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9. 揃いの時計への思い
しおりを挟む誕生日プレゼントは何が欲しいのかと問うと、勇太はペアウォッチがいいと言う。
随分前に私がペアリングを着けるのを拒んだ時にはとても悲しそうな顔をさせてしまった。
あれから二年以上が経ち、私の心が段々と変わってきた事もあって今回は勇太の願いを叶えてあげられそうだ。
他人の目など気にしなければいいのだけれど、いつどこで家族の知り合いが見ているか分からない。
昔気質で偏見が極度に強い両親には、勇太の事だけは知られたくなかった。きっと先入観に囚われた様々な言葉で勇太と私を傷付ける事は目に見えていたからだ。
同じような理由で私は勇太と手を繋ぐ事を避けている。ただ横に並んで歩くだけなら同僚だとか友人だと思って貰えるだろうから。
「勇気が無いばっかりに、無理言ってばっかりでごめん」
「それは伊織の優しさだろ? 俺が嫌な思いしないようにって常に考えてる。俺の方が伊織に無理言ってばっかりだよ。何なら最初の告白からしてそうだろ?」
勇太は強い。自分の気持ちを真っ直ぐに保てる人だ。
でも、私はまだ家族の呪縛が解けていない。家族から放たれる鋭い刃の様な言葉と態度に怯えている。
「そうかも。あの時は本当に驚いたから」
二人で笑い合ったところで、勇太が何度か時計を買った事があるという専門店へと到着した。
思わず気後れするようなシックで高級感のある外観は、自分の様な人間には不釣り合いに感じる。感謝の意味も込めて予算は多めに考えていたけれど、こういう店に入る事には慣れていなかった。
けれど勇太は「大丈夫だよ」と言うように私の背中をさりげなく押して店へと入る。
店内はヘリンボーンの床と黒い壁紙、暖色の照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
壁一面と通路に設置された様々なデザインのショーケースは、スポットライトに照らされて遠目にも美しく煌めいていた。
「伊織はどんなのがいい?」
「勇太の誕生日なんだから、勇太が選べばいいよ」
静かな店内では決して押しつけがましい接客はされず、さりげない距離感でゆったりと客が商品を見られるようになっている。けれど慣れない店に緊張している私は、勇太にピタリとついて店内を歩いた。
「でも俺は、伊織が気に入ったやつを着けたいな。同じもの着けてくれるだけでも相当嬉しいから」
店員に聞こえない程度の声で囁く勇太の言葉に、私は思わず吹き出してしまう。
「これじゃあどっちの誕生日か分かんないね」
「いいから。ほら、どういうのが好きか選んで」
「でも時計とかよく分かんないよ」
「いいよ、直感で選んだら。後の手入れとかは俺がするし」
そう言われてショーケースを見て回っているうちに、四角いフォルムの時計が目に入る。ブランドや仕組みなんて全く分からないけれど、多くの丸い時計の中に四角のフォルムが目についた。
「これは?」
「へぇ、スクエアフェイスか。こういうの好き?」
普段勇太が着けている時計は丸いのしか見た事が無い。だから何となくそれと違った物がいいかなと考えた。
「何となく、勇太が四角いの持ってないから」
「うん、いいね。じゃあこれにしよう」
「え、本当にいいの?」
普段からアクセサリーは身に付けず、時計にも疎い私はスクエアフェイスという言葉も初めて聞いたけれど、勇太の誕生日なのに本当に自分が決めて良かったのかと不安になる。
時計なんて形の違いくらいしか分からず、仕組みも手入れも何も知らないのだ。
「俺は伊織が選んだのがいいの。っていうか伊織も同じの着けるんだけど。どう? 気に入った?」
そう言われてもう一度時計を見る。黒のレザーベルトにネイビーの文字盤、赤い針が清潔感と遊び心を感じさせて、勇太にはとても似合いそうだと感じた。
そして私も同じ物を身につければ、勇太のように強くなれるような気がして。
「うん。これがいいと思う」
「ありがとう。じゃあこれで」
久々に高価な物を選んだ買い物は楽しかった。特に使い道もなく少しずつ増えていく一方の貯金は、何だか虚しく感じていたから。
去年勇太から貰った誕生日プレゼントは泊まりがけの温泉旅行。それだって実家の事で疲れた私の為にと考えてくれた事だった。
今回の買い物で同じくらいの額を返せてホッとする。
「これ、かっこいいね。伊織にも似合う。スクエアフェイスが、凛としてる伊織の雰囲気にぴったりだよ」
「そうかな? 色味は遊び心があって勇太らしいなって思ったけど」
せっかくだから外食をして帰ろうかと、少し歩いたところにあるイタリアンの店へ向かう。
嬉しそうに左腕を何度も持ち上げては時計を見る勇太が、私より二つ年上なのに幼く見えた。
「遊び心、あるかな? 伊織にそう言われると嬉しいけど」
「私には無いものをたくさん持ってるよ。勇太は」
「実はスクエアフェイスって何となく俺らしくないかなって思って今まで持ってなかったんだ。けど、真面目な伊織っぽいって思ったら、こういうのもいいもんだな」
そう言って勇太は右手で左腕の時計のベルトをそっと撫でる。その手つきがさも愛おしそうにするものだから、妙に照れ臭くなって返事に窮した。
この人は私に家族から与えて貰えなかった安らぎを与えてくれる。
こうしなきゃダメ、あれはダメと言ったりする事も無い。誰とも比較しないし、例え私が失敗しても叱ったりせずにきっと助けてくれる。
そんな風に他人を心から信じられる事が出来たのも、勇太が初めてだった。
「誕生日おめでとう、勇太」
「うん、ありがとう」
勇太に比べたら随分と華奢な腕に、お揃いの腕時計が嵌められている。
並んで歩きながら、気づかれないようにそっと自分の時計を撫でた。このささやかな幸せが、どうか長く続きますようにと願いながら。
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