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23. 産土神と洞穴で
しおりを挟むその日美桜は産土神が店に来るのを心待ちにしていたが、結局夜になっても産土神は姿を現さなかった。
「産土神様はお忙しいのでしょうか」
閉店後、明日の仕込みを手伝いながら美桜は遠夜に問うた。向かい合って作業する二人ともが仕込みの手を止めずに会話している。
遠夜はあの後店が開店する前に再び面を付け、それからずっと外していない。
「さあ? 土地の見回りが遅くなれば来ない時もありますが。産土神に何か御用がありましたか?」
「少し……尋ねたい事がありまして。別に大した事ではありませんので、またの機会にいたします」
「そうですか……」
美桜は面に隠された素顔を見た後から遠夜の方をまともに見る事が出来ず、いくら今は面を被っているとはいえ、自然と視線を逸らしてしまう。
恋心を自覚してからというもの、視線を交えるのに恥ずかしさが増してしまった。それに、もしまたあの顔をまともに見てしまえば、きっとこんな風にまともでは居られないと思っていたからだ。
それほどまでに、遠夜の素顔は美しかった。
「美桜さん」
すっかり明日の仕込みが終わった頃、遠夜が美桜を引き止めた。
おやすみなさいと告げて母屋に戻ろうとしていた美桜は、名を呼ばれて素直に返事をし、振り返る。
「あの……」
「はい」
「いや、何でもありません。引き止めてしまってすみませんでした」
そう言って遠夜は美桜から視線を外し、ぺこりと頭を下げた。
明らかに何か言いたげな遠夜の様子に美桜は口を開きかけたが、ぎゅっと口を噤み、持ち上げかけた手も引っ込める。
「おやすみなさい、遠夜さん。また明日」
「はい。おやすみなさい」
美桜は母屋に戻り、弥兵衛の身体を拭いたり自分が風呂に入ったりした後、どうしても眠れなくて月夜が綺麗な窓の外を眺めていた。
「あ……」
その時一気にザワザワとざわめいた黒い木々の合間に、真っ白な着物を着た人を見つける。
白くて長い眉と髭、皺だらけの顔は満月の明かりに照らされてはっきりと確認出来た。
「産土神様」
産土神は店から少し離れた所に立っていて、美桜に向かって手招きする。まるで美桜が外を見る事を予想していたように。
ここに来てから初めての事だった。夜の闇に身体を任せるのは。
美桜は提灯の在処を知らなかったので、仕方なく手燭を持って外に出る。幸いにも風は無く、蝋燭の火は美桜の動きに合わせてゆらゆらと揺れるだけだった。
「外に呼び出してすまなんだな」
「いえ、大丈夫です。それにしても産土神様、一体どうなさったのですか?」
そこに居たのはいつもと変わらず髭を撫で付けながら笑う産土神だが、美桜は何か急な事態が起こったのでは無いかと不安になっていた。
「ここは冷える。近くに洞穴があるから、そこまで行こう」
美桜の心を知ってか知らずか、産土神はついて来なさいと言うと、ゆっくりとした足取りで歩き始める。
山奥の闇夜に囲まれているというのに、産土神が居るだけで、美桜はちっとも怖くなかった。
「空気が冷たい夜でも、咳は出なくなったんじゃな」
「はい。産土神様とあのお坊さんの下さったお薬のお陰です」
「それは僥倖。ところで、寒くは無いかの?」
「寒くはありません。この洞穴の中は暖かいですから」
洞穴は入り口が狭く、そこから急に開けたようになっていた。そう奥行きが深くは無い洞穴の中は、不思議と外よりも暖かく感じる。
長い年月を経て自然に作られたらしい洞穴で、大きな岩に腰掛けた美桜と産土神は向き合っていた。
けれども何故かなかなか本題を口にしようとしない産土神に、焦れた美桜はとうとう話を切り出す。
「あの……産土神様、私に何か大切なお話があるのでしょう?」
「ふむ」
「例えば……遠夜さんについての事、とか」
わざわざこんな場所に呼び出すくらいだから、人目の多い店内では話せないような事なのだろう。
弥兵衛が隣で寝ている場所、遠夜が同じ屋根の下にいる母屋でも話せないくらいだから、きっと遠夜の秘密についての事なのだと美桜は思ったのだ。
「そうさのぅ……。美桜、お前は遠夜の事をどう思う?」
「え……っ」
「好いておるか? 不器用で不憫なあの子を、助けたいと思ってくれとるか?」
思わぬ問いかけに美桜はたじろぐ。
それこそまさに今日になって遠夜に対しての想いを自覚した美桜だったが、こうも直接的に問われるとは思ってもみなかったのだから。
「私は……遠夜さんをお慕いしております」
たっぷりひと呼吸置いてから、美桜は答えた。相手は産土神だ。隠しておく道理は無い。
「あの方の苦しみが自分の事のように辛くて、どうにかしてあげたいと思っています。けれど、だからと言ってどうしたら良いのか……」
美桜の強い決心を孕んだ返事に、産土神は満足げな笑みを浮かべて大きく頷いた。
「遠夜を心底想ってくれとる美桜にしか出来ない事がある。ワシの頼みを聞いてくれるか?」
そう告げた産土神の声が、洞穴の中でやけにはっきりと響く。
美桜はハッと息を呑み、産土神の顔をじっと見つめる。産土神の周囲が深い皺だらけの目と、美桜の真っ直ぐな視線がしばらくの間交わった。
「はい。お聞かせください」
やっと発せられた美桜の声は、強い決意に満ちていた。
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