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17話
逃れの息
しおりを挟む──焼け焦げた異形の残骸。その中心で、アヤトは膝をついたまま、深く息を吐いた。
重い。身体が。
肩で息をするのもつらい。幻装はまだ残っているが、もはや動きは鈍い。さきほど放った“鬼火”──自分の中にある鬼の力が、想像以上の負荷を残していた。
「……はは、参ったな」
膝に手をついて、なんとか立ち上がる。だが、足取りはおぼつかない。
異形の群れは殲滅、模倣体は撤退。表面上は勝利だ。けれど──
(今、もう一波来たら……詰む)
立ってはいるが、戦えない。幻装の維持すら苦しい。視界の端で揺れる煙の向こうに、敵の気配はもうない。だが、気は抜けなかった。
「……戻るか」
独り言のように呟く。
これ以上の無理は、命を削る。今は戦うときではない。疲労は極限に達し、すでに“底”が見えていた。
アヤトはふと空を仰ぐ。
崩れた建物の隙間からのぞく灰色の空。──そのもっと向こうに、帰るべき場所がある。
幻装を解除する。張り詰めていた緊張がほどけると同時に、疲労が一気に押し寄せた。視界が暗くなりかけるのを、なんとか振り払う。
(あの顔……あの模倣体。次は、逃がさねぇ)
目を閉じ、精神を集中させる。
空間が軋み、足元に“別の層”への通路が開く。
言葉も、道具もいらない。ただ、術の感覚だけがそこにあった。
──異界へ。
戦うためではなく、今はただ、休むために。
アヤトの姿は、煙と灰の中から、ふっと掻き消えるように消えた。
(……温泉、入れたらいいな)
そんな呟きだけを残して。
風の匂いが違う。肌をなでる空気も、どこか優しかった。
──ここは、異界。
濃緑の木々が静かに揺れ、土の匂いと穏やかな水音が広がる。
焦げた臭いも、焼けた肉の残骸も、どこにもない。
アヤトは膝をついたまま、息を整えた。
(……帰って、これた)
ゆっくりと視線を上げる。すると──
「──いたのか」
柔らかな声とともに、木々の陰から一人の女が歩み出てきた。
金の髪に、十三の尾を揺らす妖艶な姿。幻の師──師匠だった。
続いて、もう一人。
「ずいぶんと、無茶をしたようね」
銀の髪を揺らしながら、音もなく現れる。育ての親──母上である。
二人は、まるでこの場を離れていなかったかのように、当たり前のようにそこにいた。
──時間の流れが、違うのだ。
(……そうか。こっちは、まだ動いてなかったのか)
アヤトは、わずかに笑みを浮かべた。
「……ちょいと、やらかしただけさ」
そう言って、なんとか立ち上がる。
師匠も、母上も、何も言わなかった。ただ変わらぬ眼差しで、アヤトを見守っていた。
この場所だけが──“壊れていない世界”であることが、どこまでも安らかだった。
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