攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)

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新章 第三幕【NEO: Crossing】

Re:第四十話「その涙に、刃は届かない」

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 信号の前で、立ち尽くしていた。

 車の音が絶え間なく行き交う交差点。その中で、彼だけが時間から取り残されたように立ちすくんでいた。

 ──須藤剣一。

 焦点の合わない視線が、赤信号の向こうに注がれていた。

 口元はわずかに開いたまま。呼吸だけが、風にまぎれ、かすかに震えていた。

 誰かの名前を呼ぼうとしたのかもしれない。

 けれど──声にならなかった。

 そのとき、遠くから。

 誰かが彼の名を、確かに呼んだ。

 
 ──お兄ちゃん、と。

 
 幻聴ではなかった。

 その証拠に、アスファルトを蹴るスニーカーの音が、確かに近づいていた。

 
 制服姿の少女が──

 赤信号の向こうから、必死に駆けてくる。

 黒髪を揺らしながら、息を切らせ、こちらへ向かって。

「……楓」

 ようやく、彼の口が動いた。

 その声に応えるように、少女はしっかりと頷く。

「……うん」

「……お前も、生きてたんだな」

 
 その一言に、涙が滲んだ。

 再会の理由は、わからない。

 なぜ今ここに戻ってこれたのか──理解は追いつかない。

 けれど、この腕にいるのは、間違いなく妹だった。

 それだけで、剣一の思考は途切れ、感情だけが胸を満たしていく。

 
 ──現実に、戻ってきたんだ。

 
 どれほどの時間が流れたのか。

 二人はそのまま、歩道の隅で、黙ったまま抱き合っていた。

 

 * * *

 

 蛍光灯が微かに明滅する、静まり返った病室。

 白い壁。白い天井。

 その無機質な空間の中──一人の少女が、ゆっくりと瞼を開けた。

 真希だった。

 空気が一瞬だけ震えた。

 喉は乾いていて、身体は異様な重さを持っていた。

 けれど、それ以上に──胸の奥で疼く感情があった。

(……夢じゃ、ない……)

 まだ視界はぼやけている。

 だが──記憶は鮮明だった。

 最後に見た光。最後に聞いた声。

 そして、彼の温度。

(……須藤くん……)

 その名を、心の中で呼ぶ。

 けれど声にはならなかった。

 彼は、今どこにいるのか。

 まだ、あの世界のどこかにいるのだろうか──。

 
 視線を移すと、簡素な病室の片隅に花瓶が見えた。

 誰が置いたのだろう。

 風に揺れるカーテン。

 そして、誰もいない個室。

「……何でここに」

 ぽつりと呟いた声が、虚空に吸い込まれていく。

 ──怖かった。

 誰もいないこの現実が、怖かった。

 あの世界では、孤独に慣れていたはずだったのに。

 今は、誰かがいないことが、何よりも心を締めつけた。

(……居な……い?)

 手を胸に当てた。

 マキナの存在が、どこにもなかった。

 もう、あの声は響かない。

 
 真希は、ゆっくりと上体を起こした。

 足元はふらつき、視界が揺れる。

 それでも──彼に会いに行かなくてはならなかった。

 自分の目で、確かめたかった。

 
 点滴の管を外し、ベッドを下りる。

 身体は冷えきっていたが、意志だけが熱を持っていた。

 
 そして、扉の前で、そっと息を吸い込む。

「……須藤……くん」

 今度は、声になった。

 その小さな音が、自分自身の胸を強く震わせた。

 
 病室を出た。

 夜の病院は、まるで異世界のようだった。

 非常灯だけがぼんやりと照らす廊下。

 誰もいないその空間を、真希は迷いなく歩いた。

 階段を降り、夜間通用口を開け──外の空気が、頬に触れた。

 

 その瞬間。

 
 ──カツン。

 
 アスファルトに響く、乾いた足音。

 目を向けた先に、誰かがいた。

 街灯の下、制服姿の少女がひとり──ナイフを手に、立っていた。

「……真希ちゃんも」

 聞き慣れた声だった。

 けれど、そこには確かな殺意が滲んでいた。

「……双葉ちゃん……?」

 名前を口にした瞬間、心臓が跳ねた。

 ──生きていた。

 だが──その目は、氷のように冷たかった。

 ──刃が、振り上げられる。

 真希は、咄嗟に身を引いた。

 足元がもつれ、背中を壁に打ちつける。

 視界が一瞬、白く霞んだ。

 痛みと共に、意識が引き戻される。

 ──夢じゃない。これは現実だ。

 この手には何もない。

 マキナもいない。あの力も──。

 けれど、それでも──。

 目の前で、泣きそうな目をしてナイフを構える少女がいる。

 友達だった少女が。

「……双葉ちゃん」

 その名を呼ぶ声は、震えていた。

 けれど、確かに言葉になっていた。

「……いなくなってよ」

 双葉は小さく呻くように言った。

「お願いだから……どこかに行って……もう、須藤くんの前に現れないで……」

 真希は、胸の奥が締めつけられるのを感じた。

 苦しかった。何も言えないほどに。

 それでも──伝えなければならなかった。

「……私も、あの世界で……たくさんのものを失った。あの世界だけじゃない。私はこの現実で間違いなく死んだ。そうして気付けば向こうで生きていた……ううん、違う。死んでいた。怖くて、泣いて……何度も逃げたかった。どうすればいいのか分からなくて……それでも、一緒にいてくれた人がいた。だから強くなりたいと願った」

 声は途切れそうだった。

 けれど、双葉の手が震えていたのを見て、彼女は前へ進んだ。

 一歩。

 また一歩。

 壁を背にしたまま、体を起こす。

 まるで、かつてのあの戦場で──剣を握ったときのように。

「私はもう逃げないって決めた……自分の心を信じる事にしたの」

 双葉の瞳が揺れた。

「私は須藤くんがずっと好きだった。肉体が戻った今なら彼にこの思いを伝えられる。……でも、真希ちゃん。あなたが邪魔なの」

 感情が、迷いが、波紋のように滲み始める。

「双葉ちゃん……あなたも、帰ってきたんでしょ。あの場所から」

 ──ゆっくりと、真希が右手を差し出す。

 ナイフではない。

 敵意でもない。

 ただ、ひとりの人間として、かつて“友達”だった彼女へ向けた──救いの手。

「私は……あの世界で沢山辛い思いをした……双葉ちゃんもそうだよね。だから今度こそ、ちゃんと伝える。私……あなたに生きていてほしい」

 沈黙が落ちた。

 ナイフを握る手が、微かに震える。

 双葉の唇が、震えながら動いた。

「……なんで……なんでそんな顔、するの……」

「……」

「優しくしないでよ……!そんな風に言われたら、私……っ……!」

 ポロポロと、涙がこぼれ落ちる。

 小さな嗚咽が、夜の静寂に溶けていった。

 ナイフが、力を失った手から滑り落ちる。

 カシャン、と。

 金属音が乾いたアスファルトに響く。

 真希は、そのままゆっくりと膝をついた双葉の傍に寄り、そっと彼女を抱きしめた。

「……ごめんね。ごめんね、双葉ちゃん……」

「……私のほうこそ……気付いてあげられなくてごめんね……」

 ただ、そうやって。

 何度も、謝り合った。

 もう異世界の力なんてなかった。

 そこにいるのはただの、何の力もない少女だけだった。

 それでも──その夜の静けさの中で、確かに何かが、救われた気がした。

 ──そして、遠くで。

 誰かが、その様子を見守っていた。
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