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序章 罪
第3話 好青年(2)手紙
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「まあ、立ち話もなんですから」
栞は西田監督に促され、病院へと入った。
院内を勝手知ったるように歩く監督についていく。
監督の手には、近くの百貨店の紙袋と、黒革の分厚いビジネスバッグが提げられていた。
ロビーを抜け、エレベーター横の小さな休憩スペースに置かれた簡易ソファに案内される。
確かにこの時間、ここなら人目にはつかないだろう。
栞が座ったのを見届けると、監督は自販機でホット缶コーヒーと、ミルクティを買った。
「はい」
差し出されたミルクティが、思ったより温かくて――泣きそうになった。
監督も栞の隣に腰掛けると、プシュッと缶コーヒーを開けて、一口飲んだ。
「最初は⋯⋯アイツのストーカーか、週刊誌に雇われたバイトかと思いましたよ」
「え?」
「ハハハ。毎晩、あんなところで張り込んでるから。日渡はうちのスターなんで」
「す、すみません⋯⋯」
――そうか。あの人なら熱心なファンもいるだろうし、五輪候補生の悲劇がゴシップ記事のネタになっても不思議じゃない。
才能があって、ルックスも格好いい。性格も良さそう⋯⋯モテるんだろうな。
――栞は大樹のネット記事のコメント欄に、『応援してます』『今日も素敵』『彼女募集してませんか』などの書き込みが幾つもあったのを思い出した。
本当に自分とは別世界の人間なんだろう。
栞の緊張を解いたところで、西田監督は真顔になり、缶コーヒーを見つめて続けた。
「私はね、警察から聞いた限り、あの事故は、誰も悪くないと思ってる」
「⋯⋯」
「⋯⋯あなたは子供を避けただけで、日渡はたまたま、そこに居ただけだ」
栞は喉が詰まって、ミルクティを飲み込めなかった。
「ただね」
大きくため息をついて、監督が続けた。
「アイツが失ったものが、余りにも大きくてね⋯⋯」
監督は栞を直視した。
「執刀した外科医の説明では⋯⋯右足がどうしても修復できなくて、壊死を避けるために、やむを得ず――切断した」
「⋯⋯!!」
「右手も後遺症で麻痺が残ってしまった。あなたを責めても何も解決せんけど、これから、どうしたもんかねえ⋯⋯」
栞は、声を出さずに、慟哭した。
――本当に、取り返しのつかないことを。
※※※
「なぜ、私にそこまで教えてくれたんですか」
栞は気持ちが落ち着いたところで、監督に聞いた。本来なら、自分が聞いていいことではない気がした。
「今、アイツのことを一番に考えられるのは、あなただろうからね⋯⋯」
深い皺が刻まれた西田監督の表情が険しくなる。
「日渡は後輩達にも慕われてるから、皆、心配している。だが、彼らには彼らの練習がある。もう見舞いには行くなと言った」
――だから、ジャージ姿の学生達を見なくなったんだ。厳しい世界だな。
「アイツも、今は誰にも会いたくないようだしな」
「まだ、面会謝絶なんですか?」
「いや⋯⋯私は一昨日、病室には入れた。ただ、声をかけても何の反応もなく、アイツはずっと、ぼんやり窓の外を見てた」
「ご⋯⋯ご家族は⋯⋯?」
「岩手だ。入院の翌日には、お兄さんが一度駆けつけてくれた。だが、ご家族の介護があるそうでね⋯⋯いろいろ私に任せて、次の日には戻られたよ」
「そう⋯⋯ですか」
「岩手から強引にスカウトして、こんなところまで連れてきた責任は私にある。アイツは家族思いで、上京するのを随分迷っていたからな」
栞は、「日渡大樹」という人が、どれだけのものを背負ってきたかを思うと、胸が苦しくなった。
「私に、できることがあれば⋯⋯なんでもします。させて下さい!」
「うーん、難しいね。それは。被害者と加害者は接触しないほうが、いいだろうし。まあ、お気持ちだけで十分ですよ」
「でも⋯⋯あ、」
栞は手紙のことを思い出した。
そのために、ここに来ていたのだ。
「せめて、これを⋯⋯謝罪の気持ちだけでも伝えたくて⋯⋯手紙を書きました。日渡さんに渡して貰えないでしょうか」
栞は懇願するように、差し出した。
監督は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「うーん、申し訳ないが、私から手渡すことはできないな」
栞はガクンと項垂れた。
この人が駄目なら、もう手はない。
「ただ⋯⋯」
監督は続けた。
「たまたま、見舞いの菓子折りの袋に、うっかり手紙が落ちて紛れ込んでて、偶然、アイツの目に入ることは、あるかもしれんね」
そういって、監督は百貨店の紙袋を置いて、「ちょっとトイレ。荷物見ててくれませんか」と席を立った。
栞は手を合わせて、深々と礼をした。
※※※
一ヶ月後――。
「日渡さん、これ、どうします?」
ベテラン風の看護師が大樹に声をかける。
「お見舞いの品、もう置く場所がなくて」
個室のベッドサイドテーブルに置かれた見舞い品の数々――寄せ書きの色紙、テディベア、フラワーアレンジメント、菓子折りなどが、山積みになって溢れていた。
「⋯⋯捨てていいです」
窓の外を見たまま、大樹はぼそっと応えた。
「⋯⋯そうは言っても、後で見ることもあるでしょう。一応、段ボールに詰めさせていただきますね」
「⋯⋯」
看護師は段ボールを持ってきて、テキパキと詰め始めた。西田監督が持参した高級菓子折りも手付かずだった。
「お菓子は流石に、賞味期限が⋯⋯あら、あと三日で切れちゃうわ、これ」
「⋯⋯どうぞ」
「まあ。じゃあ、ナースステーションで、ありがたく頂きますね」
看護師は菓子折りを取り出した紙袋の底に、何かがあるのに気づいた。
「あら⋯⋯?手紙が。ファンレターかな。モテますね、日渡さん」
女性の文字で書かれた宛名を見て、看護師は言った。
大樹の枕元に、何気なく手紙を置き、段ボール箱に菓子折りを乗せて運んでいった。
※※※
「日渡!今、担当の先生に聞いたぞ、リハビリ始める気になったんだって?」
病室に入るなり、監督が声を弾ませた。
事故以来、大樹に関する初めての朗報だった。
「⋯⋯ええ、まあ」
「そうか!一体何がきっかけで?」
――監督は、大樹の心境の変化の理由を知りたかった。
今まで、自分や担当医や理学療法士が、どんな風に働きかけても、全く意欲を示さなかったからだ。
それどころか、大樹は全てに無気力で、退院した後の目処も立たない状態だった。
それがついに、やる気を出してくれた。
大きな一歩だった。
だが、監督の想像とは違って、それはそんなに前向きなものではなかった。
「⋯⋯ムカついただけです」
今まで一度も見たことがない、忌々しそうな顔をして、大樹は吐き捨てて言った。
「そ、そうか⋯⋯」
意味が分からず、視線を落とした監督は、ベッドサイドのゴミ箱に気づいた。
――ビリビリに破かれた、見覚えのある封筒が捨ててあった。
「⋯⋯そうか」
――理由はなんでもいい。
あなたのおかげだ、お嬢さん
栞は西田監督に促され、病院へと入った。
院内を勝手知ったるように歩く監督についていく。
監督の手には、近くの百貨店の紙袋と、黒革の分厚いビジネスバッグが提げられていた。
ロビーを抜け、エレベーター横の小さな休憩スペースに置かれた簡易ソファに案内される。
確かにこの時間、ここなら人目にはつかないだろう。
栞が座ったのを見届けると、監督は自販機でホット缶コーヒーと、ミルクティを買った。
「はい」
差し出されたミルクティが、思ったより温かくて――泣きそうになった。
監督も栞の隣に腰掛けると、プシュッと缶コーヒーを開けて、一口飲んだ。
「最初は⋯⋯アイツのストーカーか、週刊誌に雇われたバイトかと思いましたよ」
「え?」
「ハハハ。毎晩、あんなところで張り込んでるから。日渡はうちのスターなんで」
「す、すみません⋯⋯」
――そうか。あの人なら熱心なファンもいるだろうし、五輪候補生の悲劇がゴシップ記事のネタになっても不思議じゃない。
才能があって、ルックスも格好いい。性格も良さそう⋯⋯モテるんだろうな。
――栞は大樹のネット記事のコメント欄に、『応援してます』『今日も素敵』『彼女募集してませんか』などの書き込みが幾つもあったのを思い出した。
本当に自分とは別世界の人間なんだろう。
栞の緊張を解いたところで、西田監督は真顔になり、缶コーヒーを見つめて続けた。
「私はね、警察から聞いた限り、あの事故は、誰も悪くないと思ってる」
「⋯⋯」
「⋯⋯あなたは子供を避けただけで、日渡はたまたま、そこに居ただけだ」
栞は喉が詰まって、ミルクティを飲み込めなかった。
「ただね」
大きくため息をついて、監督が続けた。
「アイツが失ったものが、余りにも大きくてね⋯⋯」
監督は栞を直視した。
「執刀した外科医の説明では⋯⋯右足がどうしても修復できなくて、壊死を避けるために、やむを得ず――切断した」
「⋯⋯!!」
「右手も後遺症で麻痺が残ってしまった。あなたを責めても何も解決せんけど、これから、どうしたもんかねえ⋯⋯」
栞は、声を出さずに、慟哭した。
――本当に、取り返しのつかないことを。
※※※
「なぜ、私にそこまで教えてくれたんですか」
栞は気持ちが落ち着いたところで、監督に聞いた。本来なら、自分が聞いていいことではない気がした。
「今、アイツのことを一番に考えられるのは、あなただろうからね⋯⋯」
深い皺が刻まれた西田監督の表情が険しくなる。
「日渡は後輩達にも慕われてるから、皆、心配している。だが、彼らには彼らの練習がある。もう見舞いには行くなと言った」
――だから、ジャージ姿の学生達を見なくなったんだ。厳しい世界だな。
「アイツも、今は誰にも会いたくないようだしな」
「まだ、面会謝絶なんですか?」
「いや⋯⋯私は一昨日、病室には入れた。ただ、声をかけても何の反応もなく、アイツはずっと、ぼんやり窓の外を見てた」
「ご⋯⋯ご家族は⋯⋯?」
「岩手だ。入院の翌日には、お兄さんが一度駆けつけてくれた。だが、ご家族の介護があるそうでね⋯⋯いろいろ私に任せて、次の日には戻られたよ」
「そう⋯⋯ですか」
「岩手から強引にスカウトして、こんなところまで連れてきた責任は私にある。アイツは家族思いで、上京するのを随分迷っていたからな」
栞は、「日渡大樹」という人が、どれだけのものを背負ってきたかを思うと、胸が苦しくなった。
「私に、できることがあれば⋯⋯なんでもします。させて下さい!」
「うーん、難しいね。それは。被害者と加害者は接触しないほうが、いいだろうし。まあ、お気持ちだけで十分ですよ」
「でも⋯⋯あ、」
栞は手紙のことを思い出した。
そのために、ここに来ていたのだ。
「せめて、これを⋯⋯謝罪の気持ちだけでも伝えたくて⋯⋯手紙を書きました。日渡さんに渡して貰えないでしょうか」
栞は懇願するように、差し出した。
監督は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「うーん、申し訳ないが、私から手渡すことはできないな」
栞はガクンと項垂れた。
この人が駄目なら、もう手はない。
「ただ⋯⋯」
監督は続けた。
「たまたま、見舞いの菓子折りの袋に、うっかり手紙が落ちて紛れ込んでて、偶然、アイツの目に入ることは、あるかもしれんね」
そういって、監督は百貨店の紙袋を置いて、「ちょっとトイレ。荷物見ててくれませんか」と席を立った。
栞は手を合わせて、深々と礼をした。
※※※
一ヶ月後――。
「日渡さん、これ、どうします?」
ベテラン風の看護師が大樹に声をかける。
「お見舞いの品、もう置く場所がなくて」
個室のベッドサイドテーブルに置かれた見舞い品の数々――寄せ書きの色紙、テディベア、フラワーアレンジメント、菓子折りなどが、山積みになって溢れていた。
「⋯⋯捨てていいです」
窓の外を見たまま、大樹はぼそっと応えた。
「⋯⋯そうは言っても、後で見ることもあるでしょう。一応、段ボールに詰めさせていただきますね」
「⋯⋯」
看護師は段ボールを持ってきて、テキパキと詰め始めた。西田監督が持参した高級菓子折りも手付かずだった。
「お菓子は流石に、賞味期限が⋯⋯あら、あと三日で切れちゃうわ、これ」
「⋯⋯どうぞ」
「まあ。じゃあ、ナースステーションで、ありがたく頂きますね」
看護師は菓子折りを取り出した紙袋の底に、何かがあるのに気づいた。
「あら⋯⋯?手紙が。ファンレターかな。モテますね、日渡さん」
女性の文字で書かれた宛名を見て、看護師は言った。
大樹の枕元に、何気なく手紙を置き、段ボール箱に菓子折りを乗せて運んでいった。
※※※
「日渡!今、担当の先生に聞いたぞ、リハビリ始める気になったんだって?」
病室に入るなり、監督が声を弾ませた。
事故以来、大樹に関する初めての朗報だった。
「⋯⋯ええ、まあ」
「そうか!一体何がきっかけで?」
――監督は、大樹の心境の変化の理由を知りたかった。
今まで、自分や担当医や理学療法士が、どんな風に働きかけても、全く意欲を示さなかったからだ。
それどころか、大樹は全てに無気力で、退院した後の目処も立たない状態だった。
それがついに、やる気を出してくれた。
大きな一歩だった。
だが、監督の想像とは違って、それはそんなに前向きなものではなかった。
「⋯⋯ムカついただけです」
今まで一度も見たことがない、忌々しそうな顔をして、大樹は吐き捨てて言った。
「そ、そうか⋯⋯」
意味が分からず、視線を落とした監督は、ベッドサイドのゴミ箱に気づいた。
――ビリビリに破かれた、見覚えのある封筒が捨ててあった。
「⋯⋯そうか」
――理由はなんでもいい。
あなたのおかげだ、お嬢さん
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