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33. 静かな怒り(礼司side)
しおりを挟む――白華の集。
それが、今日静香が出席している茶会の名だった。
(朱鷺子さんの屋敷で開かれるものなら、大丈夫だろう……)
朝の見送りの時、静香の緊張した面持ちを思い出す。あれほど格式ある場に、一人で送り出すのは心配で仕方がなかった。
けれど朱鷺子の邸宅なら、母もそう無茶な真似はしないだろうと、少しは自分を納得させて会社へ向かった。
(あれはいつだったか……朱鷺子さんに言われたな)
記憶を辿り、思い出す。
――『蝶はね、閉じた籠の中では、ひとときも咲き誇れないわ。けれど、心地よい陽だまりの温室なら、誰にも脅かされずに美しく舞えるの。さぁ、あなたはどちらかしら?』と。
分かっている。決して狭い籠に閉じ込めたいわけじゃない。だけど静香はやっと俺の手元に戻ってきてくれた。
また羽をもいでしまわないか、心配で心配で堪らないのだった。
そして──定時を過ぎた瞬間、何よりも先に帰路へと急いでいた。
玄関扉を開けると、リビングにふわりと漂う家の香りが迎えてくれる。静香がいる。
それだけで、胸の奥の緊張がふっと解けた気がした。
「ただいま」
声をかけると、静香は少し驚いたように振り返る。やがていつもの、あの、ふわりとした柔らかな笑顔。
「おかえりなさい、礼司さん」
今日の午後、多大なる影響力を持つ女帝が催す茶会の場にいたとは思えないほど、気取らずに、温かな声。
彼女はすでに洋服に着替えていたが──
(あれ……?)
ふと、目に入った。
静香のうなじのあたり、髪に隠れるようにして貼られた小さな絆創膏。
(……怪我、してるのか)
喉の奥に、鈍い音が鳴った。けれど静香は何も言わない。ただ、無邪気に俺が帰ったことを喜んで、微笑んでいる。
(聞くのは……後でいい)
とにかく着替えを済ませようと、自分の寝室へ向かう。廊下の先、静香の部屋のドアが少し開いていた。
(何だ……?)
ふと目に映った──ベッドの上の真っ赤なもの。
思わず立ち止まった。どう見ても、静香には似つかわしくない着物がベッドの上に広げられている。
しかもその意匠はやけに派手派手しく、明らかに時代遅れの印象だった。
(なんでこんな物が……)
無意識に静香の部屋へと足を踏み入れる。壁際に、静香に似合う上品な着物が掛けてあった。一目で質の良い物だと分かる。
(これを着て行ったのか? じゃあ、これは……)
ベッドの上に置かれた方の着物にそっと手を伸ばし、持ち上げる。微かな香水の匂いがした。昔から嗅ぎ慣れた、母が使う香水だ。
(あの人の……?)
眉を寄せて着物を手に取った。その時だった。裾に、何か小さな異物が触れる。
指で探ると──そこに隠されていたのは一本の鋭い針。
「まさか……」
全身の血が一気に逆流するような、冷たい怒り。襟元に目をやると、うっすらと滲む血の痕があった。
(静香……)
全てを悟った。
なぜ、首筋に絆創膏を貼っていたのか。
なぜ、この部屋に着物が二つあるのか。
(ふざけるな──)
奥歯が、ぎりりと鳴った。静香は何も言わなかった。言わず、笑って自分を迎えた。
「……また、一人で耐えたのか」
胸の奥が、軋んだ。あんな小さな身体で。誰にも言わず。誰にも縋らず。自分一人で。
(また、守れなかった)
冷たい怒りが、静かに胸の奥底から沸き上がる。静香に針を向けた存在を、許すつもりはない。
でも……今一番にすべきことは、問い詰めることじゃない。
傷付いた静香を、まずは温め、癒すことだ。
(籠に閉じ込めはしない。でも、静香が安心して羽ばたける温室にもしてやれないなら……俺は生きている意味がない)
赤い着物を畳み、腕に抱えた。そのまま静香の部屋を後にする。この怒りは、今は胸の奥深くに沈めたまま。
彼女が安心して眠れるように。何も怖がらず、微笑める場所を作る為に。
冷え切った怒りが、静かに、しかし確実に膨れ上がっていく。
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