異界育ちの幻使い

yasunari311

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28話

究極の幻装

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 ──静けさが、染み込んでくるような朝だった。

 まだ空には星が残り、地の底のような暗さが、徐々に薄らいでいく。
 東の空だけがわずかに朱を帯び、雲の輪郭が金に縁取られ始めていた。

 アヤトは、そっと戸を開けた。
 木の軋む音が小さく響く。けれど、その音すらも、世界に吸い込まれていくようだった。

 家の中には、誰の気配もなかった。
 母上はまだ、奥の間で眠っている。

 囲炉裏の火は消え、湯の香りももう立っていない。
 まるで、世界そのものが眠っているかのようだ。

 風が、草木を撫でる音だけが、かすかに耳に届く。

 ──この静けさは、“ウチ”でしか味わえない。

 人間界の喧騒でも、異界の湯処でもない。
 ただここだけが、俺の帰る場所だ。

 深く息を吸い、空を見上げる。
 どこまでも澄んだ朝の気配が、心の奥まで染みていく。

 「……よし。今のうちだな」

 まだ誰も起きてこない、ほんの一刻(ひととき)の静寂。

 だからこそ、俺は足を踏み出す。
 “誰にも見せたくない修行”を始めるには、これ以上ない朝だった。

 

 ──崖の上。

 岩と草のまじる開けた地に、俺は立つ。
 目を閉じ、全身の力を抜く。

 “あの背中”を、思い描く。
 ただ立っているだけで、重圧のような気配を纏う存在──父上、ゴウマ。

 その力を“真似る”のではない。
 俺自身の記憶と、戦いの感触をもとに──“装い”として形にする。

 ──幻を起こす。
 骨格が鳴る。血流が逆流するような感覚。
 幻が皮膚の下に食い込み、全身を包み込んでいく。

 輪郭が硬質に変わる。
 幻は、鎧となって現れた。

 肩を覆う重厚な装甲、背へ伸びる鬼骨の文様。
 胸にはうねるような装飾が走り、両の角が、額から鋭く突き出す。

 ──二本の角。まさに、鬼の威容。

 拳は、塊のように膨れ上がり、重厚な戦具のような圧を纏っていた。
 鋭さではなく、重さ。
 貫くでも、斬るでもない。ただ、殴るための拳。

 これは、“父を超えるため”の幻。
 ──俺だけの、鎧だ。

 「……ふっ」

 拳を軽く握っただけで、地面が軋んだ。
 内側から満ちる力。
 だがそれと同時に、肉体はすでに警鐘を鳴らしていた。

 ──長くは持たない。わかっている。
 だが、止まれなかった。

 

 ──その気配に、最初に反応したのは母上だった。

 奥の間で静かに座していたギンが、ふと目を開く。
 次の瞬間にはもう立ち上がり、衣を羽織って戸を開ける。

 静かに空を見て、ひとことも発せず、足を踏み出した。

 (……やりましたね、アヤト)

 

 その少し後、姉・スズカも異変に気づく。

 空気がうねり、地が震えている。
 見慣れた異界の朝に、明らかな“異質”が混じっていた。

「……なに、あれ……アヤト……っ?」

 寝間着のまま、戸を蹴るように開けて外へ飛び出す。

 

 ──崖の上。

 気づけば、父上が立っていた。

 鬼の幻装を纏った俺と向かい合い、静かに目を細める。

 「……やれるか」

 「はい。お願いします」

 ──次の瞬間、空気が爆ぜた。

 

 拳と拳がぶつかる。
 風が爆発し、空が鳴った。

 衝突のたびに地が裂け、岩が砕ける。
 高速の打撃が交差し、空中にまで及ぶ。

 

 ギンはその光景を見ても動じない。
 けれど、手元にはすでに術式が浮かび始めていた。

 いくつもの印を空に走らせ、静かに呼吸を整える。

 ──本気の回復術式。
 アヤトの身体が、長く保たないことを、最初から知っていた。

 

 一方、遅れて到着したスズカは……戦慄していた。

 弟──アヤトが、父と“互角に打ち合っている”。
 しかも、あの幻装──あれは……。

「……あいつ、どこまで……!」

 驚愕と、焦燥。
 自分もまた鍛えてきたはずだ。
 けれど──弟の背中が、今、遥か先に見えていた。

 

 打ち合いはさらに加速する。

 拳が爆ぜ、足が空を裂き、幻装が唸る。
 互いの一撃がぶつかるたび、地形が変わっていく。

 アヤトの拳が、幻の力でさらに重くなる。
 全力の拳が父の顎をかすめ──
 その瞬間、真横からの掌打。

 視界が跳ね、幻装が砕け、全身が地に叩きつけられた。

 

 ──肉が裂けたような音がした。

 それは幻の装が砕けた音ではない。
 アヤトの肉体そのものが、限界を超え、悲鳴を上げた音だった。

 

 ──反動が始まる。

 身体が、自壊を始めた。
 肺が潰れ、肋骨が折れ、筋肉が痙攣する。

 声は出ない。
 指が動かない。
 息も、吸えない。

 それでも──アヤトの目は、父上の姿を捉え続けていた。

 

 「……さすが、俺の息子だ」

 その言葉が、遠くで聞こえる。

 アヤトは返せない。ただ、目を見開いた。
 それが限界だった。

 父上はしゃがみ込み、乱れた髪をそっと撫でた。

 「その装い……もう幻とは言えんな。お前の力だ」

 そして、にかっと笑って──

 「よくやった」

 

 その瞬間、アヤトの意識は完全に落ちた。

 ──反動を顧みず、ただ“強さ”を求めた結果。

 幻の鎧は砕けた。
 けれどその跡に、確かに“何か”が刻まれていた。
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