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第九章:王城決戦編 【第二幕】
第百十一話:『命の選択』
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アシュレイが倒れた。
因縁の敵を打ち破った直後の静寂を破ったのは、乾いた石床に崩れ落ちる乾いた音だった。男は、変わり果てた姿で、意識を失ったまま横たわっている。
その姿は、俺の目にも痛々しく映った。薄汚れた騎士団の制服は血と埃にまみれ、顔は土色にやつれ、かつての面影はどこにもなかった。彼はただ、静かに、そして危うげに、そこで息をしていた。
「これがアシュレイ様だと言うのですか」
セレナは、その光景を前に、息をのんだ。彼女の美しい顔は驚愕に目を見開かれ、その声には悲しみと戸惑いが入り混じっていた。
彼女は、目の前の現実が信じられないといった様子で、唇を震わせている。その視線は、アシュレイの痛々しい姿から離れることができなかった。
俺は、事の顛末をここにいる者たちに説明しようと口を開く。
だが、その前に、もう一人、重傷を負って倒れている人物がいた。
ルシウスだ。
腹に大きな穴を開けられ、血を流しながら、かろうじて息をしている。その異常な生命力に、俺は驚きを隠せない。彼の顔は蒼白だが、かすかに開いた瞳にはまだ生きる意志の光が宿っていた。
「この方は──」
セレナは、ルシウスの姿を見るや、瞬時に警戒し、俺とナナシを庇うように身構えた。
「皆さん!下がって!この方はアルス様を!」
俺を瀕死に追いやり、結果的にセレナに命を削る魔法を使わせた張本人。セレナは、俺の危機を救うために自らの命を犠牲にした。その記憶が、彼女の冷静さを奪い、強い警戒心を露わにさせていた。
「……い……まは……敵じゃない……ッス」
ルシウスは、途切れ途切れに言葉を絞り出し、口から血を吐いた。彼の言葉は、もはや蚊の鳴くような声だった。
「そんなの信じられるわけがありません!」
セレナは、ルシウスの言葉を信じず、その細い腕で俺の前に立ちふさがった。
「……ッスよね」
ルシウスは、自嘲するように笑った。その顔は、冷たい床に落ちる血で赤く染まっている。
冷たい顔で、セレナが言い放つ。アルスを傷つけたという事実。それが何よりセレナにとっては許し難い出来事だった。
その後ろにいたエルもまた、静かにルシウスを警戒していた。その瞳は、獲物を狙う猫のように鋭く光っている。
俺は、セレナの感情を理解しながらも、ルシウスを救うことを決意していた。この男の強大な力は、国王と戦う上で必ず必要になる。
「セレナ、こいつを治してやってくれないか」
俺の言葉に、セレナは信じられないといった表情を浮かべる。
「何故ですか!?アルス様を瀕死に追いやった人ですよ!?」
俺は、セレナの真っ直ぐな瞳に射抜かれ、思わず視線を逸らした。
「……ああ、そうだよ。お前には散々迷惑を掛けた。自分の命まで削って俺に魔法を使って……それを、俺は身勝手にも拒んだ。感謝もせず、ただ突っぱねて……最低だな、俺」
言葉の端が震える。
それでも、逃げるわけにはいかなくて。
「悪かった、セレナ。本当に……悪かった」
俺は精一杯、深く頭を下げた。セレナがいなければ、今の俺はここにいない。俺のしたことは、謝罪の言葉だけでは足りない。
「だが、コイツは必ず戦力になるはずなんだ……だから頼む!」
俺は地に額をこすりつける。
言葉だけでは足りない。だから誠意を示す。
冷たい石の床が、皮膚に張り付く感覚さえ、今は安堵に近かった。
「やめてください、アルス様!……それに、もしこの方が裏切ったらどうするつもりですか!」
セレナの声は、当然の疑問を突きつけてくる。
その鋭さに、俺の胸は締め付けられる。答えなんて……分かってる。分かってるけど……。
沈黙を破ったのは、別の声だった。
アシュレイの様子を見ていたナナシが、ゆっくりと立ち上がり、セレナの頭に手を置く。
「そんときゃ俺が狩るから安心しろ、嬢ちゃん」
軽く放たれたその言葉は、不思議と呪文みたいに場の空気を和らげていく。
だが、セレナにとっては気に入らなかったらしい。彼女はナナシの手を乱暴に振り払った。
「……っ!」
「俺、なんか悪いことしたかぁ?」
ナナシはへらっと笑い、首を傾げる。
場の緊張感をいとも簡単に薄めるその態度に、俺は呆れるより先に苦笑を漏らしていた。
「ナナシ様は女たらしの匂いがするので嫌いです。それよりナナシ様。アシュレイ様は大丈夫なのですか」
「今は、な」
短い返答。
その低い声からは、もう残された時間がわずかだということが嫌でも伝わってきた。
「俺の友を心配してくれてありがとな、嬢ちゃん」
ナナシは再びセレナの頭に手を伸ばす。だが、それもすぐに振り払われる。
「兄ちゃん、すまん。聖女様の性格変えちまったの、多分俺かもしんねぇわ」
苦笑混じりに俺へそう言ってくる。
「大丈夫だ。いつもこんな感じだからな」
俺が答えた、その直後だった。
ぐい、と後頭部に衝撃。
「……お、おい?」
セレナの足が、俺の頭を石床に押し付けている。体重を乗せ、容赦なく。
「あ・な・た・の!せいですよ!」
歯を軋ませ、怒りを叩きつける声。
「……悪い。本当に悪いと思ってる」
痛みに顔を歪めながらも、俺はただ必死に謝るしかなかった。石床に押し付けられた額が、冷たさよりも情けなさで焼ける。
「……分かりました。アルス様の誠意に応えます。それに……私も、言い過ぎました。すみません、アルス様」
セレナは小さく頭を下げる。その表情はさっきまでの冷たさとは違い、どこか柔らかさを取り戻していた。瞳には、葛藤を抜けた安堵の光が宿っている。
「セレナ……ありがとう。許してくれたのなら、そろそろ足を退けてくれないか」
俺の言葉に、セレナはふっと力を抜いた。
「ふ、ふん!……これっきりにしてください、ねっ!」
「ぐっ──!」
最後に思い切り踏み抜かれた頭。痛みと共に、胸の奥にじんわり温かいものが広がる。
彼女なりの許し方に、俺は心から感謝せずにはいられなかった。
「ですが問題は、この方を癒す方法です。この傷……いえ、傷というにはあまりにも……」
ルシウスの体には、シャドウにやられた穴が空いていた。
「嬢ちゃん……分かってるとは思うが──」
ナナシが静かに言葉を促す。セレナは、その意図を正確に理解していた。
「使いません」
「ならいい」
ナナシは、その声に満足そうに頷く。その声には、もう命を削るなという強い意志が込められていた。それには俺も賛成だった。しかし、このままではルシウスが死んでしまう。
その時、ナナシは突拍子もないことを言い出した。その言葉は、この地下の重い空気を一変させた。
「ならよ、俺の命を使え」
「バカですかあなたは!そんな事をすればあなたの寿命が削れるんですよ!?さっき私に説教したばかりじゃないですか!」
セレナは憤慨した。その瞳には、ナナシへの怒りと、彼の命を心配する気持ちが入り混じっていた。彼女は、彼の命がどれほど危険な状態にあるかを誰よりも理解していたからだ。
「安心しろ、俺は死なねぇ」
ナナシはヘラヘラと笑いながら言った。まるで自分の寿命なんてどうでもいいとでも言うように。だが、その言葉は逆にセレナの怒りを煽る。
「あなたは『魔刻』で既に寿命が削られているんです! このままでは……アシュレイ様のように──!」
「大丈夫だ。やってくれ」
ナナシはセレナの言葉を遮り、笑みを消して真剣な眼差しを向けた。
「ですが──」
「俺は死なねぇ。嬢ちゃんが心配してくれるのは、本当に嬉しい。これに関しちゃガチの本音だ。……それこそ、リリアがいなきゃ、嬢ちゃんのバージン奪ってたのは俺かもしれねぇ程だ」
「なっ……!」
「いでででっ!ちょっ、待て、冗談だって!あだだっ!」
細い腕と脚からは想像できない力で、セレナは容赦なく拳と蹴りを叩き込む。
「……本当にいいんですか」
「ああ。リリアを救う為なら何だってやる。それにそいつ、つえぇだろ。兄ちゃんも言っていたが、今はとにかく戦力が必要だ。……国王陛下ってのはそういう存在なんだ」
ナナシの目に宿る覚悟を汲み取り、セレナは──
「分かりました。そういえば私、ナナシ様よりアルス様の方が大事なので、ここまで躊躇う必要ありませんでしたね」
セレナは、呆れたような、それでいてどこか優しい表情で呟いた。その言葉に、ナナシは苦笑いする。
「……兄ちゃん。聖女様と結婚したらいつか刺されるぞ」
ナナシは苦笑しながら俺に告げる。
俺からすれば、二人はいいコンビだと思うのだが。
しかし、その背後から、無意識に魔力が溢れ出している者がいた。
「結婚……ですか。誰と誰がでしょうか」
エルの声が、静かに響く。その声は、冷たい氷のように、その場の空気を凍らせた。
「大丈夫だエル!結婚しないから!」
エルの視線に真っ先に気づいた俺は、慌ててエルを鎮めるように言う。その言葉に、セレナはがっかりした表情を浮かべた。
「やるなら……早くお願い……する……ッス」
ルシウスは、かろうじて声を発した。
「あぁ悪い。忘れてた!……んじゃ、嬢ちゃん。頼む」
「分かりました……本当に──」
「大丈夫」
セレナの言葉に間髪入れず、ナナシは答えた。そして、セレナは詠唱の準備に入り、ナナシはその場で胡坐をかき、静かに座り出す。
俺は疑問に思った。
「他者の命を分け与えるなんて魔法、セレナが使えるって何で知ってんだよお前」
ナナシは俺の質問に答えようとしない。
「……聖女は”命”を扱う職業だからな」
「答えになってない。俺は何故そんな事を知っていると聞いたんだ」
セレナは詠唱の準備に集中し、返事をしない。ナナシは俺から視線を外し、寂しそうに下を向いた。
「俺が知ってる聖女にそんな奴が居ただけさ」
その顔は、今から命を削られる恐怖というよりも、どこか遠い過去を懐かしむような、切ない表情に見えた。
「……準備が整いました」
セレナは、祈りを捧げるように手を組み、静かに告げた。その瞬間、この地下空間全体を照らす程の、眩い光がセレナから溢れ出す。
「始めてくれ」
ナナシの声に、セレナは深く息を吸い込む。
「いきます──『ああ主よ。願わくば、ひとつの命を削ぎ、その滴りを他者の器へと注がせたまえ。生を捧ぐ者の痛みと共に、新たな息吹を受け継がせよ。断ち切られた絆を繋ぎ直し、ひとときでも歩む力を与えましょう──』」
その姿は、まさに神々しい聖女そのものだった。俺は、セレナにここまでのことをさせていたのかと、胸が締め付けられる思いだった。意識がなかったから、これほどの覚悟と苦痛を伴う魔法だとは、全く知らなかった。
「『犠牲の血潮よ、祈りに応えて。命を渡すこの手に導かれ、どうか目覚めよ──』」
詠唱が終わり、その場にセレナの凛とした声が響く。
「命血贖犠」
その瞬間、辺りが神々しい光に包まれた。
因縁の敵を打ち破った直後の静寂を破ったのは、乾いた石床に崩れ落ちる乾いた音だった。男は、変わり果てた姿で、意識を失ったまま横たわっている。
その姿は、俺の目にも痛々しく映った。薄汚れた騎士団の制服は血と埃にまみれ、顔は土色にやつれ、かつての面影はどこにもなかった。彼はただ、静かに、そして危うげに、そこで息をしていた。
「これがアシュレイ様だと言うのですか」
セレナは、その光景を前に、息をのんだ。彼女の美しい顔は驚愕に目を見開かれ、その声には悲しみと戸惑いが入り混じっていた。
彼女は、目の前の現実が信じられないといった様子で、唇を震わせている。その視線は、アシュレイの痛々しい姿から離れることができなかった。
俺は、事の顛末をここにいる者たちに説明しようと口を開く。
だが、その前に、もう一人、重傷を負って倒れている人物がいた。
ルシウスだ。
腹に大きな穴を開けられ、血を流しながら、かろうじて息をしている。その異常な生命力に、俺は驚きを隠せない。彼の顔は蒼白だが、かすかに開いた瞳にはまだ生きる意志の光が宿っていた。
「この方は──」
セレナは、ルシウスの姿を見るや、瞬時に警戒し、俺とナナシを庇うように身構えた。
「皆さん!下がって!この方はアルス様を!」
俺を瀕死に追いやり、結果的にセレナに命を削る魔法を使わせた張本人。セレナは、俺の危機を救うために自らの命を犠牲にした。その記憶が、彼女の冷静さを奪い、強い警戒心を露わにさせていた。
「……い……まは……敵じゃない……ッス」
ルシウスは、途切れ途切れに言葉を絞り出し、口から血を吐いた。彼の言葉は、もはや蚊の鳴くような声だった。
「そんなの信じられるわけがありません!」
セレナは、ルシウスの言葉を信じず、その細い腕で俺の前に立ちふさがった。
「……ッスよね」
ルシウスは、自嘲するように笑った。その顔は、冷たい床に落ちる血で赤く染まっている。
冷たい顔で、セレナが言い放つ。アルスを傷つけたという事実。それが何よりセレナにとっては許し難い出来事だった。
その後ろにいたエルもまた、静かにルシウスを警戒していた。その瞳は、獲物を狙う猫のように鋭く光っている。
俺は、セレナの感情を理解しながらも、ルシウスを救うことを決意していた。この男の強大な力は、国王と戦う上で必ず必要になる。
「セレナ、こいつを治してやってくれないか」
俺の言葉に、セレナは信じられないといった表情を浮かべる。
「何故ですか!?アルス様を瀕死に追いやった人ですよ!?」
俺は、セレナの真っ直ぐな瞳に射抜かれ、思わず視線を逸らした。
「……ああ、そうだよ。お前には散々迷惑を掛けた。自分の命まで削って俺に魔法を使って……それを、俺は身勝手にも拒んだ。感謝もせず、ただ突っぱねて……最低だな、俺」
言葉の端が震える。
それでも、逃げるわけにはいかなくて。
「悪かった、セレナ。本当に……悪かった」
俺は精一杯、深く頭を下げた。セレナがいなければ、今の俺はここにいない。俺のしたことは、謝罪の言葉だけでは足りない。
「だが、コイツは必ず戦力になるはずなんだ……だから頼む!」
俺は地に額をこすりつける。
言葉だけでは足りない。だから誠意を示す。
冷たい石の床が、皮膚に張り付く感覚さえ、今は安堵に近かった。
「やめてください、アルス様!……それに、もしこの方が裏切ったらどうするつもりですか!」
セレナの声は、当然の疑問を突きつけてくる。
その鋭さに、俺の胸は締め付けられる。答えなんて……分かってる。分かってるけど……。
沈黙を破ったのは、別の声だった。
アシュレイの様子を見ていたナナシが、ゆっくりと立ち上がり、セレナの頭に手を置く。
「そんときゃ俺が狩るから安心しろ、嬢ちゃん」
軽く放たれたその言葉は、不思議と呪文みたいに場の空気を和らげていく。
だが、セレナにとっては気に入らなかったらしい。彼女はナナシの手を乱暴に振り払った。
「……っ!」
「俺、なんか悪いことしたかぁ?」
ナナシはへらっと笑い、首を傾げる。
場の緊張感をいとも簡単に薄めるその態度に、俺は呆れるより先に苦笑を漏らしていた。
「ナナシ様は女たらしの匂いがするので嫌いです。それよりナナシ様。アシュレイ様は大丈夫なのですか」
「今は、な」
短い返答。
その低い声からは、もう残された時間がわずかだということが嫌でも伝わってきた。
「俺の友を心配してくれてありがとな、嬢ちゃん」
ナナシは再びセレナの頭に手を伸ばす。だが、それもすぐに振り払われる。
「兄ちゃん、すまん。聖女様の性格変えちまったの、多分俺かもしんねぇわ」
苦笑混じりに俺へそう言ってくる。
「大丈夫だ。いつもこんな感じだからな」
俺が答えた、その直後だった。
ぐい、と後頭部に衝撃。
「……お、おい?」
セレナの足が、俺の頭を石床に押し付けている。体重を乗せ、容赦なく。
「あ・な・た・の!せいですよ!」
歯を軋ませ、怒りを叩きつける声。
「……悪い。本当に悪いと思ってる」
痛みに顔を歪めながらも、俺はただ必死に謝るしかなかった。石床に押し付けられた額が、冷たさよりも情けなさで焼ける。
「……分かりました。アルス様の誠意に応えます。それに……私も、言い過ぎました。すみません、アルス様」
セレナは小さく頭を下げる。その表情はさっきまでの冷たさとは違い、どこか柔らかさを取り戻していた。瞳には、葛藤を抜けた安堵の光が宿っている。
「セレナ……ありがとう。許してくれたのなら、そろそろ足を退けてくれないか」
俺の言葉に、セレナはふっと力を抜いた。
「ふ、ふん!……これっきりにしてください、ねっ!」
「ぐっ──!」
最後に思い切り踏み抜かれた頭。痛みと共に、胸の奥にじんわり温かいものが広がる。
彼女なりの許し方に、俺は心から感謝せずにはいられなかった。
「ですが問題は、この方を癒す方法です。この傷……いえ、傷というにはあまりにも……」
ルシウスの体には、シャドウにやられた穴が空いていた。
「嬢ちゃん……分かってるとは思うが──」
ナナシが静かに言葉を促す。セレナは、その意図を正確に理解していた。
「使いません」
「ならいい」
ナナシは、その声に満足そうに頷く。その声には、もう命を削るなという強い意志が込められていた。それには俺も賛成だった。しかし、このままではルシウスが死んでしまう。
その時、ナナシは突拍子もないことを言い出した。その言葉は、この地下の重い空気を一変させた。
「ならよ、俺の命を使え」
「バカですかあなたは!そんな事をすればあなたの寿命が削れるんですよ!?さっき私に説教したばかりじゃないですか!」
セレナは憤慨した。その瞳には、ナナシへの怒りと、彼の命を心配する気持ちが入り混じっていた。彼女は、彼の命がどれほど危険な状態にあるかを誰よりも理解していたからだ。
「安心しろ、俺は死なねぇ」
ナナシはヘラヘラと笑いながら言った。まるで自分の寿命なんてどうでもいいとでも言うように。だが、その言葉は逆にセレナの怒りを煽る。
「あなたは『魔刻』で既に寿命が削られているんです! このままでは……アシュレイ様のように──!」
「大丈夫だ。やってくれ」
ナナシはセレナの言葉を遮り、笑みを消して真剣な眼差しを向けた。
「ですが──」
「俺は死なねぇ。嬢ちゃんが心配してくれるのは、本当に嬉しい。これに関しちゃガチの本音だ。……それこそ、リリアがいなきゃ、嬢ちゃんのバージン奪ってたのは俺かもしれねぇ程だ」
「なっ……!」
「いでででっ!ちょっ、待て、冗談だって!あだだっ!」
細い腕と脚からは想像できない力で、セレナは容赦なく拳と蹴りを叩き込む。
「……本当にいいんですか」
「ああ。リリアを救う為なら何だってやる。それにそいつ、つえぇだろ。兄ちゃんも言っていたが、今はとにかく戦力が必要だ。……国王陛下ってのはそういう存在なんだ」
ナナシの目に宿る覚悟を汲み取り、セレナは──
「分かりました。そういえば私、ナナシ様よりアルス様の方が大事なので、ここまで躊躇う必要ありませんでしたね」
セレナは、呆れたような、それでいてどこか優しい表情で呟いた。その言葉に、ナナシは苦笑いする。
「……兄ちゃん。聖女様と結婚したらいつか刺されるぞ」
ナナシは苦笑しながら俺に告げる。
俺からすれば、二人はいいコンビだと思うのだが。
しかし、その背後から、無意識に魔力が溢れ出している者がいた。
「結婚……ですか。誰と誰がでしょうか」
エルの声が、静かに響く。その声は、冷たい氷のように、その場の空気を凍らせた。
「大丈夫だエル!結婚しないから!」
エルの視線に真っ先に気づいた俺は、慌ててエルを鎮めるように言う。その言葉に、セレナはがっかりした表情を浮かべた。
「やるなら……早くお願い……する……ッス」
ルシウスは、かろうじて声を発した。
「あぁ悪い。忘れてた!……んじゃ、嬢ちゃん。頼む」
「分かりました……本当に──」
「大丈夫」
セレナの言葉に間髪入れず、ナナシは答えた。そして、セレナは詠唱の準備に入り、ナナシはその場で胡坐をかき、静かに座り出す。
俺は疑問に思った。
「他者の命を分け与えるなんて魔法、セレナが使えるって何で知ってんだよお前」
ナナシは俺の質問に答えようとしない。
「……聖女は”命”を扱う職業だからな」
「答えになってない。俺は何故そんな事を知っていると聞いたんだ」
セレナは詠唱の準備に集中し、返事をしない。ナナシは俺から視線を外し、寂しそうに下を向いた。
「俺が知ってる聖女にそんな奴が居ただけさ」
その顔は、今から命を削られる恐怖というよりも、どこか遠い過去を懐かしむような、切ない表情に見えた。
「……準備が整いました」
セレナは、祈りを捧げるように手を組み、静かに告げた。その瞬間、この地下空間全体を照らす程の、眩い光がセレナから溢れ出す。
「始めてくれ」
ナナシの声に、セレナは深く息を吸い込む。
「いきます──『ああ主よ。願わくば、ひとつの命を削ぎ、その滴りを他者の器へと注がせたまえ。生を捧ぐ者の痛みと共に、新たな息吹を受け継がせよ。断ち切られた絆を繋ぎ直し、ひとときでも歩む力を与えましょう──』」
その姿は、まさに神々しい聖女そのものだった。俺は、セレナにここまでのことをさせていたのかと、胸が締め付けられる思いだった。意識がなかったから、これほどの覚悟と苦痛を伴う魔法だとは、全く知らなかった。
「『犠牲の血潮よ、祈りに応えて。命を渡すこの手に導かれ、どうか目覚めよ──』」
詠唱が終わり、その場にセレナの凛とした声が響く。
「命血贖犠」
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