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1. 死の瞬間と答え合わせの始まり

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 家族に囲まれたベッドの上で、私は寝てた。
 長いねと周囲から褒められるまつ毛を伏せて、乾いた唇はもう開けることが出来そうにない。

 トクン、トクン、トクン……
 自分でも感じる頸動脈けいどうみゃくの動きは、まだ私の身体に生命いのちがあることを示している。

 でも、もう実は私の呼吸は止まっていた。
 あとは命の鼓動を伝える器官が自然に止まるのを待つだけなんだ。

美香みか……! ごめんね! お姉ちゃん何もできなくてごめんね!」

 お姉ちゃん、謝らないで。

「今までお疲れ様。よく頑張ったな」

 お父さん、そんな言葉初めてだね。

「美香、ありがとう。私たちの大切な娘」

 お母さん、ごめんね。


 私は希望の高校に入学出来てすぐに体調を崩した。
 微熱が続いて鼻血が止まらない。
 ぶつけた覚えもないのに内出血が増えた。
 何かがおかしいと、お母さんと病院に行って白血病と診断されてからニ年。

 せっかく入った高校を休学して、入院することになった時には何のためにあんなに苦しい思いをして受験を頑張ったんだろうと落ち込んだ。

 抗がん剤や放射線治療、移植も受けたけどダメだった。

 たとえ私の呼吸が止まっても、もう心臓マッサージはしない。
 それはこのホスピス死期の近い者の為の施設に入るときに決まっていたことだった。
 あとは自然にまかせるだけ。
 お父さんとお母さん、そしてお姉ちゃんは私の死の間際に何にも出来ない辛い気持ちをこらえながら寄り添ってくれてる。

 だけど何故?

 そんな家族を、着ていたはずの病衣びょういではなくお気に入りだった高校の制服を着た私が病室の天井からうつ伏せの姿勢で見下ろしているんだけど。
 もちろん自分のはベッドの上で、もう本当にすぐにでも死へと旅立つ様子で。
 
 なんでこんなことになってるのかな? 私の身体はあそこにあるのに、中身が出ちゃった。

 いわゆるこれが幽体離脱ゆうたいりだつというやつ?
 この場合はすぐに身体へ戻った方がいいのかな、それ以前に戻れるのかも分からないんだけど。

 あー、ダメだ。もう間に合わない。

 とうとうベッドの上の身体だけの私の心臓がその機能を終えたのが分かった。
 
「美香ぁ! きっとこれからは楽しく過ごしてね! 貴女の好きだった世界で! 幸せにね!」

 最後に聞こえたのは、私がが尊敬する大好きなお姉ちゃんの声で。

 ふと気づくと目の前は真っ暗闇まっくらやみ

 やがてめちゃくちゃ遠くの方に小さな光が見えてきた。
 その光はチクリと針で刺したような大きさから、徐々に大きくなって、やがて私の身体全体を包み込む大きさになった。

 ああ、とうとう今から死後の国へ行くんだ。

 たとえ辛い治療を乗り越えても、結局無慈悲むじひに訪れた死よりも怖いものなんかないでしょ。
 『死』って、ほんと無慈悲だよ。

 この先が天国でもどこでも、怖くなんかないから。

 私はこの状況を楽しんでさえいたんだ。
 だって散々死後の世界がどんなところか、病床で何度も想像していたんだから。

――これからその答え合わせが始まるんだね。

 

 

 

 
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