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27. サスペンスドラマだった
しおりを挟むいつもうちに来てくれるのが定番だったから、高橋家には足を踏み入れた事が無かった。初めて入った隣の部屋は、同じ間取りのはずなのに全く別の家で大きな違和感を感じる。
「お邪魔しまーす……」
翼は俺の後ろでグスグスと泣いてばかりで事情が掴めない。ダイニングの方から芽衣のすすり泣く声が聞こえてくる。
廊下を進んでダイニングへと足を踏み入れると、そこには割れた食器と散らばった紙類、そしてテーブルの向こう側にうつ伏せに倒れる高橋が見えた。
白いワイシャツの腰の辺りには血痕が見えてドキリと胸が飛び跳ねる。こちらから見えるのは腰から下、下半身だけであとは隣に寄り添うようにして泣く芽衣の身体でちょうど見えない。けれどうつ伏せの高橋は動いている気配が無い。
「高橋さん……? 芽衣……?」
いつの間にか握っていた翼の手は、どちらのものか分からない汗でじっとりと濡れている。ダイニングと廊下の境目で、俺と翼は動けずにいた。
「翼、お父さんは……一体どうしたんだ?」
俺の頭は勝手に嫌な想像をしてしまう。今日たまたま休憩の時に事務のおばちゃんが見ていたサスペンスドラマのせいだ。まさか翼や芽衣が変なことをする訳がないし、早く高橋さんの元へ行かねばと思うのに足が動かない。
「悠也くん……どうしよう。父さんが……死んじゃった……」
「まさか、そんな訳……」
大の大人がこんな状況で動けなくなるなんて意気地がない。早く高橋さんの元へ、そう思って足を踏み出す。割れた食器の破片がそこら中に散らばっているのに気づいて翼の足元を見ると、きちんとスリッパを履いていてホッとする。
「ここで待ってろ」
万が一翼の足の裏が切れたら大変だと、廊下で待機させると俺はそろそろと倒れた高橋の方へと歩み寄った。
「芽衣、芽衣!」
「悠也くん……」
「大丈夫か? 怪我は?」
「私は大丈夫……。でもお父さんが……」
やはり近づいても高橋は動く気配がなく、うつ伏せに倒れている。腰の辺りに血痕があるが、思ったより出血は少ない。
「高橋さん! 高橋さん!」
「う……わあああっ!」
「うわああぁぁっ!」
うつ伏せの身体を何とかひっくり返そうとしたところで、突然高橋が目をぱちっと開けたかと思うと大声で叫んだので驚いた。思わず自分も同じように大声で叫んだものだから、芽衣はまた泣き出してしまう。
「わあぁっ!」
「高橋さん! 大丈夫か⁉︎ どうしたんだよ⁉︎」
「……明……里……さん?」
飛び起きた高橋をよく見ると、手のひらをざっくり何かで切ったような出血をしていて。うつ伏せで身体の下になっていたその部分は、ちょうど圧迫されて少し血が固まりかけていたものの、傷口はパックリと裂けている。
とりあえず目についたタオル掛けにあったタオルで傷口を押さえ、まだ顔が青白い高橋に状況を尋ねた。すぐそばで芽衣はグスグスと泣きじゃくっていて、俺はその頭を撫でてやった。
「一体、どうしたんだよ?」
「あれ……、明里さん? どうして……」
結局高橋本人から簡単に事情を聞いた俺は、散らばった破片だけをとにかく掃除機で吸い取ると、後片付けはそのままに双子達も連れて近くの救急外来へ飛び込んだ。
「明里さん、申し訳ありません……」
「いや、まぁ大した事無くて良かったけど。でも結構縫ったんだから大した事あるか」
「お恥ずかしい……」
「しばらくは痛むだろうし、家事も大変そうだよな」
高橋は翼と何らかの言い合いになり、興奮した翼が手に持っていた本をテーブルに向かって投げつけたという。
それで置いてあった食器類が割れ、驚いた翼は部屋を飛び出そうとした。その時床に落ちていた破片を踏みつけると思った高橋は、咄嗟にそれを握って拾ったと。
手のひらがざっくり切れて血が出た事に驚いた高橋は、そのままバタンと失神した。医師は迷走神経反射だとか何とか言っていたけど、とにかく血を見て驚いたらしい。急に倒れた高橋に驚いた翼は、とにかく血が出ているところを確認しようと血まみれの手を握り、それでも動かない高橋の身体を揺すった。
「本当焦ったよ。まるでサスペンスドラマだった」
「すみません、ちょっと血液は苦手なんです。それに、思ったより痛くて……」
「高橋さんが嫌じゃ無かったら、とりあえず抜糸までの一週間俺が家事をしようか?」
「え……、いやそんな……」
しかし利き手の手のひらがパックリと裂けて、縫合したとはいえ痛みもあるだろうし何しろ濡らす事が出来ない。どうせ同じ事をするなら一軒分も二軒分もあまり変わらないだろうという安直な考えだった。
「高橋さんには世話になってるし。こういう事しか俺には出来ないから。でも、飯の味は男料理だぞ」
「明里さん、すみません。僕……」
「とにかく、翼も心配してるからそういう事で決まりな」
救急外来で会計を待っている時、子ども達は皆静かに身体を寄せ合って大人しくしていた。けれど翼が一番青白い顔をして心配そうにこちらの様子を窺っている。芽衣は父親が元気になったと分かるなり安心したようだが、どうやら翼はこの怪我のきっかけになった事を気にしているようだ。
「翼……、大丈夫だから。父さんはダメだなぁ。血を見ただけで倒れちゃうなんて。はは……」
「……父さん、ごめん」
「父さんこそ、ごめんな。僕が間違ってたよ。お前が正しい、また後でゆっくり話そう」
「うん……」
どういうきっかけで喧嘩になったのかは分からないが、とにかく二人がお互い謝り合う姿に、俺はホッと胸を撫で下ろした。
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