14 / 63
幕間
4.
「全部織之助のせいにしよう」
まさかの提案に鈴が「士郎さま!」と悲痛な顔をした。
「だってそうだろ、織之助が最初に気づいてればこんなこと起きなかった」
「……ああ」
同意を求めるような視線を士郎から投げられて、織之助は静かに頷く。
「そんでもって織之助の一番の被害者は鈴吉――いや、鈴なわけだ」
軽い調子で肩を叩かれた鈴が慌てて首を横に振った。
「それはちが、」
「だからこの件の処罰は鈴に一任するってことで、どうだ正成」
「好きにしろ」
それでいいはずがないのに、正成は士郎の言葉に間髪入れず是を示した。
鈴が正成と士郎を交互に見て眉を下げている。
士郎は我が意を得たりとばかりに満面の笑顔で、改めて鈴に向かい直った。
「よし。若殿の許可も得たことだし、鈴」
呼ばれて背筋を伸ばす。
「どうしたい。おまえが望めば、これから女として生きていくことだってできる」
笑みを潜め、士郎が真剣な顔で訊いた。
先ほどまでと一転して静かになった部屋では呼吸のひとつさえ悟られる。
「私は……」
言いかけて唇を噛んだ。
士郎は心情を察して目を細め、鈴の細い肩に手を置く。
「もちろん、これまでどおりがいいって言うなら俺らは喜んで協力するさ」
俺ら、が誰を含んでいるかは聞くまでもない。
しかし心強い言葉をもらってなお、鈴は踏ん切りをつけられずにいた。
「……ご迷惑ではないのですか」
性別を偽ったまま城に出入りするなんて、とは口にしなかったが三人ともしっかり感じとったらしい。
士郎がにやりと笑って織之助を見た。
「なんせ鈴吉がいないと誰かさんの部屋は散らかりっぱなしだからな」
言われて織之助は顔を苦くした。
思い当たる節は大いにある。
わかりやすく視線を外した織之助を喉奥で笑い、士郎は正成に向かう。
「正成もだよな? 数少ない年下のかわいい家臣だもんなー」
正成は鈴を一瞥し、それから顔を背けて鼻を鳴らした。
「べつに鈴吉の代わりなんていくらでもいる」
「おまえね……」
「――が、弟のようには思ってるのは鈴吉だけだ」
士郎が呆れて諌めようとしたのを断ち切った正成の声は凛として部屋に響いた。
驚いた鈴が小さく息を呑む。
正成の視線は横を向いたままだったが、思いの丈はしっかり鈴に届いたらしい。
「んで、肝心の織之助はどうなんだー?」
士郎に突かれてようやく織之助は鈴を正視した。
おそらく、鈴が一番気にしているのは織之助の反応だろう。
大きな瞳が不安そうに織之助を映して揺れた。
「――迷惑だなんて、そんなわけないだろう。……おまえがいてくれて、この十年助かっている」
紛れもない本心だった。
過度な期待はしていなかったはずなのに、気づけばすっかり鈴吉に甘えている部分がある。
それは仕事の雑務然り、私生活然り。
鈴が小姓をやめて女として生きたいと言うのならもちろん尊重はするが――、できれば今のままそばにいてくれ、と身勝手に思う。
そんな心境のままゆっくり手を伸ばし、力を入れすぎて震えている拳を解くように掴んだ。
鈴はびくりと大きく肩を揺らしたが、もう触れることを拒まれることはなかった。
「おまえのいない生活は考えられない」
言ってから少し気恥ずかしくなる。
(……なにか言葉を間違えたような)
視線を感じて振り向くと士郎がにやにやとこちらを見ていた。
「見たか正成、あれが織之助兄さんの口説き方だぞ」
「おい」
「しっかり見た。城の女中たちが騒ぐわけだな」
「正成様まで乗らないでください」
苦虫を噛み潰したような顔になった織之助に二人の笑い声が降る。
鈴はここでようやくほんの少し息を吐いた。
それから意を決したように、織之助の手を握り返す。
「織之助さま」
いつかと同じように強い眼光を宿した瞳がまっすぐに織之助を捉えて離さない。
「織之助さまが許してくださるなら、これまでどおり小姓としてお仕えしたいです」
小さな手から伝わる熱が鈴の意志が固いことを表している。
十四歳の女子にしてはまめが多くて硬い手だった。
「おそばに、置いてくださいますか」
窺う瞳は大きくて丸くて、強い。
心を揺さぶられる瞳だ。この強い瞳に惹かれて拾い上げたと言っても過言ではない。
「……ああ、頼む」
自然と口元が綻び目尻を緩ませた織之助に、鈴が安心したように肩の力を抜いた。
――その様子を見て、織之助は静かに正成へ向き直る。
「正成様。正秀様へは……」
「まあ一応話すが……、あの父がなんて言うかは目に見えているな」
正成が苦い顔で吐き出す。
それを見た鈴が心配そうに眉を下げたのを、士郎は見逃さなかった。
「大殿様の性格は知ってるだろ? 心配するだけ無駄だって」
「……はい」
それについてはこの十年でよくよく実感している。
朗らかで闊達な城主には散々助けられている鈴だ。
「多少の減俸はあるだろうがな。織之助」
「それはもちろんです」
むしろそれだけで済むほうがおかしい。
本来であれば織之助と鈴、揃って斬り捨てられても文句は言えないのだ。
――それでも織之助さまが減俸になるのは申し訳ない。
鈴が心苦しく思っていると、やはり目敏く見つけた士郎が鈴の肩に腕をまわした。
「生活が苦しくて嫌になったらいつでも俺のとこ来いよー、鈴」
「急に馴れ馴れしいな、おまえは」
織之助がすかさず鋭い視線を飛ばしたが、士郎は気にせず鈴の顔を覗き込む。
「そんなことないって。なー、鈴」
「やめろ触るな馬鹿がうつる」
「なんだと!」
士郎を引っ剥がした織之助が鈴を庇うように間に割り込んだ。
それを見て苦く笑ったのは正成である。
「……織之助の過保護が増したな」
と、ここで鈴は一つ思い至った。
「あの、正成さま、私の初陣はどうなりますか」
鈴吉の初陣が決まったのは女だと露見する前のことだ。
ひっくり返されても文句を言えるような立場ではないが、確かめたい。
「戦場に行くつもりか」
「……はい」
正成が神妙な顔で訊き、鈴も真剣に頷いた。
言い争っていた織之助と士郎も黙って、ことの成り行きを見守っている。
「これまでどおり、と言うのがおまえの望みだったな」
「……もちろん無理にとは言いません」
小姓として認めてもらえただけでも有り難い話なのだ。これ以上を望むのは図々しいにも程がある。
けれど、できることなら。
そんな鈴の気持ちを汲み取ってか、正成は小さく息を吐いて織之助を見た。
「織之助は反対だろう」
「そうですね」
話を振られて、織之助はすぐさま肯定した。
「万が一捕縛などされれば、男装がばれないとも言い切れません」
「なるほど。織之助は鈴を守れる自信がないと」
「……そういうわけではありませんが」
正成の試すような目に織之助が苦い顔になった。
「鈴吉はどう思っている?」
そのまま正成は鈴に視線を滑らせる。
――もう隠し事は無しだ。
鈴は決意を胸に顔を上げた。
「……ご迷惑をおかけするのは、いやです」
正成が「ほう」と小さくこぼす。
「ですが、織之助さまのためならこの命を捨ててもいいと思っております」
一呼吸おいて、鈴はまっすぐに織之助を見た。
「――それは、戦場にあっても同じ覚悟です」
言い切った鈴に迷いはない。
「かっこいいなあ鈴吉。そこらへんの男より男だ!」
手を叩いて褒めたのは士郎だったが、正成も楽しそうに唇の端を持ち上げた。
「よし。許可する。もともと俺も父もおまえの武術の腕は見込んでいるんだ、存分に発揮しろ」
「……! はい!」
喜んで顔を明るくした鈴と対照的に、織之助はまだ渋い顔をしている。
それに気づいて鈴がそっと織之助を窺うと、優しい印象を与える垂れ目が鋭く鈴に向けられた。
「おまえに命張ってもらうほど弱くない」
低い声に鈴がはっと息を呑む。
「命は捨てるな。俺のためになりたいと言うなら、生きろ」
それは、今までの中で一番優しい命令だった。
じわりと目頭が熱くなって視界がぼやける。
「はい……!」
声が震えそうになるのをなんとか堪えて返事をした鈴に、織之助は静かに目を細めた。
――あの日、私を拾ってくれたのがこの人でよかった。
まさか拾われた先でこんなに大切にされるなんて思っていなかった。
それもこんなたくさんの人に。
「なにからなにまで、ありがとうございます」
改めて三人に頭を下げた鈴に最初に声をかけたのは織之助だった。
「体調は大丈夫か」
「はい。……あの、お見苦しいものを失礼いたしました」
「いや……」
気まずい空気が漂い始めたのを、「よし!」と士郎が断ち切った。
「鈴、もう隠してることはないな?」
「は、はい! ないです!」
「じゃあ今日は早く寝ろ!」
「はい! ……え?」
勢いのまま頷いて――、ん? と首を傾げる。
「よく寝て、よく寝て、明日からまたよろしく頼むな。鈴吉」
にかりと歯を見せた士郎の横で織之助も、少し離れたところでは正成も優しい表情をしていた。
(ああ、本当に、私は恵まれすぎている)
「――はい!」
鈴が城に来てから初めて、心から笑った瞬間だった。
あなたにおすすめの小説
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」
まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。
そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。
「…おかえり」
ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。
近い。甘い。それでも――
「ちゃんと付き合ってから」
彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。
嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。
だから一歩手前で、いつも笑って止まる。
最初から好きなくせに、言えない彼女と。
気づいているのに、待っている俺の話。
フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛
咲妃-saki-
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました
藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。
そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。
ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。
その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。
仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。
会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。
これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。
【完結】元恋人と、今日から同僚です
紗和木 りん
恋愛
女性向けライフスタイル誌・編集部で働く結城真帆(29)。
仕事一筋で生きてきた彼女の前に、ある日突然、五年前に別れた元恋人が現れた。
「今日から、この部署に配属になった」
そう告げたのは、穏やかで理性的な朝倉。
かつて、将来や価値観のすれ違いから別れた相手だ。
仕事として割り切ろうと距離を取る真帆だったが、過去の別れが誤解と説明不足によるものだったことが少しずつ見えてくる。
恋愛から逃げてきた女と、想いを言葉にできなかった男。
仕事も感情も投げ出さず、逃げずに選び直した先にあるのは「やり直し」ではなく……。
元恋人と同僚になった二人。
仕事から始まる新しい恋の物語。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。