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6巻
6-2
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コーデリアを除く四人の少女たちが自己紹介をすませると、一番年上のマリアが代表して口を開く。
「ユアン様のお噂は、かねがね伺っておりますわ」
「噂? どんなのかな」
ユアンが笑って聞き返すと、ルーナ以外の少女は一瞬にして顔を赤くした。
(うん、確かに兄様の笑顔はある意味凶器よねぇ)
赤くなった少女たちを、内心ニマニマと見守りながらルーナは思う。そしてふと、コーデリアを見ると、あることに気づいた。
他の少女たちが憧れのアイドルを見るような表情をしているのに対して、彼女は、どこかせつなさを含んだ瞳でユアンを見ていることに。
(コーデリアってもしかして、兄様のこと……)
そう思って記憶をたどれば、誰に対しても凛とした態度の彼女が、ユアンにだけは遠慮がちになっていたことに思い当たる。
(うわぁ、うわぁ、そっか、コーデリアってば……!)
すぐさま「大丈夫、わたしが協力するよ!」などと言ってしまいたくなる衝動を抑え、ルーナはドキドキする胸元にそっと手を押し当てた。
(落ち着いてルーナ! 本人が言ってこない限りは、知らないふりをしてあげるのよ! ああでも、兄様が家にいる時にコーデリアを呼ぶくらい良いよね?)
以前、姉のアマリーが恋する人と結ばれるためのお手伝いをしたことで、ルーナはすっかりキューピッド役が気に入ってしまったのだ。
暴走しすぎてはいけないと自分に言い聞かせながらも、新たな恋の手助けができそうな予感に内心でにやつくのだった。
そんな彼女の心情がばれたのだろうか。
ルーナの妄想を阻止するように、黙っていたフレイルが口を開いた。
「おい、そろそろ行かないと時間がなくなるぞ」
「あ、本当だね。じゃあ皆さん、少しだけルーナを借りるね」
ユアンはにっこり笑って告げると、ルーナの肩を抱いて一緒に部屋を出る。そして案内をしてきた女性神官に声をかけた。
「ここからは、僕がついてますから。祭礼行列の時間までにはちゃんと戻ります」
「かしこまりました。では、わたくしはここで」
女性神官はユアンに深々と頭を下げると、その場から去っていく。それを見送った後、ユアンはルーナを伴い、女性神官とは反対方向へ歩き始めた。
「兄様、話ってなんなの?」
廊下を歩きながら、ルーナは気になっていた疑問を改めて口にする。
「ああ、いや、ほんとたいしたことじゃないんだよ」
「そうだな。ま、すぐにわかる。それより今は先を急ぐぞ。意外に時間をくってしまったからな」
結局、ルーナの疑問は解消されなかったが、すぐにわかるというフレイルの言葉でひとまず納得することにした。
心なしか早歩きになったフレイルのあとを、彼女は慌ててついて行く。
「そういえば、今日はフレイも見に来てくれたんだね」
ルーナは思い出したように、フレイルに話しかけた。
「ん? ああ、ユアンがな……」
フレイルはそう言って、後ろを歩くユアンを睨みつける。
「兄様? 兄様がどうしたの?」
ルーナは、顔色を悪くする兄に首を傾げて訊いた。
「いやぁ、せっかくのルーナの晴れ舞台じゃないか。ルーナもフレイルに見せたいって思うよね?」
力説するユアンは、「ね!」と言って、さらにルーナへ尋ねてくる。
(兄様、そういうのフレイが嫌いだって知ってるだろうに……)
ルーナは内心呆れながら、いまだユアンを睨みつけているフレイルに話しかけた。
「兄様が巻き込んだみたいで、ごめんね。でも無視しないで来てくれたんだね」
「ああ、ジーンさんがユアンに頼まれて、俺の分も席を確保してくれたって言うからな」
「なるほど」
ルーナは納得してうなずく。
リヒトルーチェ兄妹とはすっかり仲良くなったフレイルだが、その中でもジーンのことは尊敬しているらしく、彼の言葉はよく聞くのだ。
「そうなんだ。で、どうだった? わたしの舞は」
悪戯っぽくルーナが訊くと、フレイルは真顔で答える。
「綺麗だった。よく練習したんだな」
本心からなのか、フレイルはいたって真面目に褒める。あまりに予想外の言葉をもらい、ルーナの顔は見る間に赤くなった。
一方、そんな彼女を、フレイルは不思議そうに見ている。
「……うわぁ、天然って怖いな」
フレイルとルーナのやり取りを横目に、ユアンはポツリつぶやくのだった。
†
三人が辿り着いたのは、神殿の奥にある貴賓室のひとつだった。
神殿がリヒトルーチェ公爵家のために用意したものなのだろうと、ルーナはなんの疑問も持たず、ユアンがドアを開けるのを見ていた。
しかし中に入った途端、彼女は、わざわざここに呼ばれた理由がわかった気がした。
神殿内らしく、部屋に華美な装飾や調度品はない。だが、壁に彫られたレリーフは美しく繊細で、調度品も同じく機能的でありながら優美だ。まさに、身分ある人物を迎えるにふさわしい。
そんな室内にいたのは、両親であるリヒトルーチェ公爵夫妻ではなく、この国の王太子であるリュシオンと、隣国エアデルトの第二王子カインだった。
彼らの後ろには、リュシオンの補佐である、長兄ジーンの姿もある。
リュシオンは銀糸で刺繍の施された、髪と同じ漆黒のジュストコールを、優雅に着こなしていた。
その隣に立つカインは、リュシオンとは正反対の色味で、金茶の髪によく映える白いジュストコールに、金糸で刺繍が施されているものだ。
端整な容貌と相まって、まさに『王子』というにふさわしい二人。
一方、後ろに控えるジーンは、最新の流行である黒いスーツに身を包んでいる。飾り気のない服装は、華やかな二人の装いとは真逆だが、不思議と双方を引き立て合っていた。
(なるほど。リューやカインが花姫の控室に来るなんて出来ないし、反対にその名前で呼び出すなんてことも出来ないよね。だって、王子様たちがそんなことやったら大騒ぎだもん。それでユアン兄様かぁ。あ、フレイは、きっと無理やり引っ張ってこられたんだね……)
フレイルに同情しながら、ルーナは呼び出しの理由に深く納得した。
現在、リュシオンはクレセニアの王太子として、国王の片腕を担っている。それは政だけでなく、軍事や外交など多岐にわたっていた。
下手をすれば国王よりも多忙な彼とは、最近では会うことも稀で、お互い生活の時間が合わないため、通信の魔道具で話すことさえ出来ないでいた。
それは兄であるジーンも同じだった。そのため祭事の最中、しかも花姫と貴賓という立場での邂逅ですら、今のルーナには嬉しい。
またカインのほうも、現在はレングランドの研究所で学んでいるとはいえ、研究所と学院の建物が遠く離れているせいで、偶然会うこともない。
さらに、王子とは公表していないものの、他国の者と人目のある場所で親しくするのは少なからず問題がある。
幼い時――国を追われていたカインが公爵家で暮らしていた時、ルーナはそれこそ四六時中彼と共にいた。それゆえに、「もっと頻繁に会えると良いのに」と思ってしまうのは仕方がないことだろう。
「びっくりしたか?」
驚いた表情のルーナを見て、リュシオンは楽しげに言った。
「もちろん驚いたよ! 踊ってる時にね、遠目でも二人の姿が見れただけで嬉しかったけど……ちゃんと顔を見て話すことが出来るのは、もっと嬉しいんだ」
なんのてらいもなく、ルーナは素直に喜びを口にする。そのせいで、言われたリュシオンとカインの方が赤面してしまう。
二人は照れくさそうに顔を見合わせた後、誤魔化すようにそれぞれ口を開いた。
「おまえが一番上手に踊れていたと思うぞ」
「そうですね。ルーナが一番目を惹いていました」
先ほどのフレイルに続き、ストレートに褒められ、今度はルーナが照れる番だ。
(ううっ、皆、なんでそんな恥ずかしいことが言えるんだろう……元日本人のわたしには無理ですやめてください!)
内心で悶えるルーナだったが、自分も似たようなことをしている自覚はない。
「ほ、ほら五年前とはいえ、二回目だし。さすがに細かいところは覚えてなかったけど、練習しているうちに思い出したんだよね。だから、他の人より上手く踊れたのかも!」
真っ赤になって言い訳するルーナは愛らしく、その場にいた全員が和まされる。
だが、皆の微笑ましそうな眼差しが、今の彼女には辛いところだ。
「あ、あのっ。せっかくだし、座って話そうよ!」
「そうだね」
ルーナの強引な提案に、ジーンはクスリと笑ってうなずく。続いて彼は、身分の高い人物たちに囲まれていささか肩身の狭そうなフレイルに声をかけた。
「ああ、フレイル。面倒な役をさせて悪かったね」
「いえ、気にしないでください。じゃあ、俺は――」
ジーンへの返答と同時に逃げ出そうとしたフレイルだが、この場にそれを許す人間はいない。
「フレイルもこっちに」
「僕の隣にどうぞ」
「ああ、それがいいな」
すかさず腕を取ってユアンが言えば、すでに席に着こうとしていたカインが続き、リュシオンが良い考えだとばかりにうなずく。
さすがにその状況で去ることもできず、フレイルは小さくため息をついて席に着いた。
(なんで平民の俺が……)
そんな彼の心の声が聞こえてきそうだったが、それでもルーナは、他人をまったく寄せ付けなかった頃のフレイルを思えば、今の状況がただ純粋に嬉しい。だからこそ、彼の気持ちはわかるものの、助け舟を出すことはせず微笑むだけにした。
全員が席に着くと、リュシオンが時計を見ながらつぶやく。
「祭礼行列まで、まだだいぶ時間があるな」
「ええ。リュシオンの不在時の公務については、父と陛下がなんとかしてくれるはずですから、ゆっくり出来ますね」
リュシオンの言葉に、にっこり笑って答えるジーン。
父である公爵をはじめ、国王にさえも「あとは頼んだ」と言ってのける彼に、フレイルの顔が地味に引き攣る。
「ああ、そういえば、ユアンとフレイルは卒業後に魔法師団入りするらしいね」
カインが話題を振ると、ユアンは誇らしげに、フレイルは無表情にうなずいた。
魔法師団。
クレセニアでは、軍隊の中に魔法に突出した者が集まる部隊がある。それが魔法師団だ。
魔法王国とも呼ばれる国だけあり、ここでは魔法使いはエリートとされている。その中でも、国を守るために存在する魔法師団はエリートの中のエリートと言えた。
レングランド学院で上級魔法講座を修了した者の進路として一番に挙げられるのも、魔法師団だ。例に漏れず、ユアンとフレイルも卒業後の進路として選んでいた。
公爵家の子息であるユアンが軍人として働く――前世の千幸であれば首を傾げたことだろう。
日本の感覚で言えば、御曹司的立場の彼が、下っ端軍人から始めるというのは違和感があるからだ。
しかし、クレセニア王国においては、貴族として父親の跡を継げるのは長男のみ。
長男に何かあれば話は別だが、基本的に次男や三男は成人後、自分の力で生きて行かねばならない。ゆえに、次男以降の貴族は、軍人や神官として道を切り開く者が多い。それは、大貴族の子息であるユアンでも同じだ。
もっとも彼の場合は、そうした事情以上に、自ら魔法師団入りを望んでいたこともあり、卒業するのを今から楽しみにしているくらいなのだ。
「来年は優秀な士官候補が入ると、師団でも噂になってたぞ」
リュシオンが言えば、ユアンは頬を紅潮させて礼を言った。
「ありがたいですね。しかし、まだ実際に入団したわけではありませんし。もちろん、正式に配属されたなら、自分に出来る精一杯のことはするつもりですが」
「そうだな。褒めたたえるのは結果が出てからか」
感心するリュシオンの言葉を聞いて、ジーンが悪戯っぽく弟を見る。
「自分でハードルを上げてしまっていますけどね」
「う……そんなつもりはないんですけど」
ユアンは兄にからかわれ、たじたじの様子でつぶやいた。
兄弟のやりとりにルーナがクスクス笑い出すと、次の瞬間、皆が一斉に噴き出す。
楽しげな空気が漂う中、ルーナは改めてその場にいる全員を見回した。
「このメンバーで揃うのも久しぶりだよね」
「そうだな。最近は皆、忙しかったことだしな」
しみじみと言うルーナに、リュシオンが答える。
出会った頃は、皆、子供だったのだ。
高貴な家柄に生まれたため、なんのしがらみもなかったとは言わないが、その責任は成人した現在とはまったく違う。
(もし、ルーナに出会わなければ……)
ふとリュシオンは思う。
ジーンは今と同じく彼の傍にいただろう。だが、今のように心を許せる側近であったかどうかといえば、おそらく違った。
人には過ぎた魔力を保有し、それを幼さゆえに暴走させたことが、リュシオンを孤独に陥れた。
さらに実母の死から数年後、義母となった王妃キーラはリュシオンを疎んじる。父親である国王はリュシオンの味方であったが、何分多忙で、常にリュシオンについていることは不可能だった。
そうした環境も手伝い、リュシオンは孤独の闇に呑まれていく。化け物と呼ばれる己を一番恐れていたのは、彼自身だったかもしれない。
だがそんな時、彼はルーナと出会った。
同等の魔力を持つ彼女とかかわることによって、リュシオンの心の硬い殻が破れ、孤独が癒されることとなった。
もし、ルーナと出会った頃のままのリュシオンならば、王太子という重圧の中でさらに孤独を深め、その心の形を歪にしていたかもしれないのだ。
それはリュシオンだけではない。
カインやフレイルにしても、ルーナがいなければ、このような気安い関係を誰かと築くことはなかっただろう。
(まるで太陽……いや、暗闇の中で光を差し示す月か……)
ふとそんなことを思い、リュシオンはらしくない詩的な表現に苦笑する。
「――それにしても、今日は、なんにもなくてよかったよね!」
物思いに耽るリュシオンを余所に、ルーナはそんなことを訴えた。
「そうですね……」
「ああ。まぁ、そうそう何かあってたまるか、だがな油断は禁物だ」
深くうなずくカインに続き、リュシオンは苦虫を噛み潰したような顔で嘯いた。
「それって、王妃陛下の態度の変化ですか……」
ユアンはぽつりと漏らした後、下手をすれば問題な発言だと気づいたのかハッと口元に手をやる。
しかしリュシオンは、気にしていないと笑った。
「ああ、構わないぞ。ここには身内だけだしな」
「だが、外では発言に気をつけろ。ユアン」
リュシオンの言葉にホッと力を抜いたユアンだったが、続いてジーンに咎められ、慌てて表情を引き締める。
「でもユアンの言う通り、今日の――いや、ここ数年の王妃はどうかしたのかと思うほど大人しいですね」
カインが言うと、その言葉に大なり小なり心当たりがあるのか、皆が押し黙った。
リュシオンの義母にあたる王妃キーラは、彼を疎んじ、頻繁にその命を狙っていた。しかし、王太子である彼を弑するのは難しく、計画はどれも失敗に終わっていた。
そこで次に、彼と親しいルーナを狙うことを考え、様々な企てを実行してきた。にもかかわらず、ここ二年ほどは、まったくと言って良いほど、その影を薄くしている。
ルーナは話を聞きながら、今日の王妃の様子について思い返した。
神殿での奉納舞には、王族も出席する。リュシオンの異母妹――身体の弱いネイディア王女は、今回も体調不良のため欠席だったが、国王と王妃、そして王太子であるリュシオンは祭事に臨んだ。基本的に祭事中は俗世と離れるためという理由から、国王夫妻であろうと接触することはない。
それでも、王妃から話しかけられれば、ルーナは彼女を無視することなどできないのだ。
だからこそ、王妃の動向にはルーナも気を配っていた。
けれど今回、王妃は神殿に着くなり、用意された貴賓室に閉じこもってしまう。ようやく現れた彼女は、いつになく機嫌が良いようで、笑みを浮かべて周囲に愛想を振る舞っていた。
続いて行われた祭事の席でも同じで、ルーナが花姫として祭事や舞を務めるのに対し、睨みつけるどころか微笑んでいる。
(いったい、どうしちゃったの? いつもと違うと調子が狂うよ……)
ルーナがいささか不謹慎な感想を漏らすほど、王妃の態度や行動は異様だったのだ。
「あの時からだな……」
ふいにつぶやいたリュシオンへ、皆が注目する。
「アマリーの婚約式だ。あの後、絶対に非を認めることなどないと思っていたが、あれは自分から謝罪することであの場をうやむやにした。それが一番賢いやり方とはいえ、無駄に矜持が高いばかりの女がそれを実行するとは驚いたものだったが……」
二年近く前、アマリーの婚約式で魔物が放たれるという事件が起こった。
小型とはいえ魔物は魔物。下手をすれば死人が出てもおかしくない、悪質ないやがらせだ。
その首謀者が、王妃キーラだった。
幸いにも、ルーナやリュシオンたちの活躍により、怪我人は出ず、実行犯も捕らえられた。さらにそこから、王妃の企てであることが露見し、彼女を追い詰めた。――かに見えた。
しかし、王宮に逃げ帰った王妃は自室にしばらく引きこもった後、意外な行動に出る。
自分から国王へと謝罪したのだ。
曰く、「公爵家に対しての小さな悪戯だった」とのこと。
公爵家に悪意を持つ人物に自分は騙されたのだと。その者の、「せいぜい醜悪な虫を放して脅かすだけ。そこで主役の二人は助け合い、絆を深くするという演出だ」との言葉を信じてしまった。決して、毒のある、ましてや魔物などを放すことなど知らなかったと。
もちろんリュシオンも国王もこのような言い訳を信じなかった。だが、王妃は珍しく彼女らしからぬ周到さを見せる。
まず実行をそそのかしたという伯爵を自ら断罪し、自身は被害者であるという立場を貫いた。さらにしおらしく謝罪することで、ルーナおよび自らの政敵を潰すという企ての首謀者でありながら、愚か者に騙された被害者という立場にすり替えたのだ。
死者が出ていないこともあり、結局この件を理由に王妃を完全に排除するのは難しくなったのだった。
上手く立ち回ったと言えばそれまでだが、リュシオンたちは腑に落ちないものを感じていた。
王妃という自身の身分を至上とし、他者を――たとえ国王であっても――見下してきた王妃だ。
それが保身のためとはいえ、あっさりとプライドを捨て謝罪するだろうか、と。
疑問は浮かぶものの、王妃という立場にしがみつくための苦肉の策だろうと、国王やリュシオンはそれ以上追及しなかった。そうして、件の事件は公になることなく、うやむやになってしまったのだった。
「あの件については、王妃陛下の方が上手だった……ですがやはり、どうもそのやり方がらしくないと思えてなりません。それがずっと気になっているのです」
ジーンが訴えれば、続いてカインも意見を述べる。
「ああ。僕もそれが不自然だと思ってた。しかも、あれから怪しい動きがないどころか、最近ではやることがまともに見える」
彼らが言う通り、王妃はあの一件依以来、別人のように大人しくなった。
もちろんそれが反省したからとか、今は動かない方が良いからという理由なのかもしれないが、それでも以前の性格を知っていれば首を傾げることばかりだ。
皆がここ最近の王妃の動向を訝しむ中、リュシオンが口を開く。
「そういえば、散財もなりを潜めたな。それどころか、最近では王都や近辺の町に、私財で治療院を建設する計画を立てているらしい」
「えっ? あの王妃が?」
意外な情報に、カインは思わず驚きの声をあげた。
ルーナも声には出さなかったものの、心の中では正直な感想を漏らす。
(あの王妃様が私財を投げうって治療院って、悪いけどぜんぜん似合わない……)
国王や王太子のリュシオンに比べ、王妃の人気が今ひとつなのは、なにもその性格だけのせいではない。
庶民にとって、王族や貴族は次元の違う、遠い存在だ。実際の性格など知らずとも問題もない。だが、自分たちの生活を豊かにしてくれるかどうかは別だ。
善政を心掛けている国王やリュシオンが国民に人気なのは、当たり前のことだった。
それに対し、王族として国民の前に出るものの、庶民の生活にまったく心を配らない王妃は民の支持を得ていない。
だがそんな王妃が、ここ一、二年、まるで生まれ変わったかのように、王都の貧しい地域などに治療院を作る活動を始めたり、積極的に各地の視察に乗り出したりしたのだ。
(「薄汚い庶民が!」なんて言ってた人が、いきなり慈善事業に目覚めたって言われてもね……)
王妃がかかわっていようとも、その事業が発展していくのは良い。しかし、それらの活動が以前の彼女とはあまりにもかけ離れているため、何か裏があるのではと勘ぐってしまうのだ。
「あっ」
その時、ふと思い出したようにユアンが声をあげた。
「どうしたの、ユアン兄様?」
「いや、王妃の慈善事業って聞いて、思い出したことがあったんだ」
「それはなんだ、ユアン」
ジーンが尋ねると、ユアンはフレイルをチラリと見てから話し始める。
「この間、フレイルと一緒に街に出た時なんだけど……用事を済ませた後、そのまま商業区の食堂で食事していたんだ。そしたらそこで、ある噂を聞いて……」
「噂? どんなものだ?」
リュシオンの疑問に、ユアンはかしこまって答えた。
「盲目の聖女のことです」
(『盲目の聖女?』)
ユアンが放った言葉を反芻し、ルーナは首を傾げる。彼女だけではなく、カインやリュシオン、ジーンも、聞いたことのない単語に首をひねった。
そんな様子を眺めるばかりで、説明する気配のないユアンに、見かねたフレイルが遠慮がちに説明を代わる。
「なんでも最近、王都の近くにある貧民街に現れる女のことらしい」
「貧民街……?」
ルーナは思わず声をあげた。
「ユアン様のお噂は、かねがね伺っておりますわ」
「噂? どんなのかな」
ユアンが笑って聞き返すと、ルーナ以外の少女は一瞬にして顔を赤くした。
(うん、確かに兄様の笑顔はある意味凶器よねぇ)
赤くなった少女たちを、内心ニマニマと見守りながらルーナは思う。そしてふと、コーデリアを見ると、あることに気づいた。
他の少女たちが憧れのアイドルを見るような表情をしているのに対して、彼女は、どこかせつなさを含んだ瞳でユアンを見ていることに。
(コーデリアってもしかして、兄様のこと……)
そう思って記憶をたどれば、誰に対しても凛とした態度の彼女が、ユアンにだけは遠慮がちになっていたことに思い当たる。
(うわぁ、うわぁ、そっか、コーデリアってば……!)
すぐさま「大丈夫、わたしが協力するよ!」などと言ってしまいたくなる衝動を抑え、ルーナはドキドキする胸元にそっと手を押し当てた。
(落ち着いてルーナ! 本人が言ってこない限りは、知らないふりをしてあげるのよ! ああでも、兄様が家にいる時にコーデリアを呼ぶくらい良いよね?)
以前、姉のアマリーが恋する人と結ばれるためのお手伝いをしたことで、ルーナはすっかりキューピッド役が気に入ってしまったのだ。
暴走しすぎてはいけないと自分に言い聞かせながらも、新たな恋の手助けができそうな予感に内心でにやつくのだった。
そんな彼女の心情がばれたのだろうか。
ルーナの妄想を阻止するように、黙っていたフレイルが口を開いた。
「おい、そろそろ行かないと時間がなくなるぞ」
「あ、本当だね。じゃあ皆さん、少しだけルーナを借りるね」
ユアンはにっこり笑って告げると、ルーナの肩を抱いて一緒に部屋を出る。そして案内をしてきた女性神官に声をかけた。
「ここからは、僕がついてますから。祭礼行列の時間までにはちゃんと戻ります」
「かしこまりました。では、わたくしはここで」
女性神官はユアンに深々と頭を下げると、その場から去っていく。それを見送った後、ユアンはルーナを伴い、女性神官とは反対方向へ歩き始めた。
「兄様、話ってなんなの?」
廊下を歩きながら、ルーナは気になっていた疑問を改めて口にする。
「ああ、いや、ほんとたいしたことじゃないんだよ」
「そうだな。ま、すぐにわかる。それより今は先を急ぐぞ。意外に時間をくってしまったからな」
結局、ルーナの疑問は解消されなかったが、すぐにわかるというフレイルの言葉でひとまず納得することにした。
心なしか早歩きになったフレイルのあとを、彼女は慌ててついて行く。
「そういえば、今日はフレイも見に来てくれたんだね」
ルーナは思い出したように、フレイルに話しかけた。
「ん? ああ、ユアンがな……」
フレイルはそう言って、後ろを歩くユアンを睨みつける。
「兄様? 兄様がどうしたの?」
ルーナは、顔色を悪くする兄に首を傾げて訊いた。
「いやぁ、せっかくのルーナの晴れ舞台じゃないか。ルーナもフレイルに見せたいって思うよね?」
力説するユアンは、「ね!」と言って、さらにルーナへ尋ねてくる。
(兄様、そういうのフレイが嫌いだって知ってるだろうに……)
ルーナは内心呆れながら、いまだユアンを睨みつけているフレイルに話しかけた。
「兄様が巻き込んだみたいで、ごめんね。でも無視しないで来てくれたんだね」
「ああ、ジーンさんがユアンに頼まれて、俺の分も席を確保してくれたって言うからな」
「なるほど」
ルーナは納得してうなずく。
リヒトルーチェ兄妹とはすっかり仲良くなったフレイルだが、その中でもジーンのことは尊敬しているらしく、彼の言葉はよく聞くのだ。
「そうなんだ。で、どうだった? わたしの舞は」
悪戯っぽくルーナが訊くと、フレイルは真顔で答える。
「綺麗だった。よく練習したんだな」
本心からなのか、フレイルはいたって真面目に褒める。あまりに予想外の言葉をもらい、ルーナの顔は見る間に赤くなった。
一方、そんな彼女を、フレイルは不思議そうに見ている。
「……うわぁ、天然って怖いな」
フレイルとルーナのやり取りを横目に、ユアンはポツリつぶやくのだった。
†
三人が辿り着いたのは、神殿の奥にある貴賓室のひとつだった。
神殿がリヒトルーチェ公爵家のために用意したものなのだろうと、ルーナはなんの疑問も持たず、ユアンがドアを開けるのを見ていた。
しかし中に入った途端、彼女は、わざわざここに呼ばれた理由がわかった気がした。
神殿内らしく、部屋に華美な装飾や調度品はない。だが、壁に彫られたレリーフは美しく繊細で、調度品も同じく機能的でありながら優美だ。まさに、身分ある人物を迎えるにふさわしい。
そんな室内にいたのは、両親であるリヒトルーチェ公爵夫妻ではなく、この国の王太子であるリュシオンと、隣国エアデルトの第二王子カインだった。
彼らの後ろには、リュシオンの補佐である、長兄ジーンの姿もある。
リュシオンは銀糸で刺繍の施された、髪と同じ漆黒のジュストコールを、優雅に着こなしていた。
その隣に立つカインは、リュシオンとは正反対の色味で、金茶の髪によく映える白いジュストコールに、金糸で刺繍が施されているものだ。
端整な容貌と相まって、まさに『王子』というにふさわしい二人。
一方、後ろに控えるジーンは、最新の流行である黒いスーツに身を包んでいる。飾り気のない服装は、華やかな二人の装いとは真逆だが、不思議と双方を引き立て合っていた。
(なるほど。リューやカインが花姫の控室に来るなんて出来ないし、反対にその名前で呼び出すなんてことも出来ないよね。だって、王子様たちがそんなことやったら大騒ぎだもん。それでユアン兄様かぁ。あ、フレイは、きっと無理やり引っ張ってこられたんだね……)
フレイルに同情しながら、ルーナは呼び出しの理由に深く納得した。
現在、リュシオンはクレセニアの王太子として、国王の片腕を担っている。それは政だけでなく、軍事や外交など多岐にわたっていた。
下手をすれば国王よりも多忙な彼とは、最近では会うことも稀で、お互い生活の時間が合わないため、通信の魔道具で話すことさえ出来ないでいた。
それは兄であるジーンも同じだった。そのため祭事の最中、しかも花姫と貴賓という立場での邂逅ですら、今のルーナには嬉しい。
またカインのほうも、現在はレングランドの研究所で学んでいるとはいえ、研究所と学院の建物が遠く離れているせいで、偶然会うこともない。
さらに、王子とは公表していないものの、他国の者と人目のある場所で親しくするのは少なからず問題がある。
幼い時――国を追われていたカインが公爵家で暮らしていた時、ルーナはそれこそ四六時中彼と共にいた。それゆえに、「もっと頻繁に会えると良いのに」と思ってしまうのは仕方がないことだろう。
「びっくりしたか?」
驚いた表情のルーナを見て、リュシオンは楽しげに言った。
「もちろん驚いたよ! 踊ってる時にね、遠目でも二人の姿が見れただけで嬉しかったけど……ちゃんと顔を見て話すことが出来るのは、もっと嬉しいんだ」
なんのてらいもなく、ルーナは素直に喜びを口にする。そのせいで、言われたリュシオンとカインの方が赤面してしまう。
二人は照れくさそうに顔を見合わせた後、誤魔化すようにそれぞれ口を開いた。
「おまえが一番上手に踊れていたと思うぞ」
「そうですね。ルーナが一番目を惹いていました」
先ほどのフレイルに続き、ストレートに褒められ、今度はルーナが照れる番だ。
(ううっ、皆、なんでそんな恥ずかしいことが言えるんだろう……元日本人のわたしには無理ですやめてください!)
内心で悶えるルーナだったが、自分も似たようなことをしている自覚はない。
「ほ、ほら五年前とはいえ、二回目だし。さすがに細かいところは覚えてなかったけど、練習しているうちに思い出したんだよね。だから、他の人より上手く踊れたのかも!」
真っ赤になって言い訳するルーナは愛らしく、その場にいた全員が和まされる。
だが、皆の微笑ましそうな眼差しが、今の彼女には辛いところだ。
「あ、あのっ。せっかくだし、座って話そうよ!」
「そうだね」
ルーナの強引な提案に、ジーンはクスリと笑ってうなずく。続いて彼は、身分の高い人物たちに囲まれていささか肩身の狭そうなフレイルに声をかけた。
「ああ、フレイル。面倒な役をさせて悪かったね」
「いえ、気にしないでください。じゃあ、俺は――」
ジーンへの返答と同時に逃げ出そうとしたフレイルだが、この場にそれを許す人間はいない。
「フレイルもこっちに」
「僕の隣にどうぞ」
「ああ、それがいいな」
すかさず腕を取ってユアンが言えば、すでに席に着こうとしていたカインが続き、リュシオンが良い考えだとばかりにうなずく。
さすがにその状況で去ることもできず、フレイルは小さくため息をついて席に着いた。
(なんで平民の俺が……)
そんな彼の心の声が聞こえてきそうだったが、それでもルーナは、他人をまったく寄せ付けなかった頃のフレイルを思えば、今の状況がただ純粋に嬉しい。だからこそ、彼の気持ちはわかるものの、助け舟を出すことはせず微笑むだけにした。
全員が席に着くと、リュシオンが時計を見ながらつぶやく。
「祭礼行列まで、まだだいぶ時間があるな」
「ええ。リュシオンの不在時の公務については、父と陛下がなんとかしてくれるはずですから、ゆっくり出来ますね」
リュシオンの言葉に、にっこり笑って答えるジーン。
父である公爵をはじめ、国王にさえも「あとは頼んだ」と言ってのける彼に、フレイルの顔が地味に引き攣る。
「ああ、そういえば、ユアンとフレイルは卒業後に魔法師団入りするらしいね」
カインが話題を振ると、ユアンは誇らしげに、フレイルは無表情にうなずいた。
魔法師団。
クレセニアでは、軍隊の中に魔法に突出した者が集まる部隊がある。それが魔法師団だ。
魔法王国とも呼ばれる国だけあり、ここでは魔法使いはエリートとされている。その中でも、国を守るために存在する魔法師団はエリートの中のエリートと言えた。
レングランド学院で上級魔法講座を修了した者の進路として一番に挙げられるのも、魔法師団だ。例に漏れず、ユアンとフレイルも卒業後の進路として選んでいた。
公爵家の子息であるユアンが軍人として働く――前世の千幸であれば首を傾げたことだろう。
日本の感覚で言えば、御曹司的立場の彼が、下っ端軍人から始めるというのは違和感があるからだ。
しかし、クレセニア王国においては、貴族として父親の跡を継げるのは長男のみ。
長男に何かあれば話は別だが、基本的に次男や三男は成人後、自分の力で生きて行かねばならない。ゆえに、次男以降の貴族は、軍人や神官として道を切り開く者が多い。それは、大貴族の子息であるユアンでも同じだ。
もっとも彼の場合は、そうした事情以上に、自ら魔法師団入りを望んでいたこともあり、卒業するのを今から楽しみにしているくらいなのだ。
「来年は優秀な士官候補が入ると、師団でも噂になってたぞ」
リュシオンが言えば、ユアンは頬を紅潮させて礼を言った。
「ありがたいですね。しかし、まだ実際に入団したわけではありませんし。もちろん、正式に配属されたなら、自分に出来る精一杯のことはするつもりですが」
「そうだな。褒めたたえるのは結果が出てからか」
感心するリュシオンの言葉を聞いて、ジーンが悪戯っぽく弟を見る。
「自分でハードルを上げてしまっていますけどね」
「う……そんなつもりはないんですけど」
ユアンは兄にからかわれ、たじたじの様子でつぶやいた。
兄弟のやりとりにルーナがクスクス笑い出すと、次の瞬間、皆が一斉に噴き出す。
楽しげな空気が漂う中、ルーナは改めてその場にいる全員を見回した。
「このメンバーで揃うのも久しぶりだよね」
「そうだな。最近は皆、忙しかったことだしな」
しみじみと言うルーナに、リュシオンが答える。
出会った頃は、皆、子供だったのだ。
高貴な家柄に生まれたため、なんのしがらみもなかったとは言わないが、その責任は成人した現在とはまったく違う。
(もし、ルーナに出会わなければ……)
ふとリュシオンは思う。
ジーンは今と同じく彼の傍にいただろう。だが、今のように心を許せる側近であったかどうかといえば、おそらく違った。
人には過ぎた魔力を保有し、それを幼さゆえに暴走させたことが、リュシオンを孤独に陥れた。
さらに実母の死から数年後、義母となった王妃キーラはリュシオンを疎んじる。父親である国王はリュシオンの味方であったが、何分多忙で、常にリュシオンについていることは不可能だった。
そうした環境も手伝い、リュシオンは孤独の闇に呑まれていく。化け物と呼ばれる己を一番恐れていたのは、彼自身だったかもしれない。
だがそんな時、彼はルーナと出会った。
同等の魔力を持つ彼女とかかわることによって、リュシオンの心の硬い殻が破れ、孤独が癒されることとなった。
もし、ルーナと出会った頃のままのリュシオンならば、王太子という重圧の中でさらに孤独を深め、その心の形を歪にしていたかもしれないのだ。
それはリュシオンだけではない。
カインやフレイルにしても、ルーナがいなければ、このような気安い関係を誰かと築くことはなかっただろう。
(まるで太陽……いや、暗闇の中で光を差し示す月か……)
ふとそんなことを思い、リュシオンはらしくない詩的な表現に苦笑する。
「――それにしても、今日は、なんにもなくてよかったよね!」
物思いに耽るリュシオンを余所に、ルーナはそんなことを訴えた。
「そうですね……」
「ああ。まぁ、そうそう何かあってたまるか、だがな油断は禁物だ」
深くうなずくカインに続き、リュシオンは苦虫を噛み潰したような顔で嘯いた。
「それって、王妃陛下の態度の変化ですか……」
ユアンはぽつりと漏らした後、下手をすれば問題な発言だと気づいたのかハッと口元に手をやる。
しかしリュシオンは、気にしていないと笑った。
「ああ、構わないぞ。ここには身内だけだしな」
「だが、外では発言に気をつけろ。ユアン」
リュシオンの言葉にホッと力を抜いたユアンだったが、続いてジーンに咎められ、慌てて表情を引き締める。
「でもユアンの言う通り、今日の――いや、ここ数年の王妃はどうかしたのかと思うほど大人しいですね」
カインが言うと、その言葉に大なり小なり心当たりがあるのか、皆が押し黙った。
リュシオンの義母にあたる王妃キーラは、彼を疎んじ、頻繁にその命を狙っていた。しかし、王太子である彼を弑するのは難しく、計画はどれも失敗に終わっていた。
そこで次に、彼と親しいルーナを狙うことを考え、様々な企てを実行してきた。にもかかわらず、ここ二年ほどは、まったくと言って良いほど、その影を薄くしている。
ルーナは話を聞きながら、今日の王妃の様子について思い返した。
神殿での奉納舞には、王族も出席する。リュシオンの異母妹――身体の弱いネイディア王女は、今回も体調不良のため欠席だったが、国王と王妃、そして王太子であるリュシオンは祭事に臨んだ。基本的に祭事中は俗世と離れるためという理由から、国王夫妻であろうと接触することはない。
それでも、王妃から話しかけられれば、ルーナは彼女を無視することなどできないのだ。
だからこそ、王妃の動向にはルーナも気を配っていた。
けれど今回、王妃は神殿に着くなり、用意された貴賓室に閉じこもってしまう。ようやく現れた彼女は、いつになく機嫌が良いようで、笑みを浮かべて周囲に愛想を振る舞っていた。
続いて行われた祭事の席でも同じで、ルーナが花姫として祭事や舞を務めるのに対し、睨みつけるどころか微笑んでいる。
(いったい、どうしちゃったの? いつもと違うと調子が狂うよ……)
ルーナがいささか不謹慎な感想を漏らすほど、王妃の態度や行動は異様だったのだ。
「あの時からだな……」
ふいにつぶやいたリュシオンへ、皆が注目する。
「アマリーの婚約式だ。あの後、絶対に非を認めることなどないと思っていたが、あれは自分から謝罪することであの場をうやむやにした。それが一番賢いやり方とはいえ、無駄に矜持が高いばかりの女がそれを実行するとは驚いたものだったが……」
二年近く前、アマリーの婚約式で魔物が放たれるという事件が起こった。
小型とはいえ魔物は魔物。下手をすれば死人が出てもおかしくない、悪質ないやがらせだ。
その首謀者が、王妃キーラだった。
幸いにも、ルーナやリュシオンたちの活躍により、怪我人は出ず、実行犯も捕らえられた。さらにそこから、王妃の企てであることが露見し、彼女を追い詰めた。――かに見えた。
しかし、王宮に逃げ帰った王妃は自室にしばらく引きこもった後、意外な行動に出る。
自分から国王へと謝罪したのだ。
曰く、「公爵家に対しての小さな悪戯だった」とのこと。
公爵家に悪意を持つ人物に自分は騙されたのだと。その者の、「せいぜい醜悪な虫を放して脅かすだけ。そこで主役の二人は助け合い、絆を深くするという演出だ」との言葉を信じてしまった。決して、毒のある、ましてや魔物などを放すことなど知らなかったと。
もちろんリュシオンも国王もこのような言い訳を信じなかった。だが、王妃は珍しく彼女らしからぬ周到さを見せる。
まず実行をそそのかしたという伯爵を自ら断罪し、自身は被害者であるという立場を貫いた。さらにしおらしく謝罪することで、ルーナおよび自らの政敵を潰すという企ての首謀者でありながら、愚か者に騙された被害者という立場にすり替えたのだ。
死者が出ていないこともあり、結局この件を理由に王妃を完全に排除するのは難しくなったのだった。
上手く立ち回ったと言えばそれまでだが、リュシオンたちは腑に落ちないものを感じていた。
王妃という自身の身分を至上とし、他者を――たとえ国王であっても――見下してきた王妃だ。
それが保身のためとはいえ、あっさりとプライドを捨て謝罪するだろうか、と。
疑問は浮かぶものの、王妃という立場にしがみつくための苦肉の策だろうと、国王やリュシオンはそれ以上追及しなかった。そうして、件の事件は公になることなく、うやむやになってしまったのだった。
「あの件については、王妃陛下の方が上手だった……ですがやはり、どうもそのやり方がらしくないと思えてなりません。それがずっと気になっているのです」
ジーンが訴えれば、続いてカインも意見を述べる。
「ああ。僕もそれが不自然だと思ってた。しかも、あれから怪しい動きがないどころか、最近ではやることがまともに見える」
彼らが言う通り、王妃はあの一件依以来、別人のように大人しくなった。
もちろんそれが反省したからとか、今は動かない方が良いからという理由なのかもしれないが、それでも以前の性格を知っていれば首を傾げることばかりだ。
皆がここ最近の王妃の動向を訝しむ中、リュシオンが口を開く。
「そういえば、散財もなりを潜めたな。それどころか、最近では王都や近辺の町に、私財で治療院を建設する計画を立てているらしい」
「えっ? あの王妃が?」
意外な情報に、カインは思わず驚きの声をあげた。
ルーナも声には出さなかったものの、心の中では正直な感想を漏らす。
(あの王妃様が私財を投げうって治療院って、悪いけどぜんぜん似合わない……)
国王や王太子のリュシオンに比べ、王妃の人気が今ひとつなのは、なにもその性格だけのせいではない。
庶民にとって、王族や貴族は次元の違う、遠い存在だ。実際の性格など知らずとも問題もない。だが、自分たちの生活を豊かにしてくれるかどうかは別だ。
善政を心掛けている国王やリュシオンが国民に人気なのは、当たり前のことだった。
それに対し、王族として国民の前に出るものの、庶民の生活にまったく心を配らない王妃は民の支持を得ていない。
だがそんな王妃が、ここ一、二年、まるで生まれ変わったかのように、王都の貧しい地域などに治療院を作る活動を始めたり、積極的に各地の視察に乗り出したりしたのだ。
(「薄汚い庶民が!」なんて言ってた人が、いきなり慈善事業に目覚めたって言われてもね……)
王妃がかかわっていようとも、その事業が発展していくのは良い。しかし、それらの活動が以前の彼女とはあまりにもかけ離れているため、何か裏があるのではと勘ぐってしまうのだ。
「あっ」
その時、ふと思い出したようにユアンが声をあげた。
「どうしたの、ユアン兄様?」
「いや、王妃の慈善事業って聞いて、思い出したことがあったんだ」
「それはなんだ、ユアン」
ジーンが尋ねると、ユアンはフレイルをチラリと見てから話し始める。
「この間、フレイルと一緒に街に出た時なんだけど……用事を済ませた後、そのまま商業区の食堂で食事していたんだ。そしたらそこで、ある噂を聞いて……」
「噂? どんなものだ?」
リュシオンの疑問に、ユアンはかしこまって答えた。
「盲目の聖女のことです」
(『盲目の聖女?』)
ユアンが放った言葉を反芻し、ルーナは首を傾げる。彼女だけではなく、カインやリュシオン、ジーンも、聞いたことのない単語に首をひねった。
そんな様子を眺めるばかりで、説明する気配のないユアンに、見かねたフレイルが遠慮がちに説明を代わる。
「なんでも最近、王都の近くにある貧民街に現れる女のことらしい」
「貧民街……?」
ルーナは思わず声をあげた。
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