49 / 55
48. ささやかな幸せ
しおりを挟むマンションに帰ると、勇太は落ち着かない様子でウロウロしながら待っていてくれた。
新一に会うと言って出て行ったはずが、続いて同僚が襲われたと急にDMが届いたのだから驚いただろう。
リビングに足を踏み入れた私の姿を見るなり、急ぎ駆け寄ってくる。
「伊織! 大丈夫⁉︎」
「私が怪我した訳じゃないよ。今から順番に話すから待って、ほら落ち着いて」
まずはソファーに座るよう促して、これまでの事を洗いざらい話した。
この人には隠し事も嘘もつきたくないから。
全てを話し終えた時、勇太は杏奈が逮捕されるまでは私やカナちゃんに危険が及ぶのでは無いかと心配した。それは確かに尤もな心配ではあるが、仕事を休む訳にはいかない。
考えた結果、流石に今の職場はバレていないはずだし、カナちゃんの送迎時には十分に気をつける事を約束した。
それに、今後の買い物は勇太がしてくれると申し出てくれたのでお願いする。
心配性の勇太は、そこまでしてやっと大きく息を吐き出し、身体を弛緩させたのだった。
翌日、両親との約束通り勇太を実家へと招待した。
まさか実家にまで杏奈が来ているとは思えないが、念の為しっかりと玄関の鍵を閉めた。
母の案内で父とカナちゃんの待つリビングに向かう。
玄関先で初めて勇太を見た母は、まずその逞しい身体つきに驚いたようだ。しかし意外にもその後は和やかな様子で次々と勇太に話し掛けている。
「伊織は私に似て華奢に育ってしまったの。せっかく男の子に生まれたのだから、宮部さんみたいに逞しい身体なら良かったのですけれど」
「いや、俺……僕は鍛えるのが趣味ですから」
「まぁ、それじゃあスポーツジムに通われているの? 伊織も一緒に通ったら少しは逞しくなるかしら?」
「母さん、私はカナちゃんを見てるからジムなんて無理だよ。それに、別に困るほど華奢じゃないし」
母親の世間知らずで時折無神経に思える会話にも、勇太は嫌な顔ひとつせずに接してくれた。
「こちらにカナちゃんがいるわ。どうぞ」
母に促されて私と勇太がリビングに足を踏み入れると、父とカナちゃんが楽しそうに笑いながらソファーで寛いでいた。
「あ! いっちゃんとゆうちゃ! お迎え来てくれたの?」
カナちゃんの言葉から、実家はカナちゃんの遊び場であって、帰るところはあのマンションだと思ってくれているのだと分かる。
そしてどうやら父もそう悟ったらしく、少しだけもの悲しそうな、苦い顔をしていた。
「はじめまして。本日はお時間を頂き、ありがとうございます。伊織さんのお父さんとお母さんは甘い物がお好きと伺ったので、よろしければ……」
いつもより緊張した声で挨拶をする勇太は、美味しいと評判の和菓子をそっと父の方へと差し出した。
両親はどこかぎこちない動きで私達に席をすすめ、四人で向かい合って座る。
カナちゃんはその異様な雰囲気を察したのか、隣の部屋へ走って行ってしまうと、積み木を使って一人遊びを始めた。
「伊織さんと交際させていただいております。宮部勇太と申します。ご挨拶したいと思いつつ、今日まで遅れてしまって申し訳ありません」
このような口上で始まり、そのうち両親が勇太に色々と質問したりするようになると、ハラハラする場面も多々あった。
勇太の生い立ちや経歴に、両親が何か失礼な事を言うのではないかと心配になったからだ。
けれど想像していたよりも両親共に勇太に対しては友好的で、私としては拍子抜けしてしまったところもある。
カナちゃんが勇太に懐いている事が一番の決め手だったのかも知れない。
終始和やかなムードで時間が過ぎていき、最後に父がカナちゃんと私の事に関して、「感謝している」と勇太に対して頭を下げた。
そして勇太はそんな父に恐縮しながらも、はっきりと自分の気持ちを述べる。
「こちらこそ、伊織さんとカナちゃんには生きる活力を頂いてます。どうかこれからもよろしくお願いいたします」
頭を下げた勇太に合わせて、私も頭を下げる。
「父さん、母さん。ありがとう」
実家を出る時、カナちゃんは両親に「バイバイ、また来るね」と手を振り、こちらを向いたかと思うと「帰ってゆうちゃの作ったお子様ランチ食べようねー」と笑顔を見せた。
そんなカナちゃんを見た両親は、また勇太に深々と頭を下げる。勇太の方もかなり覚悟して今日を迎えたというのに、思いの外私の両親からの温かい歓迎を受けて、一気に脱力したようだ。
姉の事は、結局両親に話す事が出来なかった。
けれども今後どうなるのか分からない状況で、不確かな事を言う訳にはいかない。
それに、もう少しめぐみ医院の事を調べる必要がある。姉がどうやって患者を手にかけていたのか、それも姉の口から聞いただけで、確かな証拠を何も得ていない。
「いっちゃん、バァバとジィジと遊ぶの楽しかったよぉ」
「そう? 良かったね」
マンションへと帰るなり、カナちゃんが急に勇太と私に甘えるようにくっついてくる。
「うん。この青い服可愛いでしょ? また今度遊びに行こうねぇ!」
そう言うと、リビングの空いたスペースでスケーターのようにくるくる回りはじめるカナちゃん。
しばらく回るとカナちゃんはフラフラしながらクッションに倒れ込んだ。
「目がくるくるするー……」
こちらへ不調を訴えつつもブウと唇を尖らせて、カナちゃんは盛大な顰めっ面を披露した。
どんな時にも表情が豊かなカナちゃんは、とても可愛らしいと心底思う。
「ねー、いっちゃんもゆうちゃも、ここにネンネして」
勇太と私は顔を見合わせ、カナちゃんが与えてくれるささやかな幸福の時間に感謝した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる