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31. 牛鬼と山田蔵人の出会い
しおりを挟む産土神が角を手に取り何やら念じると、美桜の頭の中に次々と見知らぬ場面や心情が流れ込んでくる。
まるで自分がかつて経験した記憶を次々と思い出すかのようで、その時に感じた事や口にした事が鮮明に聞こえてくるのだった。
そしてそれは直接美桜の心を打ち、感情を強く揺さぶってくる。
遠夜の方も同じ感覚に陥っているようだ。
『人間の友が欲しいなぁ』
大きく耳にこだまするのは、野太く力強い声だった。恐らくはこれが牛鬼の声だろう。
美桜の頭の中には青々とした空の下に広がる山の風景と、遠くの方に見える人間の集落を同時に見下ろす光景が流れ込んで来ていた。
恐らく遠夜と産土神にも同じ事が起こっているのだろう。
――「はぁ? 何でだよ?」
どこか聞き覚えのある声が、牛鬼の言葉に返事をする。
声の主は、赤シャグマのようだった。
けれども視線は声の方を向かず、人間が日々の生活を送っている集落を見つめたままだ。
『あいつらは小さくて弱くて。それなのに賢い。どんどん数を増やして、俺達あやかしはいつか隅っこに追いやられちまうんだろう』
――「んな訳無いだろ。俺達あやかしや物怪は強い。人間はか弱いじゃないか。だからこそあいつらは俺に一族の繁栄を願って来るんだから」
この赤シャグマというのは座敷童子の一種であるあやかしで、住み着いた家を繁栄させるという力を持っていた。
だから人間は赤シャグマにずっと住み着いていて欲しいと願い、食べ物を与え、去らないように細心の注意を払う。
『お前は良いよなぁ。人間のそばに居られるんだから。俺はこんな外見だから近付くだけで恐れられ、友になどなれないだろう』
――「どうして人間の友になんかなりたいんだ? お前には俺達がいるだろうが」
『人間から好かれる赤シャグマには分からない。俺は人間が好きなんだ。あいつらは俺達とは違う。見ていて楽しいのさ』
――「はぁ? 相変わらずよく分からねぇ事を言うもんだ。お前は本当に変わりもんだよ」
『俺の姿が赤シャグマみたいに、もっとまともだったらなぁ。または他の奴らみたいに化けられたら良いんだが。とてもこんな姿じゃあ、人間は怖がって友になどなってくれないだろう』
――「やっぱり変な奴。それで、人間の友になってどうするんだよ?」
そこで初めて視線が風景から赤シャグマへと向けられる。
赤シャグマの姿は今と全く変わらず、燃え立つような赤い髪が風に揺れていた。
『人間は弱いから、俺が守ってやる。その代わり人間の生活ってやつを教えて貰って、実際にやってみたいのさ。人間の食べ物を食べ、日々の仕事をする。人間の暮らしは何だか楽しそうだ』
牛鬼の言う事は赤シャグマにとって理解し難いらしく、あからさまに怪訝な表情の赤シャグマは肩をすくめて溜息を吐き出す。
――「確かに人間の食い物は美味いが、仕事なんて大して面白くは無いだろ」
『俺は人間の食い物を食べた事が無いからなぁ。赤シャグマが羨ましい』
――「そう言うのなら、今度取って来てやるよ。それで良いだろ」
そう言って赤シャグマはニッと悪戯な笑みを浮かべ、牛鬼はそんな赤シャグマに対して穏やかに笑い返したようだった。
◆◆◆
そこで唐突に場面が変わり、山の景色がどんどん後ろに流れていく。
どうやら牛鬼が山の中で木々を避けながら縦横無尽に駆けまわっているようだ。
そうして辿り着いた先には甲冑を身に付け、弓を手にした長身の人間の男が居た。
人間にしては随分と体格が良い方だろう。
『お前が俺を呼んでいたのか?』
弓を手にした相手から少し距離を取って牛鬼が尋ねると、男は弓を地面に置き、名乗りを上げた。
――「我が名は山田蔵人! 牛鬼よ、どうか私の話を聞いてくれ!」
山田蔵人の大きな声は、ビリビリと辺りの空気を揺らすような気さえする。
こんな山奥に自分を探して突然現れた武士に、牛鬼は警戒しながらも湧き上がる好奇心を隠せない。
ドクドクと脈打つ牛鬼の心臓の音が、記憶を辿る美桜にもありありと感じられる。
『何の用だ? その弓で俺を退治しに来たか?』
期待と落胆の入り混じった複雑な感情が、濁流のように美桜の中へと流れ込んでくる。
――「いいや、違う! 私はお前と話がしたいだけだ! そう、お前と友になりたくて来た!」
ドクンと跳ねた鼓動は痛いくらいで、美桜は思わず顔を顰めた。
『友……お前が?』
チリチリと全身が焼け付くような緊張感がしばらくの間続く。
山田蔵人は弓を地面に置いたまま、次に自らの被っていた兜へ手を掛け、外す。
そして次は胴を外し、籠手を外し、小具足も外した。
すっかり無防備になった山田蔵人は、両手を横に広げて訴える。
――「ほうら、もう私を守るものは無い! お前を傷付けるつもりも無いんだ! だから話を聞いてくれ!」
か弱い人間が己を守る甲冑を外し、自分に向かって「友になろう」と訴えている。
元々自分の感情に正直な牛鬼は好奇心に抗えず、そろそろと山田蔵人の元へと近付いていく。
『話とは何だ? 妙な真似をしたらすぐに食い殺すぞ』
念の為に脅すような言葉を口にしたものの、牛鬼はこれまで人を襲った事は無い。
山奥に住む牛鬼を偶然見かけた人間が驚いて転んだり山を滑落する事はあっても、牛鬼自身が襲った事は一度だって無かった。
今牛鬼と記憶を共有している美桜と遠夜には、それがはっきりと分かる。
――「私はお前とただ友になりたいだけだ! 私はもっと強くありたい。だからこの山で一番強い牛鬼と友になれば、きっと強くなれるだろうと思ったのだ!」
そう告げる山田蔵人の言葉に、牛鬼も、牛鬼の記憶を共有している美桜も納得してしまう。
人間と友になりたい……ずっと望んでいた願いが今まさに叶おうとしているのだから、素直な二人が思わず疑う事を忘れても仕方がない。
牛鬼と美桜は素直過ぎた。
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