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番外編 はぐれウサギと孤独なオオカミ
突然のお別れ
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お城に戻ったあと、黒オオカミからコテンパンにされた四人組のケガを、お姫様は治してあげました。
気絶していた二人も、無事に目覚めて一安心です。
緊張の奔った昼間とは打って変わって、とても平和な時間が流れます。
強いて言えば、戦いで泥だらけになった黒オオカミが、「お風呂に入りなさい」とお姫様に怒られたぐらいでしょうか?
そのぐらい、この日の冬の城は平和でした。
しかし、ご飯を食べたあと、一番小さな男の子が落ち込んでいます。
――なあ、どうしたんだよ?
お姫様の知り合いとのことで、すっかり警戒を解いたペトラ。
彼女は暗い雰囲気の男の子に抱きかかえられながら、彼を慰めました。
しかし、男の子の表情は晴れないままです。
「ま、まあ。生きてりゃ、こういうこともあるだろ。だから、な? そろそろ元気出せよ、な?」
凍った地面から生えていた大柄な男も(ペトラにとってはそういう認識でした)、背中をたたいて少年を励まします。
「うん…………」
しかし、少年の返事は生気のない生返事でした。
実はこの少年の正体、冬の城に住むお姫様を迎えに来た王子様だったのです。
ペトラに人の美醜はわかりませんが、少年は白磁の肌にピンクブロンドの髪、そしてサファイア色の瞳を携えた超美少年でした。
囚われのお姫様をはるばる助けに来た王子様――なんとロマンチックな展開なのでしょう!
しかし、彼の八年越しの初恋は、今宵、見事に玉砕してしまいました。
いえ、厳密には、まだ諦めるべき状況ではないのですが……。
そこには複雑な事情や心情があったのです。しかし、しょせんウサギにすぎないペトラには、その辺りのことは理解できません。
ただ、とりあえず少年が悲しんでいることはわかったので、彼女も励ましてあげることにします。
――まあ、よくわからないけど、げんきだせって!
ペトラは前脚でポンポンと、少年の頬を叩きました。
一方で、黒オオカミは顔にキラキラ光る何かを付けた男の人と(ペトラはメガネのことを知りません)何かを話し合っていました。
「――星詠みの魔女の……」
「予言どおり……困難が……」
「……魔女共の考えなんて……――」
ペトラの耳にも入ってきましたが、なんだか難しい話です。
こういうことがあると、ヒトの言葉を話せる黒オオカミはずるいなぁと、ペトラは思うのでした。
「ねえ、グランツ……」
落ち込んでいた少年が口を開きます。
ペトラが上を向くと、夜明け前の晴れた空のようなきれいな色の瞳が、涙で潤んでいました。
「オレってさ、もしかして男としての魅力、全然無いのかな……」
少年はペトラをぎゅっと抱きしめ、ふわふわの毛皮に顔を埋めます。
――うっ、ちょっと、くるしい……!
ペトラは少年の腕から逃れようともがきますが、しっかりとホールドされて逃げられませんでした。
「……俺から見れば、お前はまだまだ子供だよ。そういうことは、成長しきって限界が見えてから悩め。大体、姫様のほうからしても、お前の印象は八年前で止まってたんだ。仕方ねえって」
大柄な男は、少年の頭をぐりぐりと撫でます。
「そうですよ。厳密にはフラれたわけでないし、今後の頑張り次第で十分巻き返せます」
黒オオカミと話していたほうの男も、少年を励ましました。
「でもオレって、“カワイイ”とか、社交界でも“美しい”って褒められることはよくあったけど、格好良いって言われたことは……一度も無いんだ。やっぱりオレって……」
「だぁ~もうッ! ウジウジしてても始まんねえ。こういうときは体を動かせ! 表で剣を振ってりゃ気も晴れるッ! おら、外に出るぞ!!」
それでもまだ何か言っている少年の首根っこを掴んで、ずるずると引きずりながら大柄の男外へ向かいます。
――お? なにがはじまるんだ?
その二人に、ちゃっかりとペトラもついて行きます。
そしてぞろぞろとみんなで向かった先は、冬の城の中庭でした。
さて、外に出ると、メガネの男が魔法で周囲を明るくします。
ぱあっと照らされた中庭は、空は夜なのに足元は昼みたいに明るくて、なんだか不思議な感じがしました。
「悪いな、ジーノ。よし……じゃあ、始めるとすっか。準備はいいか?」
大柄な男と少年は、それぞれ鉄の棒――剣を構えます。
「うん。もう、大丈夫」
「ならいつも通りだ、好きに打ち込んで来い」
彼がそう言うや否や、二人の戦いが始まりました。
――あ! たたかってる!
二人の戦いに、ペトラは大興奮です。
彼らの戦い方はなんとなく例の黒甲羅の化け物に似ていて、強くなりたいペトラは彼らの動きを必死で学びます。
――ひょっとして、おまえたちもナイトなのか!?
もちろん違います。ただ、お姫様を守る……そういった意味においては、ペトラの勘違いもまんざら大外れではありません。
そしてだいぶ時間がたったところで、へとへとになった少年のほうが雪の上に座り込みました。
「明日もあるからな、このぐらいにしとくぞ。あとは疲れを残さないようにゆっくり休め」
そう言いながらも大柄な男は、黒オオカミの切れた尻尾を振り回します。
――なあなあ、つぎはあたいと!
ペトラは少年に飛びつきますが、少年はとても疲れていて、結局彼女の特訓に付き合ってくれることはなく、そのまま部屋に戻って寝てしまいました。
* * *
夜も更けて、中庭にはペトラだけが残っています。
大柄な戦士の男と、小柄な少年――彼らの稽古は、ペトラにとっても有意義なものでした。
――こうして、こうして……こうきて、そしたら……。
とくに大柄なほうの見切りの技術は、目を見張るものがありました。
少年の身軽な剣捌きが彼女にも似通った部分があっただけに、それを絶妙にいなし続ける彼の技術が印象的だったのです。
――ああして、こうして……こうだっ!
イメージトレーニングの中で、あの甲冑の化け物と互角の戦いを繰り広げるペトラは、少しずつですが、確かに強くなっていました。
効果的な見切りを習得した今の彼女なら、この付近で最も強い野生動物――クマぐらいなら、意外と互角に戦えるかもしれません。
でも、まだまだ足りません。
もっと、もっと、強くなる必要があります。
もう二度と、誰にも負けないように。
弱いウサギのままで、暗い巣穴に引き籠って、外敵に怯えながら暮らさなくてもいいように……。
――ん?
ふと、彼女の長い耳が何者かの足音を聞きつけます。
その聞き慣れた硬い蹄の足音は、お姫様のものでした。
「あっ、ペトラちゃん……」
明かりを以って暗い廊下を進むお姫様は、気になって様子を見に来たペトラに気づきました。
「いつも夜は中庭にいたの?」
屈んでペトラの背中を撫でるお姫様。ペトラは気持ちよくって目を細めます。
――めずらしいな! よるはいつもねてるのに。
「ねえ、ペトラちゃん……」
お姫様が、尋ねるように語りかけました。
「ペトラちゃんは、わたしがここに残ったほうが、嬉しいですか?」
しかし、ペトラには難しくてわかりません。
ただ、お姫様が思い詰めているような、何かを迷っているような雰囲気だけは、辛うじてわかりました。
――どうしたの? オヒメサマ?
「……ウフフ、ペトラちゃんも、今日までありがとう」
――んん?
「もしかしたら、明日からもずっとこのお城に居るかもしれないけど……そのときは、よろしくね?」
よくわかりませんがペトラは、クゥッと鳴いて返事をしました。
するとお姫様は、北の塔――いつも黒オオカミが寝床にしている部屋へと向かっていきました。
……これが、彼女と迎える最後の夜になるだなんて、ペトラはついぞ理解できませんでした。
* * *
朝が来て、お姫様が黒オオカミの部屋から出てきます。
その目は泣きはらしたように真っ赤でしたが、彼女は気丈に振る舞っていました。
そして、支度を整えて、ついにお別れの時です。
ちょうど太陽が山の陰から顔を出したぐらいの時間、四人の来客と一緒にお姫様は城の入り口に立っていました。
お姫様の旅立ちの日は残念ながら、天候には恵まれませんでした。
曇り空からチラホラと、白い雪の欠片が落ちてきます。
「早く出たほうがよさそうだな。あまり、ちんたらしていると吹雪そうだ」
大柄な男が、空を見上げながら言いました。
お姫様は最後に、ペトラと戯れて、別れの挨拶としました。
最期に軽く談笑し、別れを惜しみながらも、それでも時間は止まってくれません。
「じゃあ……そろそろ行くか」
「そうか。ならお前達、さよならだ。くれぐれも壮健にな」
――なんだ、いっちまうのか?
てっきり彼らも新しいナイトとしてこの城に居つくと、ペトラは勝手に思っていました。
「魔獣さん」
「ソフィア……」
互いの名を呼ぶ、お姫様と黒オオカミ。
「伝えたいことは色々あるが……湿っぽいのは無しにしよう。今はただ礼を言いたい。ありがとう、ソフィア。君が居たこのひと月の間、とても楽しかった」
「……魔獣さんも、お元気で」
お姫様は黒オオカミの頭を抱き寄せ、口づけをしました。
こうして、四人の来訪者と一緒に、お姫様は冬のお城から出て行ってしまいました。
激しくなってきた雪が、去り行く彼らの姿を隠してしまいます。
――オヒメサマは、いつかえってくるんだろう?
ペトラは去り行く彼らを見ながら、そんな呑気なことを考えていました。
……お城の中に戻ると、なんだか急に暗く、冷たくなった気がします。
お姫様が居ないだけで、いろんなものが違っていました。
ペトラと黒オオカミは、自然と暖炉の部屋に向かいます。
いつもお姫様が居た、あの部屋です。
しかし、部屋のドアを開くと、暖炉の炎は消えていて、いつもと違って冷たい空気が彼女たちを出迎えました。
「なんで、ここに来たんだ、俺……?」
黒オオカミばぽつりと言います。しかし、答えてくれる者は誰も居ません。
なんだか落ち着かないペトラは、部屋の中をきょろきょろ見まわします。
すると、何かを見つけました。
――なにかある!
ペトラは黒オオカミの足元をすり抜け、部屋の中に侵入します。
――オヒメサマのだ!
ペトラが見つけたのは、クマっぽい形になった蔓――毛糸で造られた、クマの編みぐるみでした。
それは、お姫様からお世話になった黒オオカミへの、感謝の気持ちが詰まったプレゼントでした。
「なんだ、ソフィア。完成させていたのか」
黒オオカミが近寄ると、クマの編みぐるみが手紙を持っていることに気づきます。
彼がそれを手に取って読み始めると……。
――なあ、それはなんだ!? あたいにもみせろ!
黒オオカミはペトラを無視して読み進めます。
そして、読み終えると同時に、暖炉の部屋を飛び出してしまいました。
黒オオカミが目指したのは、冬のお城で一番高い場所。
そこで彼は、咆哮を上げます。
冬の世界に響く咆哮は、暖炉の部屋でも聞こえます。
森の生き物たちは、彼を恐れるでしょう。
しかし、ペトラには、黒オオカミが悲しくて泣いていることが理解できました。
そのまま黒オオカミは、お城のてっぺんで、泣いて、泣いて、日が暮れるまで泣き続けて――それを聞いてようやく、ペトラも「お姫様は出て行った」という事実が理解できたのでした。
気絶していた二人も、無事に目覚めて一安心です。
緊張の奔った昼間とは打って変わって、とても平和な時間が流れます。
強いて言えば、戦いで泥だらけになった黒オオカミが、「お風呂に入りなさい」とお姫様に怒られたぐらいでしょうか?
そのぐらい、この日の冬の城は平和でした。
しかし、ご飯を食べたあと、一番小さな男の子が落ち込んでいます。
――なあ、どうしたんだよ?
お姫様の知り合いとのことで、すっかり警戒を解いたペトラ。
彼女は暗い雰囲気の男の子に抱きかかえられながら、彼を慰めました。
しかし、男の子の表情は晴れないままです。
「ま、まあ。生きてりゃ、こういうこともあるだろ。だから、な? そろそろ元気出せよ、な?」
凍った地面から生えていた大柄な男も(ペトラにとってはそういう認識でした)、背中をたたいて少年を励まします。
「うん…………」
しかし、少年の返事は生気のない生返事でした。
実はこの少年の正体、冬の城に住むお姫様を迎えに来た王子様だったのです。
ペトラに人の美醜はわかりませんが、少年は白磁の肌にピンクブロンドの髪、そしてサファイア色の瞳を携えた超美少年でした。
囚われのお姫様をはるばる助けに来た王子様――なんとロマンチックな展開なのでしょう!
しかし、彼の八年越しの初恋は、今宵、見事に玉砕してしまいました。
いえ、厳密には、まだ諦めるべき状況ではないのですが……。
そこには複雑な事情や心情があったのです。しかし、しょせんウサギにすぎないペトラには、その辺りのことは理解できません。
ただ、とりあえず少年が悲しんでいることはわかったので、彼女も励ましてあげることにします。
――まあ、よくわからないけど、げんきだせって!
ペトラは前脚でポンポンと、少年の頬を叩きました。
一方で、黒オオカミは顔にキラキラ光る何かを付けた男の人と(ペトラはメガネのことを知りません)何かを話し合っていました。
「――星詠みの魔女の……」
「予言どおり……困難が……」
「……魔女共の考えなんて……――」
ペトラの耳にも入ってきましたが、なんだか難しい話です。
こういうことがあると、ヒトの言葉を話せる黒オオカミはずるいなぁと、ペトラは思うのでした。
「ねえ、グランツ……」
落ち込んでいた少年が口を開きます。
ペトラが上を向くと、夜明け前の晴れた空のようなきれいな色の瞳が、涙で潤んでいました。
「オレってさ、もしかして男としての魅力、全然無いのかな……」
少年はペトラをぎゅっと抱きしめ、ふわふわの毛皮に顔を埋めます。
――うっ、ちょっと、くるしい……!
ペトラは少年の腕から逃れようともがきますが、しっかりとホールドされて逃げられませんでした。
「……俺から見れば、お前はまだまだ子供だよ。そういうことは、成長しきって限界が見えてから悩め。大体、姫様のほうからしても、お前の印象は八年前で止まってたんだ。仕方ねえって」
大柄な男は、少年の頭をぐりぐりと撫でます。
「そうですよ。厳密にはフラれたわけでないし、今後の頑張り次第で十分巻き返せます」
黒オオカミと話していたほうの男も、少年を励ましました。
「でもオレって、“カワイイ”とか、社交界でも“美しい”って褒められることはよくあったけど、格好良いって言われたことは……一度も無いんだ。やっぱりオレって……」
「だぁ~もうッ! ウジウジしてても始まんねえ。こういうときは体を動かせ! 表で剣を振ってりゃ気も晴れるッ! おら、外に出るぞ!!」
それでもまだ何か言っている少年の首根っこを掴んで、ずるずると引きずりながら大柄の男外へ向かいます。
――お? なにがはじまるんだ?
その二人に、ちゃっかりとペトラもついて行きます。
そしてぞろぞろとみんなで向かった先は、冬の城の中庭でした。
さて、外に出ると、メガネの男が魔法で周囲を明るくします。
ぱあっと照らされた中庭は、空は夜なのに足元は昼みたいに明るくて、なんだか不思議な感じがしました。
「悪いな、ジーノ。よし……じゃあ、始めるとすっか。準備はいいか?」
大柄な男と少年は、それぞれ鉄の棒――剣を構えます。
「うん。もう、大丈夫」
「ならいつも通りだ、好きに打ち込んで来い」
彼がそう言うや否や、二人の戦いが始まりました。
――あ! たたかってる!
二人の戦いに、ペトラは大興奮です。
彼らの戦い方はなんとなく例の黒甲羅の化け物に似ていて、強くなりたいペトラは彼らの動きを必死で学びます。
――ひょっとして、おまえたちもナイトなのか!?
もちろん違います。ただ、お姫様を守る……そういった意味においては、ペトラの勘違いもまんざら大外れではありません。
そしてだいぶ時間がたったところで、へとへとになった少年のほうが雪の上に座り込みました。
「明日もあるからな、このぐらいにしとくぞ。あとは疲れを残さないようにゆっくり休め」
そう言いながらも大柄な男は、黒オオカミの切れた尻尾を振り回します。
――なあなあ、つぎはあたいと!
ペトラは少年に飛びつきますが、少年はとても疲れていて、結局彼女の特訓に付き合ってくれることはなく、そのまま部屋に戻って寝てしまいました。
* * *
夜も更けて、中庭にはペトラだけが残っています。
大柄な戦士の男と、小柄な少年――彼らの稽古は、ペトラにとっても有意義なものでした。
――こうして、こうして……こうきて、そしたら……。
とくに大柄なほうの見切りの技術は、目を見張るものがありました。
少年の身軽な剣捌きが彼女にも似通った部分があっただけに、それを絶妙にいなし続ける彼の技術が印象的だったのです。
――ああして、こうして……こうだっ!
イメージトレーニングの中で、あの甲冑の化け物と互角の戦いを繰り広げるペトラは、少しずつですが、確かに強くなっていました。
効果的な見切りを習得した今の彼女なら、この付近で最も強い野生動物――クマぐらいなら、意外と互角に戦えるかもしれません。
でも、まだまだ足りません。
もっと、もっと、強くなる必要があります。
もう二度と、誰にも負けないように。
弱いウサギのままで、暗い巣穴に引き籠って、外敵に怯えながら暮らさなくてもいいように……。
――ん?
ふと、彼女の長い耳が何者かの足音を聞きつけます。
その聞き慣れた硬い蹄の足音は、お姫様のものでした。
「あっ、ペトラちゃん……」
明かりを以って暗い廊下を進むお姫様は、気になって様子を見に来たペトラに気づきました。
「いつも夜は中庭にいたの?」
屈んでペトラの背中を撫でるお姫様。ペトラは気持ちよくって目を細めます。
――めずらしいな! よるはいつもねてるのに。
「ねえ、ペトラちゃん……」
お姫様が、尋ねるように語りかけました。
「ペトラちゃんは、わたしがここに残ったほうが、嬉しいですか?」
しかし、ペトラには難しくてわかりません。
ただ、お姫様が思い詰めているような、何かを迷っているような雰囲気だけは、辛うじてわかりました。
――どうしたの? オヒメサマ?
「……ウフフ、ペトラちゃんも、今日までありがとう」
――んん?
「もしかしたら、明日からもずっとこのお城に居るかもしれないけど……そのときは、よろしくね?」
よくわかりませんがペトラは、クゥッと鳴いて返事をしました。
するとお姫様は、北の塔――いつも黒オオカミが寝床にしている部屋へと向かっていきました。
……これが、彼女と迎える最後の夜になるだなんて、ペトラはついぞ理解できませんでした。
* * *
朝が来て、お姫様が黒オオカミの部屋から出てきます。
その目は泣きはらしたように真っ赤でしたが、彼女は気丈に振る舞っていました。
そして、支度を整えて、ついにお別れの時です。
ちょうど太陽が山の陰から顔を出したぐらいの時間、四人の来客と一緒にお姫様は城の入り口に立っていました。
お姫様の旅立ちの日は残念ながら、天候には恵まれませんでした。
曇り空からチラホラと、白い雪の欠片が落ちてきます。
「早く出たほうがよさそうだな。あまり、ちんたらしていると吹雪そうだ」
大柄な男が、空を見上げながら言いました。
お姫様は最後に、ペトラと戯れて、別れの挨拶としました。
最期に軽く談笑し、別れを惜しみながらも、それでも時間は止まってくれません。
「じゃあ……そろそろ行くか」
「そうか。ならお前達、さよならだ。くれぐれも壮健にな」
――なんだ、いっちまうのか?
てっきり彼らも新しいナイトとしてこの城に居つくと、ペトラは勝手に思っていました。
「魔獣さん」
「ソフィア……」
互いの名を呼ぶ、お姫様と黒オオカミ。
「伝えたいことは色々あるが……湿っぽいのは無しにしよう。今はただ礼を言いたい。ありがとう、ソフィア。君が居たこのひと月の間、とても楽しかった」
「……魔獣さんも、お元気で」
お姫様は黒オオカミの頭を抱き寄せ、口づけをしました。
こうして、四人の来訪者と一緒に、お姫様は冬のお城から出て行ってしまいました。
激しくなってきた雪が、去り行く彼らの姿を隠してしまいます。
――オヒメサマは、いつかえってくるんだろう?
ペトラは去り行く彼らを見ながら、そんな呑気なことを考えていました。
……お城の中に戻ると、なんだか急に暗く、冷たくなった気がします。
お姫様が居ないだけで、いろんなものが違っていました。
ペトラと黒オオカミは、自然と暖炉の部屋に向かいます。
いつもお姫様が居た、あの部屋です。
しかし、部屋のドアを開くと、暖炉の炎は消えていて、いつもと違って冷たい空気が彼女たちを出迎えました。
「なんで、ここに来たんだ、俺……?」
黒オオカミばぽつりと言います。しかし、答えてくれる者は誰も居ません。
なんだか落ち着かないペトラは、部屋の中をきょろきょろ見まわします。
すると、何かを見つけました。
――なにかある!
ペトラは黒オオカミの足元をすり抜け、部屋の中に侵入します。
――オヒメサマのだ!
ペトラが見つけたのは、クマっぽい形になった蔓――毛糸で造られた、クマの編みぐるみでした。
それは、お姫様からお世話になった黒オオカミへの、感謝の気持ちが詰まったプレゼントでした。
「なんだ、ソフィア。完成させていたのか」
黒オオカミが近寄ると、クマの編みぐるみが手紙を持っていることに気づきます。
彼がそれを手に取って読み始めると……。
――なあ、それはなんだ!? あたいにもみせろ!
黒オオカミはペトラを無視して読み進めます。
そして、読み終えると同時に、暖炉の部屋を飛び出してしまいました。
黒オオカミが目指したのは、冬のお城で一番高い場所。
そこで彼は、咆哮を上げます。
冬の世界に響く咆哮は、暖炉の部屋でも聞こえます。
森の生き物たちは、彼を恐れるでしょう。
しかし、ペトラには、黒オオカミが悲しくて泣いていることが理解できました。
そのまま黒オオカミは、お城のてっぺんで、泣いて、泣いて、日が暮れるまで泣き続けて――それを聞いてようやく、ペトラも「お姫様は出て行った」という事実が理解できたのでした。
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