贄の神子と月明かりの神様

木島

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苛むもの

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 九朗は庶民の家に生まれ、祖父母と両親と妹がいる。生活は豊かではないが食うに困るほどでもなく、読み書き程度の教育も受けさせてもらった。細工職人になったのも自ら弟子入りを志願したもので、才能もあったのか若手だが一定の固定客が付いている。それなりに遊んで、友人もいるし恋人ができたことも何度かある。そろそろ結婚をして家庭を持ってもいい年頃だ。
 九朗のように育った人間は数多くいるだろう。ごく一般的な生活。普通。平凡。大多数の人間が思う『当たり前』の人生。大きな波風が立つわけではないけれど、穏やかな幸福がある日々。

 そんな環境で暮らしてきた九朗にとって、常に他人のために痛みと苦労を背負うすばるの姿は見ていられないものだった。

「痛くは、ねえのか?」
「痛くはないんですよ?でも感覚が鈍くなっているので、あちこちぶつけないように気をつけないとダメなんです」

 柱に背を預けて前に投げ出した足を撫でながら言うすばる。その口ぶりからこれが初めてではないことが伺い知れた。すばるが感触の判然としない足から手を離して顔を上げると、見えるのは悲しげな九朗の顔。

「九朗……そんな顔しないでくださいよ」
「どんな顔だよ」
「九朗の方が痛そうな顔してる」

 自覚のないまま顔を歪めている九朗に苦笑する。労わるように軽く九朗の膝を叩くと九朗の表情は更に歪んだ。
 すばるの背中と柱の間には厚手の布が挟まれていて、手の届く場所に水差しと湯のみに茶菓子、書物と呼び鈴が置いてある。自力で移動できないすばるのために皓月達が用意したものだ。
 背中の傷を負ってからひと月足らずでこの状況。それを当然のことと受け入れているすばると皓月達。九朗にとっては異常なことだったが、すばる達にとってこれは日常の一部だった。

「どうしてそんな平気な顔していられんだよ……お前は痛みを感じねえ身代わり人形とは違う。痛くて苦しくて、嫌になることだってあるんだろ?幾ら力があるからって、こんなになるまで頑張ることねえじゃねえか」

 溢れそうな激情を耐えるように歪んだ九朗の視線はすばるの背中から移動して投げ出された足に向けられている。前回皓月に窘められたにも拘らず、受け流すことができなかった九朗は結局また似たようなことを言ってしまった。
 そしてそれに対するすばるの返答も以前と大きく変わらないものだ。

「だって、穢れ神や妖がもたらす災厄は普通の人がどうこうできるものじゃありませんもん。助ける力があるなら助けてあげないと」
「そんなもん……他人様を苦しめてまで災難から逃げようとするなんて、わけわかんねえ」
「九朗、急にどうしたんですか?今までそんなこと言わなかったじゃないですか」

 九朗の急な悪態に戸惑い、驚いた様子でその顔を覗き込む。そこにはいつものような優しげな笑顔はなかった。くしゃりと顔を歪めて今にも泣きだしてしまいそうだ。

「ああ、今までの俺は馬鹿だった」
「馬鹿って」
「お前に泣き叫ぶほど辛いことを押し付けて、今まで知らん振りしてたなんて馬鹿でしかねえだろ」
「あ……!」

 髪を掻き毟るようにして告げる言葉にすばるは気付く。今も背中に残る傷と隠していたはずの醜態を九朗に見られていたのだと。

「あの、大したことなかったんですよ?!ちょっと、ちょっとだけいつもより痛くって泣いちゃったりしましたけど本当全然気にしないでほしいっていうかもうなんで見たんですか?!」

 両手をばたばたと降りながら良い訳にもならない良い訳を言い、最終的に怒りだしたすばる。子供じみた仕草は深刻な顔をしている九朗と正反対だ。取る行動に二人の認識の差が如実に表れていた。
 九朗は己の不明を恥じ、その在り様に疑問を抱きつつも向き合おうとしている。対するすばるはまるで普段と変わりがない。九朗が気に病むことは何一つないと本気で思っている。

「本気でそう思ってるのか?大したことないって」
「あい、僕は僕のできることをしているだけ。痛いことも不自由な思いも、承知の上でここにいます」

 顔を顰めたままの九朗に問われれば素直に是と答えるすばる。迷いのない答え。平行線を辿る問答のもどかしさを抑えるように九朗はぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
 そして肺の中の空気を出し尽くすような大きな溜息を吐く。

「俺には……わかんねえな。これは俺がただの人間だからか?すばる、お前なんでそこまでできるんだ」

 置かれた環境が違い過ぎてわかりあうことはできないのかもしれない。それでも自分自身が納得できる答えを欲して九朗はもう一度尋ねた。
 なぜ、と。

「だって、僕には力があるから。救う力があるなら、手を伸ばさないと。それが僕に与えられた役割で、僕が生きる価値でしょう?」

 けれど得られた答えは、結局彼に理解できるものではなかったのだ。
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