29 / 53
29. 異なるもの
しおりを挟む「私を? どうして……」
千手観音は美桜が来るのを待っていたのだと言う。だから以前に産土神が牛鬼の角を渡すように頼み込んでも、決して渡さなかったのだと。
「あの子を救うのに、産土神では駄目だったから。あの子には美桜が必要だった。それに、今だからこそあの子が救えるんだよ。だから私は、その時が来るのをずっと待っていた」
最も良い機会というのはまさに一期一会。様々な要素が絡まり合って、その一瞬の時でないと最良の結果はもたらされない。
「千手観音様には……全て分かっていらしたのですか?」
「私は無限の眼と手を持つのだよ。それに、私の分身は世界中にある。産土神が気にかけていたあの子に、たった一つの慈悲を与える事など容易い」
全てを見通すといわれる千手観音の眼は、今此処に美桜が来る事すらも分かっていた。
無限の救いを与える手は、今日のこの時の為にずっと牛鬼の角を守っていたのだ。
「ありがとうございます」
「礼には及ばない。時が来たら渡すべき物を渡すだけ、別に大した事では無いからね。それに……全ては必然、既に決まりきっていた事だ」
千手観音菩薩の話は常人にすぐに理解出来るものでは無いものの、美桜はとにかく牛鬼の角を手に入れられるらしいと分かり、ホッと肩の力を抜く。
「さあ、これが牛鬼の角だ。持てるかい?」
「はい」
そうして目の前に現れた立派な木箱には「牛鬼角 双角」としたためられている。ずっしりと重量感のあるその箱を、美桜は大切そうに抱えたのだった。
「言っておくが、別に私は産土神を嫌っているわけじゃない。むしろ、産土神のお節介な性格は好ましいとさえ思っているよ」
神だの菩薩だのと、人間の美桜にとってみればはるか遠い存在の二人の関係性は、全くもって全てを理解できるものでは無い。
悪戯っぽい笑みを浮かべる千手観音に、美桜は困ったような笑みを浮かべるしか出来なかった。
「ただ、あの時に全てを説明するのはどうにも面倒だったものでね。まぁその私のものぐさな性格のせいで産土神を怒らせてしまったのだけれど。しかしこれを機に謝っておくとしようか」
産土神は千手観音と仲違いしていると言っていたが、事実はどうやら違っていたようだ。
「本当にありがとうございました」
そう言って美桜が頭を深々と下げ、次に顔を上げた時には寺の外で待つ産土神の前に立っていた。
一瞬の出来事に美桜が呆けていると、目を丸くした産土神もその驚きの表情のまま固まってしまっている。
「久しいね、産土神」
そんな産土神の様子を機にする風でも無く、親しげに近寄るのは千手観音だった。
不思議な事に、本堂では頭の中に直接響いていた千手観音の声が、もうしっかりと耳に届く。
美桜にその理由は分からない。けれどもしかすると本堂では、千手観音が直接美桜の身体の中へ入り込み、隅々まで巡って、美桜の人となりを確かめていたのかも知れない。
四本の青い手を使って産土神の肩やら髪やらを散々撫でさすり、やっとのことで我を取り戻した産土神が怪訝な表情を見せた所で、千手観音はパッと手を離す。
「何じゃ。あれ程ワシを嫌っておった癖に、今更白々しい」
「まあまあ、別に嫌っていた訳じゃないよ。あの時はただ、事情を全て説明するのが面倒くさ……上手く出来なかっただけで」
「ほう。それで? 美桜にあれを渡してくれた事は感謝するが、一体ワシに何の用かのぅ?」
産土神は美桜の隣に寄り添うように立ち、美桜が胸に大切そうに抱えた木箱を、しっかりと視界に収めてから言った。
「産土神よ、すまなかった。忙しさにかまけて、きちんと事情を説明しなかった事を謝ろう」
その時、ザザアッと大きな音を立てて木の葉が揺れた。高級な香の匂いと混じり合った一陣の風が、三人の間を颯爽と走り抜けてゆく。
「ほほぉ。千手観音菩薩ともあろう者が、産土神ごときのワシに謝ると?」
「何を言う。元は人である私よりも、生まれながらの神である産土神の方が格上では?」
「それを言うならば、産土神など八百万の神と同じで精霊のようなもの。曖昧な存在でしかないわい」
双方のやり取りを、間に挟まれたようになっている美桜は固唾を飲んで見守った。
「く、くくく……!」
「カッ、カッ、カッ、カッ!」
同時に上げた高らかな笑い声が、一気に緊張感を吹き飛ばす。
それでも美桜は双方の顔を見比べながら「どうしたものか」と困惑し、眉尻を下げていた。
千手観音はそんな美桜の頭を二本の手で左右から包み込むようにして優しく撫で、「私は美桜のように心が広く、感謝の心を持ち、深い慈悲の心と他者への深い思いやりを持つ人間が好きだよ」と囁く。
やがてその姿はどこからともなく現れた線香の煙にまかれたようにして見えなくなり、その場には美桜と産土神だけが取り残されたのだった。
「ワシには菩薩の考える事はよう分からん」
「ふふ……なんだか千手観音様もそう思っていそうですね」
「そうかのぅ。さ、それを持って早う帰るとするか」
髭を撫でながら首を傾げる産土神が眦の皺を深めてそう言うと、美桜は大きく頷き、木箱を抱え込み直す。
「はい! 帰りましょう」
角に秘められた記憶はきっと長年の遠夜の憂いを晴らすものだろう。
この時美桜はそう確信し、足取り軽く帰途に着いたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
★第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる