【完結】 強靭不死身の魔獣王 ~美女の愛はノーサンキュー~

百駿歌翅(ナナシノネエム)

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第八章 孤独と再誕の童話

童話の終わりと伝説の始まり

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 ――星詠みの魔女が姿を消した。
 冬の世界は再度、静寂に包まれた。

 まるで、さっきまでの騒々しさが夢であったかのようだ。
 しかし、雪原に残る戦いの跡と分厚い雪雲にぽっかりと空いた穴、そして俺の手の中で輝きを放ちながら咲き誇る水晶のバラ。それらの存在が、さっきまでの出来事が現実であることを証明していた。

 とりあえず、動きを阻害する全身の目は消して、元の姿に戻っておく。
 余分な器官がなくなり、スッキリした。比較的簡単に戻れたことから察するに、やはり無理のある変態だったのだろう。

 なるほど。どうやら一時的な変化ならともかく、あまり元の姿から逸脱する姿に“進化”するのは難しそうだ。
 少しだけ残念だな。
 要するにそれは、俺が翼をはやして空を飛ぶのは現実的じゃないということを意味しているのだから。

 まあ、飛膜ぐらいなら割と問題なく作れるだろうが……わざわざ体に不器用な器官を追加するよりも、氷で足場を作って走ったほうが早い。
 それに――自分の足で風を切って走るのも、悪くないものだ。
 元の姿へと戻った俺は、さっそく獣のように雪原を駆け出した。

 雲の穴から見える丸い空は、だんだんと明るくなってきている。
 俺が雲の一部を落としたせいなのかは知らないが、ずっと降り続けていた雪も、今はすっかりと止んでいた。



 俺が冬の城に戻ると、正門の前に小さな人影が立っていた。
 いつもと同じ萌木色のドレスと、身の丈よりも長い杖。麦畑のような金髪にスミレ色の瞳をした幼女。
 星詠みの魔女の言うとおりだったな。そう思いながら、俺は彼女へ近付いていく。

「……なんか、ずいぶんと久々な気がするな」
 俺は挨拶代わりに声をかける。

「そう言うおヌシこそ、戻ってくるのが遅かったのう」
 以前と変わらない古めかしいしゃべり方で、放浪の魔女は答えた。

 俺は胸の中にある気まずさを抑えて、何か言おうとした。だが、その前に放浪の魔女は俺に背を向けてしまう。
「あっ、おい……」
「ついて来るのじゃ。最後の儀式を終わらせんといかんからな」
 すたすたと門の中へ入る魔女。俺は素直に彼女の後を追った。

「しかし……結局お主は、イバラの道を選んでしまったか」
 冬の城の長い廊下を歩いている途中、ふと魔女がこぼす。
「なんだ? なにか文句あるのか?」
「いんや。ここまで来てしまったのじゃ。儂からはもう、何も言うまい」
 俺が問うと、彼女は俺に背を向けたまま首を横に振った。
「とてもそうは聞こえないな。声からして不満タラタラじゃないか」
 俺は指摘したが、放浪の魔女は引き続き俺を先導するだけで何も答えなかった。

「こっちじゃ」
 彼女に案内された先は、冬の城の中庭だった。
 殺風景な枯れ果てた庭園。その中央で芽が出たばかりの白リンゴ。たった一つの新芽の緑が、この空間における唯一えられたいろどりとなっている。
「儀式とか言っていたか。俺は何をすればいい?」
「そう気構えんでよい。そこに、お主のバラを植えるだけじゃ」
 魔女が杖で指した先では、仮面ゴーレムたちが花壇を整えていた。

「……植えるだけ? 拍子抜けだな」
「無論。その水晶のバラは、お主の魂の一部。それをこの地に根付かせた瞬間とき、お主は名実ともにこの地のあるじるのじゃよ」

 根付かせる――その語感から俺は、不可逆的な何かを感じ取った。
 これこそが、本当に最後の一線である……そんな気がしてしょうがなかった。

「ほれ、どうした? 今さら怖気おじけ付いたか?」
 放浪の魔女が問いかけてくる。彼女の表情はほんのちょっぴり、そうであることを期待しているように見えた。
「……いや、まさか!」
 俺はできるだけ不敵に笑う。そうすることで最後の迷いを踏み越えながら答えた。

 たとえ人間に戻れなくても、俺はきっと後悔しないだろう。
 今の俺は、“自分の意志”で生きているのだから。
 ソフィアを救うため――誰かのために生きるのは、あくまで結果にすぎないのである。

 自分が望む未来のために。俺はチカラを手に入れた。
 報われなくとも、悔いはない。

 俺は水晶のバラを、用意された花壇の土に突き刺した。

「……そうか」
 放浪の魔女は残念そうに、小さくため息をいた。

「なんとも、人生とはままならんものじゃのう……儂はただ、お主が望んだ平穏と、誰かとともに歩む平凡な日々をくれてやりたかっただけなのに……」
「魔女……」
「英雄の真似事なんて、お主には最も似合わない生き方じゃと思っておった。現に、お主だって波乱万丈の人生を望んでおったわけではないじゃろ? それなのに、お主が選んだ生き方は――」
「よく分かってるじゃないか。でも、あわれんでくれる必要はない」
 耐え切れず、俺は口をはさんだ。
「この冬の世界に来なければ、下手したら俺はとっくに終わっていただろうからな。だけど、俺は今、此処ここに居る……それは不幸ってだけじゃない」

 例えば、もしも世の中がもう少しだけ優しかったり、あるいは俺が一番苦しい時期の、やり場がない悲しみや、どうしようもない絶望に寄り添ってくれる誰かが居たりしたら……俺はきっと自分にんげんの弱さや醜さを受け入れて、一人の弱者にんげんとして、人間にんげんの世界で生きていく未来を選んだかもしれない。

 しかし、実際はそうじゃなかった。
 だからこそ俺は今、永遠と終わらない冬の世界に囚われて、魔獣の姿で物語をつづっているのだ。

 そして、この世界で目の当たりにした。
 優しさや、正しさや、愛だけでは、救えない者たちがいる。
 世界は優しい心の持ち主であるソフィアにすら、故郷を奪い同胞を奴隷かちくに落とすなどと残酷な仕打ちを与えた。

 いや、彼女だけではない。
 僻地に追いやられてなお、常に正しく生きようとした老人――ソフィアをかくまっていたディオン司祭は、はたしてどんな目にあっただろうか。
 また、大切なソフィアを救うために、身分も未来も犠牲にした少年――太陽の国の王子アレックスには、もっと享受きょうじゅすべき平穏な少年時代があったはずではないだろうか。
 そして当たり前だが、レヴィオール王国で平和に暮らしていた無辜むこの民。はたして彼らを襲った悲劇は、彼らの罪がゆえなのだろうか――いや、そんなわけがない。

 童話でもあるように、冷たいだけの北風にできることは限られている。
 しかし、その逆もしかり。暖かいだけの太陽にだって、変えられない現実は存在するのだ。

 暗雲を払うのは北風のすべきこと。だからこそ、俺は北風の役目をになおう。
 それも、ただ理不尽に冷たく、無責任な有象無象の風ではない。

 狙った獲物は確実に凍てつかせる暴君。
 北風を統べる――それどころか、冬の全てをべる王となるのだ。


 公正であることを正義とするならば、初めからこの世に、正義なんて存在しない。
 しかし、チカラこそ正義と言うならば……。

「――俺が、正義だ」

 これは、理不尽な世界に対する孤独な宣戦布告にして、同時に独立宣言でもあった。


 しかしその瞬間、ピュウと一陣の風が吹き、地面に突き刺した水晶のバラはコテンと倒れる。
 そして、気まずい沈黙が流れた。

 これは酷い。よりにもよって、このタイミングかよ。

「…………こりゃやっぱり、ダメかもわからんね」
「なんじゃ、急に弱気になったのう」
 呆れた様子の放浪の魔女。一方で、仮面ゴーレムたちが慌てた様子で水晶のバラに添え木をてがっていた。

「考えなしに突き刺したところで、倒れるのも当然じゃろうて。心配せんでもこのバラは、儂らがちゃんと上手い具合に植え直しておくのじゃ。それより……本当に、行くのじゃな?」
「ああ。じゃあ、魔女。俺をレヴィオール王国まで送ってくれ」

 善は急げである。俺は魔女に転移魔法を頼む。
 しかし、レヴィオール王国までの直通転移門ゲートが開かれることはなかった。

「いや、すまぬがそれは無理じゃ。お主はともかく、儂は許される以上にかかわり過ぎたからのう。これ以上レヴィオール王国に肩入れすることはできんのじゃよ」
「おい、なんだよ今さら……」
 俺は当てが外れてがっくりした気分となった。

「本当に、すまぬのう。じゃが、流石にここらで自重せんと、他の魔女に示しがつかんのじゃ」
「……もしかして、魔女のお偉いさんにそう言われたのか?」
 彼女は何も言わなかったが、その目をらして言葉に詰まる態度から色々と察することはできた。

 秩序を守る側の存在が、その守るべき秩序ゆえに、結局何もできなくなる。
 世界中どこででも聞く、ありがちな話だ。

 そもそも雁字搦がんじがらめでなければ最初から、鎖の魔女あたりが真っ先にメアリス教国に干渉しただろう。

「そうか……魔女も大変なんだな」
「すまんのう、肝心な時に限って……」
 放浪の魔女はまた申し訳なさそうに言った。

「その代わりと言うのもなんじゃが、レヴィオール王国から使いの者が訪れる手筈てはずとなっておる。行動を共にするとよい」
「ええ~、そういう足手まといは要らないんだがなあ……」

 思わず不満の声が漏れる。
 俺の不死身な再生能力は、基本的に孤立奮闘でこそ輝く――もっと言ってしまえば、明らかに誰かをかばいながら戦うための能力ではない。
 命を粗末にするつもりはないが、必要なら自身の不死性は最大限活用する予定であった。

「……おそらく、だからこその使者なのじゃろうな」
 放浪の魔女は小さな声でそうつぶやいたが、俺には意味が分からなかった。

 さて、誰が来ることやら。
 庭園から離れようと背を向けたところで、今度は魔女のほうから声をかけてきた。
「それよりもお主、気を付けるのじゃぞ」
 俺が背後を振り返ると、彼女はそのまま続けた。

「もしかすると奴の黒き炎は、お主の命に届きうるかもしれん。くれぐれも、用心を欠かすことのないように」
「なんだ? 前と言っていることが真逆じゃねえか」

 俺の記憶が正しければ、確か以前は「不死は罪の代償だから、英雄由来の黒い炎でも簡単には殺せない~」的なニュアンスのことを言っていたはずである。
 しかし、どうも単純な話ではないらしい。

「それは誤りじゃったと言うべきかのう。聞いたところによると、黒騎士の能力は“神殺しの炎”を起源としておるらしい……儂もそう聞かされただけじゃから、確証はないのじゃが……」
「神殺しの炎か……また主人公っぽいチート設定盛り込みやがって」

 ここに来て、俺に不利な新情報。
 まったく、人生ってやつはいつも逆風ばかりが吹き荒れる。

「……まあ、その、なんだ。とにかく安心しろ。そう簡単に死んでやるつもりはないさ」
 俺は物語の主人公のように、自信満々を演じながら言ってやった。

 とは言ったものの、せっかく不死になったというのに、すぐに死地へと向かう羽目になるとは。
 皮肉なものだな。死の可能性が現実味を帯びてきて、改めて俺は思う。

 何もかもが壊れて、何もかもを失った。
 そして人間ですらなくなって、死ぬことすらもできなくなった。
 そんな今さらになって、“そのために死ねる何か”を見つけたなんて……しかもその先には、不死となった俺を殺しうる黒い炎が、都合よく待ち受けているなんて。

 だが、仮に死の運命が待ち受けていたとしても、今さら行かないなんて選択肢はない。

 死ぬつもりはない――もちろんそれは嘘なんかじゃないさ。
 ただ、死を失った俺に“死に場所”があるとするならば、それはきっと其処そこなのだろう。

 それに俺だって強くなったのだ。
 ソフィアを守れなかったあの頃とは、無力なままだった俺とは違うのである。

「――じゃあ、決着をつけようか、黒騎士」

 死に対する恐怖はまだある。
 だが、それでも負けっぱなしでは終われない。

 想像の向こうの、鎧をまとう黒炎の騎士。奴を見据え、俺は決意とともに呼び掛けた。

「……これで結局、儂がお主にしてやったことと言えば、お主を魔獣に変えて、この世界に連れてきてしまったことぐらいか……」
 決意を固める俺を眺めながら、放浪の魔女がさびしそうに口を開く。
「他に儂ができることと言ったら……そうじゃな。もし、無事にソフィーを助けて帰って来られたら、そのときは新しい名をお主にくれてやろう」
「……新しい名前?」
「なに、大したことではない。ただ、勝手に変な名を付けられて、存在が縛られてもつまらんからの」

 魔女の提案に、俺は首をかしげる。
 言っている意味はよく分からないが、この魔法の存在するこの世界では“名付け”がそれなりの意味を持つのかもしれない。

「それに……何もかもが“星詠み”の思惑通りと言うのも、しゃくじゃからな。これから永い時を生きるお主への、些細ささいな贈り物じゃ。もちろん、お主が人間だったころの名を名乗るつもりならそれでも構わんが……」
「……いや、だったら新しい名前のほうがいいな」

 名無しの『魔獣さん』でいられる時期は、もう終わりなのだろう。
 心機一転、何者にもれなかった過去の自分を捨てる意味でも、人間の名前と決別することに異議はなかった。

「ただ……そうなると今度は、あんたのネーミングセンスが心配だな」
 俺は幼い姿の魔女をからかった。
「せいぜい格好いい名前を考えてくれよ。あんまり変な名前だったら、遠慮なく却下させてもらうぞ」
「よく言うわい。お主こそ、“ドロシー”なんて古臭いうえ、少女趣味な名前を付けおってからに。センス云々うんぬんにおいて、お主にだけは言われたくないわ」
「…………ん?」
 なんか今、聞き捨てられないことを、魔女が言った気がする。
「安心せい。儂のはお主よりなはずじゃ……まっ、儂はこの名前も気に入っとるがの」
「おい、魔女……!」
 俺は平然と話を進める魔女を問い詰めた。
「やっぱり俺とあんたは、昔会ったことがあるのか?」
「さあて、どうだったかのう。お主は覚えておるか?」
 覚えていないからこそ、こうして詰め寄っているのだ。俺は首を横に振って否定する。
 すると魔女は、少し残念そうな、あるいは悲しそうな笑みを浮かべながらこう言った。
「相手の記憶に残らぬ思い出など、存在しないのと同じことよ。お主に必要なのは、過去わしではなく未来だった……それだけのことじゃ」
 そして魔女は目を閉じ、ほんの少し自嘲するような声音で言い放った。
「まったく、隠者の真似事なんてしたばっかりに……じゃが、互いに名付けをして、ある意味これでお相子あいこじゃな」
「魔女……」
「さあ、余計な詮索は不要じゃ。と言うよりも、絶対に思い出せんのじゃから無意味だというべきか……とにかく今は自分が望む道を進むがよい。バラは儂らが責任もって、この地に根付かせておくからのう!」
 魔女は話を打ち切るためか、つとめたように明るい声でそう言った。

 ちょうどその時、何者かが枯れ木の森を抜けて雪原まで侵入した気配を感じた。
 まだ俺の魂はこの地に根付いていないが、明らかに目立つ異物の存在はなんとなく把握できるらしい。
 なるほど、これが一つの世界のあるじになった感覚か。

「あー、ところでお主、さっきから言おう言おうと思っておったのじゃが、その背中に刺さった剣は……」
「――さっそく、誰か来たようだ」
 魔女が何か口にしたが、発言がかぶってしまった。

「ん? おい魔女、何か言ったか?」
「……いいや、お主が気にしとらんなら別によいわ」
 どうやら重要な話ではなかったようだ。俺は意識を侵入者のほうへ戻す。

「それより、訪れたのはおそらくレヴィオールの使者じゃろうて。あまり待たせるでないぞ?」
「そんなこと、分かってるさ」
 おそらく十数分ほどでこの城にたどり着くだろう。
 使者とやらを迎えるため、俺は自分が居るべき場所へと向かう。
「じゃあ……行ってくる。バラのこと、頼んだぞ」
「言われんでも。お主こそ、今度は、ソフィーを泣せんようにの」
 俺は魔女と仮面ゴーレムたちに見送られながら、中庭を後にした。



 ――冬の城の中も、外と変わらないくらい寒かった。
 壁や床の大理石から伝わってくる冷たさは、皮肉にも冬の城と言える。

 その部屋は白く、広く、天井は高く、立ち並ぶ大理石の柱には繊細かつ荘厳な装飾。
 魔石のシャンデリアも雪と氷の精霊たちに感化され、蒼白く冷たい光を放つ。
 一番奥にはち果てた古い国章と、たった一つの玉座。

 冬の城の、玉座の間だ。
 そして、今の俺が居るべき場所でもある。

 ただ、人間用の椅子はどうしても小さすぎたので、俺は魔獣として玉座の前に陣取り、黙して来訪者を待ち受けた。

 演じるのは、悠久のときを生きた伝説の魔獣。
 儚き人間だった過去や悲壮な決意、愚かしさや弱さを隠して、冬をべる超越者として振る舞う。

 むくわれぬ愛をつらぬくために。あの日々で彼女がくれたものにむくいるために。

 ありふれた幻想を守るため、俺は戦うのだ。

「来たか……」

 待つこと数分。
 廊下から駆け足で向かってくる靴の音。冬の世界でずっと凍りついていた時計が、いよいよ動き出したような気がした。

 ついに、運命の扉が開く。
 冬の王としての物語が幕を開ける。

「――遅かったな」
 俺は冬の王として堂々と、来訪者を迎え入れた。
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