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53. 姉の温もり
しおりを挟む姉の葬儀は近しい親族と勇太だけが参列し、家族葬で執り行われた。密葬という方が正しいかも知れない。
私達が心配したのは、姉に長く会わせていなかったカナちゃんが、写真の姿を見てどんな反応をするのかという事だった。
しかし当のカナちゃんは、白い写真立てに入った姉の写真よりも祭壇に飾られた花々の方に興味があるようだった。
皆が神妙な面持ちをするなか、カナちゃんは椅子に座って一人お喋りをしたりして終始笑顔を振りまいている。
「カナちゃん、ほら、ここにお花を入れてあげてね」
棺の中には痩せこけて面立ちが変わってしまった姉と、その周りを囲む美しい花々。
大人しく読経の時間を過ごしたカナちゃんは、訳も分からずに持たされた花束を棺に収めた。
参列者が家族しかいないので、一人が何度も何度も祭壇に飾られていた花を棺へと収めていく。
無邪気なカナちゃんはそれがまるで遊びのように思ったのか、葬祭会館のスタッフに花をおねだりする場面があったりもした。
「カナちゃん、詩織の事をもう忘れちゃったのかしらねぇ」
「さぁ……。ずっと私と母さんと居たから、姉さんの事を母親だと分かっていないのかも」
「それはそれで良かったのかも知れないわね」
両親も私もまだ実感が湧かないままに、姉は荼毘に付された。
骨上げに呼ばれるのを待つ間、姉が亡くなったと病院から連絡があった時の状況を母親が語った。
「あの朝家に突然電話が掛かってきてね、お父さんと一緒に急いで病院へ行ったの。いきなりだったから訳が分からなくて。本当に詩織の事なのか、それとも何かの間違いなんじゃないかって思ったのよ」
「姉さんの死因は肺塞栓症だったんだよね?」
「そう、そんな風に言ってたわ。病気の治療で飲んでいた薬の副作用かも知れないって」
確かに姉が飲んでいたような抗精神病薬においては、肺塞栓症の副作用を起こした症例が報告されている。
けれど……本当に薬が原因だったのだろうか。
私が最後に病院へ面会に行った日、恐らく姉は隔離室へ連れて行かれたのだろう。
あれほど錯乱していたのならば、もしかしたら身体をしっかりと拘束されていたのかも知れない。
あんなに痩せ細り、肌も唇もすっかりカサカサになっていた姉。
常日頃から水分を十分に摂っていなかったとしたら? 私が病室を出た時に看護師が持って来ていたのが、追加の鎮静剤だったとしたら?
姉は長時間拘束され、鎮静剤の効果も相まって、まともに身動きが取れずにずっと同じ姿勢でいたのだとしたら……。
ひょっとすると姉の死因である肺塞栓症が、向精神薬の副作用のせいだけとは限らないのではないだろうか。
あの病院での治療が、肺塞栓症という事態を招いたのかも知れない。
安易な身体拘束によって、いわゆるエコノミークラス症候群を引き起こし、肺塞栓症を招く。それによって姉が死んだのだとしたら……。
姉は病院に、看護師達に殺された事になる。
あの日……姉の頬には影が出来、目が落ち窪み、手足もげっそりと痩せ細って、まるで老婆のようにも見えた。
掠れ声で悲痛に叫び続けた姉の声が、すぐ近くでこだます。
――「伊織! 伊織! コイツらに殺される! 助けてー!」――
あの時感じた微かな違和感、引っ掛かりを感じた何か。あれは何だったのか。思い出そうとすると、頭にモヤがかかったようになる。
姉の掠れた声や、痩せ細って枯れ枝のように骨張った手ばかりがありありと思い出された。
――「最近のお姉さんは『看護師に殺される』って被害妄想が酷くて。きっとあのめぐみ医院の事件が大々的に報道されたから、現実とテレビの世界がごちゃごちゃになってるんですよぉ」――
あの時、聞いてもいないのに早口で捲し立てていた若い女性看護師の、間延びしたような媚びた声がリアルに再現される。
本当に姉はテレビを観てあの事件を思い出し、錯乱を引き起こしたのか。
――「皆逮捕されてるんでしょ。警察も来たし。そのうち私の事も逮捕するの? それでもいいから、家に帰らせて! ここは怖いの!」――
あの時既に姉は罪が露呈する事も、逮捕される事すらも、もうすっかり怖くないようだった。残念な事ではあるものの、罪悪感に苛まれていた様子もない。
それよりも早く退院させてくれと、姉はとにかく強く切望していた。
――めぐみ医院の事件が大々的に報道されたから、現実とテレビの世界がごちゃごちゃになってるんですよぉ――
どうしても、この言葉が引っ掛かりを覚えてならない。あの時微かな違和感を感じたのは、ここだった気がする。
テレビという言葉から連想したのか……ふいに、閉鎖病棟を出る直前に振り向いた先に見えた談話室のテレビを思い出す。
ハッとしたのは突然だった。頭の中の場面が色を持ち、鮮やかになる。
「そうだ。そもそも談話室のテレビでは、めぐみ医院で起きた事件の報道なんて、一切されていなかったじゃないか……」
あの事件は、『看護師達による常態化した連続殺人』という、朝から晩まで連日どの番組も取り上げる程のセンセーショナルな話題だ。
患者が勝手にチャンネルを変える事が出来ない仕様になっている談話室のテレビは、各局が競うように報道するその一件を避けるようにして、入院患者が誰一人目に止めないような子ども向け番組を終始映していた。
それなのに何故……あの看護師は、「テレビの報道を観たせいで、現実とテレビの世界がごちゃごちゃになっている」などと言ったのか。
姉がテレビから情報を得る事は出来なかったのに。
単なる看護師の思い違いかも知れない。
けれど今思えばそれは、巧まずして飛び出した自己弁護のように捉える事も出来る。
精神病の患者は、いつ何が感情を爆発させる起爆剤になるか分からない。
それにより、精神科の看護師は突然の理不尽な暴力や暴言に晒される事も他の科に比べて多いと聞く。
姉だって精神科に勤めていた時には、かなりストレスを抱えていた様子で、常に文句ばかり言っていた。それでも姉の場合に限っては、辛くて落ち込む、というよりは常に怒っていると言った方が正しかったけれど。
「いっちゃん。眠いよぉ」
骨上げを待ちくたびれたカナちゃんは、先程まで勇太と手遊びしたりして大人しく座っていたのに、眠くなったら私の方へと来たがってぐずった。
「そうだよね、こっちおいで。ほら、ねんねしていいよ」
姉の死の真相がどうだったにせよ、膝の上の温もりは守られた。もうそれで充分だと自分に言い聞かせる。
昨日新一には姉の死をDMで知らせた。電話は繋がらなかったからだ。
私からのDMを見るかどうかは分からないし、見たところでどうしようもないかも知れない。それでもやはり元は姉の夫なのだ。知らせておこうと思った。
「神崎様、神崎様」
火葬場の係の人が私達の名を呼んだ。父が炉のスイッチを押して一時間と少し。姉の火葬が終わったようだ。
「おい、呼ばれたぞ」
顔を硬くした父が一番に立ち上がる。
「カナちゃん、起きて。あら、起きないわね」
母がさも困ったというように眉を下げた。
「大丈夫です。この状態だと抱くのも大変だし、ここで待っていますよ」
勇太がそう言ってくれたので、両親と私だけで骨上げを行った。
人の骨というのはこんな風に綺麗に残るものなのかと見惚れるほどに、姉の骨は綺麗な形で残っていた。下半身から上半身の骨を拾い、最後に喉仏の骨を父親が収める。
流石に両親は真っ白に姿を変えた娘に、涙が止まらない様子だった。姉は大きな骨壷と小さな骨壷の二つに分けられる。
「詩織……」
最後に係の人によって包まれる骨壷を見て、呻きを漏らすように姉の名を呼んだ父の横顔は、何だか一気に年を重ねたように感じた。
「お骨になっちゃったのね」
静かに悲しむ父に比べ、母のしみじみとした呟きは相変わらずどこか拍子抜けするようだった。骨壷を見る表情も、どこかホッとしているようにさえ見える。
最後まで気丈なのは意外な事に母の方だった。姉の死を父ほど悲しんでいるように見えなかったのは、気のせいだろうか。
それを如実に象徴する出来事がある。母は「落とすと怖いから」と、決して骨壷を持とうとしなかったのだった。
「伊織が持ってちょうだい。私はカナちゃんを……」
そう言われ、私が骨になった姉を胸に抱える事になった。父は何も言わない。
真っ白な布に包まれ、きちっと骨壷に収められた姉。初めてカナちゃんをこの腕に抱いた時のように、姉の骨はじんわりと温かかった。
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