異界育ちの幻使い

yasunari311

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9話

失われた記憶に触れて

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 街は、まるで“時”を止めたかのように静かだった。

 アヤトは気配を完全に遮断し、かつて人の営みで満ちていた通りをひとり歩いていた。幻の力で姿も曖昧にしているため、誰にも気づかれない。いや、そもそも──もう、気づく“誰か”が残っているのかも分からない。

 ──だが、不思議なことに。

 先ほど異界で過ごした時間は、まるで“なかった”かのように感じられる。夜明け前に消えた街に、まだ朝の陽が射し込むばかりだ。空の色も、風の匂いも、何も変わっていない。

「……ほんとに、時間の流れが違うんだな」

 呟いてみても、返事はない。
 異界での対話は確かに存在したのに、この街では、あらゆるものが失われたままだ。

 アヤトは角を曲がる。そこは、かつて行きつけだった店の並ぶ一帯。

 ──このラーメン屋は、俺が最初に“替え玉”ってもんを知った店だ。

 シャッターは半分下り、看板の一部が焼け焦げていた。だが、あの香ばしいスープの記憶だけは、まだ舌に残っている。

「……なんか、無性に食いたくなるな。あの濃い味、今はもう、絶対に手に入らねぇんだろうな」

 さらに進む。

 ──この居酒屋の唐揚げも、絶品だった。

 ザクザクの衣に、にんにくと生姜が利いていて。熱々のまま頬張って、口の中を火傷しながら酒を流し込んだ……そんな“夜”が、昔にはあった。

 だが、今は静かだ。

 窓は割れ、入り口は閉ざされている。
 破壊された痕跡はあるものの、まるで“時間”が止まったような無風の街並みに、あの笑い声も、酒の匂いも──ない。

 アヤトはひとつ息をついた。

「……ここ、誰が来てもおかしくなかったのに。誰も、いないんだな」

 少し前に、異形どもが湧いて出た場所。
 戦った直後のはずなのに、異常なほどに静まり返っている。
 破損したフェンス、焦げついた地面、崩れかけた照明塔──そうした“名残”があるにも関わらず、“誰かがいた”という空気だけが、まったく存在していなかった。

(まるで、“生きてる痕跡”だけを、全部削ぎ落としたみたいだ)

 幻の力を使い、人目を避けるのは慣れている。
 だが、今はそれを使う必要すらなかった。

 アヤトはふと、足を止める。

 かつて笑い合った“声”が、遠くに消えていくような錯覚を覚えた。

(……これが、“失われた世界”か)

 誰に見せるでもない、独り言のように心で呟く。

 今はもう、誰もいない。

 だが──

「……残ってる、って言うべきか。記憶の中に」

 彼は、ほんの少し笑った。

 気配を戻すことはしない。ただ、幻の中に立ち尽くしながら、再び歩き出す。

 思い出の中の街を、幻のように彷徨いながら。
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