王妃 ジョア~日本人水島朔が王妃と呼ばれるまでの物語 ~

ぺんぎん

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パリ ジョワ本店 パウル・メール

パウル・メーヌの話 ~ちらし寿司~

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「ねえ。この紐みたいなのも食べ物なの?」

 僕は、真っ先に朔が買い物カゴに入れた、ベージュ色の袋をつまんで聞いた。

「紐じゃないです。かんぴょうと言います。夕顔という植物を干したものです」

「この、しわしわの茶色い物体は?」

「干ししいたけ。干したきのこです」

「この黒い板は?」

「海苔。干した海藻です」

「日本人って干さなきゃ食べないの?」

「はいはい。そうですよ。そして大豆しか食べませんよ」

 朔はそう言いながら、次々とカゴに入れていく。

「ホントにいいんですか?出汁からとるので、結構、材料費高いですよ。しかも、パリの物価たかっ」

「いいんだよ。ジョーはどんな高級店だって気に入らないんだから」

 日本食を売っているスーパーを出ると、マルシェで野菜とエビを買う。

 朔が笑いかけるだけで、何でも面白いくらい安くなっていく。

 僕たちは抱えきれない荷物を持って、タクシーでアパルトマンに乗り付けた。

 ドアマンのリチャードが、ぎょっとしたような顔でタクシーのドアを開けた。

「誤解するな。今日からうちで働く子なんだ」

 初めて彼女の顔を見たんだろう。リチャードは口を開けたままドアの前から動かない。

 タクシーの運転手が低い声で怒鳴った。

 だから言ったのに。

「そら、その口を閉じて、ついでにタクシーのドアも閉めて、うちのドアを開けてよ」

 ドアを開けて驚いたのは、朔の方だった。

「すごい」

「すごいだろう?」

 あの美意識の塊みたいな男が、中途半端な家に住むわけはない。

 広いエントラルホールの中央には、らせん階段が金色の手すりを従えながら伸びている。

 高い天井からは、ベルベットの紫色のカーテンが、ドレープを描きながら壁一面の窓から入る日光を誘導していた。

 僕は呆気にとられている朔をキッチンに案内した。

 築百年以上のオスマニアン様式の重厚な外観とは裏腹に、水回りやエレベーターなどは完璧にリノベーションされている。

「キッチンはここ。冷蔵庫にはミネラルウォーターが売るほど入ってる。さて。僕は何すればいい?」

「エプロンか何か借りられる?それと髪を結うゴム。後は座ってて」

 ゴムは何とかなったが、エプロンはなかった。

 しょうがないので、リンネルのシーツを朔に渡した。

 朔はそれをくるっと細い胸元に巻き付け、楽しそうにキッチンをいったりきたりし始めた。

 途中で僕にコーヒーと小さな甘いお菓子をくれた。

 懐かしい味がするジャガイモのお菓子だった。

「アレルギーは? 嫌いなものはないの?」

「ジョーは辛いのはだめ。あんまり味が濃いのも嫌いなんだ」

「そう。パウルさんは?」

「パウルでいいよ。僕は何でも食べるんだ。ジョーは信じられないっていうけど、ハンバーガーも大好物」

「わかる」

 屈託なく笑いながら、朔は手早く卵をかき混ぜた。

「ホントにモデル? 料理人じゃないの?」

「お世話になっている家が食堂なの。お手伝いしているうちに料理を教えてもらったの。体は食べたものでできているからって、栄養学も一通り」

 楽しい会話は、電話の呼び出し音で台無しになった。

「はい。え? 自宅だよ。だってバラチラシを食べたいってジョーが言ったから……わかったわかった。今すぐ戻るよ」

 電話を切ると、朔は申し訳なさそうにこちらを見た。

「ごめんなさい。できあがるまであと一時間はかかると思うの」

「大丈夫。あと三時間は戻れなさそうだよ。このまま作ってて」

 僕は、ドアまでついてきてくれる朔の頬に軽くキスをした。

「今日は、絶対にジョーを連れ帰るから。夕飯をよろしくね」

「いってらっしゃい」

 誰かに送り出してもらうのは久しぶりだった。

 僕は浮かれた心でタクシーに乗った。







「だから、奴らはなんて言ったと思う」

「想像もつかないね」

 僕はアパルトマンに帰るタクシーの中で、ジョーに向かって肩をすくめた。

「ミューズを作れと言った。ミューズを作れだと? そんな感性で、よくもわたしのショーに関わろうと思ったもんだ。女神は作るものではない。見いだされるものだ。魂がそれを見つける」

 ジョーが、節くれ立った指を胸に当てた。

「ファイナルのドレスができないのは女神がいないからだと。私はプロのデザイナーだ。女神がいなくとも服は作る」

「だけど、ジョー。女神はともかく、最近ワクワクして仕事したことある? いつもこんなに眉をつり上げて、眉間にしわ寄せて」

 僕はジョーの眉間を、ひょんとなでた。

「まずはご飯食べて、ゆっくり寝たら? いっぱいになった胸のコップを空にしようよ」

「今日の昼に出してくれたレストランに行くのか?」

 いつもだったら、要らないとばかり言うジョーが、珍しく食べ物の話に乗ってくる。

「あ、あれ、気に入った?」

「もう一つと言ったのに、結局持ってこなかったからな。どこのレストランだ?」

「いや。レストランには行かない。そのスシを自宅にデリバリーしてもらおうと思ってさ。
 ほら、ついたよ。久しぶりの我が家だ。今日はシャワーじゃなくてお風呂に入りなよ。お湯を入れてあげる」

 僕はドアを開けてくれたリチャードにウィンクして、ジョーの手を引いた。

「肩がバキバキだ。体は正直だな」

「はいはい」

 僕はチャイムを鳴らした。

「なんでチャイムを鳴らす?」

「だからデリバリー」

 僕のウインクと同時に、ドアが開いた。

 朔が満面の笑顔で出迎えてくれる。

「お帰りなさい。とても良いタイミングです。初めましてミスター」

「君は誰だ?」

「言ったでしょ。デリバリー頼んだって。ほら入って。最初ご飯でいい?」

 僕は、戸惑っているジョーを食堂に促した。

「わお」

 完璧。

 チラシスシは緑の彩りも鮮やかに大皿にのっていた。

 席につくなり、熱いスープが深いスープ皿に注がれ、部屋いっぱいに良い匂いが広がった。

「冷めないうちに召し上がってください。どのくらい召し上がれるのかわからなかったので、大皿にしています」

「このピンク色は?」

「でんぶです。魚を煮たものです。少し甘いですよ。その茶色が、かんぴょう」

 そう言って朔は僕をみて笑った。

「うまい」

 あの茶色のヒモが、こんな美味しい食べ物になるとは。

 ジョーはスシだけでなく、用意されていた小皿の料理を次々と平らげている。

 どれもこれも、小さな絵画のように美しい料理だった。

 朔は、ジョーが食べるのを邪魔しないように細心の注意を払っていた。

 ジョーが何か言う前に空になったカップにお茶を注いだり、食べ終えた皿を片付けたりと、さながら一流のレストランの給仕のようだ。

 ジョーはぴたりとスプーンを置くと、じっと朔を見た。

「パウル。絵の具だ」

「え」

「絵の具を持ってこい」

 言われるままに、僕は急いで絵の具を取りに走った。

 ジョーは僕の手からひったくるように絵の具をとると、空になった大きな皿をパレット代わりにした。

 食器をどけようとジョーの側に寄った朔をつかんで、床を指した。

「ここに立っていろ。いいか。一歩も動くな」

 朔は驚いたように頷いた。

 朔に渡したベルギー産のリンネルのシーツが瞬く間に花畑に変わった。

 ジョーは、朔が巻き付けたシーツにいくつもの美しいしわを寄せた。

 ものの五分もしないうちに、ため息がでるほど美しいドレスが仕上がった。

「パウル。写真」

「もちろん」

 僕はスマホで何枚も写真をとり、そのままアトリエに残っているスタッフに送った。

「よし。戻るぞ」

「え? お風呂は?」

「店に戻ってファイナルのドレスを作るんだ。君、名前は?」

「水島朔と言います」

「明日の朝は巻き寿司が食べたい」

「準備します」

 朔はにっこり笑って、ドレスの端をつまみながら王族に向かってするようなお辞儀をした。

 結局、朔は丸二週間、モデルの傍ら僕らのご飯を作り続けた。

 昼は僕とジョーに「ベントゥー」なるものを持たせてくれて、お腹が空いたときはいつでも食事ができるようにしてくれた。

 ジョーは朔のご飯を食べ始めてから、みるみる癇癪を起こさなくなっていった。

 おかげで現場は至極スムーズに流れ、僕らは久しぶりに納得のいく仕事をすることができた。

 ショーはもちろん大成功。

 歓声と拍手で抱きついてきたミシェルの声が聞こえなかったくらいだった。

 朔はジョワの服を三着、さらにファイナルのドレスまで着た。

 一人のモデルにつき一つの服と決まっているジョワでは異例のことで、世界中のファッション雑誌がこぞって朔の写真を載せた。

 ショーの最後、ジョン・マークレーが、たくさんのモデルに囲まれて、フラッシュの海を泳いでいるときに、僕の側で、後に十万ドル以上することとなるファイナルのドレスを着ていた朔の言葉が忘れられない。

 「でもこのドレスって結局ちらし寿司だよね。米の上にでんぶと、かんぴょうと錦糸卵」

 僕はこらえきれずに笑い出した。

 このドレスが飛ぶように売れたのは言うまでもない。

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