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28話
究極の幻装
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──静けさが、染み込んでくるような朝だった。
まだ空には星が残り、地の底のような暗さが、徐々に薄らいでいく。
東の空だけがわずかに朱を帯び、雲の輪郭が金に縁取られ始めていた。
アヤトは、そっと戸を開けた。
木の軋む音が小さく響く。けれど、その音すらも、世界に吸い込まれていくようだった。
家の中には、誰の気配もなかった。
母上はまだ、奥の間で眠っている。
囲炉裏の火は消え、湯の香りももう立っていない。
まるで、世界そのものが眠っているかのようだ。
風が、草木を撫でる音だけが、かすかに耳に届く。
──この静けさは、“ウチ”でしか味わえない。
人間界の喧騒でも、異界の湯処でもない。
ただここだけが、俺の帰る場所だ。
深く息を吸い、空を見上げる。
どこまでも澄んだ朝の気配が、心の奥まで染みていく。
「……よし。今のうちだな」
まだ誰も起きてこない、ほんの一刻(ひととき)の静寂。
だからこそ、俺は足を踏み出す。
“誰にも見せたくない修行”を始めるには、これ以上ない朝だった。
──崖の上。
岩と草のまじる開けた地に、俺は立つ。
目を閉じ、全身の力を抜く。
“あの背中”を、思い描く。
ただ立っているだけで、重圧のような気配を纏う存在──父上、ゴウマ。
その力を“真似る”のではない。
俺自身の記憶と、戦いの感触をもとに──“装い”として形にする。
──幻を起こす。
骨格が鳴る。血流が逆流するような感覚。
幻が皮膚の下に食い込み、全身を包み込んでいく。
輪郭が硬質に変わる。
幻は、鎧となって現れた。
肩を覆う重厚な装甲、背へ伸びる鬼骨の文様。
胸にはうねるような装飾が走り、両の角が、額から鋭く突き出す。
──二本の角。まさに、鬼の威容。
拳は、塊のように膨れ上がり、重厚な戦具のような圧を纏っていた。
鋭さではなく、重さ。
貫くでも、斬るでもない。ただ、殴るための拳。
これは、“父を超えるため”の幻。
──俺だけの、鎧だ。
「……ふっ」
拳を軽く握っただけで、地面が軋んだ。
内側から満ちる力。
だがそれと同時に、肉体はすでに警鐘を鳴らしていた。
──長くは持たない。わかっている。
だが、止まれなかった。
──その気配に、最初に反応したのは母上だった。
奥の間で静かに座していたギンが、ふと目を開く。
次の瞬間にはもう立ち上がり、衣を羽織って戸を開ける。
静かに空を見て、ひとことも発せず、足を踏み出した。
(……やりましたね、アヤト)
その少し後、姉・スズカも異変に気づく。
空気がうねり、地が震えている。
見慣れた異界の朝に、明らかな“異質”が混じっていた。
「……なに、あれ……アヤト……っ?」
寝間着のまま、戸を蹴るように開けて外へ飛び出す。
──崖の上。
気づけば、父上が立っていた。
鬼の幻装を纏った俺と向かい合い、静かに目を細める。
「……やれるか」
「はい。お願いします」
──次の瞬間、空気が爆ぜた。
拳と拳がぶつかる。
風が爆発し、空が鳴った。
衝突のたびに地が裂け、岩が砕ける。
高速の打撃が交差し、空中にまで及ぶ。
ギンはその光景を見ても動じない。
けれど、手元にはすでに術式が浮かび始めていた。
いくつもの印を空に走らせ、静かに呼吸を整える。
──本気の回復術式。
アヤトの身体が、長く保たないことを、最初から知っていた。
一方、遅れて到着したスズカは……戦慄していた。
弟──アヤトが、父と“互角に打ち合っている”。
しかも、あの幻装──あれは……。
「……あいつ、どこまで……!」
驚愕と、焦燥。
自分もまた鍛えてきたはずだ。
けれど──弟の背中が、今、遥か先に見えていた。
打ち合いはさらに加速する。
拳が爆ぜ、足が空を裂き、幻装が唸る。
互いの一撃がぶつかるたび、地形が変わっていく。
アヤトの拳が、幻の力でさらに重くなる。
全力の拳が父の顎をかすめ──
その瞬間、真横からの掌打。
視界が跳ね、幻装が砕け、全身が地に叩きつけられた。
──肉が裂けたような音がした。
それは幻の装が砕けた音ではない。
アヤトの肉体そのものが、限界を超え、悲鳴を上げた音だった。
──反動が始まる。
身体が、自壊を始めた。
肺が潰れ、肋骨が折れ、筋肉が痙攣する。
声は出ない。
指が動かない。
息も、吸えない。
それでも──アヤトの目は、父上の姿を捉え続けていた。
「……さすが、俺の息子だ」
その言葉が、遠くで聞こえる。
アヤトは返せない。ただ、目を見開いた。
それが限界だった。
父上はしゃがみ込み、乱れた髪をそっと撫でた。
「その装い……もう幻とは言えんな。お前の力だ」
そして、にかっと笑って──
「よくやった」
その瞬間、アヤトの意識は完全に落ちた。
──反動を顧みず、ただ“強さ”を求めた結果。
幻の鎧は砕けた。
けれどその跡に、確かに“何か”が刻まれていた。
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