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恋の芽生え
一
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すばるの神子としての一日はまず水を汲むことから始まる。
朝一番に泉から新鮮な湧き水を汲み上げて桶に移した水を本殿の祭壇に捧げる。捧げた後その水を一口飲んで体内を浄化し、残った水で体を洗って身を清める。夜着から日中の装束に着替えを済ませ、背中まで伸びた長い黒髪を香油と櫛で梳いて整える。それらを全て祭壇の前で済ませた後に大神への祈りと感謝を意味する祝詞を捧げ、大神に声が届いた印として祭壇の鈴が鳴ると朝の儀式は終了である。
「おはようございます、蛍」
「神子さんおはようございます!もうちょいでできるんで、膳の準備しといてもらえます?」
「あい、わかりました」
儀式を終えたその足で厨に向かうと蛍が朝餉の準備をしている。炊き立ての白米の甘い香りが鼻孔を擽り、自然と口元を綻ばせながら朝餉の準備を手伝う。
「すばる殿、おはようございます」
「おはようございます、篝ちゃん」
「交代いたしましょう」
「ありがとう。お願いします」
座敷に人数分の円座を並べていると篝が起きてきて、そこですばるは手を止める。後の準備は篝に任せ、大事な次の仕事に向かうのだ。
東に建つ二つの棟のうち、厨がある棟から隣の少し広い棟へと移動する。こちら側は四人の個室がある棟だ。そこのいつも皓月が剣の鍛錬を積んでいる広い板張りの部屋を覗くが人影がない。すばるはことりと首を傾げ廊下から外へ出て屋敷の裏に回る。近づくにつれ水の跳ねる音が聞こえてきて、すばるは一旦足を止めるとそうっと建物の角から顔だけを覗かせた。
「いた……」
そこには朝の鍛錬を終え、桶に汲んだ水で汗を流している皓月がいる。
着物の袖を抜いて腰まで剥き出しになった上半身は鍛え抜かれた剣士のもの。盛り上がった胸元に割れた腹、太い二の腕、分厚い背中。頭に水を被ったのだろう、濡れた銀鼠の髪から水滴が滴り落ちてその体を濡らしている。
鬱陶しそうに濡れた髪を掻き上げ後ろに流す姿が、すばるの目には朝日を浴びてまるできらきらと輝いているように見えた。
「はゎ、かっこいい……」
思わずほう、と溜息が漏れる。
すばるは皓月の剣士としての姿を見るのが好きだ。
儀式用の短刀を振るのが精一杯の己とは違う強靭な肉体。そしてすばるに対してはいつも優しさを湛えた切れ長の目が鋭さを増し、一心に獲物を振るうその姿。その一挙手一投足全てに胸が高鳴りいつまでも見ていたいとすら思うのだ。
剣と向かい合っている間、皓月の目にすばるはいない。いつもと違うその姿はすばるの目には大層魅力的に映った。
「すばる、隠れていないで出ておいで」
「ひゃ、あ、あい……!」
どきん、とまた一つ胸が大きく音を立てる。
見ていることに気付いていたらしい。皓月の鋭い目元がすばるを見ると一気に柔らかさを持ち、胸をきゅうと締め付けられて堪らない気持ちになった。
運動もしていないのに体が熱を持ち、頬が赤く染まる。
「朝餉の時間か?」
「あい。じき整うので、お迎えに」
普段と変わりない様子の皓月に問われ、ぽかぽかと熱を持つ頬を恥ずかし気に両手で押さえつつすばるは応える。
こんな風に感じるようになったのは一体いつからだったろう。
いつもなら見つめられると”大好き”の気持ちが込み上げてきて、躊躇いなくそれを行動に示すことができる。けれど時折”大好き”の気持ちは変わらないはずなのに、じっと見つめられると目を逸らしたくなる衝動に駆られる。
これは一体どうしたことだろうか。
「わかった。少し待っていてくれ」
動揺するすばるを知ってか知らず、頷いた皓月は濡れた髪を雑に拭い体を拭いて着物を整える。そうしてボサボサの髪と耳を適当に手櫛で整えて、さあ行こうと手を伸ばしてきた。皓月は普段すばるの身形を整える時は神経質なくらいに気を遣っているというのに自分の身形のこととなると途端に粗雑な動きが出る。そんな皓月を可愛らしく思い、すばるは小さく笑みを見せた。
胸の高鳴りも少し落ち着いてきたようだ。
「後で髪の毛をきれいにしましょうね。すばるがやってあげます」
「ならばお前の髪は私がやろう。貢物の中に細工の良い簪があった。お前の黒髪によく似合うはずだ」
「ほんとう?楽しみです」
蛍が言うには皓月は昔から絶対に自分の体を他人に触らせなかったらしい。けれどすばるに対しては例外のようで、その体に触れることも髪や尾を梳くことも許してくれている。自分が皓月から特別に想われている証のようで嬉しくて、綺麗な簪よりも皓月の髪を整えることが楽しみだった。
「ようやくお出ましっすね!さあ、朝餉の時間っすよ」
二人手を繋いで隣の棟の座敷に戻るとすっかり用意の終わっていた膳の前に腰を下ろす。四人揃って手を合わせその日一番の大地の恵みに手を付けた。
常に体を鍛えている皓月は勿論、火の精とその眷属は燃費が悪いらしく篝と蛍もかなりの大食漢だ。育ち盛りでも食の細いすばるが一食食べ終える間に、彼らは軽く三倍四倍の量を食べる。
神に食事が必ずしも必要と言うわけではない。だが自然に漂う生気を摂り込むのも物を食べるのも摂取する生気に大した違いはなく、それなら調理加工して食べる方が面白いと食べることを選ぶ神はそれなりにいるらしい。また、祈りと感謝が込められた捧げものは格別に美味いとも。
ただし、殺生を嫌う神や食べることを面倒くさがるものぐさな神はその限りではない。
「今日は参拝者が多い。たくさん食べて精を付けなさい」
「あい」
彼らがお腹いっぱいご飯を食べられるように、今日も一層励まねばと思ったりするすばるであった。
朝一番に泉から新鮮な湧き水を汲み上げて桶に移した水を本殿の祭壇に捧げる。捧げた後その水を一口飲んで体内を浄化し、残った水で体を洗って身を清める。夜着から日中の装束に着替えを済ませ、背中まで伸びた長い黒髪を香油と櫛で梳いて整える。それらを全て祭壇の前で済ませた後に大神への祈りと感謝を意味する祝詞を捧げ、大神に声が届いた印として祭壇の鈴が鳴ると朝の儀式は終了である。
「おはようございます、蛍」
「神子さんおはようございます!もうちょいでできるんで、膳の準備しといてもらえます?」
「あい、わかりました」
儀式を終えたその足で厨に向かうと蛍が朝餉の準備をしている。炊き立ての白米の甘い香りが鼻孔を擽り、自然と口元を綻ばせながら朝餉の準備を手伝う。
「すばる殿、おはようございます」
「おはようございます、篝ちゃん」
「交代いたしましょう」
「ありがとう。お願いします」
座敷に人数分の円座を並べていると篝が起きてきて、そこですばるは手を止める。後の準備は篝に任せ、大事な次の仕事に向かうのだ。
東に建つ二つの棟のうち、厨がある棟から隣の少し広い棟へと移動する。こちら側は四人の個室がある棟だ。そこのいつも皓月が剣の鍛錬を積んでいる広い板張りの部屋を覗くが人影がない。すばるはことりと首を傾げ廊下から外へ出て屋敷の裏に回る。近づくにつれ水の跳ねる音が聞こえてきて、すばるは一旦足を止めるとそうっと建物の角から顔だけを覗かせた。
「いた……」
そこには朝の鍛錬を終え、桶に汲んだ水で汗を流している皓月がいる。
着物の袖を抜いて腰まで剥き出しになった上半身は鍛え抜かれた剣士のもの。盛り上がった胸元に割れた腹、太い二の腕、分厚い背中。頭に水を被ったのだろう、濡れた銀鼠の髪から水滴が滴り落ちてその体を濡らしている。
鬱陶しそうに濡れた髪を掻き上げ後ろに流す姿が、すばるの目には朝日を浴びてまるできらきらと輝いているように見えた。
「はゎ、かっこいい……」
思わずほう、と溜息が漏れる。
すばるは皓月の剣士としての姿を見るのが好きだ。
儀式用の短刀を振るのが精一杯の己とは違う強靭な肉体。そしてすばるに対してはいつも優しさを湛えた切れ長の目が鋭さを増し、一心に獲物を振るうその姿。その一挙手一投足全てに胸が高鳴りいつまでも見ていたいとすら思うのだ。
剣と向かい合っている間、皓月の目にすばるはいない。いつもと違うその姿はすばるの目には大層魅力的に映った。
「すばる、隠れていないで出ておいで」
「ひゃ、あ、あい……!」
どきん、とまた一つ胸が大きく音を立てる。
見ていることに気付いていたらしい。皓月の鋭い目元がすばるを見ると一気に柔らかさを持ち、胸をきゅうと締め付けられて堪らない気持ちになった。
運動もしていないのに体が熱を持ち、頬が赤く染まる。
「朝餉の時間か?」
「あい。じき整うので、お迎えに」
普段と変わりない様子の皓月に問われ、ぽかぽかと熱を持つ頬を恥ずかし気に両手で押さえつつすばるは応える。
こんな風に感じるようになったのは一体いつからだったろう。
いつもなら見つめられると”大好き”の気持ちが込み上げてきて、躊躇いなくそれを行動に示すことができる。けれど時折”大好き”の気持ちは変わらないはずなのに、じっと見つめられると目を逸らしたくなる衝動に駆られる。
これは一体どうしたことだろうか。
「わかった。少し待っていてくれ」
動揺するすばるを知ってか知らず、頷いた皓月は濡れた髪を雑に拭い体を拭いて着物を整える。そうしてボサボサの髪と耳を適当に手櫛で整えて、さあ行こうと手を伸ばしてきた。皓月は普段すばるの身形を整える時は神経質なくらいに気を遣っているというのに自分の身形のこととなると途端に粗雑な動きが出る。そんな皓月を可愛らしく思い、すばるは小さく笑みを見せた。
胸の高鳴りも少し落ち着いてきたようだ。
「後で髪の毛をきれいにしましょうね。すばるがやってあげます」
「ならばお前の髪は私がやろう。貢物の中に細工の良い簪があった。お前の黒髪によく似合うはずだ」
「ほんとう?楽しみです」
蛍が言うには皓月は昔から絶対に自分の体を他人に触らせなかったらしい。けれどすばるに対しては例外のようで、その体に触れることも髪や尾を梳くことも許してくれている。自分が皓月から特別に想われている証のようで嬉しくて、綺麗な簪よりも皓月の髪を整えることが楽しみだった。
「ようやくお出ましっすね!さあ、朝餉の時間っすよ」
二人手を繋いで隣の棟の座敷に戻るとすっかり用意の終わっていた膳の前に腰を下ろす。四人揃って手を合わせその日一番の大地の恵みに手を付けた。
常に体を鍛えている皓月は勿論、火の精とその眷属は燃費が悪いらしく篝と蛍もかなりの大食漢だ。育ち盛りでも食の細いすばるが一食食べ終える間に、彼らは軽く三倍四倍の量を食べる。
神に食事が必ずしも必要と言うわけではない。だが自然に漂う生気を摂り込むのも物を食べるのも摂取する生気に大した違いはなく、それなら調理加工して食べる方が面白いと食べることを選ぶ神はそれなりにいるらしい。また、祈りと感謝が込められた捧げものは格別に美味いとも。
ただし、殺生を嫌う神や食べることを面倒くさがるものぐさな神はその限りではない。
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