【完結】前世で失った恋を、この世で。 ──黒曜の城で結ばれるふたりの夜

天音蝶子(あまねちょうこ)

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第23話 静謐の家へ ― 新しい世界の始まり

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 その夜、執務室の扉は鍵がかかった。

 宰相とカインと、ただ一人の書記官だけが室内にいた。

 ルナは扉の外側で待っていた。
 金具の向こうで交わされる言葉は聞こえない。
 けれどその重さだけが、石壁越しに伝わってきた。

 ──世界と決別するための会談。

 そう理解できた。

 このまま国家の中枢に居続ければ、
 また戦争の火種になりかねない。

 戦うのは簡単だ。
 この城には兵も結界もある。

 けれど、それではあの「血の夜」を再演するだけだ。

(私はもう、第二の“前世の夜”を見たくない)

 拳を握って、ただ静かに呼吸をした。
 胸はひどく静かだった。

 ──私は逃げるためにこの人の隣にいるのではない。
 ──この人と生きるために、戦いを選ばないのだ。

 やがて、中から鍵が外れる音がした。

   *

 宰相は、扉を開けたルナへ短く会釈した。
 その目には、怒りも嘆きもなかった。

 ただ「決めた」という静かな色。

「陛下は政治から退く。軍事権も、王命承認権も放棄する」

 ルナの呼吸が、ひとつだけ止まった。

 つまり──

 争いの火種に「自分ごと」触れさせない。

 国家としては、最も正確な、そして苛烈な決断。

「王位は、摂政と評議会が暫定的に引き継ぐ。
 光の国に“敵国の王”はいなくなる」

 そして宰相は、ほんの一拍だけ間を置いた。

「あなた方は……『いないもの』として扱われる」

 それは追放ではなかった。

 存在ごと「政治の盤面」から外される。
 それこそが唯一の平和的決着。

 ルナは言葉を失った。

 でも、胸の奥には“深い安堵”が静かに重なっていった。

(これで、争いは終われる)

 カインは、宰相に一礼した。

「ありがとう。……本心からだ」

「……決して。国に弓を引かれぬように」

 宰相はそう告げ、去っていった。

 扉が閉まる。

 石壁の響きだけが、ゆっくり消えた。

 長い息が、ルナの胸から漏れた。

「……終わったのですね」

 まだ震えはない。
 恐れはない。

 ただ、静かに「未来」がじんわりと滲んでくる感覚。

 カインはその横顔を見つめながら、低く呟いた。

「明日、この城を出る」

 その一言は、別離ではない。

 「始まり」を静かに告げる響きだった。

 夜明け前の深い群青が、城の外の空をゆっくり溶かしていった。

 荷物は少なかった。
 奪われるものなど、もともと何も持っていなかったから。

 城の裏門から馬車が出る。
 正式な護衛もない。
 ただ、二人だけ。

 ルナは馬車の窓から、遠ざかっていく黒曜の城を見ていた。
 石壁に朝の光がまだ届かない。
 夜の色だけが、ゆっくりと剥がれていく途中だった。

「……本当に、もう戻ることはないのですね」

 呟きは、過去に向けた言葉ではない。
 もう一度あの場所に立つ必要が無い、と理解した声。

 カインは、ルナの隣に座り、ただ視線を繋いだ。

「ここから先の人生は、誰も知らない。
 誰に説明する必要もない。
 君も、私も」

 それは、政治の座標から外れた生の宣言。

 ルナは静かに息を吸った。
 胸の中に、恐怖ではなく「温度」が広がる。
 小さく、まだかすかな熱。

 馬車が森へ入る。
 光の国へ続く大路ではない。
 誰も通らない獣道を選ぶ。

 前世の夜の断片が胸の奥で微かに揺れる。
 あの夜は「死へ向かう」道だった。

 今、この道は「生へ向かう」道だ。

 それだけは、確実にわかる。

 森の奥に、小さな石積みの家が見えた。

 屋根には苔が生えている。
 篝火の気配もない。
 けれど、二人の“生活”がこれからゆっくり始まる空間だった。

 馬車が止まる。

 ルナは外へ降りる。
 土の匂いが胸へまっすぐ届く。

 夜明けの空に風が一筋、走った。

 その風は、どこかで“祝福”に似ていた。

「ルナ」

 名を呼ばれて振り向くと、カインが立っていた。
 黒衣はもう、ただの衣服の色にしか見えない。

「ここからが“今世の生活”だ」

 その声に、もう冷たさはない。

 ルナは頷いた。
 ほんの小さな微笑みが、唇の端に宿った。

「……はい。ここから、生きます」

 二人は家の中へ歩き出す。

 扉を開けたその瞬間、静かな朝の光が流れ込んだ。

 それは、前世では一度も見られなかった“日の出”の光だった。
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