20 / 25
エピローグ
花暦は恋のしるし
しおりを挟む
都は、花の盛りを過ぎたばかりであった。
桜はすでに散り、藤が紫の房を垂れて風にゆれ、通りには若葉の香が満ちている。
帝の暗殺未遂を阻止した宗雅は、功績を讃えられ、褒美を賜ることになった。
けれど、宗雅が願い出たのは金銀でも官位でもない。
「風花の離宮に住まう、女官・梓乃を妻に迎えとうございます」
宮中が一瞬、静まり返ったという。
無口で知られる宗雅が、まさか自ら妻を求めるとは。
しかも相手は、離宮の片隅で香を焚きながら花を眺めて過ごす“名ばかりの女官”。
帝はしばし考えたのち、穏やかに微笑んだ。
「そなたが選ぶ者ならば、きっと然るべき相であろう。本人の意志を確かめ、互いに願いが叶うならば、娶るがよい」
宗雅は深く頭を下げ、迷いなくその命を受けた。
風花の離宮。
薫風(くんぷう)が香るその庭に、梓乃はいた。
花壇の手入れを終え、縁側に腰を下ろすと、膝の上に広げたのは自作の『花暦』。
一年の花を描いたそれは、筆の跡も柔らかく、どの花にも小さな言葉が添えられている。
“あなたが訪れた春に、桜は笑っていました”
“夏の風に、藤が香るころをお待ちしています”
それは、宗雅との約束を描いた暦でもあった。
「姉さま、またお花とおしゃべりしてるの?」
ぱたぱたと千鳥が走ってくる。手には団子の皿。
「ちょうどお茶を淹れたの! 宗雅様が来るんでしょ? おめかしした方がいいよ!」
「まあ、千鳥までそんなことを……」
笑いながら、梓乃は袖を整えた。
その瞬間、庭の門が静かに開く。
穏やかな日差しを背に、宗雅が姿を現した。
桜の時よりも少し日に焼けた肌、けれど瞳の奥は以前と同じ穏やかさに満ちている。
「お帰りなさいませ」
「……ただいま」
短い言葉のあと、風が二人の間を通り抜けた。
千鳥が小声で「お邪魔虫は退散ね」と言い残し、そそくさと奥へ引っ込んでいく。
宗雅は懐からひとつ、桐の箱を取り出した。
「都からの返書だ。帝より、“君の願うままに”との仰せを賜った」
「わたくしの……?」
「そうだ。君が望む場所にいればよいと」
梓乃はそっと息を呑む。
この離宮も、香炉の音も、すべてが愛しい。けれど——
「宗雅様は……?」
宗雅は、まっすぐに梓乃を見た。
「私は、君の傍らがよい。どんな官位より、どんな褒美よりも」
その言葉は、柔らかな若葉を包む陽だまりのように温かかった。
梓乃は少し照れくさそうに笑う。
「ここの穏やかな生活も、すてがたいのですけれど……」
そして、ほんの一拍おいてから、優しく続けた。
「宗雅様の隣にいるのも、悪くないですね」
宗雅はその言葉に目を細め、ゆっくりと手を差し出した。
「では——これからの花暦を、共に作ろう」
梓乃は頷き、その手を取った。
指先が重なり合い、花びらがふたりの間を舞う。
その夜。
千鳥は部屋の隅で、満面の笑みを浮かべていた。
「やったぁ~! 姉さまがお嫁に行く! ……っていうか、宗雅様のおうちに行くだけか。うん、じゃああたしもついていく!」
「千鳥まで……」と梓乃が笑えば、「当然です!」と胸を張る。
「姉さまの世話をするのも、宗雅様の湯飲みを出すのも、あたしの仕事です!」
宗雅は苦笑しながら頭を掻いた。
「……賑やかな家になりそうだな」
「はい、きっと」
梓乃の声は、春風のように柔らかく響いた。
その夜、離宮の庭では花が咲きこぼれ、香の煙が空にのぼる。
まるで、ふたりの未来を祝福するように。
桜の季節は終わっても、恋の花は散らない。
それは、花暦の上でこれから先も、ずっと息づいていくのだろう。
数日後——。
都では、宗雅がついに妻を迎えたとの報が流れた。
しかもその妻は、離宮の花の香を纏う“風花の女官”。
誰もが驚き、けれどどこかで納得した。
薫風が吹くたびに、人々は囁く。
「宗雅様の屋敷の庭は、見違えるように立派になったそうだ」
「奥方が描いた“花暦”をもとに、雅な花が咲き誇るようになったとか」
その庭の片隅では、今日も千鳥が鼻歌まじりに花を摘んでいる。
「姉さまー! 次はどんなお花を咲かせます?」
梓乃は微笑んで答えた。
「次は、白い藤を。新しい季節のはじまりにふさわしいでしょう?」
宗雅はその横で、そっと頷く。
「……緑風の庭に、また一輪」
ふたりの視線が交わる。
その瞬間、藤の花がひとひら、風に乗って舞い上がった。
風花の離宮で静かに芽吹いた恋は、宗雅の屋敷の庭に運ばれ、永遠の春を咲かせたのだった。
桜はすでに散り、藤が紫の房を垂れて風にゆれ、通りには若葉の香が満ちている。
帝の暗殺未遂を阻止した宗雅は、功績を讃えられ、褒美を賜ることになった。
けれど、宗雅が願い出たのは金銀でも官位でもない。
「風花の離宮に住まう、女官・梓乃を妻に迎えとうございます」
宮中が一瞬、静まり返ったという。
無口で知られる宗雅が、まさか自ら妻を求めるとは。
しかも相手は、離宮の片隅で香を焚きながら花を眺めて過ごす“名ばかりの女官”。
帝はしばし考えたのち、穏やかに微笑んだ。
「そなたが選ぶ者ならば、きっと然るべき相であろう。本人の意志を確かめ、互いに願いが叶うならば、娶るがよい」
宗雅は深く頭を下げ、迷いなくその命を受けた。
風花の離宮。
薫風(くんぷう)が香るその庭に、梓乃はいた。
花壇の手入れを終え、縁側に腰を下ろすと、膝の上に広げたのは自作の『花暦』。
一年の花を描いたそれは、筆の跡も柔らかく、どの花にも小さな言葉が添えられている。
“あなたが訪れた春に、桜は笑っていました”
“夏の風に、藤が香るころをお待ちしています”
それは、宗雅との約束を描いた暦でもあった。
「姉さま、またお花とおしゃべりしてるの?」
ぱたぱたと千鳥が走ってくる。手には団子の皿。
「ちょうどお茶を淹れたの! 宗雅様が来るんでしょ? おめかしした方がいいよ!」
「まあ、千鳥までそんなことを……」
笑いながら、梓乃は袖を整えた。
その瞬間、庭の門が静かに開く。
穏やかな日差しを背に、宗雅が姿を現した。
桜の時よりも少し日に焼けた肌、けれど瞳の奥は以前と同じ穏やかさに満ちている。
「お帰りなさいませ」
「……ただいま」
短い言葉のあと、風が二人の間を通り抜けた。
千鳥が小声で「お邪魔虫は退散ね」と言い残し、そそくさと奥へ引っ込んでいく。
宗雅は懐からひとつ、桐の箱を取り出した。
「都からの返書だ。帝より、“君の願うままに”との仰せを賜った」
「わたくしの……?」
「そうだ。君が望む場所にいればよいと」
梓乃はそっと息を呑む。
この離宮も、香炉の音も、すべてが愛しい。けれど——
「宗雅様は……?」
宗雅は、まっすぐに梓乃を見た。
「私は、君の傍らがよい。どんな官位より、どんな褒美よりも」
その言葉は、柔らかな若葉を包む陽だまりのように温かかった。
梓乃は少し照れくさそうに笑う。
「ここの穏やかな生活も、すてがたいのですけれど……」
そして、ほんの一拍おいてから、優しく続けた。
「宗雅様の隣にいるのも、悪くないですね」
宗雅はその言葉に目を細め、ゆっくりと手を差し出した。
「では——これからの花暦を、共に作ろう」
梓乃は頷き、その手を取った。
指先が重なり合い、花びらがふたりの間を舞う。
その夜。
千鳥は部屋の隅で、満面の笑みを浮かべていた。
「やったぁ~! 姉さまがお嫁に行く! ……っていうか、宗雅様のおうちに行くだけか。うん、じゃああたしもついていく!」
「千鳥まで……」と梓乃が笑えば、「当然です!」と胸を張る。
「姉さまの世話をするのも、宗雅様の湯飲みを出すのも、あたしの仕事です!」
宗雅は苦笑しながら頭を掻いた。
「……賑やかな家になりそうだな」
「はい、きっと」
梓乃の声は、春風のように柔らかく響いた。
その夜、離宮の庭では花が咲きこぼれ、香の煙が空にのぼる。
まるで、ふたりの未来を祝福するように。
桜の季節は終わっても、恋の花は散らない。
それは、花暦の上でこれから先も、ずっと息づいていくのだろう。
数日後——。
都では、宗雅がついに妻を迎えたとの報が流れた。
しかもその妻は、離宮の花の香を纏う“風花の女官”。
誰もが驚き、けれどどこかで納得した。
薫風が吹くたびに、人々は囁く。
「宗雅様の屋敷の庭は、見違えるように立派になったそうだ」
「奥方が描いた“花暦”をもとに、雅な花が咲き誇るようになったとか」
その庭の片隅では、今日も千鳥が鼻歌まじりに花を摘んでいる。
「姉さまー! 次はどんなお花を咲かせます?」
梓乃は微笑んで答えた。
「次は、白い藤を。新しい季節のはじまりにふさわしいでしょう?」
宗雅はその横で、そっと頷く。
「……緑風の庭に、また一輪」
ふたりの視線が交わる。
その瞬間、藤の花がひとひら、風に乗って舞い上がった。
風花の離宮で静かに芽吹いた恋は、宗雅の屋敷の庭に運ばれ、永遠の春を咲かせたのだった。
20
あなたにおすすめの小説
幸せのテーブル〜限界集落でクールな社長に溺愛されて楽しく暮しています〜
ろあ
キャラ文芸
職場に馴染めなかった二十三歳の蒔菜。
上司たちに嫌味を言われるようになり、心が疲れてしまい、退職を決意する。
退職後、心を癒やすために地図で適当に選んだところに旅行へ出掛けるが、なんとそこは限界集落だった。
そこで財布をなくしたことに気づき、帰る手段がなくなってしまう。
絶望した蒔菜の前に現れたのは、クールな社長の聖だった。
聖は蒔菜を助けて、晩御飯に手料理を振る舞う。
その料理は、何を食べても美味しくないと鬱々していた蒔菜にとって心が温まるものだった。
それがきっかけでふたりは仲良くなり、恋人へ……。
命の恩人である聖の力になるために、蒔菜は彼の会社で働き、共に暮らすことになる。
親には反対されたが、限界集落で楽しく暮らしてみせると心の中で誓った。
しかし、限界集落に住む村長の娘は、都会から引っ越してきた蒔菜を認めなかった。
引っ越せとしつこく言ってくる。
村長に嫌われてしまったら限界集落から追い出される、と聞いた蒔菜はある作戦を実行するが……――
溺愛してくる聖と居候のバンドマンに支えられて、食事を通して、変わっていく。
蒔菜は限界集落で幸せを掴むことができるのか……!?
後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました
由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。
それは愛のない政略結婚――
人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。
後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
生きるために逃げだした。幸せになりたい。
白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。
2020/9/19 第一章終了
続きが書け次第また連載再開します。
2021/2/14 第二章開幕
2021/2/28 完結
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
閉じ込められた未亡人は、当主となった義息と契約する。
黒蜜きな粉
恋愛
借金の肩代わりとして後妻に入った私は、
妻と呼ばれながら屋敷の離れで「いないもの」として暮らしていた。
ある雪の日、夫が事故死したと告げられる。
だが、葬儀に出ることすら許されず、私は部屋に閉じ込められた。
新たに当主となった継子は言う。
外へ出れば君は利用され奪われる、と。
それが保護であり、同時に支配なのだと理解したとき、
私はその庇護を条件付きの契約に変えることを選ぶ。
短いお話です。
※第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
あやかしが家族になりました
山いい奈
キャラ文芸
★お知らせ
いつもありがとうございます。
当作品、3月末にて非公開にさせていただきます。再公開の日時は未定です。
ご迷惑をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
母親に結婚をせっつかれている主人公、真琴。
一人前の料理人になるべく、天王寺の割烹で修行している。
ある日また母親にうるさく言われ、たわむれに観音さまに良縁を願うと、それがきっかけとなり、白狐のあやかしである雅玖と結婚することになってしまう。
そして5体のあやかしの子を預かり、5つ子として育てることになる。
真琴の夢を知った雅玖は、真琴のために和カフェを建ててくれた。真琴は昼は人間相手に、夜には子どもたちに会いに来るあやかし相手に切り盛りする。
しかし、子どもたちには、ある秘密があるのだった。
家族の行く末は、一体どこにたどり着くのだろうか。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる