異界育ちの幻使い

yasunari311

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27話

ただ、飯を食って、寝るだけ

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 帰り道は、風が心地よかった。

 火と幻が交錯した演習は終わり、父上の前に完敗した事実だけが、静かに胸に沈んでいた。

 姉貴は前を歩いている。姿勢はしゃんとして、背中に悔いの色はない。

「……あんた、顔に出すぎ。ああいうのは、明日になってから落ち込め」

「……そうしたいけど、無理だな」

「じゃあせめて、飯食ってからにしな。ほら、もう家だろ」

 姉貴はそう言って、先に戸を開けた。

 家の香りが流れ出す。
 木と茶と、ほのかな薬草の匂い。俺たちの“家”の空気だ。

 中には、先に帰っていた父上がいた。

 囲炉裏のそばに、無言で座っている。
 湯気の立つ椀に手をつけることもなく、ただじっと火を見ていた。

「……父さん、何も言わないのね」

 姉貴がぼそりと呟く。
 だが、それに応える声はない。

 ──けれど、それでいいのだ。

 父上の沈黙は、いつだって「見ている」という証だった。
 今日の戦いも、その背に焼き付いている。それだけで、十分だった。

「おかえりなさい」

 台所から、母上の声がする。
 まるで時間の流れを戻すような、いつもの声だ。

「ああ、ただいま」

 自然と、肩の力が抜けた。

 食卓には、煮込みと焼き魚、そして湯気立つ野菜の皿が並んでいた。
 異界の素材が持つ滋味は、何もかもを癒やす力がある。

 俺は無言で席につき、箸を取る。
 姉貴もその隣に座り、父上は……動かないが、器の縁に指をかけていた。

 口に入れた瞬間、息が漏れた。

「……うまい」

 母上は笑わなかったが、いつもより少しだけ柔らかい目をしていた。

 湯気が鼻腔を満たす。
 傷ついた肉体も、沈んだ心も、熱のある飯でしか癒せない。

「ごちそうさま……」

 言ったそばから、眠気がきた。
 戦いの疲れ、幻の余韻、父上の影──全部が、今はもうどうでもいい。

 そのまま布団に潜り込む。

「おやすみ、アヤト」

 母上の声が背後から響いた。

 そして、姉貴がぽつりと呟いた。

「寝たか。……ま、明日も付き合ってやるよ」

 その一言に、少しだけ救われる。

 ──明日が来るなら、それでいい。

 今日は、ただ飯を食って、寝るだけ。
 それが今の、俺にできるすべてだった。



 アヤトの寝息が、静かに響いていた。

 囲炉裏の火はまだ赤く、家の中には静けさと、薪の爆ぜる音だけが残っている。

「……スズカ。あなたも、少し休んだら?」

 母上──ギンが、湯呑を片手に声をかける。

 姉貴──スズカは背を伸ばし、ちらと父上を見やった。

「ま、アタシは平気。……けど、アヤトの奴、今日のはだいぶキツかったみたいね」

 ギンは頷き、視線を囲炉裏の向こう──無言で座る父上へと向けた。

「ゴウマ。……どうだったのかしら、ふたりの闘い」

 しばしの沈黙ののち、父上が短く答える。

「……届きかけた」

 それだけの言葉に、スズカもギンも、どこか安堵の色を浮かべた。

「そっか。じゃあ次は……もっと、届かせないとね」

 スズカはゆっくりと腰を下ろし、囲炉裏を見つめる。

 ギンが微笑む。

「ふたりとも、よく頑張ったわ。……アヤトは特に、“あの幻”を、よく」

「無理してるのよ、アイツ。……昔っから、そう」

 スズカがぼそりと呟く。

「でも──」

 ゴウマが低く言う。

「……あれでいい」

 その声には、迷いも憐れみもなかった。ただ、真っ直ぐな肯定。

「強くなろうとしている者は、止めるな」

 ギンはふっと笑う。

「本当に、あなたはそういう人ね」

 スズカも小さく笑い、肩を揺らす。

「──ま、アタシも止める気はないけど。明日も叩き込むわよ、父さん。手、抜かないから」

 ゴウマは言葉では返さない。ただ、火を見つめたまま、わずかに顎を引いた。

 それだけで、十分だった。

 囲炉裏の火が、またひとつ、弾けた音を立てた。
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