2 / 2
第2話 同じ名前の席
しおりを挟む教室に入った瞬間、少しだけ肩に力が入った。
ゼミ初日。
昨日までとは違って、今日は「偶然」じゃない。同じ時間、同じ場所に集められた知らない人たちの中に、自分の居場所を探さなきゃいけない日だ。
空いている席はまだ多い。けれど、どこに座るかで、この先が少し変わってしまう気がして、なかなか決められない。
そんなとき――視界の端に、見覚えのある横顔が映った。
あ。
胸が、ほんの少しだけ跳ねる。
昨日、駅から一緒に歩いた女の子。
望月ひより。
同じ教室にいる、という事実だけで、理由もなく安心してしまう自分に気づいて、内心で苦笑した。
ひよりは窓側の席に座っていて、膝の上に資料を置いたまま、きょろきょろと周囲を見ている。落ち着かなさそうなのに、表情はどこか柔らかい。
……行くしかない、よね。
私は一度深呼吸してから、その隣の席に腰を下ろした。
「おはよう」
声をかけると、ひよりは少し遅れてこちらを見て、ぱっと目を見開いた。
「あ……! ゆい」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がまた小さく鳴る。
「同じゼミだったんだね」
「うん。よかった……あ、よかったっていうのも変かな」
そう言って、ひよりは困ったように笑った。その笑顔が、昨日より少し近い。
「でも、知ってる人がいると安心する」
「それは……分かるかも」
言いながら、私は視線を前に戻した。近くにいるのを意識しすぎると、変な顔をしてしまいそうだったから。
担当の先生が入ってきて、簡単な説明が始まる。ゼミの方針や、年間の流れ。メモを取りながら聞いているふりをして、意識はどうしても隣に引っ張られてしまう。
ひよりは、字を書くとき少しだけ首を傾ける。ペンの持ち方が丁寧で、ノートの文字が丸い。そういう細かいところが、やけに目につく。
――見すぎ。
自分に小さく注意して、ノートに視線を落とす。
途中、先生が「隣同士で軽く自己紹介して」と言ったとき、教室にざわっとした空気が広がった。
ひよりがこちらを見る。
「……改めて、かな」
「うん。改めて」
お互い、少し笑ってしまう。
「朝比奈ゆいです。よろしくお願いします」
「望月ひよりです。ひよりって呼んでほしい、です」
昨日よりも、少しだけはっきりした声だった。
「じゃあ……ひより」
口に出すと、思った以上に自然で、でもどこか照れくさい。
「ゆい、も」
名前を交換しただけなのに、距離が一段階縮んだ気がした。
自己紹介が終わると、先生の話に戻る。けれど、ところどころでひよりと目が合ってしまう。そのたびに、どちらからともなく視線を逸らすのが、少しおかしかった。
授業が終わり、ざわつく教室の中で、ひよりが小さく声をかけてくる。
「このあと……時間ある?」
「うん、特には」
「じゃあ、学食とか……どうかな」
控えめで、でも勇気を出しているのが分かる言い方だった。
「行きたい」
即答してしまってから、少し恥ずかしくなる。でも、ひよりは嬉しそうに目を細めた。
廊下を並んで歩く。昨日より距離が近い。肩が触れそうで触れない、その微妙な間隔が、なぜか心地いい。
「大学、まだ全然分からなくて」
「私も。迷子になりそうだった」
「一緒だ」
くすっと笑う声が重なる。
学食の前で立ち止まったとき、ひよりがふと足を止めた。
「ね、ゆい」
「なに?」
「……同じゼミで、よかった」
それはとても小さな言葉だったのに、胸の奥に静かに広がった。
どう返せばいいのか分からなくて、少し考えてから、私は答える。
「私も。……なんか、安心する」
ひよりは少し驚いた顔をして、それから、ゆっくりとうなずいた。
「うん。ひよりも」
その一言だけで、十分だった。
まだ友達、と言うには早いのかもしれない。
でも、知らない人よりは確実に近い。
そういう場所に、今、私たちは立っている。
学食の入口に差し込む光が、床に細長く伸びていた。
その中を並んで歩きながら、私は思う。
この一年が、どんな時間になるのかは分からない。
でも――少なくとも、ひとりじゃない。
その事実だけで、胸の奥が少しあたたかかった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
春に狂(くる)う
転生新語
恋愛
先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
小さくなって寝ている先輩にキスをしようとしたら、バレて逆にキスをされてしまった話
穂鈴 えい
恋愛
ある日の放課後、部室に入ったわたしは、普段しっかりとした先輩が無防備な姿で眠っているのに気がついた。ひっそりと片思いを抱いている先輩にキスがしたくて縮小薬を飲んで100分の1サイズで近づくのだが、途中で気づかれてしまったわたしは、逆に先輩に弄ばれてしまい……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる




