3 / 53
3. パン屋のルネ
しおりを挟む「騎士の皆様、お疲れ様です!」
「おお! ルネちゃん、今日のおすすめは何?」
「今日は、厚切りハムとたっぷり野菜のフィセルがおすすめですよ」
「じゃあそれ貰おう!」
王城敷地内にある騎士団の駐屯地に、最近移動販売のパン屋が訪れるようになった。
騎士達は厳しい訓練の合間に美味しいパンが食べられると、『ルネのパン屋』は人気を博している。
「あっ……騎士団長さんも、宜しければいかがですか?」
「それじゃあ、フィセルを貰おう」
「はい、すぐに包みますね!」
ルネというのは、胸くらいの長さのブルネットの髪を左右で緩く編み込んだ娘で、愛想の良い笑顔と明るい接客が騎士達に好まれていた。
平民らしい質素なワンピースに、白いエプロンは清潔感があり、彼女の作るパンはとても美味しい為にユーゴも密かな好物であった。
「団長、ルネちゃんって本当に可愛くて気立が良くて……素敵な娘ですよね」
そう囁いてきたのは、副長であるポール・ド・ペラン。
彼はアプリコット色の前髪をサラリと揺らして、緑色の爽やかな視線をルネに向けている。
「ポールはあのような娘が好みなのか?」
駐屯地の片隅でルネの作ったフィセルを頬張りながら、ユーゴは隣に座るポールへと尋ねた。
「そりゃあ、明るくて笑顔が可愛らしいじゃないですか。邪な意味で好きだと言っているわけではないですよ。だって……ねえ? ルネちゃんは想い人がいるようですし」
どうやらパン屋のルネには想い人がいるらしい。
交友関係が派手なポールは、そのようなことに聡いので、相手が誰なのか分かっているようだ。
「そうなのか? なるほど、騎士の連中の誰かということか……」
「いや、まあ……。団長はそういうことに関しては鈍いんですね」
はぁー……っと大きなため息をこぼした副長に、ユーゴは怪訝そうな視線を向けた。
「だが、彼女のおかげで俺は昼飯を食いっぱぐれることはなくなったし、何となく身体も調子が良い気がする」
「ルネのパンはきちんと栄養も考えられていますしね。騎士達の体に必要な物が何なのか、彼女は勉強してるようですよ」
そう言われたユーゴは、左右の三つ編みを揺らしながら忙しなく騎士達にパンを売るルネをじっと見つめた。
「若いのに、勉強家で商売上手なんだな」
そう呟いたひどく鈍感な団長に、副長ポールは肩をすくめて苦笑いをこぼした。
ルネはお昼過ぎにはほとんどのパンを売り切って、午後の鍛錬に向かう騎士達を見送った。
その中には、副長ポールと共に訓練場へ向かうユーゴの姿もある。
そもそも駐屯地に食堂はあるが、騎士全員が入るには席が足らずに食べるまでに時間もかかる。
だから自ら持参するか、ユーゴのように面倒がって食べない者も多かった。
ユーゴが昼食を食べないことが多いと聞いてから、ルネはユーゴの為に栄養を考えた美味しいパンを移動販売することに決めたのだ。
王城内の駐屯地に出入りするにはそれなりの許可が必要である。
ルネがスムーズに許可を得られたのには理由があった。
「私の可愛い愛し子よ、今日も貴女の作ったパンを食べて貰えたの?」
「はい、アフロディーテ様。今日はユーゴ様に厚切りハムとたっぷり野菜の入ったフィセルを食べてもらいました」
王城から少し離れたところにある女神アフロディーテの神殿に、ルネは毎日通った。
天井までの高い大理石の柱が狭い間隔で何本も伸びる神殿の奥で、ルネは美しい女神アフロディーテに首を垂れる。
「それで? また何か心配ごとでも?」
美しい管楽器のような声で、アフロディーテは長いまつ毛を伏せて俯くルネに向かって問いかけた。
「はい、騎士達の駐屯地では薬師が足りないようです」
薬師は怪我や病気の診断、そしてそれに合った薬の処方や調剤を行う職業である。
メルシェ王国に限ったことではないが、薬師というのはまだ数が少なかった。
市井の民たちは民間医療や、修道院に併設された施設で治療を受ける。
騎士駐屯地にも薬師が派遣されるが、それも毎日のことではなかった。
「ユーゴ様が負傷しても、部下の方たちを優先的に診てもらうようで……ご自分は怪我をなさったままで帰られることもあるのです」
心配そうに語るルネに、アフロディーテは慈愛に満ちた視線を向ける。
そして、長く美しい白髪をサラリとこぼれ落とした女神は、ルネに優しく囁いた。
「可愛い私の子、とても優しくて健気な子。随分とユーゴに愛情を注がれているわね。それならそろそろ大丈夫かしら」
アフロディーテはルネの頭をゆっくりと撫でた。
「それでは薬師のヴェラを授けるわ」
アフロディーテの言葉に、ルネは三つ編みを揺らしてパッと顔を上げた。
「アフロディーテ様、感謝いたします」
「ふふっ……、私の可愛い愛し子の願いですもの。いい? ルネは四時間、ヴェラは八時間だけよ」
女神は立てた人差し指を口元に当てて、ルネに言い含めた。
女神の加護によって、彼女は人間に姿を変える。
そして、周囲の人間たちはそれをさも当たり前のように受け入れるのだ。
顔だけは自然に認識を阻害するようになっている。
その日ルネという娘が、アフロディーテの神殿を出るところを見た者は居なかった。
代わりに、神殿からフワフワと風に乗って飛んで行ったのは真っ白でモフモフとした毛玉、ケサランパサランで。
女神の加護により、ケサランパサランは人間に見つかることなくユーゴの邸宅へと帰ることが出来た。
いつもの通り、屋根の裏の僅かな隙間から邸宅へ入り込む。
そうすると、ケサランパサランはまるでずっとそこに居たかのように、ユーゴの居室のソファーへふわりと降りた。
「モキュー……」
ふうっと安堵のため息を吐くような鳴き声をあげて、ケサランパサランのモフは主人の帰りを待つ。
もうすぐ、大好きな主人が帰って来る。
今日のフィセルの味はどうだったのだろうか?
怪我はしなかった?
ゆらゆらと体を揺らしながら寛ぐモフは、主人とのそのような会話を楽しみにしているようだった。
20
あなたにおすすめの小説
主人公の義兄がヤンデレになるとか聞いてないんですけど!?
玉響なつめ
恋愛
暗殺者として生きるセレンはふとしたタイミングで前世を思い出す。
ここは自身が読んでいた小説と酷似した世界――そして自分はその小説の中で死亡する、ちょい役であることを思い出す。
これはいかんと一念発起、いっそのこと主人公側について保護してもらおう!と思い立つ。
そして物語がいい感じで進んだところで退職金をもらって夢の田舎暮らしを実現させるのだ!
そう意気込んでみたはいいものの、何故だかヒロインの義兄が上司になって以降、やたらとセレンを気にして――?
おかしいな、貴方はヒロインに一途なキャラでしょ!?
※小説家になろう・カクヨムにも掲載
完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい
咲桜りおな
恋愛
オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。
見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!
殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。
※糖度甘め。イチャコラしております。
第一章は完結しております。只今第二章を更新中。
本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。
本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。
「小説家になろう」でも公開しています。
【完結】殺されたくないので好みじゃないイケメン冷徹騎士と結婚します
大森 樹
恋愛
女子高生の大石杏奈は、上田健斗にストーカーのように付き纏われている。
「私あなたみたいな男性好みじゃないの」
「僕から逃げられると思っているの?」
そのまま階段から健斗に突き落とされて命を落としてしまう。
すると女神が現れて『このままでは何度人生をやり直しても、その世界のケントに殺される』と聞いた私は最強の騎士であり魔法使いでもある男に命を守ってもらうため異世界転生をした。
これで生き残れる…!なんて喜んでいたら最強の騎士は女嫌いの冷徹騎士ジルヴェスターだった!イケメンだが好みじゃないし、意地悪で口が悪い彼とは仲良くなれそうにない!
「アンナ、やはり君は私の妻に一番向いている女だ」
嫌いだと言っているのに、彼は『自分を好きにならない女』を妻にしたいと契約結婚を持ちかけて来た。
私は命を守るため。
彼は偽物の妻を得るため。
お互いの利益のための婚約生活。喧嘩ばかりしていた二人だが…少しずつ距離が近付いていく。そこに健斗ことケントが現れアンナに興味を持ってしまう。
「この命に代えても絶対にアンナを守ると誓おう」
アンナは無事生き残り、幸せになれるのか。
転生した恋を知らない女子高生×女嫌いのイケメン冷徹騎士のラブストーリー!?
ハッピーエンド保証します。
彼氏がヤンデレてることに気付いたのでデッドエンド回避します
八
恋愛
ヤンデレ乙女ゲー主人公に転生した女の子が好かれたいやら殺されたくないやらでわたわたする話。基本ほのぼのしてます。食べてばっかり。
なろうに別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたものなので今と芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
一部加筆修正しています。
2025/9/9完結しました。ありがとうございました。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる