25 / 27
第24話 この夜、はじめて ― 愛が還る場所
しおりを挟む
夜は、海の底のように静かだった。
窓を開ければ、遠く森を抜けてきた風が
微かに草の匂いを乗せて通り過ぎる。
灯りはひとつ。
白いゆらめきが、寝室の壁に淡く揺れる。
もう公的な守衛も、家令も、命令書もない。
ここは“ふたりとしての生活”の家だ。
寝台の端に座っているカインを見て、
ルナは静かに息を整えた。
その横顔は、戦の将でも、政治の象徴でもない。
ただ、ひとりの男だった。
目を伏せている。
それが、自分を抑えるためだと分かった。
ずっと抑えてきたのだ。
前世からずっと、探して、
手に入れられなかった“今世の彼女”を。
ルナは歩み寄り、
なにも持たずに、ただその隣に座った。
衣擦れの音が、ひとつ。
それだけで、心臓の奥がひくりと動く。
「…ここは、あなたの国ではありません。
私を奪う者も、支配する者もいない」
カインはその言葉に、わずかに肩を揺らした。
額を寄せる。
「それでも私は、恐れていた」
息を落とす声は、自白に近い。
抑圧でも命令でもない、もっと脆い響きだった。
「また君を失うんじゃないかと」
その一言で、ルナの胸は静かに熱を帯びた。
「失いません。もう」
小さな声だった。
けれどその小ささは、不安ではなく確信からだった。
カインは、ゆっくり顔を上げた。
静脈の音が聞こえるような近さで、
その目が真正面からルナを見据える。
その瞳の底にあったものは
前世で諦めた夜の、全ての続きだった。
指が触れる。
触れただけ。
その一瞬で、
今までの夜がすべて“前奏”だったのだと理解した。
「ルナ」
名前を呼ぶ。
その呼び方は、生存を確かめるためではない。
この世界の音の中でたったひとつだけ、
確かに欲しいものを呼ぶ音だった。
ルナは、手を取った。
絡む。
離れない。
その瞬間、カインの呼吸が浅く乱れた。
これはもう、眠りのための接触ではない。
燃え上がる激情でもない。
二度と壊れないように、
ひとつに“重ねる”ための触れ方。
その熱を、ルナも迷わず受け入れた。
寝台の上に、からだを預ける。
倒れるのではない。
導かれるのでもない。
ふたりが、ふたりの意志で“重なる”位置へ。
カインは、乱暴さを一切見せなかった。
それなのに、どこにも逃げ場がなかった。
腕が、背を囲う。
落とし穴に落ちるような怖さではない。
眠りと目覚めの境目を、そっと超えるときの静けさ。
近い。
けれど危険ではない。
目を閉じると、
頬に触れる吐息の温度が、ひとつの確信になる。
どんな過去の名よりも、
どんな血統の呼び名よりも先に、
「この私を、この男が識っている」
その実感が、胸の中央にそっと根を下ろす。
カインは、触れながら、たった一度だけ言葉にした。
「失う事を、もう考えられない」
それは誓いではなかった。
誓いを越えた、生命そのものの音。
その言葉のすぐあと――
唇が首筋に、静かに触れた。
痛みではなかった。
むしろ“存在を定める印”に近かった。
胸の奥が震え、
全身がその一点からゆっくりほどけていく。
彼は、早く求めているわけではない。
急いでいるわけでもない。
けれど、指先に宿っていた執着は、
何より正直だった。
押し殺してきた年月の分だけ、
彼は、触れたものを離さなかった。
腕の力がほんの少し強まる。
この夜、
ふたりは初めて“ひとりの生活者”ではなく
ひとつの生き物として息をした。
夜気が、ゆっくり静かに深まり
灯りがやわらかく、影を濃くしてゆく。
外の世界は、ひとつも介入できない。
この寝台の上だけが、世界の中心。
二人の間にある空気そのものが
“今世の愛”として形を持ち直し
やがて穏やかに、結ばれてゆく。
名前も、役割も、前世すらも
すべて祓い落としながら――
ただ、生きて、呼吸しているふたりの体温だけが
夜の底で、真実になっていった。
そして世界は静かに夜明けへと向かう。
もう何にも奪われることのない、
この“現在”のままで。
窓を開ければ、遠く森を抜けてきた風が
微かに草の匂いを乗せて通り過ぎる。
灯りはひとつ。
白いゆらめきが、寝室の壁に淡く揺れる。
もう公的な守衛も、家令も、命令書もない。
ここは“ふたりとしての生活”の家だ。
寝台の端に座っているカインを見て、
ルナは静かに息を整えた。
その横顔は、戦の将でも、政治の象徴でもない。
ただ、ひとりの男だった。
目を伏せている。
それが、自分を抑えるためだと分かった。
ずっと抑えてきたのだ。
前世からずっと、探して、
手に入れられなかった“今世の彼女”を。
ルナは歩み寄り、
なにも持たずに、ただその隣に座った。
衣擦れの音が、ひとつ。
それだけで、心臓の奥がひくりと動く。
「…ここは、あなたの国ではありません。
私を奪う者も、支配する者もいない」
カインはその言葉に、わずかに肩を揺らした。
額を寄せる。
「それでも私は、恐れていた」
息を落とす声は、自白に近い。
抑圧でも命令でもない、もっと脆い響きだった。
「また君を失うんじゃないかと」
その一言で、ルナの胸は静かに熱を帯びた。
「失いません。もう」
小さな声だった。
けれどその小ささは、不安ではなく確信からだった。
カインは、ゆっくり顔を上げた。
静脈の音が聞こえるような近さで、
その目が真正面からルナを見据える。
その瞳の底にあったものは
前世で諦めた夜の、全ての続きだった。
指が触れる。
触れただけ。
その一瞬で、
今までの夜がすべて“前奏”だったのだと理解した。
「ルナ」
名前を呼ぶ。
その呼び方は、生存を確かめるためではない。
この世界の音の中でたったひとつだけ、
確かに欲しいものを呼ぶ音だった。
ルナは、手を取った。
絡む。
離れない。
その瞬間、カインの呼吸が浅く乱れた。
これはもう、眠りのための接触ではない。
燃え上がる激情でもない。
二度と壊れないように、
ひとつに“重ねる”ための触れ方。
その熱を、ルナも迷わず受け入れた。
寝台の上に、からだを預ける。
倒れるのではない。
導かれるのでもない。
ふたりが、ふたりの意志で“重なる”位置へ。
カインは、乱暴さを一切見せなかった。
それなのに、どこにも逃げ場がなかった。
腕が、背を囲う。
落とし穴に落ちるような怖さではない。
眠りと目覚めの境目を、そっと超えるときの静けさ。
近い。
けれど危険ではない。
目を閉じると、
頬に触れる吐息の温度が、ひとつの確信になる。
どんな過去の名よりも、
どんな血統の呼び名よりも先に、
「この私を、この男が識っている」
その実感が、胸の中央にそっと根を下ろす。
カインは、触れながら、たった一度だけ言葉にした。
「失う事を、もう考えられない」
それは誓いではなかった。
誓いを越えた、生命そのものの音。
その言葉のすぐあと――
唇が首筋に、静かに触れた。
痛みではなかった。
むしろ“存在を定める印”に近かった。
胸の奥が震え、
全身がその一点からゆっくりほどけていく。
彼は、早く求めているわけではない。
急いでいるわけでもない。
けれど、指先に宿っていた執着は、
何より正直だった。
押し殺してきた年月の分だけ、
彼は、触れたものを離さなかった。
腕の力がほんの少し強まる。
この夜、
ふたりは初めて“ひとりの生活者”ではなく
ひとつの生き物として息をした。
夜気が、ゆっくり静かに深まり
灯りがやわらかく、影を濃くしてゆく。
外の世界は、ひとつも介入できない。
この寝台の上だけが、世界の中心。
二人の間にある空気そのものが
“今世の愛”として形を持ち直し
やがて穏やかに、結ばれてゆく。
名前も、役割も、前世すらも
すべて祓い落としながら――
ただ、生きて、呼吸しているふたりの体温だけが
夜の底で、真実になっていった。
そして世界は静かに夜明けへと向かう。
もう何にも奪われることのない、
この“現在”のままで。
0
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
あの、初夜の延期はできますか?
木嶋うめ香
恋愛
「申し訳ないが、延期をお願いできないだろうか。その、いつまでとは今はいえないのだが」
私シュテフイーナ・バウワーは今日ギュスターヴ・エリンケスと結婚し、シュテフイーナ・エリンケスになった。
結婚祝の宴を終え、侍女とメイド達に準備された私は、ベッドの端に座り緊張しつつ夫のギュスターヴが来るのを待っていた。
けれど、夜も更け体が冷え切っても夫は寝室には姿を見せず、明け方朝告げ鶏が鳴く頃に漸く現れたと思ったら、私の前に跪き、彼は泣きそうな顔でそう言ったのだ。
「私と夫婦になるつもりが無いから永久に延期するということですか? それとも何か理由があり延期するだけでしょうか?」
なぜこの人私に求婚したのだろう。
困惑と悲しみを隠し尋ねる。
婚約期間は三ヶ月と短かったが、それでも頻繁に会っていたし、会えない時は手紙や花束が送られてきた。
関係は良好だと感じていたのは、私だけだったのだろうか。
ボツネタ供養の短編です。
十話程度で終わります。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
前世の私は重い女だったので、今世は恋なんてしません。
ありま氷炎
恋愛
前世は余りにも夫が大好きで、愛が重すぎた。
だから捨てられた。
なので生まれ変わった今は、恋なんてするつもりはなかったのだけど……。
二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました
小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」
二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。
第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。
それから二十年。
第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。
なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。
不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。
これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。
※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。
婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?
すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。
人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。
これでは領民が冬を越せない!!
善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。
『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』
と……。
そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる