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エピローグ
花暦は恋のしるし
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都は、花の盛りを過ぎたばかりであった。
桜はすでに散り、藤が紫の房を垂れて風にゆれ、通りには若葉の香が満ちている。
帝の暗殺未遂を阻止した宗雅は、功績を讃えられ、褒美を賜ることになった。
けれど、宗雅が願い出たのは金銀でも官位でもない。
「風花の離宮に住まう、女官・梓乃を妻に迎えとうございます」
宮中が一瞬、静まり返ったという。
無口で知られる宗雅が、まさか自ら妻を求めるとは。
しかも相手は、離宮の片隅で香を焚きながら花を眺めて過ごす“名ばかりの女官”。
帝はしばし考えたのち、穏やかに微笑んだ。
「そなたが選ぶ者ならば、きっと然るべき相であろう。本人の意志を確かめ、互いに願いが叶うならば、娶るがよい」
宗雅は深く頭を下げ、迷いなくその命を受けた。
風花の離宮。
薫風(くんぷう)が香るその庭に、梓乃はいた。
花壇の手入れを終え、縁側に腰を下ろすと、膝の上に広げたのは自作の『花暦』。
一年の花を描いたそれは、筆の跡も柔らかく、どの花にも小さな言葉が添えられている。
“あなたが訪れた春に、桜は笑っていました”
“夏の風に、藤が香るころをお待ちしています”
それは、宗雅との約束を描いた暦でもあった。
「姉さま、またお花とおしゃべりしてるの?」
ぱたぱたと千鳥が走ってくる。手には団子の皿。
「ちょうどお茶を淹れたの! 宗雅様が来るんでしょ? おめかしした方がいいよ!」
「まあ、千鳥までそんなことを……」
笑いながら、梓乃は袖を整えた。
その瞬間、庭の門が静かに開く。
穏やかな日差しを背に、宗雅が姿を現した。
桜の時よりも少し日に焼けた肌、けれど瞳の奥は以前と同じ穏やかさに満ちている。
「お帰りなさいませ」
「……ただいま」
短い言葉のあと、風が二人の間を通り抜けた。
千鳥が小声で「お邪魔虫は退散ね」と言い残し、そそくさと奥へ引っ込んでいく。
宗雅は懐からひとつ、桐の箱を取り出した。
「都からの返書だ。帝より、“君の願うままに”との仰せを賜った」
「わたくしの……?」
「そうだ。君が望む場所にいればよいと」
梓乃はそっと息を呑む。
この離宮も、香炉の音も、すべてが愛しい。けれど——
「宗雅様は……?」
宗雅は、まっすぐに梓乃を見た。
「私は、君の傍らがよい。どんな官位より、どんな褒美よりも」
その言葉は、柔らかな若葉を包む陽だまりのように温かかった。
梓乃は少し照れくさそうに笑う。
「ここの穏やかな生活も、すてがたいのですけれど……」
そして、ほんの一拍おいてから、優しく続けた。
「宗雅様の隣にいるのも、悪くないですね」
宗雅はその言葉に目を細め、ゆっくりと手を差し出した。
「では——これからの花暦を、共に作ろう」
梓乃は頷き、その手を取った。
指先が重なり合い、花びらがふたりの間を舞う。
その夜。
千鳥は部屋の隅で、満面の笑みを浮かべていた。
「やったぁ~! 姉さまがお嫁に行く! ……っていうか、宗雅様のおうちに行くだけか。うん、じゃああたしもついていく!」
「千鳥まで……」と梓乃が笑えば、「当然です!」と胸を張る。
「姉さまの世話をするのも、宗雅様の湯飲みを出すのも、あたしの仕事です!」
宗雅は苦笑しながら頭を掻いた。
「……賑やかな家になりそうだな」
「はい、きっと」
梓乃の声は、春風のように柔らかく響いた。
その夜、離宮の庭では花が咲きこぼれ、香の煙が空にのぼる。
まるで、ふたりの未来を祝福するように。
桜の季節は終わっても、恋の花は散らない。
それは、花暦の上でこれから先も、ずっと息づいていくのだろう。
数日後——。
都では、宗雅がついに妻を迎えたとの報が流れた。
しかもその妻は、離宮の花の香を纏う“風花の女官”。
誰もが驚き、けれどどこかで納得した。
薫風が吹くたびに、人々は囁く。
「宗雅様の屋敷の庭は、見違えるように立派になったそうだ」
「奥方が描いた“花暦”をもとに、雅な花が咲き誇るようになったとか」
その庭の片隅では、今日も千鳥が鼻歌まじりに花を摘んでいる。
「姉さまー! 次はどんなお花を咲かせます?」
梓乃は微笑んで答えた。
「次は、白い藤を。新しい季節のはじまりにふさわしいでしょう?」
宗雅はその横で、そっと頷く。
「……緑風の庭に、また一輪」
ふたりの視線が交わる。
その瞬間、藤の花がひとひら、風に乗って舞い上がった。
風花の離宮で静かに芽吹いた恋は、宗雅の屋敷の庭に運ばれ、永遠の春を咲かせたのだった。
桜はすでに散り、藤が紫の房を垂れて風にゆれ、通りには若葉の香が満ちている。
帝の暗殺未遂を阻止した宗雅は、功績を讃えられ、褒美を賜ることになった。
けれど、宗雅が願い出たのは金銀でも官位でもない。
「風花の離宮に住まう、女官・梓乃を妻に迎えとうございます」
宮中が一瞬、静まり返ったという。
無口で知られる宗雅が、まさか自ら妻を求めるとは。
しかも相手は、離宮の片隅で香を焚きながら花を眺めて過ごす“名ばかりの女官”。
帝はしばし考えたのち、穏やかに微笑んだ。
「そなたが選ぶ者ならば、きっと然るべき相であろう。本人の意志を確かめ、互いに願いが叶うならば、娶るがよい」
宗雅は深く頭を下げ、迷いなくその命を受けた。
風花の離宮。
薫風(くんぷう)が香るその庭に、梓乃はいた。
花壇の手入れを終え、縁側に腰を下ろすと、膝の上に広げたのは自作の『花暦』。
一年の花を描いたそれは、筆の跡も柔らかく、どの花にも小さな言葉が添えられている。
“あなたが訪れた春に、桜は笑っていました”
“夏の風に、藤が香るころをお待ちしています”
それは、宗雅との約束を描いた暦でもあった。
「姉さま、またお花とおしゃべりしてるの?」
ぱたぱたと千鳥が走ってくる。手には団子の皿。
「ちょうどお茶を淹れたの! 宗雅様が来るんでしょ? おめかしした方がいいよ!」
「まあ、千鳥までそんなことを……」
笑いながら、梓乃は袖を整えた。
その瞬間、庭の門が静かに開く。
穏やかな日差しを背に、宗雅が姿を現した。
桜の時よりも少し日に焼けた肌、けれど瞳の奥は以前と同じ穏やかさに満ちている。
「お帰りなさいませ」
「……ただいま」
短い言葉のあと、風が二人の間を通り抜けた。
千鳥が小声で「お邪魔虫は退散ね」と言い残し、そそくさと奥へ引っ込んでいく。
宗雅は懐からひとつ、桐の箱を取り出した。
「都からの返書だ。帝より、“君の願うままに”との仰せを賜った」
「わたくしの……?」
「そうだ。君が望む場所にいればよいと」
梓乃はそっと息を呑む。
この離宮も、香炉の音も、すべてが愛しい。けれど——
「宗雅様は……?」
宗雅は、まっすぐに梓乃を見た。
「私は、君の傍らがよい。どんな官位より、どんな褒美よりも」
その言葉は、柔らかな若葉を包む陽だまりのように温かかった。
梓乃は少し照れくさそうに笑う。
「ここの穏やかな生活も、すてがたいのですけれど……」
そして、ほんの一拍おいてから、優しく続けた。
「宗雅様の隣にいるのも、悪くないですね」
宗雅はその言葉に目を細め、ゆっくりと手を差し出した。
「では——これからの花暦を、共に作ろう」
梓乃は頷き、その手を取った。
指先が重なり合い、花びらがふたりの間を舞う。
その夜。
千鳥は部屋の隅で、満面の笑みを浮かべていた。
「やったぁ~! 姉さまがお嫁に行く! ……っていうか、宗雅様のおうちに行くだけか。うん、じゃああたしもついていく!」
「千鳥まで……」と梓乃が笑えば、「当然です!」と胸を張る。
「姉さまの世話をするのも、宗雅様の湯飲みを出すのも、あたしの仕事です!」
宗雅は苦笑しながら頭を掻いた。
「……賑やかな家になりそうだな」
「はい、きっと」
梓乃の声は、春風のように柔らかく響いた。
その夜、離宮の庭では花が咲きこぼれ、香の煙が空にのぼる。
まるで、ふたりの未来を祝福するように。
桜の季節は終わっても、恋の花は散らない。
それは、花暦の上でこれから先も、ずっと息づいていくのだろう。
数日後——。
都では、宗雅がついに妻を迎えたとの報が流れた。
しかもその妻は、離宮の花の香を纏う“風花の女官”。
誰もが驚き、けれどどこかで納得した。
薫風が吹くたびに、人々は囁く。
「宗雅様の屋敷の庭は、見違えるように立派になったそうだ」
「奥方が描いた“花暦”をもとに、雅な花が咲き誇るようになったとか」
その庭の片隅では、今日も千鳥が鼻歌まじりに花を摘んでいる。
「姉さまー! 次はどんなお花を咲かせます?」
梓乃は微笑んで答えた。
「次は、白い藤を。新しい季節のはじまりにふさわしいでしょう?」
宗雅はその横で、そっと頷く。
「……緑風の庭に、また一輪」
ふたりの視線が交わる。
その瞬間、藤の花がひとひら、風に乗って舞い上がった。
風花の離宮で静かに芽吹いた恋は、宗雅の屋敷の庭に運ばれ、永遠の春を咲かせたのだった。
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