飛行機から落ちたら引きこもり王子を外に出す羽目になりました

ぺんぎん

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夏至前二日~ジュレニス~

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 もこもこもこもこ。

 羊牛はその丸い体を重そうに動かしながら移動する。大量の毛のせいで、足が短く見える。

 家に飾るにはちょっと大きいが、汚いぬいぐるみのようで、かわいいと言えばかわいい。

 時折、チョウチョが飛んできたのに驚いた羊牛の声が、空に響きわたる。

 ものすごい神経質な動物だ。榛の木村までの長距離移動は難しそう。

「ま、待って。ま、待ってよ。そっち、そっちは黒い森だよ!」

 レイが叫びながらブラシを持って羊牛を追いかけている。

 あーあ。

「追っかけなくても大丈夫だよ。レイ。羊は群れで生きてるから、群れから離れることは、ほとんどないよ。蹄の間に特有の匂いをだすとこがあってさ、その匂いをたどって草を食んでるんだってさ。動物なんてこちらが合わせるくらいじゃないともたないよ」

「なんで、ぼ、僕がこんな、か、家畜ごときに合わせなければならないんだ。も、もう疲れた」

 レイはそう言って、その場にしゃがみこんだ。

 これだ。

「ご飯食べちゃったんだからしょうがないでしょ。それより、あんたさ、帰ったらあの夫婦にきちんと挨拶とかするんだよ。むち打ちだったの、労働に変えてくれてんだからさ」

「な、なんで、ぶ、ブラウニーや、きょ、巨人の、こ、混血ごときに、ぼ、僕から、あ、あいさつしなきゃならないの?」

「あ、何それ。あたし、そういう発言、大嫌いなんだけど」

「ぼ、僕はシーだ」

「シーだかなんだか知らないけど、誰だって好きでそこに生まれたわけじゃないんだから。自分じゃどうしようもないところで差別するの、あたしは嫌い」

「ユキが……き、嫌い?」

 レイが驚いたように聞き返した。

「嫌い」

 ここは譲る気はない。

 レイにもそれは伝わったらしく、

「……わかった……あいさつする」

 不承不承にうなずいた。

 素直なんだよねえ。そこはかわいいんだよねえ。

 あたしがにっこり笑うとレイは嬉しそうに立ち上がり、そろそろと近寄ってきた。

「ぼ、僕は、お、大人は嫌いだ。ゆ、ユキが言うからあいさつするけど……ゆ、ユキは大人にならないよねぇ?」

 こ汚いピーターパンが言った。

「なーにを言うかね。大人なんて子供が大きくなっただけなんだよ。あんただってそのうち大きくなるんだよ。だから、いつか行く道なんだからさ、いろんなことは期待しないで大目に見てやんなよ」

「き、期待しない?」

「そ、あんたのまわりの大人がどんなんだったかわかんないけどさ、期待してるから、がっかりすんでしょ。大人に期待してると疲れるからさ、あんまり期待しないでやり過ごせばいいよ。そしたら、そのうち自分が上手に手を動かしたり、足を動かしたりできるようになってくるからさ。そしたら家を出ればいいよ。今はその「いつか」のために、爪を研いでおく時間なんだよ。あ、ところで、あとで、あんたの爪、切りなよ。危ないし、みっともないよ」

「ゆ、ユキの周りの大人と、ぼ、僕の知ってる大人は、ち、違う。ぼ、僕の知っている大人は……」

「どう違うかわかんないけど、ブラッシングの手。動かしなよ。終わんないよ」

「ユ……ユキが恵まれていたんだよ」

 彼は口をとがらせながら言った。手はブラッシングに戻っている。よしよし。

「あたしが2歳の時には、もうお菓子の袋を自分であけて食べてたらしいよ」

 あたしは驚いた顔をしたレイに笑って言った。

「な、なにそれ」

「あたし、小さい頃、母さんにごはん、もらえなかったらしいよ。隣のすずおばさんが、がりがりにやせてたあたしに気づいて食べさせてくれてたらしいけどね。母さんの機嫌が悪い時はそれもできなかったって聞いてる。兄さんがアバダンから来てくれて、あたしに毎日ごはんを食べさせてくれたから、今、ここにいるんだよ」

 だから、アバダンに、兄さんのお祝いには来なきゃ行けなかったんだよね。どうしても。

「母親がご飯食べさせてくれるもんだと思うから、腹が立つ。嫌いになる。だけど、そんなもんだと思えば、まあ、なんとかなるのよ」

 愛していたら、こうしてくれるに違いない。そう思うからつらいのだ。

 期待しなければ、なんとか関係は作れる。その方がずっと楽だった。そして、そのうち自分も大人と呼ばれるようになる。その時、誰かに自分がされて嫌だったことをしなければいい。

「ぼ、僕は、あ、あ、あいつらに期待なんかしてない。あ、あ、あいつらが僕に期待するんだ。ぼ、僕は、僕は、できないって言ってるのに、で、できるって言って無理にやらせようとするんだ。でも、ほんとは、ぼ、僕になんか、全然期待なんかしてないくせに。ほんとは、ぼ、僕なんていなければ良かったって思ってるくせに」

 レイの手が震えた。なるほど。「期待されたぼっちゃん」のコップがあふれたか。

「あーごめん。ごめん。そうかそうか。そりゃ、しんどいな。あんた素直で優しいから、期待に応えようとするんだろうなあ」

「優しい?ぼ、僕が?」

「うん?優しいよ。そのまんまで十分。どこの誰かも知れないあたしのこと、助けてくれたじゃん。あたしはあんたがいてくれて、良かったよ。助かったよ。ホントに」

「ホント?」

「本当……がんばってきたんだねえ。しんどかったね」

 よしよし。

 レイの頭をなでた。白いものがぽろぽろ落ちてくる。この白いものが動いていないことを願って、あたしはそっと手を引っ込めた。

 どうしてもこの子を風呂に入れたい。

 あたしは、ふつふつと湧き出る欲望をぐっと抑えこんだ。

「ユキは、僕がいると嬉しい?」

「うん」

 なんたって命の恩人だ。

「僕も。僕もユキの隣にいると、なんだかすごく楽なんだ」

 レイがにっこり笑った。

「そりゃよかった。ほら、ブラッシングさっさと終わらせないと帰れないよ」

 あたしは、今日何度目かのセリフを口にした。

 レイが大人しくブラッシングを続けたのを見届けると、あたしは大きく深呼吸して辺りを見回した。

 あたしたちを連れてきたあの男が働き者なのだろう。よく手入れがされている質のいい牧草地だった。

 青々とした牧草の向こう、晴れ渡った空とは裏腹に、そこだけぽっかり黒く穴が開いているような空間が見えた。

「あれが黒の森……」

 なんとなく、寒気がして、ぶるっと体を震わせたその時

「助けてくれ」

 声が聞こえた気がした。

 振り返るが、だれもいない。

 羊牛にブラシをかけているレイの背中だけが羊牛の毛の中に見え隠れしている。

「助けてくれ」

 気のせいじゃない。確かに声が聞こえた。

「助けてくれ」

 声は黒い森の方角から聞こえてくる。

 切羽詰まった声が体を押した。

 歩きやすい草地は、すぐに終わり、黒の森に近づくにつれて、牧草は固く、長く伸びており、時折足をとられた。

 腰まで伸びている草を手でかき分けながら、足早に進む。

 急に視界が開けた。

 むき出しの赤茶けた土が、草の上にまるく敷かれている。

 その中央に深い、大きな穴が掘られていた。

 穴の底には、青黒い毛を持った小さな猫が横たわっている。

 猫は、前足と後ろ脚を縛られて身動きが取れないようだった。

「助けてくれ」

 叫んでいたのは猫だった。

 叫び声と同時に、猫の周りの土が動いた。

 いや、土じゃない。

 身長が50cmほどの茶色と緑色が混じった肌の色を持つ、人に似た何かが、10人ほど穴の周りを取り囲んでいた。

 頭の上には突き出た口のようなものがあり、そこから、猫のような獣に向かって同じ言葉を繰り返ししゃべっている。

 顔の周囲をぐるりと取り囲むように目玉が並んでいて、どこが正面かわからない。

 その何かは、首のない胴体から突き出た太い腕を使って、子猫に土をかぶせようとしていた。

 このままでは、子猫は生き埋めになってしまう。

「何しているの?」

 思わず叫び声をあげてしまった。

 身長が50cmほどの何かが一斉にこちらを見た。といっても、どれが前なのかわからないけど。

「誰だ」

「誰だ」

「だれだ」

 目玉が何個もこちらを見ている。

「えっと。あの、助けてって声が聞こえたものなので」

「お前には関係ない。シー族の娘よ」

 そこにいる誰よりも目玉の数が多い目玉親父の親玉みたいなのが、唸るような声でそう言うと、半分埋もれている子猫に再び土をかけようとした。

「いやいや、ちょっと待って、それだと、その子、死んじゃうから。まだ、子供じゃない?」

「黙れ。儀式の邪魔をするな。これは、子供に見せかけた泥棒だ。死にかけていたところを、わが部族のものが助け、生活できるよう恵んでいた品々を売りさばいて私腹を肥やしていた醜悪な生き物だ。」

「助けて。悪いことだってわからなかったんだ」

 子猫が顔をくしゃくしゃにして、泣きながら言った。

「今更ふざけたことを言うな。我々を欺いたケダモノよ。」

「えっと、ちょっと待って。落ち着こうよ」

「ユキ?」

 こんなめんどくさい時にめんどくさいものが来た。

 案の定、レイはこの場を一目見て、ぎゅっと体を小さくした。

「行こう。儀式の最中だ」

 レイはあたしのシャツの裾ををぐいぐい引っ張った。

「子供で、反省しているんなら、許してあげてくれない?」

 レイの存在と発言を完璧に無視したあたしは、一番偉そうで、一番目玉がいっぱいついている人にお願いした。

「それでは、お前が代わりになるか?」

 目玉親父の親玉がとんでもないことを言った。恐るべし、等価交換。

「だめだよ。これは僕のものだよ」

 レイがささやくように言った。顔は控えめに言って「必死」。

「ユキの命は僕が助けた。ユキが僕の命を助けるまで、ユキの命は僕のものなんだよ」

 あれ、そういうことなの?

「いやいや、さすがに代わらないって。何か、代わりになるもの。その子と何があったか、詳しくはわかんないけど、とにかく、命は助けてあげてよ。あ、等価交換か。何かないかな……あ、これはどう?」

 あたしは左の腕から金の腕輪を外しながら言った。

「あたしがあげられるものって、今はこれしかないの」

「さっきは、それをあげられないって言った!なんだよ。い、命を助けた、ぼ、僕の望みより、こ、こんなもののために差し出すなんて」

 あたしはまたもレイを綺麗に無視して、目玉の親玉に畳みかけるように言った。

「これね、あたしのお父さんの形見なの。お父さん、私を助けて死んじゃったみたいなんだよね。その時、お父さんが身に着けていたものだから、お父さんの優しい気持ちがいっぱい入っていると思うの。私のお父さんの優しさと、あなたたちの優しさの等価交換って、どうかな」

「金だ」

「金だ」

「きんだ」

 目玉が何個も飛び出しそうになりながら、騒いだ。何個かはほんとに目が飛び出ては、自分で戻している。体大丈夫かな。

 あたしの心配をよそに、一番目玉が多い目玉の親玉が黙って腕輪を見つめていた。

 子猫のような獣が目を見開いてじっと成り行きを見守っている。

「やめたら?そんな価値はないよ」

 あたしにだけ聞こえるようにレイが冷たく言った。

 もー。こんな時だけドライだなあ。

「ね。あなた方の、優しさの代わりにならないかもしれないけれど」

「……お前が、金の価値でこの交換を申し出ていたら、この話はなかったことになっていただろう。よいか。これは金を受け取ったのではない。そなたの思いやりの心との等価交換だ」

 そう言って目玉の親父が近づいて来た。

 あたしは腕輪を外す前にそっとそれを撫ぜた。

 慣れ親しんだざらりとした手触りが指から伝わる。

 実は、あたしは父親のものってこれしか持ってない。

 母さんが、気まぐれにくれた腕輪。父がいた証。

 兄さんがいなくなった時、ご飯が食べられなかった夜、修学旅行に行けなかった時、父がいてくれたらと、思えることができたのは、この腕輪のおかげだった。

 もう一度ぎゅっと握り締め、ちょっと後悔して、小さな目玉親父に渡した。

 バイバイ父さん。

 首のない胴体から突き出ている太い手が金の腕輪を受け取った。

「助けたことを後悔しないといいがな。そのケダモノはすぐに裏切るぞ」

 そういって、目玉の親玉と目玉の子分は土の中に消えていった。

「え、消えた?」

「土の中に潜ったんだよ」

 レイがこともなげに言った。

「ところでさ……」

 いかん。絶対怒られるパターンだ。

「えーと。とにかく猫ちゃんを助けなきゃ」

 あたしはレイの話を遮るように、半分土に埋もれていた子猫を掘り返した。

「ちょっと待っててね……すごい強く結んであるな」

 あたしは子猫の四肢を縛ってある縄を解き始めた。

 子猫はおとなしくされるがままになっている。

「ここがこうなって……ほら。とれた」

 縄をほどくなり、子猫は笑うようにひと鳴きし、風のように黒い森に消えていった。

「あれ?」

 お礼は期待してなかったが、少しは事情とか、話してくれるもんだと思っていたんだけど。

 レイは後ろでため息をついた。

「だからほっとけばよかったのに。あれは、つ、使い魔だよ。まだ子供だけど、誰かに何か頼まれごとでもされたんだ。相手がジュレニスだったのが運の尽きだっただけ。あれは、ほっといても自分でなんとかした」

「ジュレニス?」

「つ、土のゴブリンだよ。土の中が彼らの王国での領土なんだ。この国ではどの種族よりも勇敢な歩兵隊。アバダンが他国と戦う時はまず彼らが戦争を始める。僕も面と向かって会うのは初めてだ」

 そうでしたか。

「じ、ジュレニスを知らないのに、あの中で一番強いのが誰なんだかユキはなんでわかったの?」

「え?一番偉かったの?」

「うん。目玉が多いほどもつ『力』も多いんだ。あれはもしかしたら部族の長かもしれない」

「……だって、あんなに偉そうなんだもの」

 偉そうな人に囲まれて生きてきたのだ。偉そうな人はすぐわかる。

「と、とにかく。し、し、し、死の儀式の最中に声かけるって、どういうこと?今回は運よく何とかなったけど、普通なら使い魔も僕らも拷問の上に殺されてたんだよ!しかも、な、なけなしの金までジュレニスにあげちゃって、ロッドの町にも行かなきゃなんないのに、これからどうするの?」

「ごめんなさい」

 なんであやまらなければならないのか、よくわからなかったが、子猫の埋められていた空っぽな穴をみつめながら、あたしはひたすらあやまった。

「ほんとにごめん……とにかく仕事終わらせよ」
 
 レイは「もーほんとにわかってんのかなー」とかぶつぶつ言いながら、それでも、てくてくついてきた。

 それからしばらく、二人で黙々と作業した。

 初夏の爽やかな風が吹き抜けるとはいえ、汗ばむくらいの陽気だった。

 羊牛の体は大きく、なかなかブラッシングも終わらない。

「なんで、ち、『力』使うと毛玉ができるのかなあ。『力』を使えば一発なのに」

 そんなことをぶつぶつ言いながらも、レイは汗だくで手を動かしていた。

 ブラッシングのコツをつかんだあたりからは、意外と作業も進んだが、恐れていた通り、152頭のブラッシングが終わったのは、日も、とっぷりくれてからだった。

 あちらこちら勝手気ままに草を食べている羊牛をかき集めて、152頭全部囲いに入れた時には空高く星が瞬いていた。

「やっと終わった……」

「もう……ぼ、僕……一歩も歩きたくない」

「あたしも……」

 あたしとレイは歩き疲れた足を引きずるように家の方ヘと歩いて行った。
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