【完結】前世で失った恋を、この世で。 ──黒曜の城で結ばれるふたりの夜

天音蝶子(あまねちょうこ)

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第22話 夜明けの小さな結婚式 ― 約束の証

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 まだ夜だった。
 けれど、夜ではない時間だった。

 世界が深い息を吸い込み
 朝を呼びこむ前の、わずかな無音。

 城の中庭には、澄んだ冷気が残っていた。
 露を帯びた草が、微かに光っている。

 外套1枚の上に羽織を重ねただけで、ルナは歩み出る。

 冬ではないのに、吐く息がうっすら白い。

 背後の足音を、もう聞き分けられるようになっていた。
 振り返らなくても、誰かなんて分かっている。

「夜明け前が好きなのか」

 カインの声は
 深い音のまま、少しだけ和らいでいる。

「いえ。……静かだから、考えやすいだけです」

 夜ではない。
 朝でもない。

 その“間”の時間は、
 人から鎧を自然にひとつ剥がしていく。

 カインは隣に立つ。
 彼の外套が、ルナの肩先に少し触れた。

 触れただけ。
 けれど、それだけで胸が温度を持つ。

「正式な儀式を望むなら──」

「違います」

 ルナは遮った。
 自分でも驚くほど迷いが無かった。

「私は、もう“王宮の女”には戻りません。
 あの国の儀式に、私は帰属しない」

 触れられていないのに
 カインの視線が、確かに肌に触れた気がした。

 ルナは指輪に触れた。
 黒曜ではない、光を抱く銀の指輪。

 これは、どの国の制度でもない。
 “今世の私”が選んだ証。

「……だったら」

 カインはわずかに息を落とす。

 夜明けの気配に色づく空が
 ふたりの頬を、同じ薄い光で照らす。

「ルナ。ここで誓うか?」

 その言い方は
 命令ではない。
 所有ではない。

 かつて前世で
 言葉にできなかった“願い”と同じ形だった。

 ルナは、静かに頷いた。

 夜の片端が
 ゆっくりと薄桃色へ溶けていく。

「今世の私は──」

 言葉が、自然に生まれた。

「あなたと共に、生きます」

 それは国の叫びでも、前世の叫びでもない。
 “今ここ”を指差す、小さな宣言だった。

 カインは、ひどく静かに目を閉じた。
 それは祈りを捧げる者の仕草に似ていた。

「ルナ。私は、二度と手放さない」

 声は震えていなかった。
 けれどその言葉だけは、どんな誓約よりも深く、確かだった。

 彼が近づく。
 音を立てずに歩み寄り、指先がルナの指輪に触れる。

 触れ方が丁寧すぎて、胸が痛くなる。

 カインが指輪に触れた場所に、微かな熱が残る。

「前世の夜、私の腕の中で……君は小さく震えていた」

 ルナは息を詰めた。

 前世の記憶を、すべて持っている男の声。
 その声は、ひどく優しいのに、底に深い痛みがある。

「今世は、その震えを、ここで終わらせる」

 夜は、ほとんど消えていた。
 空の端から、ほんとうの光が昇る。

 カインは、自分の額をそっとルナの額へ寄せた。

 触れただけ。
 ただ、それだけなのに。

 呼吸と呼吸が、混ざる。

「君はもう二度と、どの国の器にもならない。
 今世の君は、私の“未来”だ」

 その声音は、支配ではなかった。
 願望ではなかった。
 選択を尊重しながら、それでも愛に染まった声だった。

 ルナは、そっと目を閉じた。

 額と額が重なるだけの接触。
 それだけで、胸の奥が静かに熱を持った。

(私は……この人と、生きる)

 その確信が、骨の奥にまでゆっくり沈み込んでいく。

 朝の光が、ふたりの影を長く伸ばす。

 その影は、寄り添う形でひとつに重なっていた。

 夜が完全に消えて、朝が始まる。

 それは“今世”において
 ふたりの結婚を証明する、小さな、しかし絶対の瞬間だった。
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