悪な姿を見て俺はハッとする。
そうか、このウサギも魔獣なのか! あのオオカミと同じだ! この森にただの動物がいるわけなかった!
今さら気が付いたが、色々と遅すぎた。
続いて鼻面めがけてウサギからの強烈な蹴り。氷の口枷が砕け散る。
「ガァッ!? ッこの野郎! やりたい放題しやがって!」
俺は完全におちょくられていた。
「この畜生め。もう、許さねえぞ……!」
俺は気を取り直し、正面を見据える。
だが、そこにはすでに何も居なかった。
また視界の外から奇襲をするつもりか?
そう思った俺は暗い森の雪の中、警戒しながら一人でたたずむ。
十秒……三十秒……一分……二分と、静かに時が流れた。
……結局、さっきのウサギが現れることはもう二度となかった。
風の音がヒュウヒュウと、虚しく流れていく。
どうやら、ウサギは完全に逃げたようだった。
「…………そりゃ、そうだよ。冷静に考えなくても、普通は逃げるよなぁ」
だって相手はウサギだもん。
むしろアイツはなぜ、最初から逃げなかったの? 俺を馬鹿にするためにわざわざ攻撃してきたの?
残ったのは蹴り落とされた延髄と、蹴り上げられた顎と鼻面の痛みだけだった。
せっかく獲物を見つけたと思ったら返り討ち。俺は寒空の下、惨めな思いに囚われる。
冬の森での狩りは前途多難のようだった。
* * *
一方その頃、魔女と修道服の少女は大浴場に居た。
大量の温かい湯と、立ち上る湯気で溢れているその場所。白い大理石で造られた贅沢な空間だ。
本来の主が居なくなってから長い期間放置されていたが、今やかつて冬に呪われる以前のような……いや、それ以上の入浴施設として息を吹き返していた。
全ては温泉に意外なこだわりを見せた魔女の仕業である。
彼女はあらゆる魔術を駆使して地下深くの源泉と無理やりに繋げたのだ。
また、魔女のこだわりはそれだけに留まらず、管理用の守護像まで用意してしまった。
今後の大浴場は、天然温泉を売りにして二十四時間営業状態となるだろう。
「よ、宜しいのでしょうか、これは……」
その工程の一部始終を見ていた修道服の少女は、若干引き気味に言った。
「よいに決まっとるじゃろ。源泉はもともと誰のものでもないし、誰にも迷惑かけ取らん」
「でもここは、魔獣様のお城なのでは……」
「ほれ、細かいことばかり気にしとらんで、お主も服を脱がんか」
「え、ちょっと待って……キャー!?」
修道服の少女は魔女に服をひん剥かれた。
この後、新装開店した大浴場の一番風呂で、彼女たちは洗いっこに興じることとなる。
「しかし……まさか修道服の下に、これほどのモノを隠し持っておるとはのう。ハリ、ツヤ、やわらかさ、どれも一級品じゃ」
「ま、魔女様? その、そんなに強く揉まれると、ちょっと……」
「よいではないか、ただのスキンシップじゃよ!」
「そ、そうなのでしょうか……? いえっ、やっぱりダメでっ! ひゃうんっ!?」
その際に、二人の少女が絡み合うピンク色な光景が広がったりするのだが、それを魔獣が知る由もない。
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