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前編
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「我らが魔王ファブリス様、もうすぐ勇者がこの場所に来ますのじゃ。今回の勇者はどうやら転生者だとか。いつも通り宜しく頼みますぞ」
誰もが思わず顔を顰めたくなるダミ声で魔王ファブリスにそう告げたのは、揉み手をしながら擦り寄る背の低い老人。この老翁、策謀と出世欲だけは魔界一。しかしいかんせん魔力量が少ない為に、魔族らしい残酷な策略を進言する事によって歴代魔王に重用されてきたのである。
「面倒だな」
しきりに揉み手をする臣下を前に、ただ一言そう答えたのは禍々しい気配を放つ玉座に長い脚を組んで腰を据えた恐ろしく美しい男。艶めく漆黒の髪と柘榴のような赤い瞳、黒ずくめの衣装は見目の良い魔王によく似合っていた。
「な……っ! ファブリス様、どうかそのような事をおっしゃらずに……」
ピクピクと皺の目立つ頬が痙攣している事を自覚しているのか、狸ジジイは口元と目元だけは大袈裟な笑みを絶やさない。
「ベノム、そもそも俺は魔王などなりたくなかった。知っているだろう? 争いは面倒だ」
「我らが魔王ファブリス様。貴方様がこの魔界にお生まれになった瞬間、その強大な魔力に先代魔王は早々の代替わりを覚悟なさったのです」
魔界では常に最も魔力量の多い者が全てを従える事が出来る魔王となる。それが数多くの魔族を統治する為の古からの決まり事であった。
「いいですか? これは古からの魔界の慣習なのです。いい加減諦めてくださらねば困りますぞ」
「つまらん。誰かもっと強い者が現れて、俺を倒してくれれば良いものを」
「な、何をそのように馬鹿げた事を! それに我が主人、魔王としての威厳を保つ為『俺』ではなく『余』とおっしゃってくだされ」
臣下の進言にフンと軽く鼻で笑った魔王ファブリスは、つまらなさそうに頬杖をつく。
そしてそのしばらく後に魔王の城の玉座の間へと足を踏み入れた非常に元気のある勇者を、ファブリスは手をかざすだけで一瞬にしてこの世から消し去った。
「さすが魔王ファブリス様、此度もお疲れ様でございました。あのやかましい勇者をあっという間に消し去ってしまうなぞ、さすがでございます」
ファブリスは狸ジジイの大袈裟な賞賛など聞き飽きていた。近くに置かれた砂時計を見れば既に砂は落ちきっており、魔王としての公務の時間は過ぎている。
「魔王としての公務は終わりだ。余は私室に戻る」
やっと玉座から立ち上がる事が出来たとばかりに、首を左右に傾げて筋肉をほぐしながらファブリスは高座から降りる。それを見てベノムは慌てた様子で声を掛けた。
「ファブリス様! 実は私めの孫娘が本日お情けを頂戴したいと申しております! どうか……」
「帰る」
ベノムの訴えを最後まで聞く事なく、ファブリスは静かにそばに控えていた者の名を呼んだ。ベノムは眉間の皺を一層深くし、こめかみはピクピクと痙攣していたが、それ以上口を開く事は無かった。
「魔王さまぁ、サーシャがお供いたしまぁす」
そう言って玉座の斜め後方の暗闇に控えていた者が姿を現すと、ベノムはごくごく小さく舌打ちする。
現れたのは長い白髪に漆黒の角が二本生え、強い魔力を持つ者の証である赤い瞳を持つ妖艶な淫魔だった。
「それじゃあね、ベノム様」
拳を握って戦慄く老翁に向かって魅惑的な微笑みを浮かべたサキュバスは、相変わらずの無表情で真っ赤な絨毯を踏み締めながら扉に向かっていくファブリスを小走りで追いかける。
二人がこの玉座の間から去り、重厚な扉が閉まった頃になると、それまで押し黙っていたベノムは怒りを爆発させた。
「くそっ! 何様だ! あれほど魔力が強く必然的に魔王になれるという幸運を得ておる癖に! ワシがおらねばこの第三魔界はあっという間に第一魔界と第二魔界の奴らに攻め込まれてしまうのだぞ!」
気が遠くなるほどの長い年月をかけて、この第三魔界は三つに別れた魔界の中で一番の勢力を誇ってきた。第一魔界と第二魔界は第三魔界から庇護してもらっているからこそ存続出来ていると言っても過言ではない程に、昨今はそこに住む魔族の力が弱まっている。
そうなればもっと国土を増やしたい人間どもが次々と大義名分を掲げて魔界へと攻め込んでくる。それを蹴散らすのが第三魔界を牛耳る魔王の公務となっていた。
ちなみに、第一魔界と第二魔界にも魔王はいる。数代前の魔王の頃から忠臣であったベノムの進言で、彼の息子と甥っ子がその職に就いていた。それゆえベノムがこの魔界で影響力を持つ大きな理由となっていたのである。
「サーシャ……。あの忌々しい半端者のサキュバスさえ居なくなれば、孫娘が魔王の伴侶となり、ワシが魔王の親族となる事もあろうに。近寄る女どもを牽制しおって。憎たらしい女だ」
ベノムは常にファブリスにまとわりつくサーシャさえ居なくなれば、あの何にも興味を示さぬ魔王に孫娘をあてがおうと考えていた。一方的に擦り寄るサーシャにも魔王は大した興味も無さそうだし、誰が侍っても同じだろうと。
誰もが思わず顔を顰めたくなるダミ声で魔王ファブリスにそう告げたのは、揉み手をしながら擦り寄る背の低い老人。この老翁、策謀と出世欲だけは魔界一。しかしいかんせん魔力量が少ない為に、魔族らしい残酷な策略を進言する事によって歴代魔王に重用されてきたのである。
「面倒だな」
しきりに揉み手をする臣下を前に、ただ一言そう答えたのは禍々しい気配を放つ玉座に長い脚を組んで腰を据えた恐ろしく美しい男。艶めく漆黒の髪と柘榴のような赤い瞳、黒ずくめの衣装は見目の良い魔王によく似合っていた。
「な……っ! ファブリス様、どうかそのような事をおっしゃらずに……」
ピクピクと皺の目立つ頬が痙攣している事を自覚しているのか、狸ジジイは口元と目元だけは大袈裟な笑みを絶やさない。
「ベノム、そもそも俺は魔王などなりたくなかった。知っているだろう? 争いは面倒だ」
「我らが魔王ファブリス様。貴方様がこの魔界にお生まれになった瞬間、その強大な魔力に先代魔王は早々の代替わりを覚悟なさったのです」
魔界では常に最も魔力量の多い者が全てを従える事が出来る魔王となる。それが数多くの魔族を統治する為の古からの決まり事であった。
「いいですか? これは古からの魔界の慣習なのです。いい加減諦めてくださらねば困りますぞ」
「つまらん。誰かもっと強い者が現れて、俺を倒してくれれば良いものを」
「な、何をそのように馬鹿げた事を! それに我が主人、魔王としての威厳を保つ為『俺』ではなく『余』とおっしゃってくだされ」
臣下の進言にフンと軽く鼻で笑った魔王ファブリスは、つまらなさそうに頬杖をつく。
そしてそのしばらく後に魔王の城の玉座の間へと足を踏み入れた非常に元気のある勇者を、ファブリスは手をかざすだけで一瞬にしてこの世から消し去った。
「さすが魔王ファブリス様、此度もお疲れ様でございました。あのやかましい勇者をあっという間に消し去ってしまうなぞ、さすがでございます」
ファブリスは狸ジジイの大袈裟な賞賛など聞き飽きていた。近くに置かれた砂時計を見れば既に砂は落ちきっており、魔王としての公務の時間は過ぎている。
「魔王としての公務は終わりだ。余は私室に戻る」
やっと玉座から立ち上がる事が出来たとばかりに、首を左右に傾げて筋肉をほぐしながらファブリスは高座から降りる。それを見てベノムは慌てた様子で声を掛けた。
「ファブリス様! 実は私めの孫娘が本日お情けを頂戴したいと申しております! どうか……」
「帰る」
ベノムの訴えを最後まで聞く事なく、ファブリスは静かにそばに控えていた者の名を呼んだ。ベノムは眉間の皺を一層深くし、こめかみはピクピクと痙攣していたが、それ以上口を開く事は無かった。
「魔王さまぁ、サーシャがお供いたしまぁす」
そう言って玉座の斜め後方の暗闇に控えていた者が姿を現すと、ベノムはごくごく小さく舌打ちする。
現れたのは長い白髪に漆黒の角が二本生え、強い魔力を持つ者の証である赤い瞳を持つ妖艶な淫魔だった。
「それじゃあね、ベノム様」
拳を握って戦慄く老翁に向かって魅惑的な微笑みを浮かべたサキュバスは、相変わらずの無表情で真っ赤な絨毯を踏み締めながら扉に向かっていくファブリスを小走りで追いかける。
二人がこの玉座の間から去り、重厚な扉が閉まった頃になると、それまで押し黙っていたベノムは怒りを爆発させた。
「くそっ! 何様だ! あれほど魔力が強く必然的に魔王になれるという幸運を得ておる癖に! ワシがおらねばこの第三魔界はあっという間に第一魔界と第二魔界の奴らに攻め込まれてしまうのだぞ!」
気が遠くなるほどの長い年月をかけて、この第三魔界は三つに別れた魔界の中で一番の勢力を誇ってきた。第一魔界と第二魔界は第三魔界から庇護してもらっているからこそ存続出来ていると言っても過言ではない程に、昨今はそこに住む魔族の力が弱まっている。
そうなればもっと国土を増やしたい人間どもが次々と大義名分を掲げて魔界へと攻め込んでくる。それを蹴散らすのが第三魔界を牛耳る魔王の公務となっていた。
ちなみに、第一魔界と第二魔界にも魔王はいる。数代前の魔王の頃から忠臣であったベノムの進言で、彼の息子と甥っ子がその職に就いていた。それゆえベノムがこの魔界で影響力を持つ大きな理由となっていたのである。
「サーシャ……。あの忌々しい半端者のサキュバスさえ居なくなれば、孫娘が魔王の伴侶となり、ワシが魔王の親族となる事もあろうに。近寄る女どもを牽制しおって。憎たらしい女だ」
ベノムは常にファブリスにまとわりつくサーシャさえ居なくなれば、あの何にも興味を示さぬ魔王に孫娘をあてがおうと考えていた。一方的に擦り寄るサーシャにも魔王は大した興味も無さそうだし、誰が侍っても同じだろうと。
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