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9. リー・イーヌオという従者

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「なんだ?」
「いえ……、もしかしてリュウ・シエン様は黒い瞳ですか?」
「……そうだが」

 やはりそうなのだとマリーは頷いた。
 先ほどチラリとカボチャの目の部分のくり抜かれたところから覗いたのは、本物のリュウ・シエンの瞳なのだと。

「ところで、リュウ・シエン様はどのようにして食べたり飲んだりされるのですか?」
「さっき、フランク殿と試してみたが無理なようだ」
「えっ⁉︎    それでは餓死してしまうのでは⁉︎」

 あくまで顔はカボチャだが、身体は生身の人間なのだから食べたり飲んだりできなければ死んでしまう。

「それが、不思議なことに腹も減らないし喉も乾かない。飲まず食わずでも身体が辛くないんだ」

 リュウ・シエンは右手を腹部に手をやって、またカボチャ頭を傾げた。

「その辺はやはり呪いのおかげでしょうか?」
「そもそも、このカボチャ頭になる呪いは何のためにあるんだろうな。このような品を何に使うのか知りたいところだ」

 確かに、カボチャ頭になってしまうことはマリーとしては物凄く嫌なことではあるが、食べたり飲んだりしなくても飢餓を感じないのであれば呪いというにはおかしい気がする。

「詳細を『責任は取らないマーサの魔法と魔術道具の店』に行った時にマーサに聞いておけば良かったですね」
「……まあ別に構わない。どうせ呪いを解く方法は変わらないのだから」
「まあ、そうですね」

 とりあえず室内のオススメ魔女アイテムを一通り紹介し終えたマリーは、フランクとリュウ・シエンの従者の待つサロンへと帰ることにした。

 二人がサロンの扉の前まで来ると、室内からえらく盛り上がった様子の笑い声が聞こえて来る。

「なるほどー、でも伯爵が我が主人あるじをカボチャに変えた時には驚きましたが、同時にものすごくスカッとしましたよー」
「え? どうしてですか?」
「ご存知の通り、我が主人はあのような性格でしょう? 可愛げがないところにあのカボチャの顔ですから、私も日々の苦労が報われた気がしましたよ」

 どうやら従者は普段のリュウ・シエンには苦労させられているらしい。
 マリーは従者がどんな人物だったか思い出そうとしたが、とにかく存在感の薄い人物だったので思い出せなかった。
 
 扉の前でマリーが硬直していると、ガチャリと扉に手を掛けたリュウ・シエンはサロンへと入り、ツカツカと室内を歩いて従者の方へと歩み寄った。

「リー・イーヌオ、お前がそのようなことを考えていたとは初耳だ」
「我が主人、何のことでしょうか?」

 マリーは続いて室内に入って、まじまじと従者の方を見た。

 短い黒髪に、狐のように細い目と薄い唇を持ち、細身で背が高いようだ。
 服装はやはりリュウ・シエンと同じような物を身につけている。

「扉の前まで丸聞こえだったぞ。何が日々の苦労が報われた気がした、だ。リー・イーヌオ、お前はいつも楽しく仕事をしているだけだろうが」
「まあ、そうですね。目下の悩みと言えば、我が主人が早く結婚して少しは主人からの拘束時間を減らして欲しいという事ですかね」

 主人と従者という割には近い距離感なのは、結局二人が良き関係を築けているということなのだろう。

「では、リー・イーヌオ。俺から離れたいというお前の望みを叶えてやろう。新たな命令だ」
「えぇー……、せっかく伯爵と仲良くなれたのに。今度はそちらの令嬢と仲良くなるつもりだったんですよ? どうして主人はこうも人使いが荒いんですか?」
「いいから、早く行け」

 リュウ・シエンはリー・イーヌオをソファーから立ち上がらせ、背中を押してサロンの扉の方へと歩いて行った。
 そしてコソッとリー・イーヌオの耳元で何事かを囁いてから外に出るように促した。

「はぁ……。それでは伯爵、令嬢、またお会いしましょう。それまで我が主人をよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げたリー・イーヌオは、そのまま屋敷を出て行ってどこかへ行ったようだ。

 リー・イーヌオが馬車で出て行ったのを窓から確かめてから、リュウ・シエンはサロンのソファーへと腰掛けた。

 そこはマリーの座った三人がけソファーで、当然のようにリュウ・シエンが隣に腰掛けたから、マリーは少し戸惑った。
 だが、契約恋愛のためには努力が必要なのだと思い至って特に何も言わなかった。

 そんな二人を見てフランクは眼鏡を直しつつニコニコしていたから、マリーは恨めしそうにそちらを睨んだ。

「と、ところでどうでしたか? リュウ・シエン殿は妹の趣味の部屋を見たんですよね?」

 フランクが、この空気をなんとかしなければと絞り出した話題が、先ほどマリーがリュウ・シエンを招待した部屋の話であった。

「ああ、非常に興味深い物がたくさんあって面白かった。それに、マリーのこともたくさん知ったしな」

 それを聞いたフランクはまた瓶底眼鏡の奥で涙目になり、震える声でマリーに訴えた。

「よかったなぁー! マリー! お前の趣味を理解してくださる仲間がいて! どうせならこのままくっついてしまえば……」
「お兄様、実はその事なんですけれど」

 マリーは兄の言葉に食い気味に話を切り出した。

 やはりあの大嫌いな幼馴染からの婚約のことについて、伯爵である兄に話しておこうと決意したのだ。

 別に今更どうこうできることではないが、それでも兄に話しておいた方が良いのかも知れないと。








 
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