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「やっと見つけた。俺の番」
部屋に入るなりいきなり、優良物件そうな男…だった獣に抱き締められる。
壊れ物を扱うような優しい抱擁なら、逃げられただろう。
肋が折れるのではないだろうかというくらいに、力任せに抱き締められているせいで、息をするのも大変だ。
そして、何より暑苦しい。
嬉しそうな優良物件(獣)に対して私の機嫌は急降下。
そもそも、何故このような男がここいるのだ。
獣人貴族で軍属のジョエル・ギリアンが、人族の貴族の末端に名を連ねている商家貴族である私──ヘレン・マクレンを見初めていいはずがないのだから。
私の住むリザクライン王国は、獣人と人間が共存している国。
元々は人間のみだったのだが、獣人国家との交流から始まり、その後移住や難民の受け入れなどで、共存する国となった。
最初の頃は受け入れがたかったようで、何度も内戦が起こったようだ。
いまは、平和になり獣人と人間が手を取り合える国となった。
そこで、内戦の締結交渉など率いていたリーダー格の者達が獣人貴族の始祖とされている。彼らは移住する前は獣人国家でも、貴族だったらしく教養もあったため貴族としての振る舞いに問題もなかったようで、いま目の前にいる彼もその尊き血を受け継ぐ獣人貴族だというのに、何故わたしを襲う。
獣人が番に出会う確率は3%ほどと言われている。
なかなか、出会うことはないようだが人間は政略結婚など無理矢理な結婚が多い中、愛する者と共にいられるのだからと羨ましいと思ったこともある。
既婚者が番だった者が、伴侶を、番を、求める本能により有能な人物たちが殺人や自殺をするという話を聞くと胸糞悪くなる。
そして、愛のためにそこまで出来ることに恐怖すら感じた。
それにしても、この男はいつまで私を抱き締めているのだろうか。
そろそろ窒息しそうだ。
「お嬢様が死んでしまいます。お離しください」
私の心を代弁する可能に、部屋付き侍女が声をあげる。
その言葉を聞き、強めていた力が緩くなったので逃げようとするが、緩くなっただけで抱き締められる形はかわらないようだ。
とりあえず、息を整えようと深呼吸をすると鼻腔が擽られるような感覚に陥った。
そして、私の機嫌が急降下した理由に直結する問題なのだが。
「べくしゅん」と淑女が出すようなくしゃみではない。
今まで我慢していたくしゃみは一度出てしまえば、止まることはない。
獣人は興奮すると今まで隠していた耳や尻尾がでてくる。そこは、素直で可愛いと思ってしまう。
しかし、ジョエル・ギリアンはイヌ科の獣人貴族で、私はイヌアレルギーだから相性は最悪だ。
「はやく、お嬢様から離れてください。本当に死んでしまいます」
叫ぶ侍女、静観している侍従、くしゃみの止まらない令嬢、喜んでいる獣人貴族。
なんて、混沌とした空間なのだろう。
侍女の叫び声を鬱陶しそうな顔で見ているこの男は、私をアレルギーで殺す気なのか。
ぶんぶんと尻尾を振り回すから、毛が空中を飛び回って鼻腔をくすぐり目が痒くなり涙さえ出てくる。
そもそも、番がアレルギーって番ではないと思う。
この男の本能が可笑しいのだろう。ひとまず、そばから離れて欲しい。
「私の愛しい番。ヘレン・マクレンどうか私と結婚してはくれないか」
「む、無理です。私を殺す気ですか」
「何を言っている。俺が愛しいヘレンを殺すわけがないだろう」
プロポーズを即答で断る私に苛立ったのか、一人称が私から俺へ変わっている。
貴族の方が素を見せるのは、苛立っているときか親しい友人・家族といるときだけなので、今回は完全に前者だ。
貴族としては平凡な顔立ちで縁談もあってないような私は、このような体質ではなかったら喜んで受け入れたかもしれない。
だが、この体質のためか生命を脅かしてまで受け入れることはしたくない。
だったら、行き遅れと言われた方がましだ。
「何故、受け入れない。俺ほどの優良物件はなかなかいないぞ」
優良物件と自身で言ってしまうほど、ご自分のことをよく理解しているようで。
だからこそ、番など諦めてしまえばいいのに。何故、何故なのだ。
「そ、それは…私がイヌアレルギーだからです」
叫んでやれば、抱き締められていた腕は簡単に離れ「嘘だろ」とこぼす言葉を否定するつもりはない。
私だってイヌアレルギーなんて、厄介なものになりたくてなったわけではない。
外でイヌと、もふもふ戯れている人たちをみると、とても羨ましくて仕方がないのだ。
「だから、私はあなたのような立派な方から望まれても嫁ぐことは出来ないのです」
2度目を告げると放心しているのか、従者の方が「ご迷惑お掛けいたしました。お大事になさってください」と言いながら主人であるジョエル・ギリアンを引きずって部屋を出て行った。
首根っこを掴みながら引きずる姿は、「さすがは獣人」としか言えずに、今度はこちらが唖然としてしまう。
「絶対に俺は諦めないからな。待っていろ、ヘレン・マクレン。お前は絶対に俺の妻になるしかないのだからな」
屋敷から連れ出されたというのに、外から聞こえる大きな声に耳を傾けながらも、ここが街中であることを彼は忘れているようだ。
そして、名指しで私の将来を決める男に羞恥心とはないようだ。私は恥ずかしくてこの屋敷から逃げ出したい。いや、逃げ出すというより避難するのだが。
いまから、この屋敷はあのイヌ科獣人が撒き散らした毛の掃除に取り掛かるのだから。
最後に盛大なくしゃみをし、屋敷でも安全な場で着替え王国の高級宿場へ向かうことにった。
***
屋敷の大掃除状態なり3日が経った頃、あの疫病神ことジョエル・ギリアンから謝罪という名の贈物が届いた。誰が、この場所をあの男に教えたのだ。
勿論、中身は検品済みであり装飾品の類のようだったので徹底的に消毒をされ渡されたので有難いのか迷惑なのかわからない複雑な心境である。
贈った本人もこんなにも徹底されているとは思っていないだろう。
カウチに座り本を読んでいたのだが、膝の上に本を伏せ手渡されたピアスを眺めてみる。
「それにしても、この宝石ってもしかして」
「ルビーですね。しかも、彼方の瞳の色とお見受けいたします」
そう言われてしまうと、溜息しかでない。あの男の瞳の色までは覚えていない。
夜会で数回、式典で数回、遠目でみたくらいの男が急に現れたのだ。
まじまじと、見ることも出来ずに抱き締められたため漠然な姿しか覚えていない。
唯一覚えているのは白銀の長髪ということだけ。
ピアスを横付けにされていたテーブルに置き、本の続きを読もうとすると「俺の妻、ヘレン。喜んでくれただろうか」といきなり扉が開いた。
これには私も侍女も驚くしかない。何故、この男が、この場所に、警備に止められずに、ここにいるのだ。
「本日は獣化を抑える薬を飲んできているから、アレルギーもでないだろう。この部屋に来る前に湯浴みも済ましているからな」
「…はあ、そうなのですか」
自信満々に言うものだから、最初から獣化を抑える薬を飲んでから来てくれればよったのに。
そうすれば、くしゃみや目の痒みを抑える薬を処方してもらうためにあの日、医者を呼ばなくても済んだのに。
もう、何でこの男の番認定されたのかわからない。
目には見えないが、あの日尻尾をぶんぶん振り回していた姿を思い出すと、きっといまも振り回したくて身体がウズウズしているはずだ。
イヌ科獣人は尻尾で喜びを表現する人だと侍女が言っていた。
「お前は俺の番だから特別に撫でることを許可しよう」
ん?何を言っているのだ?撫でるとはどういうことだ?
この男は、どこか変な場所に頭でもぶつけたのだろうか?
従者の獣人が「どうか、一度でいいので撫でてあげてください。そうすれば、仕事に戻りますので」と言い放つ。
仕事から抜け出してここまで来たのか。なんと、不真面目な男なのだ。
仕方がないので、少しだけ屈んでもらい頭を撫でる。
撫でていると髪があまりにも気持ちよくて、ずっと撫でていたい衝動に駆られてしまった。
恐るべし、イヌ科獣人。
「どうだ、気持ちよいだろ」と告げている本人も目を細めながら気持ちよさそうにしているので、威厳というものが見当たらない。
チラッと侍女をみると目線は明後日の方向を向いており、従者は残念者をみる視線を向けている。
それにしても、いつまで撫でているのだろう。
手を止めようとすると手首を掴まれ、まだ撫でろと言わんばかりに手を回される。
数分後に満足したらしく、甘ったるい視線を向けてくる。
「薬の効果が、そろそろ切れるからまた来る」
後ろ髪ひかれる思いというのはこういうことを言うのだろうか。
ちらちらと後ろを振り返って来るジョエル・ギリアンに思わず吹き出しそうになる。
あの男が帰ってから、やっと平和が訪れ読み掛けていた本を手に取ろうとするが、それよりも側で光っているピアスに目を奪われてしまった。
見慣れたルビーでも異性から贈られた物だと思うと特別感が増してしまい処分するわけにも行かず、光に当てながら色の変化を楽しんだ。
いままであまり装飾類に興味がなかったのだが、このピアスだけは不思議と見つめていても飽きないと思っていたら、控えていた侍女が発言の許可を求めてきたので、そちらに耳を傾ける。
「お嬢様、先程ギリアン様が言っておられた薬についてですが」
「続けて」
「はい。あれは貴族でも高価な物で中々手に入らない代物と聞き及んでおります。ジョエル様の軍から頂いている給金ですら3カ月分の価値はある代物と思います」
「そんなにする物を手に入れてまで私に会いに来てくださったのね。何だか、悪いことをしている気分だわ」
番を見つけた喜びなのだろうか、きちんと対面したのは2度目だというのにそこまで配慮してくれるジョエル・ギリアンを、もてなさずに迷惑そうな顔を向けてしまったことを反省しなくてはいけない。
どうせ、また来るのだからその時におもてなしすればいいだろう。
窓際まで近づき、外を見ればちょうど馬に乗る姿が見える。
その姿をぼーっとみていると、私に気付いたのか外見からは想像できないほどの無邪気な笑みを向けられる。
その笑みにドキッと胸が高鳴り、控え目だが手を振れば、目を大きくしながらも手を振り返してくれた。
それが嬉しくて自然と笑みが零れた。
***
屋敷大掃除が終わるまでの1カ月間、毎日仕事から抜け出してきているのか、ほんの数時間程度会いに来ては、撫でることを強要し、話し相手として過ごし、軽食を共にするような仲にはなった。
男女の仲かと言われれば違う。飼い主と愛玩犬のような仲ではないかと思ってしまう。
侍女から見ても、そう見えるらしく苦笑してしまう。
そして、毎日のように訪れるということはあの高価な薬を毎日のように飲んでいるということだ。
どのような薬も飲みすぎて身体に悪影響を及ぼすことや効果が薄れていってしまう。
ジョエル・ギリアンの場合は後者であり、最近では30分以内で消えることもあるので、仕事が忙しいのかと従者に聞けば「薬の抗体ができはじめているのです」と答えられてしまう。因みに従者はネコ科獣人のため私のアレルギー対象外で、職場に戻るたびにジョエル・ギリアンから八つ当たりをされるらしい。
高価な薬を飲んでまで私に会いに来るあの男は一体なんなのだろう。
好意をもたれていることはわかるが、それは番を求める獣人の本能であると思うと胸が痛んでしまう。
私はどうやらこの1カ月で、ジョエル・ギリアンに絆されてしまったようだ。
「窓の近くいたということは、俺が来るのを楽しみにしていたということだろ!ヘレン、やっと俺の妻になる覚悟が出来たのだな」
外見は美丈夫であり、一国の王子かと思われるほど気品を持ち合わせているというのに、口を開けば実に残念な男だと思ってしまう。
あまりにも、自信に満ち溢れているこの男の根拠は何なのだろうと思えば、数代前の番にこの国の姫がいたらしい。王族の血を取り入れているから見目も麗しく、自信もあるのだろう。
似なくてもいい性格が似たということか。降嫁した姫の性格は知らないが。
そして、極めつけは獣人国家の王家の傍系ということだ。
「そういうわけではないのですよ。私たち、やっとこの1カ月で顔見知りくらいになれたと思うのです。まだまだ、夫婦になるには互いを知らなすぎます」
「政略結婚というのはそういうものだろう。お前も貴族に名を連ねているのだから理解しているはずだ。いままで、此方も穏便にしていたが、欲しいものを手に入れるために圧力を掛けることくらい容易い。侯爵家と子爵家ではどちらが格上かはわかるだろ」
「…理解しているつもりです。ですが、あなたは私をきちんとは見てくださっていない。番だから、魂が求める相手だからと、私に求婚をしているのではありませんか」
何を苛立っているのか、突然の脅迫まがいな言葉に自分の気持ちを吐露してしまう。
貴族に生まれたから理解しているつもりだった。自分を見て欲しいなどという、自己欲求は抑えなくてはいけないということ。
両親から愛情をたっぷりと受け、いままで生活していたためか、婚姻を結ぶ相手には愛されていたいと願ってしまう。
言い放ってから、格上の相手に失礼をしたと思っていたら以外にも向こうは冷静なようだ。
顔を青くしている侍女が震えながら「お嬢様、いますぐに謝罪を」と口にするのを制止し「俺はお前に愛を囁いたことはなかったな。獣人は好きでもない相手に撫でろとは言わない。むしろ、獣化したときに毛を撫でて欲しいと思うくらいには俺はヘレン・マクレンに好意をもっている」と、突然告白される。
あまりのことに言葉も出ない。
いきなり抱き締められるが、体重の掛け方を間違えたようで押しつぶされるように倒される。勢い余ってかと思ったら、獣化症状が現われたためその反動によるものみたいだった。
目の前で私に抱き着いている男に、いま耳と尻尾が現われ私はくしゃみを我慢できるのだろうか。
従者が近寄り、ジョエル・ギリアンを離してくれるものだと思っていたらマスクを渡されたので、着用しろということらしく大人しく従う。
「薬の免疫が出来てしまったようで申し訳ない。だが、俺は本気だ。軍部の研究班に頼んでアレルギーを克服する薬を依頼したのだが、それが漸く完成したらしい。だから、これを飲んで俺と供に生きて欲しい」
服の上着から取り出された物は綺麗な箱だった。その箱を渡され、開けるように促されるので開けてみると、中身は錠剤だった。
普通は花束を贈られる場面だと思うのだが、アレルギー体質の私のためにと思うと愛の言葉は囁かれるよりも、愛されていると実感してしまう。
単純な私が彼に陥落したのはいうまでもない。
「幸せにしてくださいよ、旦那様」
マスク越しに耳元で囁けば、真っ赤な顔をしながら尻尾をぶんぶん振り回しているので笑ってしまった。
その姿は美丈夫な優良物件も形無しだ。
それにしても、くしゃみがでそうだ。
部屋に入るなりいきなり、優良物件そうな男…だった獣に抱き締められる。
壊れ物を扱うような優しい抱擁なら、逃げられただろう。
肋が折れるのではないだろうかというくらいに、力任せに抱き締められているせいで、息をするのも大変だ。
そして、何より暑苦しい。
嬉しそうな優良物件(獣)に対して私の機嫌は急降下。
そもそも、何故このような男がここいるのだ。
獣人貴族で軍属のジョエル・ギリアンが、人族の貴族の末端に名を連ねている商家貴族である私──ヘレン・マクレンを見初めていいはずがないのだから。
私の住むリザクライン王国は、獣人と人間が共存している国。
元々は人間のみだったのだが、獣人国家との交流から始まり、その後移住や難民の受け入れなどで、共存する国となった。
最初の頃は受け入れがたかったようで、何度も内戦が起こったようだ。
いまは、平和になり獣人と人間が手を取り合える国となった。
そこで、内戦の締結交渉など率いていたリーダー格の者達が獣人貴族の始祖とされている。彼らは移住する前は獣人国家でも、貴族だったらしく教養もあったため貴族としての振る舞いに問題もなかったようで、いま目の前にいる彼もその尊き血を受け継ぐ獣人貴族だというのに、何故わたしを襲う。
獣人が番に出会う確率は3%ほどと言われている。
なかなか、出会うことはないようだが人間は政略結婚など無理矢理な結婚が多い中、愛する者と共にいられるのだからと羨ましいと思ったこともある。
既婚者が番だった者が、伴侶を、番を、求める本能により有能な人物たちが殺人や自殺をするという話を聞くと胸糞悪くなる。
そして、愛のためにそこまで出来ることに恐怖すら感じた。
それにしても、この男はいつまで私を抱き締めているのだろうか。
そろそろ窒息しそうだ。
「お嬢様が死んでしまいます。お離しください」
私の心を代弁する可能に、部屋付き侍女が声をあげる。
その言葉を聞き、強めていた力が緩くなったので逃げようとするが、緩くなっただけで抱き締められる形はかわらないようだ。
とりあえず、息を整えようと深呼吸をすると鼻腔が擽られるような感覚に陥った。
そして、私の機嫌が急降下した理由に直結する問題なのだが。
「べくしゅん」と淑女が出すようなくしゃみではない。
今まで我慢していたくしゃみは一度出てしまえば、止まることはない。
獣人は興奮すると今まで隠していた耳や尻尾がでてくる。そこは、素直で可愛いと思ってしまう。
しかし、ジョエル・ギリアンはイヌ科の獣人貴族で、私はイヌアレルギーだから相性は最悪だ。
「はやく、お嬢様から離れてください。本当に死んでしまいます」
叫ぶ侍女、静観している侍従、くしゃみの止まらない令嬢、喜んでいる獣人貴族。
なんて、混沌とした空間なのだろう。
侍女の叫び声を鬱陶しそうな顔で見ているこの男は、私をアレルギーで殺す気なのか。
ぶんぶんと尻尾を振り回すから、毛が空中を飛び回って鼻腔をくすぐり目が痒くなり涙さえ出てくる。
そもそも、番がアレルギーって番ではないと思う。
この男の本能が可笑しいのだろう。ひとまず、そばから離れて欲しい。
「私の愛しい番。ヘレン・マクレンどうか私と結婚してはくれないか」
「む、無理です。私を殺す気ですか」
「何を言っている。俺が愛しいヘレンを殺すわけがないだろう」
プロポーズを即答で断る私に苛立ったのか、一人称が私から俺へ変わっている。
貴族の方が素を見せるのは、苛立っているときか親しい友人・家族といるときだけなので、今回は完全に前者だ。
貴族としては平凡な顔立ちで縁談もあってないような私は、このような体質ではなかったら喜んで受け入れたかもしれない。
だが、この体質のためか生命を脅かしてまで受け入れることはしたくない。
だったら、行き遅れと言われた方がましだ。
「何故、受け入れない。俺ほどの優良物件はなかなかいないぞ」
優良物件と自身で言ってしまうほど、ご自分のことをよく理解しているようで。
だからこそ、番など諦めてしまえばいいのに。何故、何故なのだ。
「そ、それは…私がイヌアレルギーだからです」
叫んでやれば、抱き締められていた腕は簡単に離れ「嘘だろ」とこぼす言葉を否定するつもりはない。
私だってイヌアレルギーなんて、厄介なものになりたくてなったわけではない。
外でイヌと、もふもふ戯れている人たちをみると、とても羨ましくて仕方がないのだ。
「だから、私はあなたのような立派な方から望まれても嫁ぐことは出来ないのです」
2度目を告げると放心しているのか、従者の方が「ご迷惑お掛けいたしました。お大事になさってください」と言いながら主人であるジョエル・ギリアンを引きずって部屋を出て行った。
首根っこを掴みながら引きずる姿は、「さすがは獣人」としか言えずに、今度はこちらが唖然としてしまう。
「絶対に俺は諦めないからな。待っていろ、ヘレン・マクレン。お前は絶対に俺の妻になるしかないのだからな」
屋敷から連れ出されたというのに、外から聞こえる大きな声に耳を傾けながらも、ここが街中であることを彼は忘れているようだ。
そして、名指しで私の将来を決める男に羞恥心とはないようだ。私は恥ずかしくてこの屋敷から逃げ出したい。いや、逃げ出すというより避難するのだが。
いまから、この屋敷はあのイヌ科獣人が撒き散らした毛の掃除に取り掛かるのだから。
最後に盛大なくしゃみをし、屋敷でも安全な場で着替え王国の高級宿場へ向かうことにった。
***
屋敷の大掃除状態なり3日が経った頃、あの疫病神ことジョエル・ギリアンから謝罪という名の贈物が届いた。誰が、この場所をあの男に教えたのだ。
勿論、中身は検品済みであり装飾品の類のようだったので徹底的に消毒をされ渡されたので有難いのか迷惑なのかわからない複雑な心境である。
贈った本人もこんなにも徹底されているとは思っていないだろう。
カウチに座り本を読んでいたのだが、膝の上に本を伏せ手渡されたピアスを眺めてみる。
「それにしても、この宝石ってもしかして」
「ルビーですね。しかも、彼方の瞳の色とお見受けいたします」
そう言われてしまうと、溜息しかでない。あの男の瞳の色までは覚えていない。
夜会で数回、式典で数回、遠目でみたくらいの男が急に現れたのだ。
まじまじと、見ることも出来ずに抱き締められたため漠然な姿しか覚えていない。
唯一覚えているのは白銀の長髪ということだけ。
ピアスを横付けにされていたテーブルに置き、本の続きを読もうとすると「俺の妻、ヘレン。喜んでくれただろうか」といきなり扉が開いた。
これには私も侍女も驚くしかない。何故、この男が、この場所に、警備に止められずに、ここにいるのだ。
「本日は獣化を抑える薬を飲んできているから、アレルギーもでないだろう。この部屋に来る前に湯浴みも済ましているからな」
「…はあ、そうなのですか」
自信満々に言うものだから、最初から獣化を抑える薬を飲んでから来てくれればよったのに。
そうすれば、くしゃみや目の痒みを抑える薬を処方してもらうためにあの日、医者を呼ばなくても済んだのに。
もう、何でこの男の番認定されたのかわからない。
目には見えないが、あの日尻尾をぶんぶん振り回していた姿を思い出すと、きっといまも振り回したくて身体がウズウズしているはずだ。
イヌ科獣人は尻尾で喜びを表現する人だと侍女が言っていた。
「お前は俺の番だから特別に撫でることを許可しよう」
ん?何を言っているのだ?撫でるとはどういうことだ?
この男は、どこか変な場所に頭でもぶつけたのだろうか?
従者の獣人が「どうか、一度でいいので撫でてあげてください。そうすれば、仕事に戻りますので」と言い放つ。
仕事から抜け出してここまで来たのか。なんと、不真面目な男なのだ。
仕方がないので、少しだけ屈んでもらい頭を撫でる。
撫でていると髪があまりにも気持ちよくて、ずっと撫でていたい衝動に駆られてしまった。
恐るべし、イヌ科獣人。
「どうだ、気持ちよいだろ」と告げている本人も目を細めながら気持ちよさそうにしているので、威厳というものが見当たらない。
チラッと侍女をみると目線は明後日の方向を向いており、従者は残念者をみる視線を向けている。
それにしても、いつまで撫でているのだろう。
手を止めようとすると手首を掴まれ、まだ撫でろと言わんばかりに手を回される。
数分後に満足したらしく、甘ったるい視線を向けてくる。
「薬の効果が、そろそろ切れるからまた来る」
後ろ髪ひかれる思いというのはこういうことを言うのだろうか。
ちらちらと後ろを振り返って来るジョエル・ギリアンに思わず吹き出しそうになる。
あの男が帰ってから、やっと平和が訪れ読み掛けていた本を手に取ろうとするが、それよりも側で光っているピアスに目を奪われてしまった。
見慣れたルビーでも異性から贈られた物だと思うと特別感が増してしまい処分するわけにも行かず、光に当てながら色の変化を楽しんだ。
いままであまり装飾類に興味がなかったのだが、このピアスだけは不思議と見つめていても飽きないと思っていたら、控えていた侍女が発言の許可を求めてきたので、そちらに耳を傾ける。
「お嬢様、先程ギリアン様が言っておられた薬についてですが」
「続けて」
「はい。あれは貴族でも高価な物で中々手に入らない代物と聞き及んでおります。ジョエル様の軍から頂いている給金ですら3カ月分の価値はある代物と思います」
「そんなにする物を手に入れてまで私に会いに来てくださったのね。何だか、悪いことをしている気分だわ」
番を見つけた喜びなのだろうか、きちんと対面したのは2度目だというのにそこまで配慮してくれるジョエル・ギリアンを、もてなさずに迷惑そうな顔を向けてしまったことを反省しなくてはいけない。
どうせ、また来るのだからその時におもてなしすればいいだろう。
窓際まで近づき、外を見ればちょうど馬に乗る姿が見える。
その姿をぼーっとみていると、私に気付いたのか外見からは想像できないほどの無邪気な笑みを向けられる。
その笑みにドキッと胸が高鳴り、控え目だが手を振れば、目を大きくしながらも手を振り返してくれた。
それが嬉しくて自然と笑みが零れた。
***
屋敷大掃除が終わるまでの1カ月間、毎日仕事から抜け出してきているのか、ほんの数時間程度会いに来ては、撫でることを強要し、話し相手として過ごし、軽食を共にするような仲にはなった。
男女の仲かと言われれば違う。飼い主と愛玩犬のような仲ではないかと思ってしまう。
侍女から見ても、そう見えるらしく苦笑してしまう。
そして、毎日のように訪れるということはあの高価な薬を毎日のように飲んでいるということだ。
どのような薬も飲みすぎて身体に悪影響を及ぼすことや効果が薄れていってしまう。
ジョエル・ギリアンの場合は後者であり、最近では30分以内で消えることもあるので、仕事が忙しいのかと従者に聞けば「薬の抗体ができはじめているのです」と答えられてしまう。因みに従者はネコ科獣人のため私のアレルギー対象外で、職場に戻るたびにジョエル・ギリアンから八つ当たりをされるらしい。
高価な薬を飲んでまで私に会いに来るあの男は一体なんなのだろう。
好意をもたれていることはわかるが、それは番を求める獣人の本能であると思うと胸が痛んでしまう。
私はどうやらこの1カ月で、ジョエル・ギリアンに絆されてしまったようだ。
「窓の近くいたということは、俺が来るのを楽しみにしていたということだろ!ヘレン、やっと俺の妻になる覚悟が出来たのだな」
外見は美丈夫であり、一国の王子かと思われるほど気品を持ち合わせているというのに、口を開けば実に残念な男だと思ってしまう。
あまりにも、自信に満ち溢れているこの男の根拠は何なのだろうと思えば、数代前の番にこの国の姫がいたらしい。王族の血を取り入れているから見目も麗しく、自信もあるのだろう。
似なくてもいい性格が似たということか。降嫁した姫の性格は知らないが。
そして、極めつけは獣人国家の王家の傍系ということだ。
「そういうわけではないのですよ。私たち、やっとこの1カ月で顔見知りくらいになれたと思うのです。まだまだ、夫婦になるには互いを知らなすぎます」
「政略結婚というのはそういうものだろう。お前も貴族に名を連ねているのだから理解しているはずだ。いままで、此方も穏便にしていたが、欲しいものを手に入れるために圧力を掛けることくらい容易い。侯爵家と子爵家ではどちらが格上かはわかるだろ」
「…理解しているつもりです。ですが、あなたは私をきちんとは見てくださっていない。番だから、魂が求める相手だからと、私に求婚をしているのではありませんか」
何を苛立っているのか、突然の脅迫まがいな言葉に自分の気持ちを吐露してしまう。
貴族に生まれたから理解しているつもりだった。自分を見て欲しいなどという、自己欲求は抑えなくてはいけないということ。
両親から愛情をたっぷりと受け、いままで生活していたためか、婚姻を結ぶ相手には愛されていたいと願ってしまう。
言い放ってから、格上の相手に失礼をしたと思っていたら以外にも向こうは冷静なようだ。
顔を青くしている侍女が震えながら「お嬢様、いますぐに謝罪を」と口にするのを制止し「俺はお前に愛を囁いたことはなかったな。獣人は好きでもない相手に撫でろとは言わない。むしろ、獣化したときに毛を撫でて欲しいと思うくらいには俺はヘレン・マクレンに好意をもっている」と、突然告白される。
あまりのことに言葉も出ない。
いきなり抱き締められるが、体重の掛け方を間違えたようで押しつぶされるように倒される。勢い余ってかと思ったら、獣化症状が現われたためその反動によるものみたいだった。
目の前で私に抱き着いている男に、いま耳と尻尾が現われ私はくしゃみを我慢できるのだろうか。
従者が近寄り、ジョエル・ギリアンを離してくれるものだと思っていたらマスクを渡されたので、着用しろということらしく大人しく従う。
「薬の免疫が出来てしまったようで申し訳ない。だが、俺は本気だ。軍部の研究班に頼んでアレルギーを克服する薬を依頼したのだが、それが漸く完成したらしい。だから、これを飲んで俺と供に生きて欲しい」
服の上着から取り出された物は綺麗な箱だった。その箱を渡され、開けるように促されるので開けてみると、中身は錠剤だった。
普通は花束を贈られる場面だと思うのだが、アレルギー体質の私のためにと思うと愛の言葉は囁かれるよりも、愛されていると実感してしまう。
単純な私が彼に陥落したのはいうまでもない。
「幸せにしてくださいよ、旦那様」
マスク越しに耳元で囁けば、真っ赤な顔をしながら尻尾をぶんぶん振り回しているので笑ってしまった。
その姿は美丈夫な優良物件も形無しだ。
それにしても、くしゃみがでそうだ。
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