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第1章
私たちの青春は
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私は選ばれたかったんだ。
認めて欲しい気持ちなのか、恋なのか
若すぎて分からないこともあった。
大人になると、恋が情に変わったこともあった。
ただ1つ言えるのは、あなたに愛されたかったんだ。
物事着いた時には、隣にいた。
母親どうしが幼なじみだった。
私たちは互いを選んで一緒にいた訳じゃない。
心も身体も成長する度に離れていった。
私たちの青春は
心が先に大人になったのは、きっと私のほうだった。
あなたは変わらない距離で笑っていたけれど、私はその笑顔の裏に、少しずつ居場所を失っていった。
同じ帰り道、同じ景色、たまに同じになる食卓。
それらは安心だったはずなのに、いつからか「当たり前」に縛られる檻になった。
あなたが他の誰かに目を向けるたび、胸の奥で小さな音がした。
壊れる前触れのような、気づかれない悲鳴。
「好き」と言えば、何かが変わってしまう気がして言えなかった。
言わなければ、ここにいられると思っていた。
選ばれなくても、隣にいられるならそれでいいと、自分に言い聞かせて。
でも、本当は違った。
私は、あなたにとって“選んだ結果”でありたかった。
偶然でも、情でも、習慣でもなく。
あなたが迷った末に手を伸ばす、その先にいたかった。
離れていったのは、距離じゃない。
心の温度だったのだろう。
同じ場所にいても、触れられないほど遠くなったあなたを、私は見送ることしかできなかった。
それでも今、思う。
あの時間がなければ、私は「愛されたい」と願う自分を、こんなにも正直に抱きしめられなかった。
あなたに愛されたかった。
それは叶わない恋だったけど、
あの願いは、私が私を選ぶための始まりだったのかもしれない。
放課後の教室は、窓を閉め忘れたせいで少し蒸していて、チョークと埃と、夏になりきれない青春の匂いがした。
隣の席であなたのシャツの袖が、机に触れるたびに小さな音を立てて、そのたび胸がざわついた。
近いのに、触れられない。
触れたら壊れる気がして、でも触れないままでも壊れていく。
その狭間で、私はいつも息を詰めていた。
膝が触れた瞬間、何もなかった顔をしてしまう自分が嫌だった。
心臓が跳ねたことを悟られたくなくて、
でも気づいてほしくて。
この矛盾を、どう処理していいか分からなかった。
あなたは無邪気だった。
私の沈黙を「いつものこと」みたいに受け取って、
他の子の名前を平気で口にした。
そのたびに、胸の奥がじくっと熱を持って、
それが恋なのか、独占欲なのか、分からないまま膨らんでいった。
「なぁ、あの子どんな子?」
気になる相手でもできたとき、
あなたは、私にあたりまえのように聞いてくる。
「先輩に告られた」
自慢げに始まる話。
「よかったじゃん」
私はまた、笑顔であなたの話しを聞く。
それがを自分の役割のようで、
ちょっと誇らしくて、
ちょっと切なかった。
夜、布団の中であなたの声を思い出す。
今日、目が合った回数。
笑った理由。
何も特別じゃない出来事を、何度も再生して、
勝手に意味を与えて、勝手に傷ついた。
キスなんて、したことなかった。
それなのに、あなたの指がどんな温度をしているかだけは、
想像で何度も知っていた。
その想像が恥ずかしくて、でもやめられなくて、
私は自分の中の欲を、ひたすら押し殺していた。
仲がいいと思われて、周りから冷やかされることもしばしば
「許嫁」なんて呼ばれて、ますますあなたは離れていったよね。
今思えば、思春期の男の子には恥ずかし過ぎたのだろう。
「幼なじみだから」
ぶっきらぼうに、でも私を守るように、
あなたは訂正していた。
その言葉は、盾であり、檻だった。
好きだと認めるには幼すぎて、
諦めるには感情が生々しすぎた。
あなたは少しずつ、私の知らない世界を持ち始めた。
帰り道がずれ、連絡の間が空き、
それでも私は、何事もなかったふりを続けた。
選ばれないことより、
“最初から選択肢に入っていなかった”と認めるほうが、ずっと怖かったから。
あの頃の私は、
恋をしていたんじゃない。
ただ、欲しかったんだ。
あなたの視線を、特別な意味を、
「お前がいい」と言われる未来を。
青春は、こんなにも体温が高くて、
こんなにも報われない。
それでも、
あのむずがゆさも、
押し殺した衝動も、
全部、確かに私の中で生きていた。
そして今でも、ふとした瞬間に思う。
もしあの時、勇気を出していたら――
違う地獄があっただけなのか、
それとも、少しは救われていたのか。
それを知ったのは、放課後の階段だった。
夕方の光が窓から斜めに差し込んで、鉄の手すりがやけに冷たく見えた。
「ねえ、聞いてほしいことがあるんだけど」
あなたは、少しだけ声を低くして言った。
その言い方だけで、胸の奥が嫌な予感を掴んだ。
こういう前置きは、だいたい良くない。
かわいいと有名な先輩の名前を出された瞬間、世界が一段遠のいた。
部活の先輩。
綺麗で、大人で、あなたが目で追っていた人。
「好きなんだと思う」
“思う”なんて曖昧な言い方なのに、
その言葉はやけに確信を持って私を刺した。
息が浅くなった。
でも、顔には出せなかった。
出したら、何かが終わる気がしたから。
「応援してほしいんだ」
その一言で、完全に逃げ道が塞がれた。
あなたは私を見ていた。
信頼している人を見る目で。
安全な場所にいる人を見る目で。
「…もちろん、初恋じゃない?
応援するに決まってるよ!」
断れるはずがなかった。
ここで首を振ったら、
“幼なじみ”でいる資格まで失う気がして。
喉の奥がひりついて、声が少し掠れた。
それでも、あなたは気づかなかった。
気づかないふりをしたのかもしれないし、
本当に見ていなかったのかもしれない。
沈黙が落ちた。
気まずさをごまかすみたいに、あなたは笑った。
「ありがとう。やっぱ頼れるな」
その瞬間、胸の中で何かが鈍く音を立てた。
選ばれなかった、というより、
最初から土俵にすら上がっていなかったことを、
ようやく突きつけられた気がした。
階段の踊り場は狭くて、
少し動けば肩が触れそうだった。
でも、あなたは一歩も詰めてこなかった。
触れそうで、触れられない。
それは距離の問題じゃなかった。
あなたの意識の中に、
私は“触れてはいけない存在”として、
最初から線を引かれていた。
応援するって、どういうことだろう。
あなたがその人に近づくたび、
私は自分を削って拍手を送れというのか。
その日の帰り道、
いつもの並びで歩いた。
影だけがくっついて、
身体は少し離れていた。
「もし上手くいったらさ…どうする?」
あなたが照れたみたいに言う。
その横顔を見ながら、
私は笑う練習をした。
「よかったね、って言うよ」
それは約束でも、覚悟でもなかった。
ただ、そう言うしかなかっただけ。
家に帰って、制服のままベッドに倒れた。
胸の奥がじんじんして、
触れていないはずの場所が、
ずっと熱を持っていた。
初めてだった。
こんなふうに、
誰かを欲しがっている自分を、
誰にも見せられないまま、
一人で抱えたのは。
触れられなかったのは、手じゃない。
私の気持ちだった。
それは、雨が降り出す直前の空気だった。
湿っていて、息を吸うたびに胸の奥が重くなる。
帰り道、あなたは珍しく立ち止まった。
家へ向かう分かれ道。
いつもなら、何も考えずに「また明日」と言う場所。
「今日さ……」
その声が、少し震えていた。
私はそれだけで、嫌な予感と、期待を同時に抱いてしまった。
先輩の話だった。
上手くいっていないこと。
距離が縮まらないこと。
どうしたらいいか分からないこと。
「恋愛ってむずかしいなー」
「…ほんとに、そうだね」
「…あのさ」
私は、頷く役目だった。
聞く役目。
あなたの気持ちを受け止める役目。
でも、その日は違った。
言葉が途切れた瞬間、沈黙が落ちた。
近すぎる距離。
街灯が一つ、点き始める。
あなたが、私を見た。
相談相手じゃない目で。
幼なじみじゃない目で。
その視線に、心臓が一気に跳ねた。
「……お前ってさ」
名前を呼ばれそうで、呼ばれなかった。
その“間”に、全部が詰まっていた。
手が動いた。
本当に、無意識だったと思う。
あなたの袖に触れそうになって、止まった。
同時に、あなたも動いていた。
一歩、近づいて、
でも、そこで止まった。
触れなかった。
触れなかったのに、
空気だけが、確かに揺れた。
このまま一歩進めば、
全部壊れる。
でも、進まなければ、
何も始まらない。
その境目で、私たちは固まっていた。
「ごめん」
先に言ったのは、あなただった。
何に対しての謝罪なのか、分からないまま。
私は笑った。
癖みたいに。
「応援、するって言ったでしょ」
自分で言って、自分の胸が痛くなる言葉。
あなたは少しだけ、安心した顔をした。
その表情を見た瞬間、分かった。
さっき走った衝動は、
本当に一瞬の逃げ場だったんだって。
帰り際、
「ありがとな」と言われた。
その言葉が、
触れなかった手より、ずっと重かった。
家に帰って、
制服の袖を握りしめた。
さっき、触れそうになった場所。
一度だけ、確かに走った。
間違いじゃなかった。
私の中にも、あなたの中にも。
でも、あの衝動は、
選ばれなかった事実を
よりはっきり浮かび上がらせただけだった。
あれが最初で、最後。
触れなかったからこそ、
今もこんなに、鮮明に残っている。
それからのあなたは少し変わった。
劇的じゃない。
誰かが気づくほどじゃない。
でも、私には分かる程度に。
連絡が増えた。
用事もないのに、
「今なにしてる?」
それだけのメッセージ。
先輩の話は、しなくなった。
完全に避けるわけでもなく、
でも、触れれば壊れるものみたいに、
言葉の端で引き返す。
私が笑うと、
あなたは一瞬だけ、じっと見るようになった。
あの帰り道の、
触れそうで触れなかった距離を、
測り直しているみたいに。
「最近さ」
汗がシャツに張り付きそうな放課後、
誰もいない昇降口。
靴箱の金属音が、やけに大きい。
「なんか、変じゃない?」
それは質問の形をしていたけど、
本当は確認だった。
夕方帰り道の“あの時”を覚えているかどうかの。
私は靴紐を結び直すふりをした。
顔を上げたら、
きっと期待を映してしまうから。
「何が?」
あなたは少し困った顔をした。
言えないことが増えた人の顔。
「いや……いいや」
その「いいや」が、
何より雄弁だった。
あなたは後悔していた。
私を好きになった後悔じゃない。
選ばなかった後悔。
手を伸ばさなかった後悔。
それが、いちばん残酷だった。
卒業も間近に控えたある日、
ぽつりと言われた。
「もしさ……」
風が強くて、言葉がさらわれそうになる。
「もし、俺があの時、違う言い方してたら、
今、違ってたかな」
私は答えなかった。
答えられなかった。
だって、
“違ってたかもしれない”という仮定は、
今さら私を選ぶ覚悟がない人の、
逃げ道だから。
あなたは私の隣に立っていた。
距離は近い。
でも、決して触れようとしない。
その慎重さが、
後悔の正体だった。
夜、またメッセージが来る。
「昔みたいに戻れたらいいのに」
戻れないから、後悔になる。
戻れるなら、それは選択だ。
私は画面を伏せた。
返信は、少し遅らせた。
あなたが欲しかったのは、
私じゃない。
“あの時の安心”だった。
でも、
あなたが失ったことに気づいた瞬間に、
私の青春は、ようやく終わった。
選ばれなかった私と、
選ばなかったことを悔やむあなた。
その交差点で、
私たちはもう、
同じ方向を向けなかった。
それでも――
一度だけ走った衝動が、
今もあなたの中で疼いていることを、
私は知っている。
それが、
私があなたに残した、
たったひとつの痕跡だったから。
認めて欲しい気持ちなのか、恋なのか
若すぎて分からないこともあった。
大人になると、恋が情に変わったこともあった。
ただ1つ言えるのは、あなたに愛されたかったんだ。
物事着いた時には、隣にいた。
母親どうしが幼なじみだった。
私たちは互いを選んで一緒にいた訳じゃない。
心も身体も成長する度に離れていった。
私たちの青春は
心が先に大人になったのは、きっと私のほうだった。
あなたは変わらない距離で笑っていたけれど、私はその笑顔の裏に、少しずつ居場所を失っていった。
同じ帰り道、同じ景色、たまに同じになる食卓。
それらは安心だったはずなのに、いつからか「当たり前」に縛られる檻になった。
あなたが他の誰かに目を向けるたび、胸の奥で小さな音がした。
壊れる前触れのような、気づかれない悲鳴。
「好き」と言えば、何かが変わってしまう気がして言えなかった。
言わなければ、ここにいられると思っていた。
選ばれなくても、隣にいられるならそれでいいと、自分に言い聞かせて。
でも、本当は違った。
私は、あなたにとって“選んだ結果”でありたかった。
偶然でも、情でも、習慣でもなく。
あなたが迷った末に手を伸ばす、その先にいたかった。
離れていったのは、距離じゃない。
心の温度だったのだろう。
同じ場所にいても、触れられないほど遠くなったあなたを、私は見送ることしかできなかった。
それでも今、思う。
あの時間がなければ、私は「愛されたい」と願う自分を、こんなにも正直に抱きしめられなかった。
あなたに愛されたかった。
それは叶わない恋だったけど、
あの願いは、私が私を選ぶための始まりだったのかもしれない。
放課後の教室は、窓を閉め忘れたせいで少し蒸していて、チョークと埃と、夏になりきれない青春の匂いがした。
隣の席であなたのシャツの袖が、机に触れるたびに小さな音を立てて、そのたび胸がざわついた。
近いのに、触れられない。
触れたら壊れる気がして、でも触れないままでも壊れていく。
その狭間で、私はいつも息を詰めていた。
膝が触れた瞬間、何もなかった顔をしてしまう自分が嫌だった。
心臓が跳ねたことを悟られたくなくて、
でも気づいてほしくて。
この矛盾を、どう処理していいか分からなかった。
あなたは無邪気だった。
私の沈黙を「いつものこと」みたいに受け取って、
他の子の名前を平気で口にした。
そのたびに、胸の奥がじくっと熱を持って、
それが恋なのか、独占欲なのか、分からないまま膨らんでいった。
「なぁ、あの子どんな子?」
気になる相手でもできたとき、
あなたは、私にあたりまえのように聞いてくる。
「先輩に告られた」
自慢げに始まる話。
「よかったじゃん」
私はまた、笑顔であなたの話しを聞く。
それがを自分の役割のようで、
ちょっと誇らしくて、
ちょっと切なかった。
夜、布団の中であなたの声を思い出す。
今日、目が合った回数。
笑った理由。
何も特別じゃない出来事を、何度も再生して、
勝手に意味を与えて、勝手に傷ついた。
キスなんて、したことなかった。
それなのに、あなたの指がどんな温度をしているかだけは、
想像で何度も知っていた。
その想像が恥ずかしくて、でもやめられなくて、
私は自分の中の欲を、ひたすら押し殺していた。
仲がいいと思われて、周りから冷やかされることもしばしば
「許嫁」なんて呼ばれて、ますますあなたは離れていったよね。
今思えば、思春期の男の子には恥ずかし過ぎたのだろう。
「幼なじみだから」
ぶっきらぼうに、でも私を守るように、
あなたは訂正していた。
その言葉は、盾であり、檻だった。
好きだと認めるには幼すぎて、
諦めるには感情が生々しすぎた。
あなたは少しずつ、私の知らない世界を持ち始めた。
帰り道がずれ、連絡の間が空き、
それでも私は、何事もなかったふりを続けた。
選ばれないことより、
“最初から選択肢に入っていなかった”と認めるほうが、ずっと怖かったから。
あの頃の私は、
恋をしていたんじゃない。
ただ、欲しかったんだ。
あなたの視線を、特別な意味を、
「お前がいい」と言われる未来を。
青春は、こんなにも体温が高くて、
こんなにも報われない。
それでも、
あのむずがゆさも、
押し殺した衝動も、
全部、確かに私の中で生きていた。
そして今でも、ふとした瞬間に思う。
もしあの時、勇気を出していたら――
違う地獄があっただけなのか、
それとも、少しは救われていたのか。
それを知ったのは、放課後の階段だった。
夕方の光が窓から斜めに差し込んで、鉄の手すりがやけに冷たく見えた。
「ねえ、聞いてほしいことがあるんだけど」
あなたは、少しだけ声を低くして言った。
その言い方だけで、胸の奥が嫌な予感を掴んだ。
こういう前置きは、だいたい良くない。
かわいいと有名な先輩の名前を出された瞬間、世界が一段遠のいた。
部活の先輩。
綺麗で、大人で、あなたが目で追っていた人。
「好きなんだと思う」
“思う”なんて曖昧な言い方なのに、
その言葉はやけに確信を持って私を刺した。
息が浅くなった。
でも、顔には出せなかった。
出したら、何かが終わる気がしたから。
「応援してほしいんだ」
その一言で、完全に逃げ道が塞がれた。
あなたは私を見ていた。
信頼している人を見る目で。
安全な場所にいる人を見る目で。
「…もちろん、初恋じゃない?
応援するに決まってるよ!」
断れるはずがなかった。
ここで首を振ったら、
“幼なじみ”でいる資格まで失う気がして。
喉の奥がひりついて、声が少し掠れた。
それでも、あなたは気づかなかった。
気づかないふりをしたのかもしれないし、
本当に見ていなかったのかもしれない。
沈黙が落ちた。
気まずさをごまかすみたいに、あなたは笑った。
「ありがとう。やっぱ頼れるな」
その瞬間、胸の中で何かが鈍く音を立てた。
選ばれなかった、というより、
最初から土俵にすら上がっていなかったことを、
ようやく突きつけられた気がした。
階段の踊り場は狭くて、
少し動けば肩が触れそうだった。
でも、あなたは一歩も詰めてこなかった。
触れそうで、触れられない。
それは距離の問題じゃなかった。
あなたの意識の中に、
私は“触れてはいけない存在”として、
最初から線を引かれていた。
応援するって、どういうことだろう。
あなたがその人に近づくたび、
私は自分を削って拍手を送れというのか。
その日の帰り道、
いつもの並びで歩いた。
影だけがくっついて、
身体は少し離れていた。
「もし上手くいったらさ…どうする?」
あなたが照れたみたいに言う。
その横顔を見ながら、
私は笑う練習をした。
「よかったね、って言うよ」
それは約束でも、覚悟でもなかった。
ただ、そう言うしかなかっただけ。
家に帰って、制服のままベッドに倒れた。
胸の奥がじんじんして、
触れていないはずの場所が、
ずっと熱を持っていた。
初めてだった。
こんなふうに、
誰かを欲しがっている自分を、
誰にも見せられないまま、
一人で抱えたのは。
触れられなかったのは、手じゃない。
私の気持ちだった。
それは、雨が降り出す直前の空気だった。
湿っていて、息を吸うたびに胸の奥が重くなる。
帰り道、あなたは珍しく立ち止まった。
家へ向かう分かれ道。
いつもなら、何も考えずに「また明日」と言う場所。
「今日さ……」
その声が、少し震えていた。
私はそれだけで、嫌な予感と、期待を同時に抱いてしまった。
先輩の話だった。
上手くいっていないこと。
距離が縮まらないこと。
どうしたらいいか分からないこと。
「恋愛ってむずかしいなー」
「…ほんとに、そうだね」
「…あのさ」
私は、頷く役目だった。
聞く役目。
あなたの気持ちを受け止める役目。
でも、その日は違った。
言葉が途切れた瞬間、沈黙が落ちた。
近すぎる距離。
街灯が一つ、点き始める。
あなたが、私を見た。
相談相手じゃない目で。
幼なじみじゃない目で。
その視線に、心臓が一気に跳ねた。
「……お前ってさ」
名前を呼ばれそうで、呼ばれなかった。
その“間”に、全部が詰まっていた。
手が動いた。
本当に、無意識だったと思う。
あなたの袖に触れそうになって、止まった。
同時に、あなたも動いていた。
一歩、近づいて、
でも、そこで止まった。
触れなかった。
触れなかったのに、
空気だけが、確かに揺れた。
このまま一歩進めば、
全部壊れる。
でも、進まなければ、
何も始まらない。
その境目で、私たちは固まっていた。
「ごめん」
先に言ったのは、あなただった。
何に対しての謝罪なのか、分からないまま。
私は笑った。
癖みたいに。
「応援、するって言ったでしょ」
自分で言って、自分の胸が痛くなる言葉。
あなたは少しだけ、安心した顔をした。
その表情を見た瞬間、分かった。
さっき走った衝動は、
本当に一瞬の逃げ場だったんだって。
帰り際、
「ありがとな」と言われた。
その言葉が、
触れなかった手より、ずっと重かった。
家に帰って、
制服の袖を握りしめた。
さっき、触れそうになった場所。
一度だけ、確かに走った。
間違いじゃなかった。
私の中にも、あなたの中にも。
でも、あの衝動は、
選ばれなかった事実を
よりはっきり浮かび上がらせただけだった。
あれが最初で、最後。
触れなかったからこそ、
今もこんなに、鮮明に残っている。
それからのあなたは少し変わった。
劇的じゃない。
誰かが気づくほどじゃない。
でも、私には分かる程度に。
連絡が増えた。
用事もないのに、
「今なにしてる?」
それだけのメッセージ。
先輩の話は、しなくなった。
完全に避けるわけでもなく、
でも、触れれば壊れるものみたいに、
言葉の端で引き返す。
私が笑うと、
あなたは一瞬だけ、じっと見るようになった。
あの帰り道の、
触れそうで触れなかった距離を、
測り直しているみたいに。
「最近さ」
汗がシャツに張り付きそうな放課後、
誰もいない昇降口。
靴箱の金属音が、やけに大きい。
「なんか、変じゃない?」
それは質問の形をしていたけど、
本当は確認だった。
夕方帰り道の“あの時”を覚えているかどうかの。
私は靴紐を結び直すふりをした。
顔を上げたら、
きっと期待を映してしまうから。
「何が?」
あなたは少し困った顔をした。
言えないことが増えた人の顔。
「いや……いいや」
その「いいや」が、
何より雄弁だった。
あなたは後悔していた。
私を好きになった後悔じゃない。
選ばなかった後悔。
手を伸ばさなかった後悔。
それが、いちばん残酷だった。
卒業も間近に控えたある日、
ぽつりと言われた。
「もしさ……」
風が強くて、言葉がさらわれそうになる。
「もし、俺があの時、違う言い方してたら、
今、違ってたかな」
私は答えなかった。
答えられなかった。
だって、
“違ってたかもしれない”という仮定は、
今さら私を選ぶ覚悟がない人の、
逃げ道だから。
あなたは私の隣に立っていた。
距離は近い。
でも、決して触れようとしない。
その慎重さが、
後悔の正体だった。
夜、またメッセージが来る。
「昔みたいに戻れたらいいのに」
戻れないから、後悔になる。
戻れるなら、それは選択だ。
私は画面を伏せた。
返信は、少し遅らせた。
あなたが欲しかったのは、
私じゃない。
“あの時の安心”だった。
でも、
あなたが失ったことに気づいた瞬間に、
私の青春は、ようやく終わった。
選ばれなかった私と、
選ばなかったことを悔やむあなた。
その交差点で、
私たちはもう、
同じ方向を向けなかった。
それでも――
一度だけ走った衝動が、
今もあなたの中で疼いていることを、
私は知っている。
それが、
私があなたに残した、
たったひとつの痕跡だったから。
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