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絵に描いたような満開の桜が、白い格子窓の奥で庭を彩っている。広い庭の中央で孤独に咲き誇る桜は存在感を増していて、吸い込まれそうなほど美しい。
無意識に、僕の手は車椅子のハンドリムを握る。それから、ゆっくりと庭へ、あの大きな桜の木のもとへ進み出した。
外に出るのは久しぶりだった。風は穏やかで陽の光が心地よい。空気は澄んでいて周りはとても静かだ。
もし、今年も両親と桜を見られたなら。
もし、来年も家族で花見ができたなら。
そんなことを考えて、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは仲睦まじい両親の姿。瞼の裏に焼き付いた笑顔。耳に残る優しい声。贅沢は出来なくても幸せだった。
その幸せが、ずっと続くと信じていた。
全てを失うまでは。
事の始まりは半年前、僕が仕事で成功したことだった。新プロジェクトで大ヒット商品を生み出し、会社の成長に大きく貢献した。それがきっかけで幹部に昇進し、手当も相当な額が与えられた。
そこで、親孝行の一つでもしようかと両親を旅行に誘ったのだ。
二人とも僕の提案を大いに喜んでくれた。そして誰よりも出世を祝ってくれた。おかげで僕が計画した家族旅行は、今までの人生で一番楽しい旅となった。
そんな思い出に残る旅の帰り道、何の前触れもなく悲劇は起きた。
父が運転する車で、助手席には母。そして僕は後部座席から二人の間に身を乗り出して和気あいあいと話を弾ませる。
あれが面白かった。これが美味しかった。最高の家族旅行を振り返りながら下る峠道。
フロントガラスに映る景色が、ふと、ぐらついた。
なんとなく左に傾いたような気がしたかと思えば、車は一気に転がり落ちた。
激しい揺れからの回転。けたたましい音とともに歪む車体。エアバッグの衝撃。割れたガラスと飛び散る鉄片。
僕はただひたすら頭を抱えて丸くなった。前の席に座っていた両親を気に掛ける余裕もない。ただ、早く止まれと祈った。
そこから、僕は記憶が無い。
気が付いたら病院のベッドの上で、身体中に包帯やらギプスやら点滴だらけで身動きも取れなかった。
それから、僕を診てくれた医者は言った。
「君は奇跡的に一命を取り留めた」と。
その後、両親には会わせてもらえず、半年が過ぎた。
そして、今になってようやく当時僕を診てくれた医者から連絡があったのだ。
両親に会わせてくれると。
半年経って、やっと容態が安定したのかと思っていた。また元気な両親に会えると。
けれど現実は違った。通された部屋の先にあったのは二つの箱。テレビでよく見かけるような、白い布に包まれた箱。その中に何が入っているのかは聞くまでもなかった。
「どうして、僕に何も教えてくれなかったんですか。」
医者を責めるつもりはないが、自然と口調は強くなる。涙交じりの震えた声が、静かな部屋にこだまする。
「君に真実を隠していたことは謝るよ。申し訳ない。だが、無意味ではなかった。」
医者は一冊のファイルを僕に差し出した。それを受け取ろうとすると、医者はさっと手を引っ込める。
「何のつもりですか。」
一瞬、意地悪でもされたのかと思い、怒りが込み上げる。しかし、その怒りも、医者の表情を見たらすっと引いてしまった。
「私はあえて君に知らせなかった。君が生きているのは本当に奇跡なんだ。両親の死に様を見れば、今の君がどれだけ奇跡的な生還を遂げたかよく分かるだろう。」
なんだか嫌な予感した。このままファイルの中身は見ない方が良いような気がした。
「それだけ悲惨だったんだ。君にはとても告げられるような内容じゃなかった。とても見せられるような遺体じゃなかった。」
医者は、もう一度僕にファイルを差し出した。好奇心と恐怖心が鬩ぎ合い、それを受け取るのを躊躇う。
「君に真実を知る覚悟があるのなら、受け取りなさい」
僕は、ずっとそれを探し求めていたのだろう。いつか必ず見つかると。半年間、信じて待ち続けていたのだ。生きた両親よりも、事故の真実を。
覚悟を決めた。
「この箱で、僕の希望は打ち砕かれました。もう何も、失うものなんて無い気がするんです。」
医者は無言だった。どんな顔をして僕を見ているのだろうか。ファイルを見つめ俯いたままの目に、その顔は映らない。
不思議と、それを見てはいけない気がする。
僕は視線を上げないようにファイルを受け取った。
はらり、はらり、一枚ずつ紙をめくる。
文字ばかりがぎっしりと並んだ紙をめくる。
その中に、茶封筒が挟まれていた。
「その封筒に、写真があるよ。」
僕は、封筒の中に手を突っ込んで探った。
すると確かに、底の方に何枚かの写真が手に触れた。ざっと10枚くらいありそうな束を鷲掴みにして封筒から取り出す。
そして、最初に目に入ったのは、、、
「なんだこれ。この、写真は、、、」
一枚、二枚、三枚目。翳せど透かせど変わらない。
「おい、どうなってる!? これ、全部ッ、、、!!」
写真に写っていたのは、風情ある日本家屋。しかも、どれも同じような部屋で同じような画角。それが何枚も何枚も。全て、その写真だった。
「両親の死に様がそんなに見たいか。」
僕は反射的に医者の顔を見上げた。
その顔を、僕はとてもよくおぼえていた。
無意識に、僕の手は車椅子のハンドリムを握る。それから、ゆっくりと庭へ、あの大きな桜の木のもとへ進み出した。
外に出るのは久しぶりだった。風は穏やかで陽の光が心地よい。空気は澄んでいて周りはとても静かだ。
もし、今年も両親と桜を見られたなら。
もし、来年も家族で花見ができたなら。
そんなことを考えて、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは仲睦まじい両親の姿。瞼の裏に焼き付いた笑顔。耳に残る優しい声。贅沢は出来なくても幸せだった。
その幸せが、ずっと続くと信じていた。
全てを失うまでは。
事の始まりは半年前、僕が仕事で成功したことだった。新プロジェクトで大ヒット商品を生み出し、会社の成長に大きく貢献した。それがきっかけで幹部に昇進し、手当も相当な額が与えられた。
そこで、親孝行の一つでもしようかと両親を旅行に誘ったのだ。
二人とも僕の提案を大いに喜んでくれた。そして誰よりも出世を祝ってくれた。おかげで僕が計画した家族旅行は、今までの人生で一番楽しい旅となった。
そんな思い出に残る旅の帰り道、何の前触れもなく悲劇は起きた。
父が運転する車で、助手席には母。そして僕は後部座席から二人の間に身を乗り出して和気あいあいと話を弾ませる。
あれが面白かった。これが美味しかった。最高の家族旅行を振り返りながら下る峠道。
フロントガラスに映る景色が、ふと、ぐらついた。
なんとなく左に傾いたような気がしたかと思えば、車は一気に転がり落ちた。
激しい揺れからの回転。けたたましい音とともに歪む車体。エアバッグの衝撃。割れたガラスと飛び散る鉄片。
僕はただひたすら頭を抱えて丸くなった。前の席に座っていた両親を気に掛ける余裕もない。ただ、早く止まれと祈った。
そこから、僕は記憶が無い。
気が付いたら病院のベッドの上で、身体中に包帯やらギプスやら点滴だらけで身動きも取れなかった。
それから、僕を診てくれた医者は言った。
「君は奇跡的に一命を取り留めた」と。
その後、両親には会わせてもらえず、半年が過ぎた。
そして、今になってようやく当時僕を診てくれた医者から連絡があったのだ。
両親に会わせてくれると。
半年経って、やっと容態が安定したのかと思っていた。また元気な両親に会えると。
けれど現実は違った。通された部屋の先にあったのは二つの箱。テレビでよく見かけるような、白い布に包まれた箱。その中に何が入っているのかは聞くまでもなかった。
「どうして、僕に何も教えてくれなかったんですか。」
医者を責めるつもりはないが、自然と口調は強くなる。涙交じりの震えた声が、静かな部屋にこだまする。
「君に真実を隠していたことは謝るよ。申し訳ない。だが、無意味ではなかった。」
医者は一冊のファイルを僕に差し出した。それを受け取ろうとすると、医者はさっと手を引っ込める。
「何のつもりですか。」
一瞬、意地悪でもされたのかと思い、怒りが込み上げる。しかし、その怒りも、医者の表情を見たらすっと引いてしまった。
「私はあえて君に知らせなかった。君が生きているのは本当に奇跡なんだ。両親の死に様を見れば、今の君がどれだけ奇跡的な生還を遂げたかよく分かるだろう。」
なんだか嫌な予感した。このままファイルの中身は見ない方が良いような気がした。
「それだけ悲惨だったんだ。君にはとても告げられるような内容じゃなかった。とても見せられるような遺体じゃなかった。」
医者は、もう一度僕にファイルを差し出した。好奇心と恐怖心が鬩ぎ合い、それを受け取るのを躊躇う。
「君に真実を知る覚悟があるのなら、受け取りなさい」
僕は、ずっとそれを探し求めていたのだろう。いつか必ず見つかると。半年間、信じて待ち続けていたのだ。生きた両親よりも、事故の真実を。
覚悟を決めた。
「この箱で、僕の希望は打ち砕かれました。もう何も、失うものなんて無い気がするんです。」
医者は無言だった。どんな顔をして僕を見ているのだろうか。ファイルを見つめ俯いたままの目に、その顔は映らない。
不思議と、それを見てはいけない気がする。
僕は視線を上げないようにファイルを受け取った。
はらり、はらり、一枚ずつ紙をめくる。
文字ばかりがぎっしりと並んだ紙をめくる。
その中に、茶封筒が挟まれていた。
「その封筒に、写真があるよ。」
僕は、封筒の中に手を突っ込んで探った。
すると確かに、底の方に何枚かの写真が手に触れた。ざっと10枚くらいありそうな束を鷲掴みにして封筒から取り出す。
そして、最初に目に入ったのは、、、
「なんだこれ。この、写真は、、、」
一枚、二枚、三枚目。翳せど透かせど変わらない。
「おい、どうなってる!? これ、全部ッ、、、!!」
写真に写っていたのは、風情ある日本家屋。しかも、どれも同じような部屋で同じような画角。それが何枚も何枚も。全て、その写真だった。
「両親の死に様がそんなに見たいか。」
僕は反射的に医者の顔を見上げた。
その顔を、僕はとてもよくおぼえていた。
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