上 下
1 / 34

1

しおりを挟む
 俺の名前は大倉健一。どこにでもいる普通の会社員。
 朝晩満員電車に乗って通勤し、パソコンや書類と睨めっこしながら仕事を捌き、手当のつかない残業をしてクタクタになって一人暮らしの家で寝る。絵に描いたように平凡な独身サラリーマンだ。

 黒髪黒目で顔立ちは平々凡々。ちょっと人より身長は高めかもしれないがそれだけ。見た目に特徴がなく、ぶっちゃけあんまり顔の印象が人の記憶に残らないタイプ。
 二度目ましてでも初めましてと言われがちな顔の俺だが、友達はそれなりにいる。パリピとまでは言えないが、割と陽気で人付き合いも苦じゃない。会社の付き合いはそこそこにこなし、休日は趣味の友達と遊んでいる。

 そんな俺の趣味、それはコスプレ。
 俺がやっているのは主に漫画やゲームのキャラクターの衣装やウィッグを作り、メイクを施し、写真を撮ること。己の体でキャラクターやその世界観を表現する。体を使った好きの表現みたいなものだ。

 俺は高校生の頃にライトなゲームオタクからそっちの世界にどっぷりハマり、今やすっかり十年選手である。
 最近はSNSもやっていて、露出度の高いキャラをやるための筋トレビフォーアフターや作成中の衣装の過程とか、キャラメイク動画とかを流している。意外と反応が良いんだなこれが。
 特にメイク動画は再生回数が多い。多分俺みたいなザ・平凡顔がゴリゴリの濃い顔になる過程を見るのが楽しいんだろう。

 俺にもできるんだからお前にもできるって。ちょっとやってみたいなと思った奴、ちょこっとだけ勇気出してやってみ?新しい世界の扉が開いちゃうぜ~?っていう気持ちで流している。

 この日も俺は重い衣装をドデカいキャリーバッグに詰めてイベント会場へ向かっていた。ハマっているオンラインゲームのイベントがあると聞いてワクワクしながら遠征してきたのだ。
 仕事帰りや休みの日を使ってせっせと作った衣装と甲冑を身に纏う。前日しっかりケアしてきたからメイクのりもばっちり。今日のメイクは我ながら会心の出来だ。
 テンション上がってきた~!今日一日楽しめそう!

 と、思っていたのが数分前。

「いや待ってマジで。ここ……どこ?」

 イベント会場に来たと思ったら、気が付いたら森の中だった。
 何を言っているかわからねーと思うが以下略。

 本当にどういうこと?あのゲート実は外に繋がってたとか?
 いやいやそんなわけがない。よしんば外に繋がってたとしてもあの会場街の真ん中にあったのよ?外に出たら森とかになるはずがない。
 混乱しながら周りを見回すが人の姿はない。前後左右どうみても森。青い空と鳥の囀りが心地良い。こんな時じゃなかったらね!

「えぇ~?!どうなってんの?!何がどうなったら街のど真ん中から森のど真ん中に移動できんの?!」

 叫べども、答えてくれる声はなし。むしろ俺の声でビビった鳥が音を立てて羽ばたいていった。

「ええ……ドッキリ?いやでもドッキリにしちゃあ手が込み過ぎっていうか、不可能だよな……」

 思わず頭を抱えて蹲る。目の前に迫った草はみずみずしい緑だし、土はちゃんと土の匂いがする。恐る恐る触ってみたらどちらもちゃんと知ってる感触がした。
 リアルすぎるVRってパターンねーかな。それか夢オチ。実は俺はまだベッドの中で寝てるのかもしれない。

「そうじゃん!夢!夢だわこれ。よく考えたらそれ以外ないよな」

 起きてからここまであんまりリアルなもんだから現実だと思い込んでいたけど夢ならあり得る。夢って急に自分のいる場所変わったりするもんな。俺はようやく自分の中で納得のいく解を見つけて冷静さを取り戻した。
 これが明晰夢ってやつなんだな。初めて知った。

 夢ならこのまま目が覚めるまでこの世界観を楽しむのもいいかもしれない。森林浴なんていつぶりだろう。そう思いながら俺は申し訳程度に踏み固められた道っぽいところを適当に歩き始めた。

「こういう場所で撮影したいなぁ。LoDの森のフィールドにめっちゃ似てるし」

 俺が今やっているオンラインゲームには森の中で狩りができるフィールドがある。今俺が歩いている森はそのフィールドに雰囲気がよく似ていた。
 夢だから俺の記憶が影響してんのかな。ここ最近はあればっかプレイしてたし、このコスプレもそのゲームのキャラだし。あ、あの木の実採取したら売ったり食えたりするやつだ。

「あ、ゲームのフィールドに似てるってことは、もしかしてモンスターとかも出ちゃったりして」

 ゲームだとこの辺の森は初級だから低レベルモンスターしか出ないけど、見た目厳ついのもいたからな。こんだけリアルな夢で出てきたら流石にビビるかも。
 とかなんとか呑気に考えながら森を散策していると、ガサガサと何かが草を揺らす音がする。今俺がいる細い道の両脇はもちろん森だ。その森の奥の方から、そのガサガサは徐々に俺の方へと近づいてきているみたいだった。

「え、嘘。もしかして」

 うん知ってる。こういうのフラグって言うんですよね。
しおりを挟む

処理中です...