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12.想いが重なる
12-②
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真っ赤な瓦のその城は、夏の色を残す青い空に映えてきれいだった。
同級生たちは、この非現実的な空間と、あたたかな陽気をたのしんでいるようだった。自分の周りにばかりピリピリとした空気が漂っていて、だれも近づこうとしてこないのがわかる。
俺だって。と、建物の影のなかでひとりたたずみながら思う。
一生に一度しかない高校の修学旅行を、たのしみたかった。シュウと、武本と、いろんな話をして、いろんなものを見たかった。それなのにほかのことで心がいっぱいで、気づいたら宙を見つめている。空回りする自分が、ただただ哀しかった。
もう二度とここにはこられないとでも言うようにカメラのシャッターを切りつづける同級生たちを、遠目からぼうっと見ている。気づくと、そんな俺から数メートル離れたところに、シュウがおなじように立っていた。
背後霊のようだと、かつてシュウのことをそう形容していたことを思いだす。濃い影のなかでも、きっちりとカフスボタンの閉められたシュウの長袖シャツの白さは目立っていた。目についてしまったら離れない。けれどどこか陰鬱としていて、この世のものではないような儚さがある。いてもいなくてもいいから「背後霊」と、そう思っていた。いまはちがう。シュウは、ほんとうにもろいのだ。
赤と白が互い違いに線を作る御庭で、正殿を背景に写真を撮りつづける同級生たちを、シュウは遠くを見るような瞳で見つめている。俺が見ていることにも、気づいていない様子だった。地元よりあきらかに質量のある熱気と湿気を含んだ風のなかで、シュウの白い長袖と肌は不安げだった。その横顔があまりに頼りなくて、近づこうと足を一歩踏み出した。
そのときだった。シュウが左の袖を、くっときつく引っ張るのが見えた。しばらく見なかったその行動に、心臓の音がどんどんおおきく、早くなっていく。
それまでもやのかかっていた頭のなかが、霧が晴れたようにクリアになる。いま、シュウのそばにいたいと、強く思った。
「シュウ、どうした?」
数歩。たった数歩で埋まる距離を、ここ最近、詰める努力すら放棄していた。一緒にいたいと言ったのは俺のほうなのに。
だれかが近づいてきた気配に肩を揺らしたシュウが、あきら、と俺の姿を認めてその力を抜く。そして、一気に崩れたよそいきの顔を見て、きっと俺もおなじ顔をしているのだろうなと、頭のどこかで冷静に思った。
「どうした?」
ためらうように下を向くシュウの顔を覗きこんで繰り返す。
「おーい、時間だぞー」
「あの」とシュウが口を開いた瞬間、先生が声を張りあげた。パッと顔をあげたシュウの表情がまるで縋っているように見えて、いままで何故こいつをひとりにしたのだろうと、後悔がのどに迫る。
「いこう」
「……うん」
集まりだした生徒の群れに混じって、バスに乗りこむ。この旅のあいだ、となりに座って移動することが多かったシュウを、はじめて強く意識する。なにか特別な力を持っているように感じる太陽の光が降りそそいで、まつげが濃く影を作るシュウの頬がすこし赤く日焼けしている。ひざに乗せられた左腕には、俺しかわからないようなわずかな力みが見えた。
バスという他人がたくさんいる密室の空間で、シュウと話をしたくなかった。微妙に触れあう足をそのままにして、シュウを意識しているということが伝わればいいと思った。
「……海だ」
坂をくだると、そこに海が見えた。抜けるような青い空と、そこにすこし緑色の絵の具を流しこんだような海が、目の前に広がっている。
みんなが思い思いに波打ち際へと駆けだしていったり、浜辺で海を眺めたりしているなかで、俺とシュウはみんなよりずいぶん離れたところに腰をおろした。すっかりうつむいてしまったシュウが、バスを降りてから無言で俺のあとをついてくる。その姿を認めながら、シュウのすこし先を歩いた。
「遊ばなくてよかった?」
岩陰に隠れるようにして砂のうえに座った俺たちからは、たのしそうな同級生たちの声が聞こえるだけだ。きっと武本も、そこでみんなに混じってびしょ濡れになっているに違いない。
「いいんだ、袖まくったりできないし」
そう言って、ぎゅっと左腕を握りこむ。さみしい笑顔だった。なにもかもを、諦めているような、達観してしまったひとの顔だ。その笑顔に、俺はなにも言うことができなかった。声をかける権利は、すくなくともここ最近の俺にはないと思った。
黙ったまま、ふたりで海を眺める。離れたところから風に乗って聞こえてくる笑い声が、俺たちのあいだに流れるどこかしんみりした空気と不釣り合いで、ノイズのようにさえ感じた。
「……どうして、みんなとおなじようにたのしめないんだろうって思うんだ」
沈黙を破って、シュウが口を開く。顔をそちらに向けると、ひざをぎゅっと抱えたシュウがうつむいていた。
「自業自得なんだけど。明だって、ほんとは遊びたかったでしょ」
ごめんねと眉をさげて、困ったようにシュウが笑う。そんな顔をさせているのがシュウの腕の傷ではなく自分だと気づいたとき、いますぐ泣いてしまいたくなった。
「俺も、おなじこと思ってた。普通にたのしみたかったって」
向きなおって、まっすぐにシュウを見つめる。傷ついた色を見せた焦げ茶色の瞳を一瞬でも早くもとに戻したくて、次のことばを紡いだ。
「でも、それは海で遊びたかったとか、シュウのせいでできなかったとか、そういうこと言ってるんじゃなくて、シュウと、この旅行をもっとちゃんとたのしいって思いたかったってことなんだ」
俺がことばを重ねれば重ねるほど、シュウの目が驚きと涙で満ちていく。ひざをとめていたシュウの右手が砂浜に落ちた。息をつごうと訪れたわずかな沈黙の合間を縫って、波のしぶきと笑い声が岩陰に響く。
「……謝るのは俺のほうだ」
砂浜に並んだ俺とシュウの手のひらは、まるでオセロみたいにくっきりと色がちがっていて、その差が気持ちの距離まで表しているようでこわかった。だから、つ、と身体を寄せて、せめて物理的な距離だけでも近づけようとしてみる。
「ずっと、シュウのことないがしろにしてたよな。受けとめたいって言ったのに、俺、また向きあえてなかったよな」
ゆるゆるとシュウが首を横に振る。その視線を捕まえるように追いかけた。
「ごめん」
太陽が真上からふたりの頬を焼いている。シュウのすこし長めの髪の先が、その光を反射して金色に光っていた。日焼けでかさついたシュウの頬のうえを、しずくがひとつ流れていく。
「聞いてほしいことが、あったんだ」
そう言うと肩をぎゅっと縮めて、シュウが左腕を強く握った。うん、と、閉じてしまいそうなのどの奥から音を絞りだして応える。
「俺、また切っちゃった」
崩れ落ちるように溢れた涙が、ほほえんだシュウの唇を濡らしていく。その傷ついた笑顔が痛くて、シュウがそうするように、俺も自分の腕を掴んだ。
「明がいてくれるって思えば、だいじょうぶだと思ったのに。もう二度と、やらないって思ったのに」
半袖着て修学旅行にこれるかなって思ったのに。
爪を立てるように指に力をこめるシュウの腕にそっと触れて、ゆっくりと呼吸をさせる。そうしながら、まるで寄せたまま引いていくことのない波のような後悔が自分の胸を満たしていくのを感じた。
「なにかがあったわけじゃないんだ。ただ、毎日に飲まれていくような気がして、息ができなくなっただけで。だから、余計言えなかった」
俺から隠れるようにうつむいて、身体をまるめるシュウを見つめる。
「呼んで、って明は言ってくれたのに、俺、言えなかった。そう言ってくれたこと、すごくうれしかったのに、どうしても言えなかった」
うつむいていたシュウがぐしゃぐしゃの顔をあげて、「信じきれなくて、ごめん」と、また不器用に笑った。
なんと声をかけたらいいのかわからなかった。謝罪と、後悔と、いとおしさとが、ぜんぶ一緒くたになって身体を突き動かす。気づいたら、シュウのことを抱き締めていた。だれかがくるかも、なんて頭の隅で考えながら、見られてもいいと開きなおっている自分がいる。からかわれることくらいどうでもよかった。ただ、この瞬間、シュウをひとりぼっちにしたくなかった。
「ごめん、俺、なにもできなくて」
だいじょうぶ。だいじょうぶだから。
そう言うのがせいいっぱいだった。シュウは変わったような気がしていた。でも、変わってなんかいなかった。笑うのも、自分の気持ちを話すのも下手なシュウのままなのだ。
美奈子の肩で揺れる髪を思いだす。あんなにおだやかに笑っていた彼女だって、まだ抜け出せないと言っていた。
そんなに簡単に、やめられるわけがないのだ。シュウが自分を傷つけることをやめられないのとおなじように、俺も走ることをやめられない。シュウはそのふたつを一緒だと言った。だから一緒だ。シュウも俺も、縛られてもう動けない。小石のような気づきがいま、ストンとみぞおちのあたりに落ちてきて、俺はなぜかやけに落ち着いていた。
肩口にシュウの涙を感じる。声を漏らさないようにして泣くシュウのシャツからは、洗濯洗剤のさわやかな香りがした。こんなに暑い風の下でも、やはりシュウは汗をかいていなかった。震えるシュウの背中をぎこちない手のひらでさすりながら、「ごめん」と繰り返し口にする。そしてシュウもまた、俺の肩に額を押しつけて「ごめん」と言っているように聞こえた。
時間の流れは、そのときどきで速さがまったくちがうのだと知る。
シュウの震えと涙がおさまり遠くで笛の音が鳴ったときには、俺もシュウもなんとなく照れくさくなっていた。すっかり汗ばんだ身体を離して笑いあう。
集合場所へ向かうと、海からあがってきた武本が俺たちを見て一瞬驚いた表情を見せた。そしてそのあと、いつものにかっとした顔で笑う。俺とシュウのあいだにびしょ濡れのまま割りこんで、肩に腕をかけてきた。
「よかったな」
それだけ言ってひひひと笑う武本の顔を見て、俺もシュウも、また泣きそうになりながらつられて笑った。
同級生たちは、この非現実的な空間と、あたたかな陽気をたのしんでいるようだった。自分の周りにばかりピリピリとした空気が漂っていて、だれも近づこうとしてこないのがわかる。
俺だって。と、建物の影のなかでひとりたたずみながら思う。
一生に一度しかない高校の修学旅行を、たのしみたかった。シュウと、武本と、いろんな話をして、いろんなものを見たかった。それなのにほかのことで心がいっぱいで、気づいたら宙を見つめている。空回りする自分が、ただただ哀しかった。
もう二度とここにはこられないとでも言うようにカメラのシャッターを切りつづける同級生たちを、遠目からぼうっと見ている。気づくと、そんな俺から数メートル離れたところに、シュウがおなじように立っていた。
背後霊のようだと、かつてシュウのことをそう形容していたことを思いだす。濃い影のなかでも、きっちりとカフスボタンの閉められたシュウの長袖シャツの白さは目立っていた。目についてしまったら離れない。けれどどこか陰鬱としていて、この世のものではないような儚さがある。いてもいなくてもいいから「背後霊」と、そう思っていた。いまはちがう。シュウは、ほんとうにもろいのだ。
赤と白が互い違いに線を作る御庭で、正殿を背景に写真を撮りつづける同級生たちを、シュウは遠くを見るような瞳で見つめている。俺が見ていることにも、気づいていない様子だった。地元よりあきらかに質量のある熱気と湿気を含んだ風のなかで、シュウの白い長袖と肌は不安げだった。その横顔があまりに頼りなくて、近づこうと足を一歩踏み出した。
そのときだった。シュウが左の袖を、くっときつく引っ張るのが見えた。しばらく見なかったその行動に、心臓の音がどんどんおおきく、早くなっていく。
それまでもやのかかっていた頭のなかが、霧が晴れたようにクリアになる。いま、シュウのそばにいたいと、強く思った。
「シュウ、どうした?」
数歩。たった数歩で埋まる距離を、ここ最近、詰める努力すら放棄していた。一緒にいたいと言ったのは俺のほうなのに。
だれかが近づいてきた気配に肩を揺らしたシュウが、あきら、と俺の姿を認めてその力を抜く。そして、一気に崩れたよそいきの顔を見て、きっと俺もおなじ顔をしているのだろうなと、頭のどこかで冷静に思った。
「どうした?」
ためらうように下を向くシュウの顔を覗きこんで繰り返す。
「おーい、時間だぞー」
「あの」とシュウが口を開いた瞬間、先生が声を張りあげた。パッと顔をあげたシュウの表情がまるで縋っているように見えて、いままで何故こいつをひとりにしたのだろうと、後悔がのどに迫る。
「いこう」
「……うん」
集まりだした生徒の群れに混じって、バスに乗りこむ。この旅のあいだ、となりに座って移動することが多かったシュウを、はじめて強く意識する。なにか特別な力を持っているように感じる太陽の光が降りそそいで、まつげが濃く影を作るシュウの頬がすこし赤く日焼けしている。ひざに乗せられた左腕には、俺しかわからないようなわずかな力みが見えた。
バスという他人がたくさんいる密室の空間で、シュウと話をしたくなかった。微妙に触れあう足をそのままにして、シュウを意識しているということが伝わればいいと思った。
「……海だ」
坂をくだると、そこに海が見えた。抜けるような青い空と、そこにすこし緑色の絵の具を流しこんだような海が、目の前に広がっている。
みんなが思い思いに波打ち際へと駆けだしていったり、浜辺で海を眺めたりしているなかで、俺とシュウはみんなよりずいぶん離れたところに腰をおろした。すっかりうつむいてしまったシュウが、バスを降りてから無言で俺のあとをついてくる。その姿を認めながら、シュウのすこし先を歩いた。
「遊ばなくてよかった?」
岩陰に隠れるようにして砂のうえに座った俺たちからは、たのしそうな同級生たちの声が聞こえるだけだ。きっと武本も、そこでみんなに混じってびしょ濡れになっているに違いない。
「いいんだ、袖まくったりできないし」
そう言って、ぎゅっと左腕を握りこむ。さみしい笑顔だった。なにもかもを、諦めているような、達観してしまったひとの顔だ。その笑顔に、俺はなにも言うことができなかった。声をかける権利は、すくなくともここ最近の俺にはないと思った。
黙ったまま、ふたりで海を眺める。離れたところから風に乗って聞こえてくる笑い声が、俺たちのあいだに流れるどこかしんみりした空気と不釣り合いで、ノイズのようにさえ感じた。
「……どうして、みんなとおなじようにたのしめないんだろうって思うんだ」
沈黙を破って、シュウが口を開く。顔をそちらに向けると、ひざをぎゅっと抱えたシュウがうつむいていた。
「自業自得なんだけど。明だって、ほんとは遊びたかったでしょ」
ごめんねと眉をさげて、困ったようにシュウが笑う。そんな顔をさせているのがシュウの腕の傷ではなく自分だと気づいたとき、いますぐ泣いてしまいたくなった。
「俺も、おなじこと思ってた。普通にたのしみたかったって」
向きなおって、まっすぐにシュウを見つめる。傷ついた色を見せた焦げ茶色の瞳を一瞬でも早くもとに戻したくて、次のことばを紡いだ。
「でも、それは海で遊びたかったとか、シュウのせいでできなかったとか、そういうこと言ってるんじゃなくて、シュウと、この旅行をもっとちゃんとたのしいって思いたかったってことなんだ」
俺がことばを重ねれば重ねるほど、シュウの目が驚きと涙で満ちていく。ひざをとめていたシュウの右手が砂浜に落ちた。息をつごうと訪れたわずかな沈黙の合間を縫って、波のしぶきと笑い声が岩陰に響く。
「……謝るのは俺のほうだ」
砂浜に並んだ俺とシュウの手のひらは、まるでオセロみたいにくっきりと色がちがっていて、その差が気持ちの距離まで表しているようでこわかった。だから、つ、と身体を寄せて、せめて物理的な距離だけでも近づけようとしてみる。
「ずっと、シュウのことないがしろにしてたよな。受けとめたいって言ったのに、俺、また向きあえてなかったよな」
ゆるゆるとシュウが首を横に振る。その視線を捕まえるように追いかけた。
「ごめん」
太陽が真上からふたりの頬を焼いている。シュウのすこし長めの髪の先が、その光を反射して金色に光っていた。日焼けでかさついたシュウの頬のうえを、しずくがひとつ流れていく。
「聞いてほしいことが、あったんだ」
そう言うと肩をぎゅっと縮めて、シュウが左腕を強く握った。うん、と、閉じてしまいそうなのどの奥から音を絞りだして応える。
「俺、また切っちゃった」
崩れ落ちるように溢れた涙が、ほほえんだシュウの唇を濡らしていく。その傷ついた笑顔が痛くて、シュウがそうするように、俺も自分の腕を掴んだ。
「明がいてくれるって思えば、だいじょうぶだと思ったのに。もう二度と、やらないって思ったのに」
半袖着て修学旅行にこれるかなって思ったのに。
爪を立てるように指に力をこめるシュウの腕にそっと触れて、ゆっくりと呼吸をさせる。そうしながら、まるで寄せたまま引いていくことのない波のような後悔が自分の胸を満たしていくのを感じた。
「なにかがあったわけじゃないんだ。ただ、毎日に飲まれていくような気がして、息ができなくなっただけで。だから、余計言えなかった」
俺から隠れるようにうつむいて、身体をまるめるシュウを見つめる。
「呼んで、って明は言ってくれたのに、俺、言えなかった。そう言ってくれたこと、すごくうれしかったのに、どうしても言えなかった」
うつむいていたシュウがぐしゃぐしゃの顔をあげて、「信じきれなくて、ごめん」と、また不器用に笑った。
なんと声をかけたらいいのかわからなかった。謝罪と、後悔と、いとおしさとが、ぜんぶ一緒くたになって身体を突き動かす。気づいたら、シュウのことを抱き締めていた。だれかがくるかも、なんて頭の隅で考えながら、見られてもいいと開きなおっている自分がいる。からかわれることくらいどうでもよかった。ただ、この瞬間、シュウをひとりぼっちにしたくなかった。
「ごめん、俺、なにもできなくて」
だいじょうぶ。だいじょうぶだから。
そう言うのがせいいっぱいだった。シュウは変わったような気がしていた。でも、変わってなんかいなかった。笑うのも、自分の気持ちを話すのも下手なシュウのままなのだ。
美奈子の肩で揺れる髪を思いだす。あんなにおだやかに笑っていた彼女だって、まだ抜け出せないと言っていた。
そんなに簡単に、やめられるわけがないのだ。シュウが自分を傷つけることをやめられないのとおなじように、俺も走ることをやめられない。シュウはそのふたつを一緒だと言った。だから一緒だ。シュウも俺も、縛られてもう動けない。小石のような気づきがいま、ストンとみぞおちのあたりに落ちてきて、俺はなぜかやけに落ち着いていた。
肩口にシュウの涙を感じる。声を漏らさないようにして泣くシュウのシャツからは、洗濯洗剤のさわやかな香りがした。こんなに暑い風の下でも、やはりシュウは汗をかいていなかった。震えるシュウの背中をぎこちない手のひらでさすりながら、「ごめん」と繰り返し口にする。そしてシュウもまた、俺の肩に額を押しつけて「ごめん」と言っているように聞こえた。
時間の流れは、そのときどきで速さがまったくちがうのだと知る。
シュウの震えと涙がおさまり遠くで笛の音が鳴ったときには、俺もシュウもなんとなく照れくさくなっていた。すっかり汗ばんだ身体を離して笑いあう。
集合場所へ向かうと、海からあがってきた武本が俺たちを見て一瞬驚いた表情を見せた。そしてそのあと、いつものにかっとした顔で笑う。俺とシュウのあいだにびしょ濡れのまま割りこんで、肩に腕をかけてきた。
「よかったな」
それだけ言ってひひひと笑う武本の顔を見て、俺もシュウも、また泣きそうになりながらつられて笑った。
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